PNC会員へ・・・

会員のみなさま 905                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月1日(金)、現在は朝の7時10分です。

 

 昨日は久々の大雨が一日中降り、今朝もまだ少しそれが残った状態です。

当方、2ヶ月にわたる”毎日が日曜日”が昨日で一応終了、本日からまたまたの

勤め人状態(日々の出勤)に戻ります。雨の日の初日出勤はきついですが、時間的には

1時間遅れなのでラッシュ時間ではないのが助かります。新たな仕事の詳しい状況は

明日と明後日の週末(普通の人の休みと同じ)に書きます。今朝は時間があまりないので

最重要事項は先送りです。

 

 当方、久々の出勤でお祝いではまったくありませんが、あっちこっちで電車は

ストップ&遅延しています。今の所、当方利用の北総・武蔵野線京葉線は普通に動いて

いるので助かります。

 

 昨日は午前中に”道の駅いちかわ”へ女房の送迎&GSとこなし、矢切駅で証明写真を

撮り、スイカに当面の交通費を入金、午後には”笑顔の湯”へ行ってきました。

 昨日は温泉に行く予定は無かったのですが、あまりの寒さに暑いサウナと温泉が急に

恋しくなり行ってきました。当分平日の昼には行けなくなる可能性もあるので励行しました。

 

 昨日の午後のテレビはほゞベトナムで行なわれた第2回米朝首脳会談の模様の報道で

終始しました。予想外に会談は決裂、トランプは早々と帰国の途に着きました。

当方的には昼のランチは抜きで大丈夫?という事しか頭には浮かびませんでしたが。

テレビでその様子を見る限り、トランプは”これでいいのだ~”の雰囲気いっぱいですが、

正恩は”ほんとうかよー、がっかり”という顔でした。米国の国内のテレビや報道ではこの

米朝会談の事は殆んど報道しないで専らトランプ攻めの攻撃番組だけを組んでいたようです。

日本に至っては米朝が決裂しているとか旨く合意したとかに関係なく”蚊帳の外”なので

どちらでも良いですか???基本的にトランプも米国民すべてにとって北や正恩などはっきり

ドウでも良いのではないのでしょうか!?!もちろん米は日本もどうでも良いはずです(?)

われわれとしては、残念ですがご家族には申し訳ありませんが、拉致の件がある限り北との

国家的安寧は金輪際不可能ですしそう思わざるを得ないでしょう!?!米にとって北の核など

少しも怖くありません。怖いのは日本だけです。中国もロシアも韓国も全く怖くありません。

ハッキリ日本だけなのです。結論的にはジャーどうなの?・・・と言ったら、日本が出来ることは

とっくに確定した案件ですが拉致を棚上げにすることです。拉致ラチ・・・と言っていたら何時か

原爆が本当に来るかもしれません??? 拉致ご家族のみなさまには本当に申し訳ありません

が、これが現実です!?!

 

 明日は再就職の件を主体に書きます。乞うご期待!!!

 

では、ニーチェと量子物理学を勉強しましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

 私が古人に負うところのもの

 

二 私はプラトンという全現象について、「高等詐欺」という、ないしは、聞こえがよいというなら、理想主義という手厳しい言葉を― なんらかの他の言葉よりもむしろ使いたい。

― あらゆるプラトン主義からの私の休養、私の偏愛、私の治療はいつでもトゥキュディデスであった。

 実在性に対する気力が結局はトゥキュディデスとプラトンといったような本性の持ち主たちを区別する。すなわち、プラトンは実在性に対する臆病者であり― したがって彼は理想のうちへと逃げ込むが、トゥキュディデスはおのれを意のままにすることができる― したがって事物をもほしいままにすることができる・・・

 

四 したがってゲーテギリシャ人を理解しなかった。何を古代ギリシャ人はこれらの密議でもっておのれに保証したのであろうか?永遠の生であり、生の永遠回帰である。過去において約束され清められた未来である。死と転変を越えた生への勝ちほこれる肯定である。生殖による、性の密議による総体的永生としての真の生である。このゆえにギリシア人にとっては性的象徴は畏怖すべき象徴自体であり、全古代的敬虔心内での本来的な深遠さであった。キリスト教がはじめて、生に反抗するそのルサンチマンを根底にたずさえて、性欲を何か不潔なものにしてしまった。すなわち、キリスト教は、私たちの生の発端に、前提に汚物を投げつけたのである・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 加えて、動物にとっては存在する多くの運動は、人間にとっては存在しない。実際に、我々にはまったく止まって見える物の多く(事実上すべて)は動物にとっては動いているように見える。そして、動物に立体の三次元性が現れるのはまさにこの運動の中においてである。すなわち動物には立体の三次元は運動に見えるのである。

 動物は今日の太陽と昨日の太陽が同じものだということを理解することは出来ない。朝が同じものであり、春も同じものであることを理解できないように。

 

  ここで結論を要約する。

 我々は、人間が感覚、表象、概念を持つことを確認した。高等動物は感覚と表象を持つ。下等動物は感覚のみを持つ。動物は概念を持たないが、それは動物が言葉と言語を持たないからである。概念を持たないために、動物は三次元を理解できず、表面のみを知覚する。換言すれば、彼らは誤った世界知覚を修正するための手段も道具も持っていない。また、世界を表面として見るために、動物は我々にとって存在しない多くの運動を知覚する。すなわち、我々が三次元性の特質とみなすあらゆる物の「特性」は、動物には「運動」として感じられる。だから角や局面は「面の運動」に見えるに違いない。さらに、三次元の領域に属する我々にとっては一定不変のあらゆるものは、動物には一時的が出来事、時間的現象とみなされると結論づけた。