PNC会員へ・・・

会員のみなさま 936                後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年5月1日(水)、現在は朝の6時15分です。
 
 早いものでもう今日から5月です。雨降りは今日一日中続きそうですが、他には
何にも変化のない普通の月替わりです。10連続弾休暇も本日で5日目、今日が終われば
もう後半戦です。それにしても昨日は”平成最後”という言葉の洪水で本当にうんざりでした。
テレビが一日中皇室関連となるのは仕方ないとは思いますが、夕方のNHKの”天皇のお言葉”
あたりの放送で、皇室関係者や天皇のご学友が出演するのは当たり前ですが、何でタレントの
中川翔子なんかが出る必然性があるの?・・・!?!超不思議です。
 もうこれらの皇室関連報道は今日から止めましょう!もうういいよ!他に国民に知らさなければ
ならないニュースがいっぱいあるでしょう!・・・と言いたいです。
 
 昨日はバカテレビだけでなく、予定が全部変更された一日でした。まず、来る予定をしていた
友人の孫のうち2人が風邪ひきで高熱を発し中止となりました。それでも昨日と今日の2日間は
両親(娘夫婦)とも仕事なので、二人の孫を預かることに変更はありません。それにしても、
ちびっ子の男と女では両極端ですね。小学3年生の長女は慎重なタイプではっきり運動関係は
どちらかと言えば不得意で、所謂”お転婆”という言葉にはほど遠い子です。結果的にあまり
怪我なども少なく、熱を出すぐらいが関の山のタイプです。ところが、下の男の子(2歳半)は
上の娘とは正反対で、メチャ動いて怪我も絶えません。昨日も階段で軽く転んで、その後に
隣りの娘宅の石の会談で足を踏み外し、顔面に大怪我です。鼻の上と両目の間、眉間の
下あたりの2か所に出血を伴って晴れもある本格的な怪我をしました。連休中で病院もやって
無いので困ったものです。女房は一応娘に写メ付きでメールをしておきましたが、救急病院に
行くほどではない(まあ素人判断なので?)…と思いますが心配でもあります。
 二人の孫が隣に住んでいるといろんなことが全部娘夫婦と共有するので当方らの負担も
半端ではありません。自分たちが30歳代の所謂子育ての頃を考えると隣の娘夫婦は楽です
(というか仕事ができる)。当方らの時代ではジジババは珠にしか来ないし、当方なども30歳代
で超忙しい日々を過ごして(証券会社の仕事は7-11と言われたぐらいハードだった)いました。
仕事に飲みに超忙しく、子育てなど女房に全部任せるしかない状態でした。現在の隣りの娘
夫婦あたりは休みの日は一日中子供と遊んでいますし、夕方の7時ぐらいにはもう帰宅しています。
楽な仕事ですね!?!
 下の孫の怪我具合にもよりますが、両親は今日も仕事で、当方らが一日中面倒を見る予定です。
楽しみでもあるのですがきつくもあり、また、新たな怪我の不安もあり、一日中心配な日になります。
 結局昨日は温泉に行って映画を1本観ただけでした。今日も昨日の続きのような気がします。
こんなことで10連続弾休暇は終わるのでしょう!?!
 
 それでは4月15日に観た”陪審員”という映画を簡単に照会しておきます。この映画は1996年
公開の米サスペンス映画です。”ゴースト/NYの幻”のデミ・ムーアが主演です。この人もいろんな
役を熟す女優です。以前にもこのPNCに書きましたが、”羊たちの沈黙”のジョディ・フォスター
その3年前の1988年に製作された”告発の行方”に出て超体当たり演技を披露していた女優とは
信じられないのと同じです。結局、フォスターは”羊たちの沈黙”1991年製作の両方でアカデミー賞
主演女優賞を摂っています。本題のデミ・ムーアですが”ゴースト・・・”で披露した清純で美しい
インテリ女性から信じられないマイケル・ダグラスと共演の”ディスクロージャー”での演技は本当に
別人としか思えないぐらいの強かさです。普通あり得ない逆ハラスメントで絶対ありえない逆レープ
に近いシーンを普通に演技しています。
 さて、”陪審員”の内容ですが、デミ・ムーア扮する彫刻家でシングルマザーの女性に裁判所から
陪審員に選出され陪審員長に選ばれるという設定です。裁判は殺人事件で起訴されたマフィアの
ボスへの裁定です。魔の手はマフィアのボスの手下のもの凄い陪審員長へのアタックです。
米国映画ですから最後はハッピーエンドとなりますが、裁判シーンも結構見どころがあり、最後に
近いあたりでは普通にアクションシーンも多発されます。まあ結構見ごたえのある映画とだけ言って
おきます。結末を全部言ってしまうとネタバレになってこれから観ようかと思っている人に失礼ですから
今日はここまでにしておきます。明日はハリソン・フォードの”推定無罪”を行きます。
 
 
それではニーチェは準備中なので量子物理学だけでお願いします。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
     第十九章  海を飲み込む水滴
 
 知的手法と客観的知識・・・客観的知識の限界・・・心理学的手法の適用による知識拡大の可能性・・・新しい知識の形態・・・プロティヌスの考え・・・意識の異なった形態・・・眠り(意識の潜在的状態)・・・夢(自分自身の中に閉じこもった意識、自分自身の反映)・・・目覚めた意識(世界の二元的感覚)・・・恍惚(「自分自身の外に出る」)・・・「トゥリア」(すべてを自分自身と感じる絶対意識)・・・「海を飲み込む水滴」・・・「ニルヴァーナ
 
 客観的知識の研究は事実の研究ではなく、「事実の表象」の研究に過ぎないといういことを覚えておかねばならない。
 客観的知識が三次元空間の限界を超越するためには、知覚条件が変化することが必要である。
 インド哲学は意識の四つの状態を区別する―眠り、夢、目覚めた状態、そして絶対意識の状態―「トゥリア」―である。
 意識の絶対的状態への移行とは、「神性との合一」、「神を見ること」、「天の王国を体験すること」、「ニルヴァーナ(涅槃)に入ること」である。神秘的宗教によるこれらの表現のすべては、意識の拡大という心理学的事実、意識がすべてをそれ自身の中に吸収したときの拡大を表現したものである。