PNC会員へ・・・

会員のみなさま 922                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月30日(土)、現在は朝の7時です。

 

 本日は1年間の内で一番晴れてほしい週末の土曜日ですが、(桜満開の元での

花見)ちょっとがっかりな天候ですね。というか、昨日の寒さは一体何なの?・・・と、

言いたくなるような寒風吹き荒れる一日でした。当方らの年齢になると寒さを堪えてまで

花見酒をするなどもっての外です。単なる花見だけでも嫌ですね。

 

 当方、再就職して昨日で丸一か月になりました。この間、法廷出廷は7日間だけで、

その他の日は全部PC前の架電や事務作業の仕事が11日間、都合で18日間がところ

出社しました。この日数は当方的には通常の日程と変化ありません。それでも有給休暇

がゼロなので厳しさいっぱい気味ですが。

 花見はまだ1週間ぐらいはその命を長らえそうなので、当方は来週中の平日に一寸見ぐらい

の花見には行くつもりです。何故なら来週の1週間は法廷が無いので3日(水)と5日(金)

を休みにしているからです。もちろんこの2日間ともヨガ教室とjか病院での採血検査とかが

ありますが花見をするぐらいの時間はあるでしょう!

 

 昨日の金曜日は当方まったく興味が無く100%見ないプロ野球が開幕したそうです。

野球は高校の選抜野球の方がほとんどの人は興味があるのでしょうか?プロ野球の話題

など当方の耳にはほゞ聞こえて来ません。高校野球では我が地元(に近い)の習志野高校

がインチキをしたとかしないとかだけが話題になっているつまらなさですが!?!

 前回のPNC921に書いた27日の水曜日に、本八幡市川市文化会館へ我が母校の後輩

たちの奏でる吹奏楽部のスプリング・コンサートに行って来ました。開場の2時半に着いたのですが、

けっこうな行列ができて、開演の3時にはほぼ満杯状態となっていました。同じ高校生による

選抜野球大会も吹奏楽部の演奏にしても本当にビックリするぐらいの出来栄えです。昔、我が息子

がやっていた小学校の演奏とは天と地の差があります。自分の高校時代を思い出してもやはり

小・中学時代と高校生では雲泥の差があります。特に肺活量でしょうね!!!国府台高校の

吹奏楽部(此のたび卒業した3年生を含んで約100名ぐらいの人数です)の女子率は90%です。

殆んど女の子です。それでもその音量は男子生徒顔負けの音を出します。本当にビックリです!

 3時から休憩を挟んで終わったのは6時45分ごろでした。中味で3時間近くは吹きまくりという

ことです。管楽器は演奏者が沢山いるので個的に目立つ人はあまりいませんが、パーカッションでは

(目立つので)1人強烈な人がいました。スネアー・タムタムの超高速連打、木琴・バイブ・ピアノ・

トライアングルなど全部熟します。調べたらこのたび卒業した旧3年生でしたが、この人ならプロの

世界でも活躍できそうです。管楽器ではテナーサックスの男子生徒が一人ジャズのアドリブ風演奏

が超驚きの演奏でビックリでした。この吹奏楽部はけっこう大きな大会で優勝したり金賞を取ったり

しているようなので当方らの高校生時代とは比較にならない進歩ですね。

 

 ショーケン萩原健一)が亡くなりました。68歳ですか、早いですね!何やら難しい名前の病気に

なったもんです。早死に(どうか?)の我ら団塊世代の一角でしょうが、同じ頃活躍した当方らと

同い年のジュリーあたりはデブって何とか癌?のような難しいネーミングの病気にはならないように

しているようですが、今度はデブになったための心臓病とか糖尿病、痛風とかには充分気を付けて

くださいとだけ言っておきます。

 本日の報道ではショーケンだけでなくもっとずっと若い元横綱双羽黒(北尾)が亡くなっています。

北尾(こちらの方が違和感がない)はたったの一度も優勝したことのない横綱という汚名(?)で

有名な横綱です。病名は慢性腎不全とのことです。当方、たった一度だけ行ったことがある両国

国技館の升席からこの北尾の相撲を観ています。(そのはずですが相撲自体はほとんど記憶にない)

相撲の升席は蔵前国技館の時代には3回ほど行ったことがありますが両国は1回だけです。

55歳とのことですが、昔の相撲取りは大体このぐらいで亡くなっています。やはり異常な異様な

デブ作成と酒の飲み過ぎ、無理過ぎ稽古などが原因でしょうか!?!当方何度も言いますが、

相撲は早く大昔の”神事”に戻して奉納相撲を優先し、見せ物として普通の相撲も少しあり・・・

という仕組みにすべきです!!!

 

では、ニーチェと量子物理学です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

二十八 聖者の物語など、総じてありうるうちの最も曖昧な文学である。それに科学的方法を適用することなど、それ以外なんらの典拠も手もとにないかぎり、私にははじめから断罪されるべきことと思われる、― たんに学者の暇つぶしであると・・・

 

三十三  「福音」の全心理学のうちには負い目と罰という概念はない、同じく報いという概念もない。「罪」、神と人間とのあいだを分かついずれの距離関係も除去されている、― 

まさしくこれこそ「悦ばしき音信」なのである。浄福は約束されるのではない、それは条件に結び付けられているのではない、それは唯一の実在性なのである。「信仰」がキリスト者を区別するのではない。キリスト者は行為し、異なった行為によって区別されるからである。キリスト者は誰にも立腹せず、誰をも軽蔑しないということ。キリスト者は、法廷に姿をみせることもなければ、弁護をひきうけることもないということ(誓うな)。キリスト者はどんなことがあっても、たとえ妻の不義が証明された場合でも、その妻を離縁しないということ。― すべてのこれらは根本的においてただ一つの命題であり、すべてこれらはただ一つの本能からの結果である―  神への道は「懺悔」でもなく、「罪の赦しのための祈祷」でもない。福音的実践のみが神へとみちびくのであり、この実践こそ「神」である!― 福音で片付けられてしまったもの、それは、「罪」、「罪の赦し」、「信仰」、「信仰による救い」という概念をもつユダヤ教であった、― ユダヤ教の教えは全部「悦ばしき音信」のうちでは否定されている。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 いくら思考を運動と呼んだところで、我々はそれが二つの異なったものであることを知っている。それらは異なった知覚であり、異なった世界に属し、同時に存在することができないものである。さらに、思考は運動なしには存在できない。なぜなら運動の必要条件(時間)は心から生じるからである。心がなければ、時間も存在せず、時間がなければ、運動は存在しないからである。

