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会員のみなさま 892                 後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年2月16日(土)、現在は朝の7時45分です。

 

 昨日は何を間違った(?)のか、お昼頃に降雪がありました。気象庁などでは

まったく予想外の雪降りだったようですが、テレビ各局のアナウンサーは対応に追われて

いました。映像的には横浜港あたりで大雪のように見えましたが、当家あたりでは

ほんの少しの降雪でした。それでも大慌てで洗濯物を取り込みました。

そして今後はやっと春先らしい天候が続きそうです。来週は19日、20日、22日、23日

と、雨予報に変りました。

 

 少し先の天気は予想しずらく酷い時には日ごとに予想が変わります。変わらないのは

当方よく利用した常磐線の最近の運行不備ですね。ほぼ毎日のように常磐線ではどこか

で故障や人身事故が発生して遅延したりストップしたりしています。昨夕も水戸駅の手前

の赤塚と内原間で人身事故発生で電車の運行は一時停止しています。水戸駅からの

上り線で最初の駅が赤塚です。ここは常磐大学という学校があるので学生の乗降がけっこう

多く、当方の水戸以降の茨城県内簡裁出廷ではこれらの学生と同乗することが多かった

記憶があります。そして上りの次の駅が内原です。ここは駅の近くにイオンモールがあり、

少し離れてケーズデンキもあります。この2駅の乗降客は多い方でしょうか?昨晩の人身事故

も8時ごろなので学生ではないと思いますが、若人の自殺は残念ですのでそうではないよう

祈ります。余談ですが、水戸駅赤塚駅の間には梅の時期(これから)限定で偕楽園臨時駅

という駅が下り線だけに限定して営業します。もちろん梅見客相手の臨時駅ですが、当方、

水戸以北には何度も行っていますがこの駅に客が居るのを見たことがありません。本当に

停車する駅なの?と不思議な駅です。因みにこの偕楽園では今秋から県外客限定で入園料

を300円ほど取るようです。当方、10年ほど前に見学に行きましたがそれ以外では水戸以北

への簡裁出廷の際に電車から覗き見する程度でした。それでも水戸駅発の上り電車内で

食べる水戸駅の”とりあい弁当”が懐かしく思い出されます。

 

 本日はこれから久々になる中山競馬場本馬場に行く予定です。現在は東京開催なので

レースはテレビでしか観れませんが、どうせ2R ~3Rしかやりません(後は前売りを買って)

ので9時半に家を出て11時台には帰宅するという具合です。それでも一番シンプルなラーメン

だけは食べてきます。馬券は明日のフェブラリーステークス(G1)の前売りを含め12500円ほど

購入予定です。果たして結果は如何!?!本日の結果が悪すぎたら(一レースも取れないとか)

競馬は当分やらないでしょう!

 

 本日は時間があまりないのでここまでにしておきます。ニーチェと量子物理学は勉強して下さい。

 

 

ニーチェ

 

 

一三 エマソン。― カーライルよりもはるかに啓蒙されており、彷徨的で、複雑で、老獪であり、なかんずく幸福である・・・本能的に神々の食物だけしか摂取せず、不消化のものは事物のうちに残しておくといった人間である。カーライルに比べれば趣味の人である。

 

一四 反ダーウイン。― あの有名な「生存競争」に関して言えば、それはさしあたり私には照明されているというより、むしろ主張されていると思われる。それはおこりはするが、しかし例外としてである。生の総体的光景は、窮乏状態、飢餓状態ではなく、むしろ豊富、豊満であり、ばからしいほどの浪費ですらある。― 闘争が行われるときでも、それは権力をめぐる闘争である・・・人はマルサスと自然とを取りちがえてはならない。― しかし、この闘争がおこるとすれば― それはおこるのであるが― 遺憾ながらそれは、ダーウイン学派が願っているのとは、おそらくは人がこの学派とともに願って差し支えないと思うのとは逆の結果となる。すなわち、強者、特権者、幸福な例外者には不利となる。種属は完全性という状態のうちで成長するのではない。弱者が繰り返し強者を支配するからであり、― それは、弱者が多数者であり、弱者がより怜悧でもあるためである・・・ダーウインは精神を忘れてしまったいた(― これこそイギリス的である!)弱者がより多く精神をもっている・・・精神をうるためには、人は精神を必要としなければならない、― 精神をもはや必要としなければならない、― 精神をもはや必要としないなら、人はそれを失う。強さをもっている者は、精神からは脱却している(― 「失せるにまかせよ!」と今日ドイツ                                        では考えられている― 「帝国はそれでも私たちには残るに違いない」・・・私は精神を、おわかりのとおり、用心、忍耐、狡知、偽装、大きな自制、擬態である一切のものと解する(最後のものにはいわゆる徳の大部分が属している)。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

四次元空間(時間)は実際には同一の物体(と異なった物体、すなわち異なって見える物体)の形態、状態、位置の間の距離である。それは形態、状態、位置をお互いに分離すると共に、それぞれを我々には理解不能な何らかの「全体」へと結び合わせる。この理解を超えた全体は一つの物から(時間の経過によって)形成されるのかもしれないし、異なった物から形成されるのかもしれない。

 一つの物だけに関して考えれば、そのような時間「全体」を想像するのは容易かもしれない。

 例えば人間の肉体を考えると、「物質」とは別に、変更はするが誕生から死まで間違いなく留まり続ける何かが存在することが分かる。

この「何か」はインド哲学では「リンガ・シャリーラ」と呼ばれる。それは、「その中で我々の肉体が鋳造される形体」である。東洋哲学では、肉体は非連続的であり、周囲の環境と絶え間ない交換状態にあると考えられている。分子は行き来する。一秒後には肉体は以前と完全に同じではない。今日の肉体はすでに昨日のものとはかなり異なっている。それは七年後には完全に別の肉体になっている。しかし、それにもかかわらず、誕生から死まで「何が」残り続ける。部分的には変化するかもしれないが、それは同じままに残る。これが「リンガ・シャリーラ」である。