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会員のみなさま 917                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月21日(木)、現在は朝の7時過ぎです。

 

 本日は春分日の休日で当方的には2連休となっています。今日は正真正銘に

何も予定が無く、夕方までどうやって過ごすかが当方の最大の課題です。

 昨日は予定通りに午前中にはヨガ教室、午後は《笑がおの湯》とこなしました。

お昼は丸亀製麺のカツ丼にして、その後はマツキヨとスーパーベルクスへ買い物に

行きました。昨日ですべて完了してしまい、結果として本日は予定がまったくない

祝日と相成った次第です。

 昨日のヨガ教室は良かったです。最近テレビでよくやる腰と背中にクッションを入れて

ヨガの呼吸法を実施する(何とか?ヨガ)というやつは当方の身体にとっては非常に

よろしい感じがするものでした。”毎日が日曜日”が終わったので毎週行くことなどは

出来ませんが月イチは最低励行するつもりです。この教室は1時間のうち徹底して

ヨガの深呼吸を実践するので当方的には心臓への負担ゼロなので超良好です。

 お昼は一人で近くの丸亀製麺へ行きましたが、最近はここでうどん類を食べたことが

ありません。全てカツ丼の小か中です。昨日は中にしました。当家近くの安価なカツ丼系

のお店では例えば”かつや”とか”富士そば”、”きらく”のミニカツ丼あたりと比べても

ずっとおいしいです。値段はこのクラスではどこも490円から600円ぐらいですが当方

的にはこれで十分です。

 昨日行ったお店はどこも平日特有のガラガラ状態でした。ヨガ教室の生徒は6名だけ、

丸亀製麺はガラガラで11時半ぐらいでお客は5名ぐらい、マツキヨとベルクスも何時も行く

土日の3分の1も居ません。温泉の《笑顔の湯》もガラガラで久々にゆったりとしたサウナに

入れました。土日はいつも似たような集客なのですが、平日はその日によって100%変化

します。難しいものですね!?!

 

 本日の天候は今のところ曇天のうっとおしい感じの朝まだきです。夜中に降雨があったようで

外は濡れています。今日はこの後の午後も雨降りのようです。当方にとって予定ゼロを祝した

ような天候となっています。

何時も言うところの快食・快眠・快便はみなさんも励行できていますか?当方的には快食に

関してはまったくいうことがありません。逆に快食ではなく貧食にしたいぐらいです。快便も

最近は超良好です。沢山の排便があり結果として一日ぐらい排便セロという状態も時にはあり

ますが、それでもその翌日には超大量弁か大量弁が排出されます。実はこれが当方一番の

嬉しい出来事です。そして問題なのは快眠だけです。といっても不眠が続いて困っているという

ような状況ではありません。この10日間ぐらいでも平均で6時間ぐらいは寝ています。ただ、

例えば昨日のように夜の8時過ぎに就寝して寝床から起き上がるのが6時過ぎというように

都合10時間は床に入っていても途中殆んど起床していて実質6時間ぐらいしか寝られない状況

が10日間ぐらい続いているという事です。はっきり睡眠負債の毎日の積み上げ状態です。

これはいけません。人によると6時間寝れば何の問題もないとは言いますが、やはり起床後の

冴えなさは残ります。残尿感ではなく残不眠感がたっぷりの感じです。当方これだけですね、

今一番の悩みは!?!やっぱり巷間言われるところのアルコールは抜きにしないと快眠は不可能

なのでしょうか?悩みますね!?!

 

 話は変わりますが、昨日の報道によると、日本柔道の代表者の愛称を”ゴジラジャパン”に決定

したようです。ゴジラは確かに強いというイメージはありますが、どんなものでしょうか!?!

 当方的にははっきり大反対です。何でもかんでも強ければゴジラにするという感覚が低レベルです。

先の数年前に日本ではヒットしたゴジラ映画の最新作”シンゴジラ”などは当方超々大嫌いです。

あんな糞面白くない映画は金輪際ないでしょう・・・と、言いたいです。大体、前にも言いましたが、

石原さとみあたりが生意気に延々と会議で大生をの溜まっている映画などあって良いわけがありません。

案の定、日本では大ヒットしたと喜んでいるようですが、海外特にハリウッドでは超まったく不人気で

興行成績も最低のようでした。当然です。政府の会議ばっかり延々とやっている怪獣映画など誰が見るか

・・・ですね!?!

