PNC会員へ・・・

会員のみなさま 925                     後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年4月5日(金)、現在は朝の6時半です。

 

 当方、今日はお休みで3連休となります。この2週間は1日中会社での作業が

6日間もあり、はっきり超疲れました。今後の3週間での1日中会社は5日間です

ので多少は楽な方でしょうか!当方の仕事は全部法廷出廷となることが最高ですが

そう簡単ではなさそうです。今週は飲み会などもあり睡眠負債がだいぶ積み上がり、

排便もイマイチの状態です。今日からの3連休で調整することにします。

 本日は朝一番で国際医療福祉大学市川病院にて採血検査→床屋→《笑がおの湯》

ビッグボス(酒の量販店)と、予定しています。お昼は久々に《笑がおの湯》の10割蕎麦

にしようかと思案中です。午後は予定がありませんが、午前中の病院はまず7時半に

順番の札を取りに行き、8時半の診療開始後即採血→1時間少し待って診察という

コースでこなします。このところほぼ休肝日皆無となっていますので採血検査の結果が

良好の訳はないでしょう!?!

 

 当方のこれからの3連休では今日の夜桜から始まり土日の昼飲みまでようやっとの

花見らしい花見ができそうな感触です。今年の陽気は多少オカシイですね。

普通は桜が開花して1週間ぐらいで満開になるそうですが、本年はまったくダメでようやっと

2週間たったこれからの3日間ぐらいが満開となりそうです。昨日の帰宅の帰路に見た

我が近場の公園の桜はまだ満開では無く8分咲き位のようでした。

 この3日間の天気は好天で気温も20℃越えになりそうで花見気分が満喫できそうです。

当方にはもう縁がありませんが昼飲みでも夜飲みでもやってください!!!温暖化の

掛け声は相変わらず強いですが、今年の4月は完全に寒冷化です。政府やマスコミの

インチキ喧伝ばかりが目立ちます。

今週は水曜日と金曜日を休みました。水曜日は夕前にヨガ教室に行きました。今回の

教室は初の参加でしたが、これがけっこうきつい教室でした。約1時間ぐらいを休みなしで

一気に行われます。他の講師の時は途中で何度か水を飲んだり汗を拭いてください・・・とか

入れますが、今回の講師はそれがまったく無しです。超疲れました。汗びっしょですし喉も

乾きました。当方に一番合う講師の教室は水曜日の午前中なので参加は困難です。

残念です。それでもしつこくヨガはやるつもりですが時間の取り方が問題です。

 

 最近(特にこのひと月ぐらい=2ヶ月以上休んでから仕事再開)富みに物忘れというか

うっかり作業が増えてきました。”毎日が日曜日”だったら何とか熟せる事案でもやはり労働

をすると、失敗的行為が増加してくるものです。この件は明日以降に譲りますが沢山の

事象が発生しています。後日、整頓して記述します。

 

 それにしても日本のマスコミは酷いの一語ですね。昨晩も夕食前にテレビを流し見していたら

コカイン使用で捕まったタレント(そんなに有名人かよ???)の保釈の件を延々とやってい

ます。その前は新元号の誉めつくし・・・です。最低で天皇家がみえみえに嫌っているのが

ありありの元号を”すばらしい!?!”とはトチ狂ったとしか言いようがありません。

元号は廃止して西暦に統一すべきです。これは何度でも言います!!!

 

 今日はこれから病院へ行ってきます。PNCは3連続弾で行きます。ニーチェと量子物理学も

行きます。

 

 

 

ニーチェ

 

三十七 キリスト教の歴史は― しかもそもそも十字架上の死以来― 根源的象徴主義を一歩一歩とますます粗雑に誤解してきた歴史なのである。キリスト教が、いっそう広汎な、いっそう粗野な大衆のうえにくまなく流布するとともに、キリスト教を卑俗化することが、野蛮化することが、ますます必要となったが、そうした大衆は、キリスト教が産み落とされた諸前提からはますます離れていったのである、― キリスト教ローマ帝国のすべての地下的な礼拝の教義や儀式を、すべての種類の病める理性の荒唐無稽を体内に呑み込んでしまった。キリスト教の運命は、この宗教で満足させられるべき欲求が病弱で、低劣で、卑俗であると同じだけ、キリスト教の信仰自身が病弱で、低劣で、卑俗とならざるをえなかったという必然性のうちにある。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

カントの『見霊者の夢』から・・・

 「誕生、生涯、死は魂の状態にすぎない・・・死滅するのは我々の肉体だけである・・・我々の本質は死滅することなく、肉体が存在しなくなった後も存在するに違いない。人間の生活は二重である。それは動物的生活と霊的生活の二つの生活から成り立っている。前者がこの世の人間の生活であり、その生活のためには肉体が必要である。後者は霊の生活であり、人間の魂は肉体とは別に生きて、肉体から離れた後もその生活を続けるのに違いない。」

 カントは霊的で意識的な世界が存在する可能性を認識していただけではなく、それとの交流の可能性をも認めていたのである。

 ヘーゲルは彼の全哲学を、真理の直接知覚の可能性、霊的ビジョンの上に構築した。