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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 924 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年4月3日(水)、現在は朝の7時半です。
今朝は珍しい二日酔いを吹き飛ばすような晴天が眩しいぐらいの日差しが
一杯の朝です。それでも今日の最高気温は12℃ぐらいですのでまだ寒い1日
ということで当家の近くの公園の桜はまだ満開に至っていません。予想通りに
今週末ぐらいが最高の花見日和となりそうです。
当方、今日はお休みです。夕前にヨガ教室に行き、その後は東松戸のauショップ
を予約したので行ってきます。
今週の2日間(月・火)は1日中PC前での架電の仕事で超疲れました。昨日の
早朝には大汗を掻き寝ていられなくなり、冷水摩擦のように冷たいタオルで体中を
拭いてすっきりさせました。昨晩は珍しい外飲みの結果が二日酔いを誘い、今朝は
冷水摩擦の必要はありませんでした。それでも二日酔いは晴天が吹き飛ばしてくれ
現在は体調万全です。
さて、新元号が決まり4月1日のエイプリルフールの日に菅官房長官が発表しました。
やらなければいいのにその後に安倍が一言付け加えました。何でも手柄は自分の
ものにする土人総理の真骨頂としか言いようがありませんね。取りあえずは安とか
寧とかが無かったことだけは安心しましたが、『令和』はいただけませんね。巷間言われる
のは中国の由来ではなく国書”万葉集”から取ってそれを自慢げに披露するなど持って
の他だということです。大体安倍は万葉集を国書だと思っているのでしょうが、これは
中国ではないですが朝鮮由来です。著書名”もう一つの万葉集”の作者であるイ・ヨンヒ
氏によれば万葉集の所謂”裏読み”では万葉集は古代朝鮮語に由来していて、日本語
は中国の漢字を基にして朝鮮のひらがなを日本語に充てて出来た言語であるという事が
正しい解釈のようです。はっきり、日本語とは中国語と古代朝鮮語から作られた言語なのです。
それを偉そうに中国からではなく日本古来の国書などと言うのはチャンチャラ可笑しいです。
昨日一昨日の新元号発表後の良識派識者たちの一般的なコメントは”もう元号など止めて
西暦だけにしろ”でした。当方、毎回面倒くさくて困っていることに西暦と元号の返還が
あります。2019年は令和元年…ぐらいなら良いのですが、西暦の2030年は令和何年?
でもう即答が出来なくなります。本当に元号は止めてほしいですね!!!
ネトウヨ大馬鹿土人たちは反元号は共産党思想だとばかり言ってますが、違うでしょう!
と言いたいですね。
元号の最初の言語は大化の改新の”大化”です。大体、大化の改新はどういうものか
安倍は解っているのでしょうか!?!大化の改心の主役は全員半島人(朝鮮人)です。
天智天皇・天武天皇・持統天皇・藤原鎌足・・・みんなみんな半島人です。安倍らが大嫌い
な半島人です。
元号大騒ぎではこの点に重点を置いた議論が熱くなることを望みます。
それではニーチェと量子物理学にします。
三十四 「天国」は心の状態である、― 「地上の彼方に」ないしは「死後に」やって
くる或るものではない。自然死の全概念は福音のうちには欠けている。すなわち、死はなんらの橋梁でも、なんらの移行でもなく、死というものが欠けているが、それは、死が、まったく別の、たんなる仮象の、たんに記号として役立つに過ぎない世界に属しているからである。「死期」とは断じてキリスト教的概念ではない、― 「時刻」、時間、自然的生とその危機などは、「悦ばしき音信」の教師にとっては全然存在しない・・・「神の国」は、なんら待望されるようなものではない。それは、昨日をもたらず明後日をもたず、「千年」待ったとて来ることはない、― それは心での経験である。それは、いたるところに現存し、どこにも現存していない・・・
量子物理学
それでは物質とは何なのだろうか?
ある意味では、それは論理的概念、すなわち思考の形式である。物質を見た人は誰もいないし、これからもいないであろう。物質は思惟されるにすぎない。他方では、それは実在(リアリティ)と取り違えられた幻影である。物質とは何かの断面であり、実在しない架空の断面である。しかし物質がその断面であるところのものは確かに実現する。それは実在する四次元世界、おそらくは多次元世界である。
人間や動物や植物以外の心が世界に存在すると考える根拠は何なのだろうか。
それは第一に、世界の万物は生きていて生気があり、生命と生気は全階層と全形態の中に表現されているという考えである。しかし我々は自分と同じ形態の心しか知ることができない。最も重要なのは、人間の心を宇宙で唯一最高のものとみなす理由はないということである。
そこで問題はこのようになる。世界の他の領域にある心の存在を(もし存在するのであれば)どうすれば知ることができるのか?
次の二つの方法によってである。一つはコミュニケーション、思念の交換によって、もう一つはアナロジー(類推)から結論を引き出すことによってである。