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会員のみなさま 918                    後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月22日(金)、現在は朝の6時50分です。

 

 当方は2連休後の仕事日ですが、また明日からは普通の週末の2連休が始まります。

休暇の中の中日での出社といった方がベターでしょうか。昨日は午前中での気象庁

予報では午後は雨模様だったのですが、正反対の好天と相成っていました。

 最近(この数年)桜の開花日は昔と比べて随分早くなっています。今年も昨日の21日

春分の日ソメイヨシノの開花日となりました。開花から満開までの期間はどのくらいか?

・・・というと、ジャスト1週間だそうです。という事は、今年の花見のピークは来週末あたり

になります。もちろん当方らが花見をしたり行ったりすることは皆無ですが。

 昨夕の真東に上った満月は所謂”スーパームーン”と云えるほどの見事な満月でした。

本日は”花曇り”という言葉がぴったりの朝を迎えました。今日の仕事(法廷出廷)は

川口簡裁の11時半です。家を出るのは9時半で十分ですのでこれを書き始めた次第です。

 

 昨日は昨日の朝にも書いたように予定が完全に無く、一日中自宅に籠った状態でした。

勢い、やること(作業)はニーチェの書きだしと映画鑑賞ぐらいしかありません。女房は

隣りの娘一家と孫娘のピアノの発表会へ行ったので当方は孤独を楽しむ状況と言って

良い状態でした。午前中には2階の書斎(?)から階下の居間までノートパソコンを持って

行き、ニーチェの書き出しです。このニーチェに関しての書きだしはお坊さんが能くやる

”写経”と同じです。意味不明(当方の頭脳では)なアフォリズムを何度も何度も読んで

書き写しているといかにバカ頭の当方でも理解度が多少は進みます。ということで、

ニーチェ著作の書き出し(写経)は①人間的あまりに人間的②曙光③反キリスト者

続いて次は”この人を見よ”にします。

 

 此のところ時間が余ると(休日とか女房出迎えの調整時間帯とか)、大概は映画鑑賞を

することにしています。当方へんちょこりんな癖がついてしまって、自宅での読書がどうしても

捗りません。読書は遠方の法廷出廷時の電車の往復時でないと進捗しない体質になって

しまったようです。だから家では本は読みません。3月からスタートした再々就業は当方にとって

は最高の出来事だったようです。家で読書はしませんが、超精読(写経もどき)はしますが。

ここまでしっかり読むのは電車内では無理なので!?!

 

 この状況下での映画鑑賞は殆んどが名作の再々々々々々・・・観賞です。

最近ではデンゼル・ワシントンとアンジー主演の”ボーン・コレクター”を立て続けに2回観賞

しました。ショーン・コネリー主演でシリーズが開始された時の第一作目”ドクター・ノオ”と

第二作目の”ロシアより愛をこめて”も久々に鑑賞しましたがドクター・ノオ(日本で公開された

時の邦題は”007は二度死ぬ”だったでしょうか?こちらはイマイチ感もありましたが、2作目の

”ロシア・・・”は良かったですね。当方、この2作は地元でアンコール放映された時に友人らと

見に行った記憶があります。この後の”ゴールド・フィンガー”は日比谷映画のロードショーで

見ましたが、やはり映画はロードショーですね。

 昨日は時間の余裕ができた(所謂暇持て余し状態)ので午後の12時ごろから15時過ぎまで

最近何度目かに観賞したヒッチコックの”サイコ”の続編である”サイコ2””サイコ3””サイコ4”

を立て続けに鑑賞(完賞)しました。もちろん最初の”サイコ”だけがヒッチコック監督作品で、

後は全部監督が違います。3作目などは主演のアンソニー・パーキンスが務めています。

それにしてもこのシリーズの主役”ノーマン・ベイツ”という名の若者ははまり役でしたね。

アンソニー・パーキンスがこの映画で抜擢されたと時の年齢は28歳(1960年)です。そしてこれが

シリーズ化されて最後の4作目は58歳(1990年)となっています。2作目と3作目は当然ですが、

一作目ほどの衝撃はもちろんなく、ただただ殺戮だけが恐怖を引き起こすホラー映画になって

しまいますが、最後の4作目はシリーズ化されて初めて主役名”ンーマン・ベイツ”の重要なモチーフ

となる”二重人格”の元である母親が出てきます。結局この母親がノーマンを二重人格者・異常殺人者

になる発端をつくることになりますが、この母親役は日本の歌手”布施明”と結婚していたオリビア

ハッセーです。母親とその婚約者を若きノーマンが毒殺した衝撃がこのような異常殺人者を作った

事が判明する最終章です。最後の最後はハッピーエンドのアンソニー・パーキンス演じるノーマンが

正常化されたところで終わりますが普通はこの手の再作成的シリーズものは成功しないものですが、

昨日当方が見たところによるとまあまあ全部見てもさほど飽きが来ないというか面白く最後まで

見させてくれます。まあ良かったと言っておきます。

 それにしてもサイコ一作目の監督・ヒッチコックはレベルが違いますね。もう終わった映画などには

目もくれず、この時点(サイコの完成後)では次の作品である”鳥”の事しか頭には無いかのようです。

 余談ですが、3作目のサイコ3の副題には”怨霊の囁き”とあります。この囁きという字は凄いですね。

ささやきそのものの口に耳が3つかぶさっています。他では犇めくという字(ひしめく)も普通は人が

沢山寄せている様ですが、牛が三頭いるのが犇めくです。当方、酪農に携わったことがあるのでこの

犇めくという状態は解るような気がします。牛がいっぱい集まっている様は”犇めく”そのものです。

 

 今日はこれから仕事です。また、明日と明後日は書く予定です。それでは写経したニーチェと量子物理学

を届けます。

 

 

ニーチェ

 

 

 

二十一 仏教にとっての前提は、きわめて温和な風土、習俗における大いなる柔和や寛大であって、ミリタリズムではない。キリスト教においては屈服した者や圧迫された者の本能が前景にでている。キリスト教的なのは、おのれと他人とに対する残酷さの或る種の感覚である、見解を異にするものへの憎悪である、迫害の意志である。陰鬱な煽情的な想念が前景にでている。キリスト教的なのは、大地の主たちに対する、「高貴なる者」たちに対する不倶戴天の敵意― そして同時に、陰険隠密な競争である(― 彼らが「肉体」をもっていることをみとめて、おのれらは「霊魂」のみを欲する)。キリスト教的なのは、精神に対する、精神の矜持、気力、自由、放縦に対する憎悪である。キリスト教的なのは、官能に歓喜に対する、歓喜一般に対する憎悪である・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 時々人々に乗り移って彼らを支配し、人間を道具として自らの不可思議な目的を果たそうとするのは、おそらく、特別な世界に住む精霊たちなのかもしれない。人間の魂は時々、内的世界の特殊な領域に入り込み、肉体はこの世で地上世界の法則に縛られながらも、かの世界の法則に従って生きることを余儀なくされるのではないか。もしかしたら愛とは偉大な賢者による錬金術の業であって、その中で人々の魂と体は、何か神秘的な目的を果たすために誰かにとって必要な「賢者の石」、「生命の錬金薬液」、あるいは何か特別な「電気」をその中から取り出すための要素としての役割を演じているのではないだろうか。