 我々はこの事実を逃れることはできず、論理的に考えれば、二つの原則を受け入れざるを得ない。しかし、二つの原則を受け入れることが非論理的であると考えるならば、「思考」を単独の原則として受け入れ、「運動」を思考の幻影とみなすことになる。

 その意味は何か?それは「一元論的物質主義」が不可能であるということである。

 

 

 

 

 

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会員のみなさま 921                後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月27日(水)、現在は朝の7時ジャストです。

 

 昨日は予報に反し(?)夕近くまで雨降りでした(当方らの海浜幕張界隈)。

本日はスカッとした秋晴れのような好天でそれも一日中続くようです。

 当方、本日はお休みです。昨日・一昨日の仕事は一日中会社のPCの前で

架電中心の仕事でした。はっきり、超疲れました。裁判所の人事異動の影響で

今週と来週の10日間のうち当方が出廷する法廷は29日の東金簡裁たった一件

しかありません。今週の3日間と来週の3日間の都合6日間は電話かけっぱなしの

仕事中心の超疲れる状態となります。来週は5日間全部PC前の架電仕事なので

2日間は休みを取りました。

 本日の休みですが、普通はただ休むだけなのですが、午後の3時ごろから本八幡

市川市民ホールで我が母校の国府台高校の吹奏楽部のコンサートがあり女房が

どうしても行きたい云うので行くことにしました。当方の高校生時代の我が吹奏楽部は

大したことなかったはずですが、現在は随分レベルを上げたようで期待しています。

当方的には残念ですが、ジャズではなくポップスが得意のようです。3時から始まって

終了は6時15分となっています。けっこう長い時間やるものですね!?!

帰路には昔行った本八幡駅界隈の焼き鳥屋(ここの鶏皮焼きが最高)を探してみようか

と思っています。

 

 先週末にNY市場が460ドル安というやや暴落という洗礼を受けましたが、この暴落の

最大の原因は”11年半ぶりの逆イールド発生で強まった景気後退懸念でした。

 米国債10年物の利回りが3カ月物を年半ぶりに下回る長短金利の逆転現象『逆イールド』

が起きたことがきっかけだそうです。歴史的に景気後退の予兆とされ、過去30年で3回

あった後退局面でいずれも発生しました。

 『逆イールド』が”凶兆”とされるのは発生した1~2年後に米国が景気後退期に入るケースが

多いからであります。08年9月のリーマン・ショックITバブル崩壊、湾岸危機と重なって起きた

不動産バブル崩壊では事前に『逆イールド』が発生していたそうです。

 ほぼ間違いなく東京五輪開催までには完璧に鮮明な景気後退局面が始まるはずです。

それを阻止するのは五輪中止しかないでしょう!!!

 

 当方、PNCをブログに挙げて3か月が経ちますが、昨日初めて気が付いたことがあります。

スマホで自分のブログを見ていたら、当方がよく書く案件についてのフォローがあるのですね。

 

   godaiinn’s diary  を覗いてみてください。

 

 最近では我孫子の”弥生軒”の詳細なる照会があるではありませんか!

 

 ビックリですね!この他にニーチェとかも訳の分からない照会があります。

 

 

 話は変わり日曜日に終わった大相撲の件です。当方ほぼ見てはいませんが、超つまらない

結果で終了したようですね。白鵬の全勝優勝ですか。まあ良かったね…ということだけは言って

おきます。問題は勝ち負けではなく、白鵬の左腕の怪我が最高の問題です。覚えていますか?

あの最低横綱の”稀勢の里”が超無理して鶴竜と優勝争いをした結果、再起不能の身体に

なったことです。今回も白鵬の相手は鶴竜でした。全勝優勝の甘い汁の誘惑に負けて、

止めておけばよかった超無理の左腕(故障中の腕)を最後の最後に使い切った結果、

おそらく再起不能ではないかと思われる故障が発生したはずだからです。

 白鵬はもう引退すべきでしょう!それでなくとも以前の万歳事件に続いて、今回は手拍子

ですか?この大馬鹿横綱は超勘違いしているのが分っているのでしょうか?もちろん、

相撲とは日本と日本人にとって何なのか・・・?を相撲界のお歴々が力士に特に横綱には

徹底して教えなければならない案件を何もやっていないことが最大の問題点です。

はっきり、相撲はスポーツでもなければ格闘技でもありません。もちろん国技などでもあり

ません。相撲は”神事”です。神に天皇に捧げる神事です。本当はテレビなどでやるもの

ではありません。皇室主催の”殯の儀”などをテレビでやりますか?白鵬などのまったくの部外者

はもう相撲界から放逐すべきです。

 

 というわけで今回は不遜なる者どもへの警鐘PNC=ブログでした。

 

ニーチェと量子物理学は頑張りましょう!この2案件をブログがまともに照会されるまで徹底的に

行きます!!!

