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会員のみなさま 871                後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年1月26日(土)、現在は朝の8時10分です。

 

 昨日は午後の2時半から3時半まで”道の駅いちかわ”にて当方2回目となる

ヨガ教室に参加してきました。運動不足とか加齢による筋肉の硬直、骨の柔軟性の

欠如とかで相当きつい1時間でした。他の人(女性7名、男性2名)はさほどきつそうに

見えないので当方だけが駄目老人でした。次回ですが来週はお休みして再来週の

2月6日(水)に少し易しそうなコースを選択して参加することにしました。

自宅から”道の駅いちかわ”までは車で7~8分という距離ですので楽です。ここでは

近在の野菜類や惣菜類など販売、イタリアンレストランと喫茶室があり、ヨガなどの

スタジオを併設しています。ただ、売っているものや食べるものはけっこう”お高い”ので

当方らはまず買いませんが。

 

 ヨガから帰ってから1時間ぐらいして、当方らの送別会出席のため海浜幕張まで出かけ

ました。ちょうど当方と同じ70歳で定年退職する方が他に2名おられ、都合3名の送別会

となり、50名ほどが参加してけっこう盛大に行われました。足かけ17年ほど勤めた会社

ですので、顔見知りは結構います。残念なのは数年前まで当方在籍していた部署の方たち

と遭えなかったことです。これで一応この会社とは縁が切れたわけです。当方より先に

辞めた同年齢の人たちでも会社に来るようなことはありませんので、当方も昨日が最後

となるはずです。

 昨日はビールとかハイボールとかのアルコール度低めのお酒だけ飲んだ結果、ほとんど

酔わずに帰宅できました。問題は本日の土曜昼飲み会です。この後、10時15分に出発して

浅草に向かいます。この会では何回か酩酊状態発生でまともな帰宅が出来ませんでした。

充分に注意してお酒に対峙します。

 心配だった風邪は収まりつつあり、インフルにも未だ感染していません。それでも一応は

マスク着用で出かける予定です。

 

 昨日の相撲は誰もが予想したような結果となりました。まずは貴景勝白鵬戦ですが、

やっぱり貴が勝ってくれました。白鵬さんどうしたの?という言いたいくらいにこの3日間は

超弱くなっています。何かの原因があるのでしょうが、基本的にはやはり加齢による衰え

でしょう。相撲取りは野球のイチローのように45歳まで現役で出場するようなことは

まず無理です。あの強かった白鵬も峠を迎えたという事でしょう!?!

 優勝の行方は2敗の玉鷲に3敗の白鵬貴景勝が続く展開です。このところの初場所

何故か日本人力士が優勝しています。ジンクス通りだと貴になるのですが!?!まず応援

だけは一生懸命しておきます。もう一つの話題であるテニス全豪女子オープンの決勝戦ですが

大坂なおみへの期待は高まる一方です。当方、飲み会で相撲もテニスも見れません。

テニスなどは一試合全部見たことは無いので外出しても同じですね。他に本日から始まる

東京競馬はもうネット注文しましたが、7鞍買い、7500円→4400円になっています。

今日か明日で良い結果が出たら、来週の土曜日に中山競馬場場外馬券売りに参加する

つもりです。

 

 ということで、本日はお出かけなので、時事関連などの難しい案件には挑戦しません。

ニーチェと量子物理学を勉強してください!

 

 

ニーチェ

 

 

二 あらゆる宗教や道徳の根底にある最も普遍的な定式は、「これこれのことをなせ、こどうれこれのことをやめよ―そうすればおまえは幸福となる!そうでない場合には・・・」と命ずる。あらゆる道徳、あらゆる宗教が、この命法そのものである。―私はこれを、理性の大原罪、不滅の非理性と名づける。私の口にかかればあの定式はそのンk逆へと転ずる―私の「すべての価値の価値転換」の最初の実例であるが、出来の良い人間、「幸福者」は、或る種の行為をなさざるをえず、他の行為を本能的にはばかるのであって、彼は、おのれが生理学的に体現している秩序を、人間と事物とにおのれの関係のうちへと運び入れる。定式であらわせば、彼の徳はおのれの幸福の結果である・・・長寿をたもつとか、子孫にめぐまれるとかは徳の報酬ではない。徳はむしろそ

、れ自身新陳代謝のあの緩慢化であって、これが、なかんずく、長寿を保ち、子孫にめぐまれことをも、要するにコルナーロ主義を結果としてともなうのである。―教会と道徳とは言う、「種族、民族は、背徳と奢侈とによって破滅するに至る」と。

 私は言う、彼が病気になったという事実が、彼が病気に抵抗しなかったという事実が、すでに、貧困化した生の、遺伝的憔悴の結果であったと。私の高級な政治論は言う、そのような過失は、本能の変質の、意思の分散の結果であって、これで劣悪なものがほとんど定義づけられても同じである。すべての優良なものは本能である―したがって軽やかで、必然的で、自由である。労苦は一つの意義であり、神は典型的に英雄とは区別されている(私の言葉で言えば、軽やかな足が神性の第一の属性である)。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

我々は事物を空間という手段によって理解するのだということに気づくことが必要である。

 空間は心(マインド)の道具なのである。

 

 ヒントンによれば、彼の訓練法は第一に、目が目るように(我々が知覚するように)ではなく、幾何学的に物をイメージする能力を発達させる。たとえば、立方体を同時にすべての側から見るように教える。もし我々の知覚とは別の視覚能力を身につければ、それは我々の意識活動の幅を大きく広げることになり、それが新しい概念の創造とアナロジー(類推)を引き出す能力の強化につながる。

 

 証拠力を高めるためには、認識されるべきものからなるべく「自分中心的要素」(我々が知覚するすべてのものを色づける個人的な要素)を切り離すことが重要である。それによって認識しようとする事物の特性から注目を逸らさないようにするのである。

 知覚の中から「自分中心的要素」を取り除くことによってのみ、我々は繊細な問題を探究できる位置に自らを置くことができる。太陽が地球の周りを(つまり我々の周囲―自分中心的要素―を)回っているという概念を取り除くことによってのみ、太陽の研究を始めることができる。

 太陽について何かを知りたければ、太陽が地球(我々の)の周りを回っているという自分中心的要素を捨てなければならない。

 空間知覚の修養と発達の中で我々が真剣に行われなければならない仕事の一つは、「物体の配列」を知る上で自分中心的要素を取り除くことであろう。