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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 927 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年4月7日(日)、現在は朝の6時半です。
昨日はどうぞ花見を楽しんでくださいというような好天で暖かい1日でした。
家の前を通る見かけぬ老人夫婦から駅までの行き方を聞かれたり、いわゆる
花見や散歩客が沢山でした。当方は都合5人での遅れた彼岸の墓参りに行って
来ましたが、八柱霊園に参拝客は少なく何時もの土曜日より空いている感じでした。
彼岸のお中日(春分の日)から2週間以上経っているので当然でしょうか?
お昼は霊園近くの回転寿司店”はま寿司”にしましたが、こちらもいつもの週末として
は空いている方でした。10時40分に寿司屋について開店の11時までに来店客は
当方ら以外では一組だけでした。珍しいぐらいの空き具合です。今年は桜の開花から
満開までの時間が長すぎ(2週間以上)、何かしら間の抜けた春の日々となっています。
昨日は当方夫婦と妹夫婦にプラス孫娘の5人でした。朝方に津田沼に住んでいる弟に
電話を入れたら、ゴルフに行っていてもうラウンド中でした。家から近いお墓なので
年2回のお彼岸ぐらいは墓参りに行けよと言って電話を切りました。当方の兄弟は
あと一人でこちらは福井県に婿養子に行ったのでそう滅多には帰郷できませんが、
こちらで食べたいものや飲みたい店が数店あるので本年中には来ると言っていました。
長かった満開までの時間帯でしたが、いざ満開となるとすぐ散ってしまうのも桜の
特徴です。明日と水~金は雨予報となっています。今年のお花見は今日の日曜日が
最後となりそうです。後でチョイと見物して来ます。
それにしても100円回転寿司は安いですね。当方以外(運転手)は生ビールを飲んで、
孫はケーキ類まで食べて全部で5,800円でした。当方的にはお墓近くの少し高級な
回転寿司店である”すし松”が一押しです。100円回転寿司に3回行ったつもりでこちら
に1回行った方が充分お得なはずです。ネタが違います。
当方、もう15年近く遠ざかっているゴルフについて驚きな案件があったので報告です。
先週でしたか、女子プロのトーナメントを見ていて超ビックリしました。というよりよほど
ゴルフに縁遠くなった証なのか?トンでも光景を見てしまいました。グリーン上である選手が
パッティングをする場面です。この選手は自分でもキャディーでもなく旗を取らずにパットを
したではないですか?しかもテレビ放映をしているアナウンサーも元プロの解説者も
一言も言いません。結果として、昨日調べたら本年はゴルフルールが大幅に改正されて
当方らの常識では考えられないぐらいの訂正が起こっていました。2019年1月1日付で
ゴルフルールは大幅な改正が行われました。一番のビックリはグリーン上のパットで
旗をさしたままでパッティングOKとなったことです。それにバンカー内に入った球を拾い上げて
バンカーの外に2打罰を付加して良い場所にリプレイス出来るようになったこと、紛失球の
探索時間が5分から3分に短縮されたことです。この他にもいくつかあります。情報不足とは
恐ろしいものですね。当方、基本的にゴルフはもう金輪際やらないつもりですので当然
といえば当然なのですが、一寸目を離したすきに何でもアリになるのだという我が政界と
まったく同じ案件の連続となって来ました。
スポーツのルール改正はより面白くするため、より公正を保つためになされるものです。
今回のゴルフルール大幅改正もその精神に乗っ取っていることに違いありません。でも
あまりの変化に当方らは超驚かされるだけです。我が日本人にとってはお家芸である
柔道もそうです。昔の東京オリンピックが開催されたあたりのルールと現在のルールでは
超大幅に変化しています。当方一応段位2段の経験者ですが、柔道は放っておいたら
全試合が引き分けになる可能性大です。格闘技としてなら仕方ないでしょうがスポーツと
したらこれは許されません。勢いルールは毎年変更して面白くなるように改正して行きます。
それにしても何にも知らなかった当方の方が悪いのでしょうが、あまりの変化はきついです。
テレビ放映する側は何度でもルール変更の件を伝えるのが親切というものです。特にゴルフと
言うスポーツはルールに縛られて行う競技です。何度でも説明する義務がテレビ放映側には
あるはずです。政権と同時に要反省だらけの業界ですね???