 

 

ニーチェ

 

 

二十六 神の概念は偽造された、― ユダヤの僧侶階級はここで立ち止まったのではない。イスラエルの全歴史は彼らにはなんの役にもたたず、そこで、これを抹殺せよ!― この僧侶どもは奇蹟のごときあの偽造をしとげてしまったが、その証拠として私たちに残されたのが聖書の大部分である。すなわち、彼らはおのれ自身の民族の過去を、あらゆる伝承は、あらゆる史実に比類のない罵倒をくわえることで、宗教的なものへと翻訳してしまった。言い換えれば、その過去を、エホバに対する負い目とそれに応ずる罰という、エホバに対する敬虔とそれに応ずる報いといいう愚にもつかない救済のからくりにでっちあげてしまったのである。

 「神は、悔い改める者を赦す」という最高命題は、― わかりやすく言えば、赦されるのは僧侶に屈従する者。 ―

 

 

量子物理学

 

 

 

 人間は自分自身の中に三種類の現象すべてを含んでいる。すなわち、人間活動の表現は物理現象、生命現象、心理現象の組み合わせである。

 現象世界も本質世界も「人間」の中に表現されているが、本質世界はより少なく不完全に表現されている。それは現象を通して知覚することしかできないからである。

 本質的とは心が知覚したことを意味しており、本質世界に属する物の特徴は、現象世界の物と同じ方法では知覚できないということである。

 

 人間が生まれた瞬間からあらゆる外的刺激(光、音、触覚、熱、寒さなど)を取り去り、同時に生かしておくことが可能であれば、その人はまったく何の運動も起こすことができないということを確認した。

 人間のすべての行動は外的刺激に依存しているのである。

人間は我々が知っている中で最高のものであるにすぎない。

 

 

 

 

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会員のみなさま 920                   後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月24日(日)、現在は朝の7時です。

 

 今朝は酷く冷え込んでいますが、午後は晴天の日差しがたっぷりでけっこう温度

は上がるようです。というかもう桜満開モード全開という状態です!満開と言えば

当方らは即”花見”を思い浮かべます。ただ桜を鑑賞するだけの花見は本当の花見

ではなく、やはり、真昼間から堂々と大宴会ができることを”花見”というのでしょう!

当方はその本当の”花見”は20数年前からやっていません。もうそんな年代では

無いことも事実ですが共に宴をする仲間も雲散霧消してたった一人での花見の宴

ではやはり何かしら悲しい様子がありありだからです。花見ではないですが数年前まで

いっしょに仕事をしていた優秀な人で会社が引けて帰宅する帰路の電車のホームで

必ず缶ビールを1本は飲む方がいました。家が近いので帰って飲んだら!・・・と、言い

たくなりますが、絶対に止めません。不思議ですね、当方などお酒大好き人間ですが

朝とか昼飲みとかはお正月の2日ぐらいと土曜昼飲み会で年に2度ほど、都合年に

4日ほどしか朝昼飲みはしません。それでも夕以降はチャンと飲みますが週に最低でも

1日は休肝日にしようと誓ってもなかなか励行できません。この辺はかの帰宅途中の

ホーム飲みの人とレベルはいっしょでしょうか!?!

 今日は天気がよく、これといった予定も皆無なので一人墓参りに行こうかと思案中です。

 

 3月1日から新たな状況(派遣社員)で働き始め、今週いっぱいでやっと一月働くことに

なります。派遣社員なのでこの3月だと1日から29日まで働いてその給与は4月15日に

貰える契約です。この間の交通費やお昼代は全部当方の預金から前払いとなります。

もちろん派遣社員ですから通勤費はもらえません。15日に貰える交通費は法廷出廷

時の実費です。通勤費が無い代わりに時給は200円高く設定されていてこれがジャスト

通勤費に当たるのが不思議です。今週来週は法定出廷が1日しかないので、スイカへの

チャージは1万円だけにしておきます。当方にとって、この裁判所の人事異動の結果としての

今来週の法廷ほぼ無し状態を如何に凌ぐかが当方の毎年の重要課題となっています。

 

 先週末の米国株式市場の結果が世界経済の減速懸念・・・という大幅下落でした。

マイナス460$です。久々の大下げですね。本格的な大暴落の予行演習のようなつもりで

これには対処すべきでしょう。本番はもう少し先ですから。

 それにしても政界情勢(政経全般)は何かしら冴えない感触だと思いませんか?

今後、世界的には良いことがある気がまったくしません。悪いことが起きないことを願う

だけの毎日になりそうです。

 

先週行った ”道の駅いちかわ”でのヨガ教室は今週はお休みで来週の4月3日に会社を

休んで参加する予定です。この週は法定が皆無なので3日と5日の2日間の休暇を取って

(勝手に)います。5日は採血検査が入りますので仕方ないでしょう!?!

 本日は我が市川市に関する良からぬ報道が2つあります。一つはもう決定してしまった

ようですが、市川市の公立小中学校全55校で4月の新学期からの学校給食で福島県産米

を使用するというものです。福島の喜多方・西会津・北塩原の3地域生産のお米です。

この件をもち出すとすぐ、やれまた風評被害を撒いている・・・とか、言われますが違います。

福島産だからではなく、原発事故地の最寄りの地域なのですから安全を期して念入りな

放射能検査とかを徹底してやりすべての国民にお知らせする義務があるはずです。

 何で市川だけなの!???!という感慨は当方だけでしょうか?当方らジジババには

もうそれほど大した影響はないでしょうが、我が孫はどうするの?です。上の孫娘が4月から

3年生となります。下の孫息子はまだ今年で3歳ですから保育園児ですので給食には福島産

は未使用のはずなのでまあ良かった・・・というところです。全米検査をして公表しないのなら

もう市川には住めないという事です。行政はよーく考えてこの決定を見直すべきです。

放射能検査とその公表だけは最低励行すべき最重要案件です。

 もう一つですが、市川市内に関する市川警察署からの要注意情報が出た件です。

所謂”オレオレ詐欺”の一環で今度は”電話de詐欺”の前兆電話が多数罹ってきている、

というものです。この犯人グループは警察官をかたるのが特徴です。

 

 下に添付しておきます。当方ら市川市民でなくても充分気をつけましょう!!!

