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会員のみなさま 895                 後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年2月19日(火)、現在は朝の7時50分です。

 

 テレビの気象予報士がよく使う言葉に”二十四節気”というものがありますね。

一年はまず春・夏・秋・冬の四季節に分かれます。そしてそれぞれの季節を六つに

分けたのが二十四節気となります。この二十四の”気”はそれぞれ名前がついています。

春なら立春→雨水→啓蟄春分清明穀雨 となっています。本日はズバリその中の

雨水にあたります。空から降るものが雪から雨に変わり、雪が解け始める時期の事です。

その名の通りは本日は曇天から夕には降雨がありそうです。明らかに今日から早春と

思って良いようです。昨日は実質定年退職後の60日目でしたが、2ヶ月ぶりにネクタイ

着用で外出しました。当方、この10年以上スーツは購入していませんので上着はジャケット

で下は替えズボンです。2か月前まで通っていた海浜幕張にある派遣会社を午後の4時に

訪ねました。未だ冬なので一応コート着用での往復でしたが、昨日あたりはもうコートは

いらない陽気となっていました。電車内は暑いくらいでした。派遣会社での件は後述します。

 

 昨日の午前中は当方利用の北総線矢切駅から東松戸方向に2つ目の秋山にある

皮膚科整形外科を予約して診察を受けようかと思ったのですが、ここは高そうなので(PC

のホームページを覗いたらそんな(高額)な感じ)止めて、秋山駅のひとつ前の北国分駅

近くの”北国分内科・皮膚科クリニック”という医院に変更、予約して午前中に伺いました。

ここは当方よく使うスーパーのベルクス・マツキヨ、話題の業務スーパーの近所です。

 この医院は隣の娘家族の主治医のような医院で先生は年配の女性です。当方、今回が

この医院の初診でしたが、高齢の方の割には手際が良く、信頼できそうな感じの先生でした。

診察していただいたイボですが、がん等の悪性のものではなく、普通に完治するとのことでした。

取りあえずこの日はドライアイス程度の冷たい液体で表面をやっつける作業をしていただき、

次回は25日(月)を予約しました。もちろん往復の足は車です。

 

 その後の午後には2時45分出発で海浜幕張行です。当方が通勤していた会社とは駅の

反対側のビルWBGの17Fにある派遣会社”アデコ”を訪れ、担当の方から今後の予定

などのレクチャーを受けました。当方、この派遣会社の件を何故書いているかというと、

非常に高い確率でこのアデコ経由で仕事が決まりそうだからです。これからの仕事に関しては

決定するまではこれ以上述べませんが、”毎日が日曜日”は今週と来週だけになりそうで、

チョット残念気味でもあります。この件が確定して契約が完了したら3月1日から仕事は

スタートします。

 

 昨日は久々の電車往復でした。この間は当然読書です。昨日は昨暮れに購入してやっと

100ページほど読んだ二宮正之著の”小林秀雄のこと”を40ページほど読み、常読用の

荷風山人”断腸亭日常”も少し読みました。やっぱり当方の本読みは電車内が圧倒的に

先に進みます。電車に乗っている時間が長いほど読書量も比例して多くなるので当方的

には電車に乗る仕事が一番です。今後読みたい本や書き出し、論述のための精読など

読書関係だけでもやることは多すぎるぐらいあります。

 

 少し前に読了した五木寛之”白秋期”から後半部分の”孤独のユートピア”と題された

論述を少し書きだしておきますので参考にしてください。

 『自分の人生の目的を見つける」のが人生の目的』の中から孤独死や単独死を、私たちの

社会はマイナスのものとしてとらえる。しかし、私は必ずしも、遺骨の引き取り人もないという

ような人の死を、それほど哀れだとも思わないし、悲惨だとも思いません。・・・と言い、

実際には、独りで死ぬことの方が、みんなが心の中で望んでいることではないか。・・・と言います。

白秋期はやることはやった人が(子供を育て家も残した)現役を退き林に住み、来し方行く末を

考え、人間とは何か?を思索したり行きたい処に行ったりする季節…である。

 どうでしょうか?都心の一等地(=タワマンなど)に住み都内の繁華街などにはすぐ行け、

博物館や美術館、劇場・映画館あたりも近所にある…というところに住んで人生の最後を

これらに関わり死期を待つとい事も良いでしょうが(?)、当方的には五木先生が言うところの

林や森に棲んで寂しいところで(生活関連以外では出かけない)熟考、読書などに勤しみ、

死を待つことがベストではないかと思っていますがどうでしょうか!?!

 

 

 ニーチェと量子物理学は毎日勉強しましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

 

二十四 芸術のための芸術。― 芸術のための芸術とは、「道徳などくたばってしまえ!」。苦悩に慣れている者、苦悩を探し求める者、こうした英雄的人間は悲劇でもっておのれの生存を讃える、個この者にのみ悲劇詩人はこの最も甘美な残酷さの酒を献ずる。―

 

二十六 言葉は、思うに、平均的なもの、中位のもの、伝達のきくもののためにのみ発明されたものにすぎない。言葉でもってすでに話者はおのれを通俗化している。― 聾唖者やその他の哲学者どものための道徳から。

 

 

量子物理学

 

 

第六章  二次元世界

 

 高次元世界を調べる方法・・・架空の多次元世間のアナロジ・・・線上の一次元世界の「空間」と「時間」・・・面上の二次元世界・・・二次元存在の「空間」「時間」(エーテル」、「物質」と「運動」・・・面上の実在と錯覚・・・「角度」を見ることができない・・・運動としての「角度」・・・二次元存在が三次元世界の物体の機能を理解することはできない・・・いかに平面存在は三次元を理解するか  

 

 平面存在にとっては神秘的な「三次元」の領域にある我々の世界(その一部は過去にあり、一部は未来にある)を理解するために彼が歩まねばならない道を一歩一歩辿っていくのは非常に興味深いことであろう。三次元世界を理解するためには、二次元存在はまず最初に「二次元的」であることを止めなければならない。すなわち彼自身が「三次元」にならなければならないのである。換言すれば、三次元空間の生活利害の中に入らなければならない。彼が生活の利害を感じれば、そのこと自体によって、彼自身の世界(二次元世界)から離れ、決してそこに戻ることはないであろう。以前はまったく理解できなかった考え方や概念に親しむにつれて、彼はもはや二次元的存在ではなくなり、三次元存在となるであろう。しかしそうなるためには平面存在は現実に三次元的にならなければならない。真の二次元存在は決して三次元存在になることはできない。三次元になるためには、彼は三次元でなければならない。そうすれば、最終的に彼は自己と世界の二次元性という幻想から解放され、三次元世界を理解することができるようになるであろう。