PNC会員へ・・・

会員のみなさま 902               後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年2月26日(火)、現在は朝の7時半です。

 

 昨日は予報に反して我が市川界隈での降雨はありませんでした。今日から

3日間ほどは雨は無くその後にはほぼ毎日のように雨予報が出ていますが、

どうでしょうか?昨日は予約していた北国分の皮膚科に罹り墓参り・すし松のセットは

励行してきました。本日は午後に床屋に行きその後は《笑がおの湯》というセットコース

を予定しています。昨日、先週末に市川税務署に頼んでおいた確定申告書用紙等が

国税局から届きました。PNCの後はこちらに罹りっきりになります。嫌でも仕方ないです。

その後は、お昼→床屋・温泉のセットにします。

 

 当方、直近ではほぼ毎日映画鑑賞をしていますが、主体は古い作品ばかりです。

大体1940年代から2015年ぐらいまでの期間のものです。当方、映画館にはまず

行きませんので、新作とは無縁です。以前は少し経ってTUTAYAあたりでビデオを

借りて観ていました。最近はまずそれもしませんので加盟していたWOWOWで放送したもの

だけしか観ませんでした。そしてそれすらWOWOW脱退したことで100%新作(それに

近いもの)は観ていません。本年のアカデミー賞の作品賞に輝いた”グリーン・ブック”などは

数年観ないでしょう!?!映画はそれでいいのですね!当方、映画に関しては思い入れが

さほどないので新作には興味がありません。映画は数年から数十年経っても剝げない作品

だけ観れば良いのです。それで十分です。昨日はヒッチコックの作品から”間違えられた男”

ヘンリー・フォンダ主演)を久々に観ました。映画の冒頭でヒッチコックが出てきてこの作品は

何時ものスリラーものではない…様な事を紹介します。ヒッチコック作品としては違作でしょうか?

強盗に間違われた主役の奥さんが精神疾患を起こすのはきついです。この作品は1953年

ぐらいの制作ですので、世間的にはまだ不況色が濃い時代で、貧乏が普通な時勢でそれが

強く反映された映画で当方的には見ごたえのある映画です。この映画は5回は観ていますが、

次に観た”スタンド・バイ・ミー”は二度目でした。この映画の内容は悪ガキ4人の2日間の

冒険譚を画いたものですが、当方の小学生(5~6年生)の頃を思い出します。数日前に

池江瑠花子さんの時に書いた小岩の悪ガキ時代・・・下小岩小学校の当方らが西小岩小学校

を偵察(その後の闘い『喧嘩』を想定)しに行った頃の出来事とダブります。

 映画のラストで大ヒットした楽曲”スタンド・バイ・ミー”がかかります。この歌詞のサビの部分

である”Darlin darlin  Stand by me” ですが、当方的にはダーリンは普通恋人や愛しい人とかいう

意味で使っています。この映画のスクリーンでの日本語訳は”友よ・友よ・・・”側に居て・・・と、

邦訳します。darlinは友だちですか?とつい思ってしまいますね!?!

 

 今回、当方は定年退職で勤めていた会社を辞めましたが、やることがけっこう多いのに

戸惑い気味です!失業手当申請・確定申告提出・車の車検更新・病院通い・PCがらみの

変更作業・派遣会社手続き・・・など、すべて終了するのにまだ1週間ぐらい必要のようです。

 

 

 もう一つ行く予定でしたが明日に先送りします!ニーチェと量子物理学だけは行きますが!

 

ニーチェ

 

 

 

四十五 犯罪者とその血縁のもの。― コルシカ島人ナポレオンはその最も有名な場合である。ここで提出されている問題にとってはドストエフスキーの証言が重要である― ついでに言えば、ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学である。すなわち、彼は、スタンダールを発見したときにすらはるかにまさって、私の生涯の最も美しい幸運に属する。浅薄なドイツ人を軽蔑する権利を十倍ももっていたこの深い人間は、彼が長いことその仲間として暮らしたシベリアの囚人たち、もはや社会へ復帰する道のない真の 重犯罪者たちを、彼自身が予期していたのとはきわめて異なって感じ取った― ほぼ、ロシアの土地に総じて生える最もすぐれた、最も堅い、最も価値ある木材から刻まれたもののごとく感じ取った。

 ほとんどあらゆる天才がおのれの発展の一つとして見分けているのは、「カティリナ的存在」、すでに存在し、もはや生成しない一切のものに対する憎悪と復讐と反逆の感情である・・・カティリナ ― あらゆる皇帝の先在形式。―

 

 

量子物理学

 

 

 動物は概念を持たず、我々に役立つ知的な記号を持たない。動物は与えられた物を知っていなければならず、そのあらゆる特徴を覚えていなければならない。忘れてしまった特徴は一つたりとも戻って来ない。しかし人間にとっては、主な特徴はその物体と関わりのある概念とセットになっており、その特徴を表示する印が記憶される。

 このことから、動物の記憶は人間よりも負担が大きいことは明らかであり、まさにそのことが動物の知的進化の妨げになっているのである。動物の知性はあまりにも多くの記憶で占められており、前進するための時間がないのである。子供に一連の言葉や数字を丸暗記させてばかりいると知的発達は止まってしまう。動物はまさにそういう状況にある。動物は若いほど賢いという奇妙な事実はここに由来している。

 人間の場合、知的能力が頂点に達するのは成年期であり、しばしば老年になってからであるが、動物の場合は反対である。動物に受容力があるのは若い時だけである。成年期には知的発達は止まり、老年期には確実に後退する。