 

 

 

 

以下の情報が寄せられましたので、十分に注意してください。

本日、市川市内において電話de詐欺の前兆電話が多数かかってきています。

 犯人は、警察官をかたり

  〇詐欺の犯人グループを捕まえたら、あなたの名前がリストにありました。

  〇預金通帳とキャッシュカードがあるか確認してください。

などと電話をかけてきます。

 電話で「お金」や「カードを預かる」という話が出たら詐欺です。

 不審な電話が入った場合は、速やかに警察署に通報してください。

 犯人からの電話に出ないことが一番の被害防止策です。

 留守番電話設定にするか、警告・録音装置を活用して犯人と直接話さないようにしましょう。

【情報提供元】 市川警察署 TEL:047-370-0110

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それではニーチェと量子物理学を勉強しましょう。

 

 

 

ニーチェ

 

二十四 ― キリスト教ユダヤ的本能のへの反対運動ではなく、その本能の徹底そのもの、この本能の恐怖をそそぎこむ論理における一歩を進めた結論である。 ユダヤ人は世界史の最も注意すべき民族である、というのは、彼らは、存在と非存在についての問いのまえに立たされると、まったく薄気味悪いほど意識的に、あらゆる代価を払って存在の方を選びとったからである。― キリスト教教会は、「聖者の民」に比較すれば、独創を要求する資格をまったく欠く。ユダヤ人は、まさしくこのゆえに、世界史の最も縮合きわまる民族である。その後の影響において彼らが人類を欺いたことは、今日なおキリスト教徒が、おのれを最後のユダヤ的帰結と解することなく、反ユダヤ的と感じうるほどである。

 ユダヤ人は、すべてのデカダンと対になっている。

デカダンスは、ユダヤ教キリスト教において権力をえんとのぞむ種類の人間、すなわち僧侶的人間にとっては、手段にすぎない。この種の人間が生に関心をもつのは、人類を病弱たらしめ、「善」と「悪」、「真」と「偽」という概念を、生に危険な、世界を誹謗する意味へと転換することにある。― 

 

 

量子物理学

 

 

    第十六章  霊と物質

 

 人間の現象的側面と本質的側面・・・「自分自身の中の人間」・・・人間の内的側面をどうやって知るか・・・我々と違う空間条件における意識の存在を知ることができるか・・・頭脳と意識・・・世界の統一性・・・霊と物質が同時に存在することは論理的に不可能である・・・すべてが霊かすべてが物質かのどちらかである・・・自然と人間生命における合理的活動と非合理的活動・・・非合理的活動と合理的活動は共に存在できるか・・・偶然生まれた機械的玩具としての世界・・・機械的宇宙に意識は存在し得ない・・・機械的システムに介入する人間意識の事実・・・世界の他の断面の意識・・・それについてどうやって知ることができるか・・・「霊」についてのカントの見解・・・不可視の世界の認識についてのスピノザの見解・・・本質世界では何が不可能かを知的に定義する必要がある

 

 

 

 

 

 

 

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会員のみなさま 919                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月23日(土)、現在は朝の7時です。

 

 今日は昨日までのポカポカ陽気から一転して”寒の戻り”と言われるような

寒い朝を迎えています。大体、桜が開花した直後の何日かはこのような膚寒い

日が続くものです。それでも今年はどうも寒いのは今日だけで、来週末のお花見

のピークは間違いなくやって来そうです。

 当方、今日は予定なしの休日にして明日は墓参りというか墓掃除に行くつもりです。

もちろんお彼岸の交通渋滞なら途中で引き返しますが。

 

 昨日は予想された通りテレビは”イチロー”一色でした。法廷から帰社後チョイと

休憩室でテレビを見たら永延とイチローだけやっていました。他のニュース(大事な)

は無いのかよ!!!と言いたくなります。

 当方ほぼ見ない”大相撲”は相変わらずモンゴール勢だけが上位を占め、貴景勝

はどうしたの???・・・という質問すら憚られる様子です。

 スポーツは野球・テニス・ゴルフ・フィギアスケートそして相撲まで日本土人の活躍

場面はほゞ見られません。競馬まで勝利騎手は圧倒的に外国人だらけとなっています。

これだけ弱い土人国だからこそ、偶に買ったり優勝したりする、たとえば相撲では

稀勢の里”とか”貴景勝”、テニスの”大坂なおみ”、フィギアの”羽生・宇野・紀平”

あたりに期待がかかり過ぎて行きます。結局、土人土人を期待倒れにし尽くして

いるだけの最低の環境作成土人国家としか言いようがないと結論付けます!?!

 

 当方、本来なら定年退職後の”毎日が日曜日”を満喫(?)している毎日のはずだった

のが、派遣会社経由で再就職した結果、超忙しい思いをする羽目になっています。

何しろ、派遣元と派遣先という二つの会社に入社したようなものだからです。

やれ、健康保険と保険証がどうの?出勤簿や交通費請求の仕方がどうの・・・と、

ややこしい作業が山のようにあります。昨日も派遣会社から新しい保険証と高齢

受給者証が届きました。これは70歳から74歳までの期間を自己負担2割という

証明書のようなものです。今のところ制度改悪が無ければ75歳以上は1割負担の

予定ですが、解りませんよ!?!団塊の世代が大量に75歳になりみんなが1割

負担となったら国の財政がひっ迫すること必定だからです。

 そんなわけで、まだまだやらねばならないことが多くありそうな反”毎日が日曜日”

の毎日です。

 

 昨日は当方が帰宅後の8時ごろ、海浜幕張と検見川浜の間の線路に人が立ち入った

とのことで電車が止まったようです。海浜幕張は当方らの会社員も多いですが、他に

メッセやマリーンスタジアム・イオンモールとかが沢山あり訳の分からない人種の人々が

数多来るので怖いところです。当方の仕事はなるべく直行・直帰の遠方への出廷ばかり

にしてほしいものです。

 

 本日はつまらない愚痴だけのPNCになってしまいました。明日もそうかな???

と言いながらニーチェと量子物理学は勉強しましょう!

