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会員のみなさま 938                 後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年5月3日(金)、現在は朝の6時過ぎです。

 

 昨日は気象庁の予報通りに予期せぬ雷雨に見舞われ行楽地は大騒ぎの

1日でした。東京近郊の本日は最高気温が25℃の夏日を予想していますが、

現在の早朝あたりではけっこう涼しい1日の始まりです。週間予報では雨マーク

が皆無となって、ゴールデンウイークも最後に来てようやっといつもの5月的な

天候になってくれました。(所謂五月晴れですか)

もう40年以上(と思う)、ゴールデンウイークに遠出をしたことはありませんが、近場

には行きます。本日の憲法記念日は9時半頃出発で”キテミテ松戸”に初見参

(ウイゲンザン)します。この初見参をウイゲンザンと読める人は稀有の存在です。

PCでういげんざんとかういけんざんとかはつけんざん・・・と、叩いても初見参は

出てきません。ういげんざんとは読めませんねー!?!

”キテミテ松戸”はまだ全部の店が出店したようではないらしく、当方らは専ら地下の

スーパー(食品売り場)だけ見回って数多あるらしい弁当を少し買って持ち帰り家で

食する予定です。今日の予定はこれだけです。

 10連続弾休暇も今日を入れて4日間となりました。本当に連休が進むのは早い

ですね。おいおいまだ何にもしていないよー…といううちに仕事が始まります。

 

 昨日はめったに見ない夜の9時以降のテレビで”秘密の県民ショー”という番組を

見ました。何で見たのと言われれば特集で”京都”をやっていたからです・・・と、答えます。

ビックリしたのは最初の方のバックミュージックで超懐かしい米国女優のヘイリー・ミルズ

が歌った(この頃はまだ15歳ぐらいでしょうか)Let’s get together  という曲がかかって

いたではないですか!当方はこの時は中学1年生でした。父親に買ってもらった電蓄

(簡易電蓄か?)で生まれて初めて買ったレコードがこの曲でした。この年の前後数年は

所謂米ポップスの怒涛のような洪水が日本に上陸した年代です。先ほどユーチューブを

覗いたらヘイリー・ミルズではなく伊東ゆかりが英語で歌っているものを少し聞きました。

60年近く前の事ですが、まじまじとその頃の記憶は残っています。良い時代でしたね!

 そのまま同じ番組を見ていたら、当方予想した通り有名ラーメン店”新福菜館”をやって

いました。当方、この店の初見参(ういげんざん)は大坂単身赴任時の1989年です。

京都のタクシーに乗って旨いラーメン店を聞いたらここを教えてくれました。通称”タカバシ

のラーメン”=新福菜館です。この店の場所は京都駅新幹線の出入り口”八条口”から

歩いて5分ほどです。長い陸橋を渡ってだらだら下がるとラーメン店はあります。地名的には

塩小路高倉橋です。それで通称ではタカバシのラーメン店となるわけです。

 当方、1人でここで食べる時はまず、小ビールと朝鮮漬け(キムチ)を頼みます。そして

ラーメンは竹入り(シナチク)・ネギたっぷり…と注文します。他に空腹だったら”やきめし”

を頼むことがあります。ここの焼き飯(炒飯)はまっ黒く(ラーメンも黒っぽい)て、意外と

旨いです。当方が大阪在住でよく通った頃はこの店はここの本店しかありませんでした。

現在は東京でも秋葉原とか麻布にも出店したようです。そして、この店の創業は1938年

(昭和一三年)です。当方より10歳若いのです。もちろん戦時中で、ラーメンすら珍しく、

スープも薪で燃やして作っていたようです。当方もう数十年食べてないので秋葉原あたりで

食べてみようか思案中です。

 

 当方、滅多に見ない・見ないようにしているテレビですが、昨日あたりでもまだまだ新天皇

関連報道の羅列です。見たくないので映画を2本鑑賞して時間を潰しました。

 あまり口にしたくない新元号の”令和”ですが(当方は西暦の2019年とかしか使わない)

識者の正論が噴出です。昨年の8月に読んだ『国体論 菊と星条旗』という本の著者である

白井聡氏が警鐘を鳴らしています。”元号私物化”の件です。

 

 重要部分を抜粋します。

 

『昭和から平成への代替わりを思い起こしてみよう。”平成”を誰が考案し、どのような過程

を経て元号に決められたのか、今でも不明な点が多い。その当事者たちがそれについて

ペラペラ口外すべきでない、と考えているからだ。ところが今回は、新元号発表の翌日に

早くも、他の候補の存在などが詳細にリークされている。

 かってあった厳粛さと慎みは、一方では『元号天皇の時間』という側面ゆえの、天皇

に対する配慮であったと同時に、民主主義=国民主権への配慮でもあっただろう。新時代は、

元号が発表された時点では真っさらの状態にあり、それがどんな時代になるのかを決めるのは、

日本国民である。ゆえに、決定に関わった当事者たちは、その具体的過程や言葉の意図など

について口を閉ざしている。元号が、真に国民のものとなるためには、あたかもそれは誰が決め

たものでもないかのように、(どこからともなく)やって来なければならないからである。

 

 そして、白井先生は”令和は最後の元号になるかもしれない”・・・で、締めくくっています。

当方も同感です。というより令和は即止めて金輪際元号天皇家や皇室関係者だけが使用し、

一般の国民は西暦だけの使用にするべきが正論です。

 ”元号私物化”とはあの大馬鹿が勝手に暴走したことと理解しました。

 

 

 では、ニーチェと量子物理学にします。ニーチェは今日から”この人を見よ”になります。

これはニーチェの全作品の”あとがき”のようなものです。易しく読め勉強になりますから

恙なくお読みください!!!(つつがなく)

 

 

ニーチェ

 

 

 

この人を見よ

 

人はいかにして自分が本来あるところのものになるのか

 

 序言

一 私の予想では、近いうちに私は史上最大の難しい要求を人類に対して突きつけねばならなくなるだろう。私の言うことを聞け!私はかくかくの人間なのだから。私をほかの人と取り違えることだけはしてくれるな!と。

 

二 たとえば、私は断じて案山子などではなく、道徳―妖怪(おばけ)などではなし。―

私は哲人ディオニソスの弟子のひとりである。偶像「(理想)を言い表す私の用語」を倒すこと―これこそはもうずっと以前から私の手職なのだ。言うところの真の世界とはとりもなおさず虚偽の世界のことであり、仮の世界とは現実の世界のことなのだ・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

    第二十章  無限

 

 無限の感覚・・・初心者の最初の試練・・・耐え難い悲しみ・・・現実的なすべてのものの喪失・・・動物が人間になるときに何を経験するか・・・新しい論理学への移行・・・現象世界の観察に基づいた我々の論理学・・・本質世界を研究するのにその論理学は使えない・・・新しい論理学の必要性・・・論理学と数学における類似した公理・・・二つの数学・・・真の数量(無限で可変的)を扱う数学と架空の数量(有限で一定不変)を扱う数学・・・超無限数・・・無限を超えたところにある数学・・・異なった無限の可能性