 ゴジラはやはり1954年制作の東宝の第1作だけで十分です。以前にも書いたと思いますが、当方

小学校1年生の6歳の時に東宝映画の封切館に1人で見に行き、映画スクリーン手前のステージで

仰向けに寝て観賞する(超奥の手)方法で見切りました。でもこの時には6歳という年齢にも関わらす

大感激したことを憶えています。

 ゴジラは絶対に戴けません。今の内です、早く変更してください。というか、愛称などいりません。

強ければ良いだけです。もっと言うと、来年のオリンピックはまだあると思っている方が頭変じゃないの?

・・・です。

 

 

 という事でニーチェと量子物理学に行きます。また、あと1日仕事に行けば再度の2連休です。

人生はこのような楽をすることが一番です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

二十 私はキリスト教を断罪したが、このことで私はそれと親近な一つの宗教に、信徒の数から言えばかえって優勢なそれ、すなわち仏教に、不正を犯すことをのぞんではいなかった。両者はともにニヒリズム的宗教に属しているが― いずれもデカダンス宗教であるが― 、両者は最もいちじるしい仕方でたがいに異なっている。両者が現今比較されうるということ、このことに対してキリスト教の批判者はインド学者に深く感謝しなければならない。 ― 仏教は、キリスト教より、百倍も現実主義的である、― 仏教は、客観的に冷静に問題を設定するという遺産を体内に持っており、何百年とつづいた哲学運動ののちにあらわれた、仏教があらわれたときには、「神」という概念はすでに除去されてしまっていた。仏教は、歴史が私たちに示す唯一の本来的に実証主義的な宗教である、その認識論「一つの厳密な現象主義― 」においてもやはりそうである。仏教はもはや「罪に対する闘争」を主張する。

もっており、何百年と続いた哲学運動ののちにあらわれた、仏教があらわれたときには、「神」という概念はすでに除去されてしまっていた。仏教は、歴史が私たちに示す唯一の本来的に実証主義的な宗教である、その認識論(一つの厳密な現象主義

― )においてもやはりそうである。仏教はもはや「罪に対する闘争」ということを口にせず、現実の権利を全面的にみとめながら、「苦に対する闘争」を主張する。仏教は― これこそそれをキリスト教から深く分かつのだが― 道徳概念の自己欺瞞をすでにおのれの背後に置き去りにしている。仏教は、私の用語で言えば、善悪の彼岸に立っている。仏教がそれに基づき、注視を怠らない二つの生理学的事実は、第一には感受性の過大な敏感さであって、これは苦痛を受け取る洗練された能力としてあらわれるものであり、第二には過度の精神化、概念や論理的手続きのうちであまりにも長く生きることであって、このことの影響で人格的本能は損傷を受けて「非人間的なもの」に有利となってしまったのである。

 仏陀はまた、見解を異にする者に対する闘争をもなんら要求することがない。彼の教えは何ものにもまして、復讐の、忌避の、ルサンチマンの感情に陥らないようにつとめる。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 

    第十五章 愛と死

 

 秘境と愛・・・愛と死・・・死の問題と愛の問題に対する異なった態度・・・我々の愛の理解には何が欠けているのか・・・日常の心理学的現象としての愛・・・愛の宗教的理解の可能性・・・愛の創造的力・・・愛の否定・・・愛からの逃避・・・愛と神秘主義・・・愛の「奇跡」・・・エドワード・カーペンターとニーチェの愛についての見解

 

 実際には愛は「宇宙現象」である。その中では人間、そして人類は単に付随的なものでしかない。この宇宙現象は人々の生活や魂にはほとんど関心を持たない。太陽が人間の取るに足りない出来事や目的に利用されるために光を放射するのではないように。もし人間が、その意識の片隅ででもこのことを理解するならば、彼の前には新しい世界が開け、人生を通常の観点から眺めることが奇妙なことのように思われるだろう。

 そして人は理解でするだろう。「愛」とは普通考えられているのとは何かまったく異なるものであり、この世の人生の小さな出来事とはまったく異なった序列に属していることを。