 

 

 

ニーチェ

 

 

 

二十二 キリスト教は、野蛮人を支配するために、野蛮な概念や価値を必要とした。仏教は、老成の人間たちにとっての、苦悩をあまりにもやすやすと感受するところの、善良な、温和な、きわめてしまった種族にとっての宗教である。仏教は、このような人間たちを平和と快活とへ連れ戻して、精神的なものにおいては摂生を、肉体的なものもにおいては或る種の鍛錬をほどこしかえすのである。キリスト教は猛獣を支配しようとねがうか、その手段は、それを病弱ならしめりことである。仏教は文明の終結と倦怠にとっての宗教であるが、キリスト教はいまだ文明を眼前にすらしておらず、― 事情によってはその基礎となる。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 愛は、我々の人生にとっては、一人の支配神である。ある時は厳しく、ある時は慈悲深いが、我々に屈することは決してなく、絶対に我々の目的に仕えようとはしない。人は、霊的にも物質的にも、愛を何とかして服従させようとし、自らの目的に従わせようとする。しかし愛は何物にも従属することはあり得ず、神さえも自らの目的に従わせようとする取るに足りない死すべき者たちに容赦なき復讐を浴びせる。愛はすべての計算を狂わせ、予想もしなかったことをさせる。愛は人間に奉仕することを命じ、人に自らの欲するところをなさせようとする。

 愛の中で最も重要な要素は、存在しないところのものであり、普段の日常的な物質的観点からはまったく存在しないものである。

 この存在しないところのものを感じること、そして、奇跡の世界(真の実在世界)との間に成し遂げられた接触の中に、人間生活における愛の意味の核心がある。

 大きな喜びや大きな苦しみなどの非常に緊迫した体験の瞬間には、周囲のあらゆるものが非現実的な夢のようなものに見えるというのはよく知られた心理学的事実である。これは魂の目覚めの始まりである。夢の中で、自分が眠っており、自分の見ているものが夢であることに気づいたとき、人は目覚める。魂も同じように、目に見えるすべての生活が夢でしかないということに気づいたとき、目覚めに近づいている。そして、体験がより強力で、より生々しいほど、人生が非現実的であるという意識は早く訪れるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

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会員のみなさま 918                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月22日(金)、現在は朝の6時50分です。

 

 当方は2連休後の仕事日ですが、また明日からは普通の週末の2連休が始まります。

休暇の中の中日での出社といった方がベターでしょうか。昨日は午前中での気象庁

予報では午後は雨模様だったのですが、正反対の好天と相成っていました。

 最近(この数年)桜の開花日は昔と比べて随分早くなっています。今年も昨日の21日

春分の日ソメイヨシノの開花日となりました。開花から満開までの期間はどのくらいか?

・・・というと、ジャスト1週間だそうです。という事は、今年の花見のピークは来週末あたり

になります。もちろん当方らが花見をしたり行ったりすることは皆無ですが。

 昨夕の真東に上った満月は所謂”スーパームーン”と云えるほどの見事な満月でした。

本日は”花曇り”という言葉がぴったりの朝を迎えました。今日の仕事(法廷出廷)は

川口簡裁の11時半です。家を出るのは9時半で十分ですのでこれを書き始めた次第です。

 

 昨日は昨日の朝にも書いたように予定が完全に無く、一日中自宅に籠った状態でした。

勢い、やること(作業)はニーチェの書きだしと映画鑑賞ぐらいしかありません。女房は

隣りの娘一家と孫娘のピアノの発表会へ行ったので当方は孤独を楽しむ状況と言って

良い状態でした。午前中には2階の書斎(?)から階下の居間までノートパソコンを持って

行き、ニーチェの書き出しです。このニーチェに関しての書きだしはお坊さんが能くやる

”写経”と同じです。意味不明(当方の頭脳では)なアフォリズムを何度も何度も読んで

書き写しているといかにバカ頭の当方でも理解度が多少は進みます。ということで、

ニーチェ著作の書き出し(写経)は①人間的あまりに人間的②曙光③反キリスト者

続いて次は”この人を見よ”にします。

 

 此のところ時間が余ると(休日とか女房出迎えの調整時間帯とか)、大概は映画鑑賞を

することにしています。当方へんちょこりんな癖がついてしまって、自宅での読書がどうしても

捗りません。読書は遠方の法廷出廷時の電車の往復時でないと進捗しない体質になって

しまったようです。だから家では本は読みません。3月からスタートした再々就業は当方にとって

は最高の出来事だったようです。家で読書はしませんが、超精読(写経もどき)はしますが。

ここまでしっかり読むのは電車内では無理なので!?!

 

 この状況下での映画鑑賞は殆んどが名作の再々々々々々・・・観賞です。

最近ではデンゼル・ワシントンとアンジー主演の”ボーン・コレクター”を立て続けに2回観賞

しました。ショーン・コネリー主演でシリーズが開始された時の第一作目”ドクター・ノオ”と

第二作目の”ロシアより愛をこめて”も久々に鑑賞しましたがドクター・ノオ(日本で公開された

時の邦題は”007は二度死ぬ”だったでしょうか?こちらはイマイチ感もありましたが、2作目の

”ロシア・・・”は良かったですね。当方、この2作は地元でアンコール放映された時に友人らと

見に行った記憶があります。この後の”ゴールド・フィンガー”は日比谷映画のロードショーで

見ましたが、やはり映画はロードショーですね。

 昨日は時間の余裕ができた(所謂暇持て余し状態)ので午後の12時ごろから15時過ぎまで

最近何度目かに観賞したヒッチコックの”サイコ”の続編である”サイコ2””サイコ3””サイコ4”

