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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 873
おはようございます。本日は2019年1月28日(月)、現在は朝の8時半です。
今朝は薄曇りで寒く何となく冴えない週明けです。普通の勤め人のみなさまは
1週間の始まりですね。あーあまた、1週間の始まりか・・・と、気分が良い人は
まず居ないと思いますが、頑張ってください!
昨日の日曜日でスポーツ関係の話題は一応終了しました。では今日から時事関連
や政府批判が中心の話題が中心を占めると思うのが当たり前ですが、そうならないのが
日本のマスメディアです。昨晩からのニュースでもテニスの大坂なおみの全豪オープン
優勝と世界ランク一位が一番なのは当然です。その後には相撲の話題が入り、
後のスポーツ関連ではゴルフは無く、フィギアも無いとなると主力で報道するのは
余りなく困ったところにちゃんと予定されたように”嵐”の来年いっぱいでの活動の
中止のニュースが一番人気で入って来ました。週明けのワイドショーはこれで大坂と
相撲は軽く受け流し、朝から晩まで”嵐”になることが決定しました。もういいよ・・・と、
言いたくなります。当方、ほとんど観ないテレビですがその代わりに読書や映画鑑賞
三昧になるかというとそうでもありません。特に、読書は家読みの習慣が無いので
一向にページが進みません。昨年末に3冊、先週に2冊の新書を購入して、また26日
着でアマゾンから五木寛之の新刊の新書を買いましたので、ストックたっぷり、ようやっと
1冊だけ読了した程度です。今日から心を入れ直し、用事がある以外は読書に集中する
ようにします。再就職をするまではニーチェの深読みと書き出し、未読の新書類を重点的
に読破するつもりです。
相撲は最悪のシナリオが通ってしまい超面白くなかったですね!?!玉鷲には勝てよ
遠藤・・・と言いたいのが一番、貴景勝よ豪栄道あたりに負けるなよ!…と、言いたいです。
今初場所は稀勢の里の3連敗=引退から始まって10連勝後に3連敗して休場に追い
込まれた白鵬、昭和49年ごろの5大関時代(貴乃花の親父とかカイケツ、旭国あたり)
に問題になった全員が9勝6敗の所謂”クンロク”で終わったような大関の豪栄道と高安が
”クンロク”でした。あり得なーい!!!貴景勝は豪栄道に負けて11勝で終わったことから
新大関誕生は見送られました。これは良い事です。やたら横綱や大関を造る必要はありません。
”嵐”の件ですが、当方、これらのグループにはまったく興味がありませんがこのグループ
だけは隣の孫娘が3歳~4歳の頃大好きでCDを聞きこんでいた事と、7年~8年ぐらい前
の職場で若い女性の嵐の超ド級の大ファンの人が居たので普通のグループよりは少しは
知っています。この若い女性は今日あたり泣きぬれているのでしょうか?
孫娘はとっくに”嵐”は卒業して今はマンガの”ワンピース”と”小倉百人一首”に浸かっています。
今日は午前中に知り合いから頂いたスーパー温泉のチケットを利用して、当方夫婦と娘と
孫娘(月曜日だが土曜日の保護者会出席の振り替え休日)の4人でいつもの”笑顔の湯”
ではなく、武蔵野線の船橋法典駅側の”法典の湯”へ行く予定です。
土曜昼飲み会の結果、昨日の日曜日は二日酔い気味の冴えない一日でした。珍しくまったく
飲む気が起きず、休刊日となりました。当方決めました。3日間とかの日にちを決めて断酒を
しようとしたりしないことをです。何時でも気が向いたら断酒をして週に2日か3日ぐらいは
休刊日という事にしようと決めました。今晩は気の向き次第で決定する・・・ということです。
それではニーチェと量子物理学です。
五 これに対する心理学的説明
― 何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。銀行家はすぐさま「業務」のことを、キリスト者は「罪」のことを、少女はその恋のことを思う。
六 道徳や宗教の全領域はこうした空想的原因のうちの一つである。
―道徳や宗教は、徹頭徹尾、誤謬の心理学のうちの一つであって、いずれの個々の場合においても原因と結果が取り違えられている。あるいは、真理が、真と信じこまれたものの結果と取り違えられている。あるいは、意識の或る状態がこの状態の原因性と取り違えられている。
量子物理学
第三章 三次元と四次元のアナロジー
三次元空間内の幾何学的関係を研究することで四次元の何を知ることができるのか・・・三次元体と四次元体の関係とは何か・・・三次元体の、その中に含まれない方向への運動の跡としての四次元体・・・無限数の三次元体から構成される四次元体・・・四次元体の断固としての三次元体・・・三次元と四次元の部分体と全体・・・四次元体は三次元体では測定できない・・・四次元直線の断面としての物質原子
四次元運動の方向は三次元体の中で可能なすべての方向の外部になければならない。
四次元体は無数の三次元体の集合であり、四次元空間は無数の三次元空間の集合である。
非常に興味深い例として、神智作家C・W・リードビーターの書いた本の中で述べられている。テーブルの表面に五本の指の先を立てるとする。するとテーブルの表面上には五つの円が在るだけである。この平面上で、手について、そして手を持つ人間について考えることは不可能である。テーブルの上にあるのは五つの別々の円だけである。この五つの円からどうやって人間とその豊かな外的・内的生活を思い浮かべることができるだろうか?不可能である。我々と四次元世界との関係は、テーブルの五つの円を見ている意識と我々との関係とまったく同じかもしれない。我々が見ているのは「指紋」だけで、そのために四次元を理解できないのかもしれない。