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会員のみなさま 896              後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年2月20日(水)、現在は朝の7時半です。

 

 本日の東京近郊地域は暖かくなり千葉でも最高気温18℃が予想されています。

予報は若干変わり今日から3日連続で好天のようです。

昨日は雨予想だったので1日前の18日(月)の夕に見事なスーパームーンを観て

おきました。昨日は雨降りだったので一番の見どころは空振りで終わりました。

自然現象はこういうことがつきものです。どうでも案件ですが少しは気を使って

日にちをづらして見物しておくことも大切ですね!

 

 本日の午前中の10時から11時まで”道の駅いちかわ”にてヨガ教室を予約して

いますのできつい思いをしに行ってきます。今日は暖かいので大汗覚悟で頑張って

来るつもりです。3月から働くようなことになったとしてもこのヨガは月に2回は参加

するつもりでいます。

 

 連日、とっかえひっかえで新しいニュースがテレビを独占します。昨日は昼ごろ発表

された堀ちえみの口腔癌発症発表報道の件でしょうか。身体の左サイドのリンパ腺に転移して

いるようで舌癌もステージ④とのこと、この22日に手術するようですが心配ではあります。

当家の前の家のご主人も舌癌で手術(もう15年ぐらい前)、完治したようですが、現在は

パーキンソン病もあり施設入り(病院併設)していますが、前の家はその隣又隣の3件とも

空き家状態です。この3軒ともいわゆる資産家ですので3つとも100坪近い邸宅ですが

何かもったいないような気がして仕方ありません。

 堀ちえみさんにはがんばってくださいとしか言えませんが、本当に大変ですね!

 これらを踏まえて当方が言いたいのは不幸な案件報道が現在の国会開催中に頻発することです。

まるで、国会中継を阻止するかのような毎日の新しいニュースの発祥です。

 昼から夕方のワイドショー的報道番組は全部(例えば昨日は堀さんの件だけ)、政治的な話題は

皆無となって来ます。例えば安倍のトランプノーベル賞推薦とか米とメキシコの間の壁(フェンス)

の件、欧州の混乱、米朝首脳会談・・・などはホンの少ししか報道しません。

堀さんには悪いですが、これでいいの!!!と思うのが普通でしょう!!!

 

センセーショナルなニュースを一つ行きます。何故当方、センセーショナルと思うかというと、

当方ら爺婆にとって孫は実に可愛く大切な存在です。昨日のニュースで、爺婆が飼っている

大型犬のゴールデンレトリバーが孫(生後7か月)を噛殺した件です。先日、大馬鹿なババーが

飼っているラブラドールレトリバーの老犬を蹴り上げて大問題となっていましたが、今度は

これとは逆に犬に?まれて孫が亡くなるという悲惨な大事件です。当方、昔から思っていましたが、

レトリバー種の大型犬はその図体に関わらすおとなしいと思ったら大間違いでゴールデンに関して

は余り頭が良くなくこのようは悲惨な事件を起こしても不思議は無いのです。大型犬は普通の

家では絶対に飼うべきでありません。柴犬ぐらいまでの大きさが限度でしょうね!

ゴールデンの飼い主のこの爺婆は今後どうなるのでしょうか?当方も孫を車に乗せている時など

普通より充分注意して運転をしますが、思わぬ事故に捲き込まれる可能性も皆無ではありません。

もう生きているだけで障害から逃れることがすべての人生となりそうです!?!

 

 本日はヨガに行きますのでPNCはここまでにしておきます。ニーチェと量子物理学は行きますよ!

 

 

ニーチェ

 

二十九 或る学士試験から。― あらゆる上級学校の使命は何であるのか?― 人間を機械にすることである。― 「そのための手段は何であるか?」― 彼は退屈することを学ばねばならない。― どうしたらそれが達成されるか?― 義務の概念によって。― 「誰がその規範であるか?」― 文献学者である、文献学者は糞勉強を教えてくれるからである。― 「誰が完全な人間であるか?」― 官吏である。― 「どの哲学が官吏のための最高の定式をあたえているか?― カントの哲学である、物自体としての官吏が現象としての官吏の審判者とされているからである。― 

 

 

 

量子物理学

 

 

第七章  次元の問題と数字

 

 次元の数学的定義の不可能性・・・なぜ数字は次元を感じないのか・・・累乗による次元の定義はまったく慣習的なものである・・・すべての累乗を直線上に表現することは可能である・・・カントとロバチェフスキー・・・非ユークリッド幾何学と超幾何学の違い・・・カントの考えが正しいとすれば、世界の三次元性の根拠をどこに求めればいいのか…世界の三次元的条件は我々の知覚器官、我々の心にあるのではないか

 

  「三次元空間自身がその内部に持つ関係」を検証してきた後で、我々は次の問題に立ち戻らねばならない。空間の次元とは実際には何なのか?

 最も不思議な驚くべき事実は、「三次元性」を数学的に定義するのは不可能だということである。数学は空間の次元を感知できないというのは事実である。

 数学について語る時には、まず最初に次の根本原理を受け入れる必要がある。それは、あらゆる数学的表現にはそれに対応する何らかの実在物(リアリティ)が存在するということである。

 もし対応する事実がなければ、数学は存在しない。数量の関係を扱うのが数学の仕事である。

脇道に逸れることなく直接的な道に従うためには、我々はカントの根本命題に固執しなければならない。この命題の観点からヒントンの思想を表現してみれば、成果が得られることであろう。我々は自分自身の内部にこの三次元空間の条件を備えているが故に、三次元空間と高次元空間との関係を定めることを可能にする条件を自分自身の内に見出さねばならないのである。

 換言すれば、我々が世界の三次元性という条件を発見せねばならないのは、我々の心的構造の中であり、我々の知覚器官の中である。そして高次元世界の条件を発見しなければならないのもまたその中である。