を立て続けに鑑賞(完賞)しました。もちろん最初の”サイコ”だけがヒッチコック監督作品で、

後は全部監督が違います。3作目などは主演のアンソニー・パーキンスが務めています。

それにしてもこのシリーズの主役”ノーマン・ベイツ”という名の若者ははまり役でしたね。

アンソニー・パーキンスがこの映画で抜擢されたと時の年齢は28歳(1960年)です。そしてこれが

シリーズ化されて最後の4作目は58歳(1990年)となっています。2作目と3作目は当然ですが、

一作目ほどの衝撃はもちろんなく、ただただ殺戮だけが恐怖を引き起こすホラー映画になって

しまいますが、最後の4作目はシリーズ化されて初めて主役名”ンーマン・ベイツ”の重要なモチーフ

となる”二重人格”の元である母親が出てきます。結局この母親がノーマンを二重人格者・異常殺人者

になる発端をつくることになりますが、この母親役は日本の歌手”布施明”と結婚していたオリビア

ハッセーです。母親とその婚約者を若きノーマンが毒殺した衝撃がこのような異常殺人者を作った

事が判明する最終章です。最後の最後はハッピーエンドのアンソニー・パーキンス演じるノーマンが

正常化されたところで終わりますが普通はこの手の再作成的シリーズものは成功しないものですが、

昨日当方が見たところによるとまあまあ全部見てもさほど飽きが来ないというか面白く最後まで

見させてくれます。まあ良かったと言っておきます。

 それにしてもサイコ一作目の監督・ヒッチコックはレベルが違いますね。もう終わった映画などには

目もくれず、この時点(サイコの完成後)では次の作品である”鳥”の事しか頭には無いかのようです。

 余談ですが、3作目のサイコ3の副題には”怨霊の囁き”とあります。この囁きという字は凄いですね。

ささやきそのものの口に耳が3つかぶさっています。他では犇めくという字(ひしめく)も普通は人が

沢山寄せている様ですが、牛が三頭いるのが犇めくです。当方、酪農に携わったことがあるのでこの

犇めくという状態は解るような気がします。牛がいっぱい集まっている様は”犇めく”そのものです。

 

 今日はこれから仕事です。また、明日と明後日は書く予定です。それでは写経したニーチェと量子物理学

を届けます。

 

 

ニーチェ

 

 

 

二十一 仏教にとっての前提は、きわめて温和な風土、習俗における大いなる柔和や寛大であって、ミリタリズムではない。キリスト教においては屈服した者や圧迫された者の本能が前景にでている。キリスト教的なのは、おのれと他人とに対する残酷さの或る種の感覚である、見解を異にするものへの憎悪である、迫害の意志である。陰鬱な煽情的な想念が前景にでている。キリスト教的なのは、大地の主たちに対する、「高貴なる者」たちに対する不倶戴天の敵意― そして同時に、陰険隠密な競争である(― 彼らが「肉体」をもっていることをみとめて、おのれらは「霊魂」のみを欲する)。キリスト教的なのは、精神に対する、精神の矜持、気力、自由、放縦に対する憎悪である。キリスト教的なのは、官能に歓喜に対する、歓喜一般に対する憎悪である・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 時々人々に乗り移って彼らを支配し、人間を道具として自らの不可思議な目的を果たそうとするのは、おそらく、特別な世界に住む精霊たちなのかもしれない。人間の魂は時々、内的世界の特殊な領域に入り込み、肉体はこの世で地上世界の法則に縛られながらも、かの世界の法則に従って生きることを余儀なくされるのではないか。もしかしたら愛とは偉大な賢者による錬金術の業であって、その中で人々の魂と体は、何か神秘的な目的を果たすために誰かにとって必要な「賢者の石」、「生命の錬金薬液」、あるいは何か特別な「電気」をその中から取り出すための要素としての役割を演じているのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

                   PNC会員へ・・・

会員のみなさま 917                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月21日(木)、現在は朝の7時過ぎです。

 

 本日は春分日の休日で当方的には2連休となっています。今日は正真正銘に

何も予定が無く、夕方までどうやって過ごすかが当方の最大の課題です。

 昨日は予定通りに午前中にはヨガ教室、午後は《笑がおの湯》とこなしました。

お昼は丸亀製麺のカツ丼にして、その後はマツキヨとスーパーベルクスへ買い物に

行きました。昨日ですべて完了してしまい、結果として本日は予定がまったくない

祝日と相成った次第です。

 昨日のヨガ教室は良かったです。最近テレビでよくやる腰と背中にクッションを入れて

ヨガの呼吸法を実施する(何とか?ヨガ)というやつは当方の身体にとっては非常に

よろしい感じがするものでした。”毎日が日曜日”が終わったので毎週行くことなどは

出来ませんが月イチは最低励行するつもりです。この教室は1時間のうち徹底して

ヨガの深呼吸を実践するので当方的には心臓への負担ゼロなので超良好です。

 お昼は一人で近くの丸亀製麺へ行きましたが、最近はここでうどん類を食べたことが

ありません。全てカツ丼の小か中です。昨日は中にしました。当家近くの安価なカツ丼系

のお店では例えば”かつや”とか”富士そば”、”きらく”のミニカツ丼あたりと比べても

ずっとおいしいです。値段はこのクラスではどこも490円から600円ぐらいですが当方

的にはこれで十分です。

 昨日行ったお店はどこも平日特有のガラガラ状態でした。ヨガ教室の生徒は6名だけ、

丸亀製麺はガラガラで11時半ぐらいでお客は5名ぐらい、マツキヨとベルクスも何時も行く

土日の3分の1も居ません。温泉の《笑顔の湯》もガラガラで久々にゆったりとしたサウナに

入れました。土日はいつも似たような集客なのですが、平日はその日によって100%変化

します。難しいものですね!?!

 

 本日の天候は今のところ曇天のうっとおしい感じの朝まだきです。夜中に降雨があったようで

外は濡れています。今日はこの後の午後も雨降りのようです。当方にとって予定ゼロを祝した

ような天候となっています。

何時も言うところの快食・快眠・快便はみなさんも励行できていますか?当方的には快食に

関してはまったくいうことがありません。逆に快食ではなく貧食にしたいぐらいです。快便も

最近は超良好です。沢山の排便があり結果として一日ぐらい排便セロという状態も時にはあり

ますが、それでもその翌日には超大量弁か大量弁が排出されます。実はこれが当方一番の

嬉しい出来事です。そして問題なのは快眠だけです。といっても不眠が続いて困っているという

ような状況ではありません。この10日間ぐらいでも平均で6時間ぐらいは寝ています。ただ、

例えば昨日のように夜の8時過ぎに就寝して寝床から起き上がるのが6時過ぎというように

都合10時間は床に入っていても途中殆んど起床していて実質6時間ぐらいしか寝られない状況

が10日間ぐらい続いているという事です。はっきり睡眠負債の毎日の積み上げ状態です。

これはいけません。人によると6時間寝れば何の問題もないとは言いますが、やはり起床後の

冴えなさは残ります。残尿感ではなく残不眠感がたっぷりの感じです。当方これだけですね、

今一番の悩みは!?!やっぱり巷間言われるところのアルコールは抜きにしないと快眠は不可能

なのでしょうか?悩みますね!?!