反省してほしい案件ばかりの安倍政権ですが、先の4月1日発表の新元号『令和』以来、
テレビ(最低マスコミ)ではやれ国書である万葉集から取ったのだとか何とか自分勝手な
意見ばかりを垂れ流し、こんな良い元号は無いとまで言いそうです。当方、先に少しは振れ
ましたが、万葉集は日本独自の日本人が作った歌集ではないので勘違いしない様にしましょう。
これは大伴家持が編纂した国書です。大きく前半と後半に分かれていて、後半はほゞ編纂者の
大伴家持の歌がいっぱいとなっていますが前半はまったく違います。当方的には後半はどうでも
良いとは言いませんがぐっと低く見て、前半の3番バッター”額田王”、4番バッター”柿本人麻呂”
の歌だけでも十分な作品群です。前回にも書きましたが万葉集は古代朝鮮語を元にした裏がある
読み物で、これを理解できる人はもう韓国・北朝鮮の人でも皆無に等しいぐらいだそうです。
半島文化は15世紀のハングル文字発明・使用で古代史や言語が失われてしまったようです。
残念な事ですが仕方ありません。日本の小林惠子先生とかバイリンガルのイ・ヨンヒ氏の著作
から少しづつでも勉強するしかありませんね。
それと日本は何故途中で実際の正しいと思われる時の読み方などを変更させるのでしょうか?
持統天皇の作と言われる”春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香具山”という有名な
歌があります。これなど、当方らが中学か高校生の時に習った教科書とは途中の読み方が変更
さてれています。まず、夏来るらし・・・です。これは夏来にけらし…だったはずです。また、衣干したり
・・・は、衣ほすてふ(干すちょう)…のはずです。けらしとかちょうとかはいけないのでしょうか?
どうも当方的にはこの読みが半島的だから変更したとしか思われません。最低な日本土人国家です。
土人国の酋長(「あべ」のこと)初め周りの政界人全員居なくなるべきです。
いずれにしても”令和”は戴けません。テレビは猛省をして元号廃止運動を開始すべきでしょう!!!
それでもニーチェと量子物理学は行きます。
三十九 ― もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。― すでに「キリスト教」という言葉が、一つの誤解である― 、根本においてはただ一人のキリスト者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が生き抜いたものとは反対のものであった、すなわち、「悲しき音信」、福音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしを見て取れるとすれば、それは馬鹿げ切った誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生き抜いたと同じ生のみが、キリスト教的なのである・・・今日なおそうした生は可能であり、ある種の人たちにとってはそのうえ必然的ですらある。 実際のところ一人のキリスト教も全然いなかったのである。「キリスト者」なるものは、二千年キリスト者と呼ばれているものは、たんに心理学的な自己誤解にすぎない。
量子物理学
今や本質世界、「霊の世界」をお評価しうるいくつかの基準が確認できたので、それを利用しなければならない。
最初に言えるのは、本質世界すなわち実在世界は三次元的ではあり得ず、三次元的なものは何も含むことができないということである。すなわち、物質的な物では測定できず、物質的な外観や形態を持たない。換言すれば、本質世界は空間における広がりや時間における変化を有する物を何も含み得ない。そしてとりわけ、死んだ物、生気のない物、無意識な物(意識の度合いは異なるにしても)を何も含み得ない。原因世界においてはすべては意識的な物でなければならない。なぜなら、原因世界はそれ自体が意識であり、世界の塊だからである。
さらに心に留めておかねばならないのは、原因世界は「奇跡の世界」だということである。我々にとって普通に見える物は決してリアル(実在)ではあり得ない。実在は我々には奇跡的に見える。我々はそれを信じず、認知しない。そのために我々は生命に充満している神秘を感じることがない。
単純なのは実在しない物だけである。実在(リアル)は「奇跡」であるに違いない。