 

 話は変わりますが、昨日の報道によると、日本柔道の代表者の愛称を”ゴジラジャパン”に決定

したようです。ゴジラは確かに強いというイメージはありますが、どんなものでしょうか!?!

 当方的にははっきり大反対です。何でもかんでも強ければゴジラにするという感覚が低レベルです。

先の数年前に日本ではヒットしたゴジラ映画の最新作”シンゴジラ”などは当方超々大嫌いです。

あんな糞面白くない映画は金輪際ないでしょう・・・と、言いたいです。大体、前にも言いましたが、

石原さとみあたりが生意気に延々と会議で大生をの溜まっている映画などあって良いわけがありません。

案の定、日本では大ヒットしたと喜んでいるようですが、海外特にハリウッドでは超まったく不人気で

興行成績も最低のようでした。当然です。政府の会議ばっかり延々とやっている怪獣映画など誰が見るか

・・・ですね!?!

 ゴジラはやはり1954年制作の東宝の第1作だけで十分です。以前にも書いたと思いますが、当方

小学校1年生の6歳の時に東宝映画の封切館に1人で見に行き、映画スクリーン手前のステージで

仰向けに寝て観賞する(超奥の手)方法で見切りました。でもこの時には6歳という年齢にも関わらす

大感激したことを憶えています。

 ゴジラは絶対に戴けません。今の内です、早く変更してください。というか、愛称などいりません。

強ければ良いだけです。もっと言うと、来年のオリンピックはまだあると思っている方が頭変じゃないの?

・・・です。

 

 

 という事でニーチェと量子物理学に行きます。また、あと1日仕事に行けば再度の2連休です。

人生はこのような楽をすることが一番です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

二十 私はキリスト教を断罪したが、このことで私はそれと親近な一つの宗教に、信徒の数から言えばかえって優勢なそれ、すなわち仏教に、不正を犯すことをのぞんではいなかった。両者はともにニヒリズム的宗教に属しているが― いずれもデカダンス宗教であるが― 、両者は最もいちじるしい仕方でたがいに異なっている。両者が現今比較されうるということ、このことに対してキリスト教の批判者はインド学者に深く感謝しなければならない。 ― 仏教は、キリスト教より、百倍も現実主義的である、― 仏教は、客観的に冷静に問題を設定するという遺産を体内に持っており、何百年とつづいた哲学運動ののちにあらわれた、仏教があらわれたときには、「神」という概念はすでに除去されてしまっていた。仏教は、歴史が私たちに示す唯一の本来的に実証主義的な宗教である、その認識論「一つの厳密な現象主義― 」においてもやはりそうである。仏教はもはや「罪に対する闘争」を主張する。

もっており、何百年と続いた哲学運動ののちにあらわれた、仏教があらわれたときには、「神」という概念はすでに除去されてしまっていた。仏教は、歴史が私たちに示す唯一の本来的に実証主義的な宗教である、その認識論(一つの厳密な現象主義

― )においてもやはりそうである。仏教はもはや「罪に対する闘争」ということを口にせず、現実の権利を全面的にみとめながら、「苦に対する闘争」を主張する。仏教は― これこそそれをキリスト教から深く分かつのだが― 道徳概念の自己欺瞞をすでにおのれの背後に置き去りにしている。仏教は、私の用語で言えば、善悪の彼岸に立っている。仏教がそれに基づき、注視を怠らない二つの生理学的事実は、第一には感受性の過大な敏感さであって、これは苦痛を受け取る洗練された能力としてあらわれるものであり、第二には過度の精神化、概念や論理的手続きのうちであまりにも長く生きることであって、このことの影響で人格的本能は損傷を受けて「非人間的なもの」に有利となってしまったのである。

 仏陀はまた、見解を異にする者に対する闘争をもなんら要求することがない。彼の教えは何ものにもまして、復讐の、忌避の、ルサンチマンの感情に陥らないようにつとめる。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 

    第十五章 愛と死

 

 秘境と愛・・・愛と死・・・死の問題と愛の問題に対する異なった態度・・・我々の愛の理解には何が欠けているのか・・・日常の心理学的現象としての愛・・・愛の宗教的理解の可能性・・・愛の創造的力・・・愛の否定・・・愛からの逃避・・・愛と神秘主義・・・愛の「奇跡」・・・エドワード・カーペンターとニーチェの愛についての見解

 

 実際には愛は「宇宙現象」である。その中では人間、そして人類は単に付随的なものでしかない。この宇宙現象は人々の生活や魂にはほとんど関心を持たない。太陽が人間の取るに足りない出来事や目的に利用されるために光を放射するのではないように。もし人間が、その意識の片隅ででもこのことを理解するならば、彼の前には新しい世界が開け、人生を通常の観点から眺めることが奇妙なことのように思われるだろう。

 そして人は理解でするだろう。「愛」とは普通考えられているのとは何かまったく異なるものであり、この世の人生の小さな出来事とはまったく異なった序列に属していることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       PNC会員へ・・・

会員のみなさま 916                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月20日(水)、現在は朝の7時です。

 

 当方、本日は3月に入り仕事が再開されて初の平日の休日となります。明日は

お彼岸のお中日である春分の日で祭日ですのでやっとの2連休を迎えたということです。

 お天気は今日明日ともよく、雨予報だった金曜日も曇に変っています。それでもまた

何時予報は変わるか分りませんので天気予報を見てのスケジュール組み立ては避けたい

ところです。当方、定年退職後の約2ヶ月間の”毎日が日曜日”はすでに幻となって本当に

2カ月も休んだの(?)という感慨しかありません。過ぎ去った過去はもう取り戻せませんので

反省しても詮無いものです。(注:詮無い・・・は、仕方ない、というような意味です。)

 それにしても”毎日が日曜日”だった2ヶ月間を含め、此のところは仕事以外でもけっこう

忙しい思いをしてそれが継続してています。新たな健保組合に加盟でのゴタゴタを初めに、

au光からNURO光に変更したことに伴う面倒案件渦状発生、派遣会社との数多の遣り取り、

病院での健保利用での案件・・・などなど、意外と忙しいものです。本日の休日にはとりあえず

9時半過ぎに出発して”道の駅いちかわ”でヨガ教室参加→お昼→温泉・・・と、予定しています。

明日は孫娘のピアノの発表会がありますが、これには参加せず、1日中休養に充てるつもりです。

もちろんお彼岸のお中日には墓参りは行きません。(混みそうな日は避けています)行くのは

来週の平日の休暇日と4月6日に妹夫婦と一緒に行くぐらいです。

 数日前の日曜日に墓参りに行こうと途中まで行ったのですが、日曜日はガラガラの道(お墓

に行く道)が超混んでいます。前の日の土曜日が雨だったのでこの日にはおそらく前倒しの

お彼岸のお詣り客が殺到した模様です。途中でUターンしてスーパーで買い物をして帰宅して

しまいました。今週末もまだ混みそうなので止め、次の週は(30日~31日)桜開花のお花見

客とコラボしますので当然当方らは行きません。(松戸の八柱霊園に則したさくらロードは

けっこうな見ものです) というわけで、妹夫婦には4月6日を提示してこれに行くこととなりました。

この日取りならまずお彼岸の墓参り客や桜の花見客も一掃されるはずだからです。

 

 今週は平日の仕事は3日間だけで、月曜日は出廷が無いので1日中デスク仕事でした。これが

きつく疲れます。昨日の火曜日は遠方の高崎です。11時の法廷に朝の出発時間は7時20分です。

当方の仕事は簡単に終わりましたが、この日は当方以外に6件もの交通裁判が入っていて30分は

待ちました。それでもこの裁判所の裁判官は手際が良い方です。6件で30分は早いほうです。

普通は1時間は覚悟するところです。帰路の高崎駅には11時45分に到着、弁当売り場で恒例の

”鶏めし弁当”を買って11時52分発の熱海行電車に乗りました。”毎日が日曜日”で2ヶ月ぐらい

休むと世間的には激変するものですね。”小諸””弥生軒”が改修工事、チバちゃんが昼の営業停止

・・・と、面白くありません。この日の高崎駅の駅弁売り場は変化は無しでしたが目当ての”鶏めし弁当”

の値段が900円から980円に値上げされていました。売り子のお姉さんは笑って値上げしました・・・

といっていましたが、当方らには大問題です。80円値上げなら安いお茶の一本ぐらい買えますので。

 人間、2カ月チョイあたり世間から遠ざかっただけでこれだけ激変しています。これが2~3年だったら

当方など完全に”浦島太郎”状態ですね。残念だらけの中で良かった案件は一つ、50年前に購入した

ニーチェ全集の中から第十四巻”この人をみよ”の11pから75pまで読めたことぐらいでしょうか!!!

 因みにこの日の遅延ですが大したことは無かったものの、京浜東北線浦和駅あたりの民家の火事の

影響で一時は運転見合わせ…という事がありました。まともな運行の方が異常だと思っていますので

このぐらいで済んで非常に良かった案件でした。

 

 という事で明日の休みなので連続弾します。今日はニーチェと量子物理学は行きます。

 

 

ニーチェ

 

 

 

十四 私たちは人間を最も強い動物とみなすが、それは人間が最も狡猾な動物である。人間は断じて創造の王冠ではない。すなわち、人間は、相対的にみれば、最も出来損ないの動物、最も病弱な、その本能から最も危険に踏み外している動物、―もちろん、それにもかかわらず、最も興味ある動物でもある!

 

十五 道徳も宗教もキリスト教においては現実のいかなる点にも触れることがない。まったくの空想的な諸原因(「神」、「霊魂」、「自我」、「精神」、「自由意志」― ないしはまた「不自由意志」)、まったくの空想的な結果(「罪」、「救い」、「恩寵」、「罰」、「罪の赦し」)。空想的な諸存在感の交わり(「神」、「精霊」、「霊魂」、空想的な自然科学、空想的な心理学、― 「悔い改め」、「良心の呵責」、「悪魔の試み」、「神の臨在」、空想的な目的論。― こうした純粋の虚構の世界が夢の世界と異なるのは、後者は現実を反映するのに、前者は現実を偽り、無価値にし、否定することによってであるが、これは前者にとってきわめて不利である。「自然」という概念が、「神」の反対概念として捏造され

てしまったからには、「自然的」は、「唾棄すべき」の代用語たらざるを得なくなった、― あの虚構の全世界はその根を自然的なもの(― 現実!― )への憎悪のうちにもっている、それは現実的なものでおぼえる深い不快感の表現である・・・しかしこれですべてが説明されている。現実から虚言によって逃避する理由をもとのは、どのような者にかぎられているのであろうか?それは、現実で苦しむとは、不幸にあった現実があるということである・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

  第十四章 石の声

 

 石の声・・・教会の壁と刑務所の壁・・・船のマストと絞首台・・・死刑執行人の影と聖者の影・・・我々に知られている現象の高次空間における組み合わせ・・・分離して見える現象の関連性と同じに見える現象の違い・・・本質世界にいかにアプローチすべきか・・・時間と空間のカテゴリーの外部にある事物の理解・・・非常に多くの「話す形」の現実性・・・エネルギーの秘境的理解・・・ヒンズー秘境徒の手紙・・・本質世界の認識としての芸術・・・我々が見るものと見ないもの・・・洞窟についてのプラトンの対話