PNC会員へ・・・          後醍院 広幸

会員のみなさま 953                後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年6月8日(土)、現在は朝の6時20分です。

 

 昨日、関東甲信、東海、北陸、東北南部の梅雨入りが発表されました。

例年と変わらない普通の入梅です。台風も今の所発生していません。2016年には

6月いっぱい台風ゼロということもありましたので6月8日現在で2個というのは普通

の事でしょうか。それでもこの時期は着るものに困りますね。木曜日は真夏日

翌金曜日はほゞ1日中雨降りで気温は下がっても結構湿度が高く蒸し暑かったです。

今朝は曇天で膚寒い1日の始まりです。数種類の服を用意しても迷うだけです。

 

 当方、平日の休日でもテレビはあまり見ませんが、それでもちらっとは所謂覗き見

程度で見ることはあります。昨日あたりはお笑い芸人の結婚の話題とか大麻関係

報道などで朝から晩まで終始します。もういいよと言ってチャンネルを変えてもどこも

まったく同じ報道だけしています。日本国土人は本当に土人になりますね!

お笑い芸人が仕留めた女優は10何年か前にイオンクレジットサービスの社員だった

ころ、会社のポスターで毎日見ていた女優でしたが、当方、その人の映画やドラマは

一度も見たことがありません。見たのは専らイオンクレジットのCMだけでしょうか!

この女優はさほどの美人女優ではないと思いますが、ちょっと調べたら偉い数のCM

に出ています。今までのCM出演料だけでも相当な貯金がありそうです!?!

どうでも良い事でした。ごめんなさい!

 

 競馬ですが、本日からはほゞ大レースが終了した後の出がらしのお茶の様なレース

ばかりが秋まで続きます。まったくやる気も食指も湧きませんが、ひつこく大穴狙いに

徹し、夢を見たく思います。本日は東京のレースで6鞍に挑戦です。スタート時点と同じ

10,000円からですので何とか10倍にする予定です。

 

 先の金融庁による「年金下がるから資産運用をしろ」、60歳で定年退職してその後

働かないならその時までに2000万の貯金がなければならない・・・、其の為には

自助努力して資産運用に精を出せ、もちろん自己責任で・・・というものですね。

70歳になっても当方のように大した蓄えが無い者は死ぬまで働け・・・と言っているに

等しいですね。当家では厚生年金+企業年金+当方の稼ぎ+女房の稼ぎで辛うじて

(人的リスク無しで)多からぬ貯金が出来る程度です。もし人的リスクが発生したら

もう死ぬまで働くことは確定します。やっぱりこの世に生まれて来るのじゃなかったので

しょうね!?!最近一番の人生での反省点は子供を2人生んだことでしょうか?

こんなひどい土人国家で行かされるのは生き地獄の様なものです。死んだ先がどのような

ものかが解らないから黙って生きているようなものです。解っていたらさっさとこの世から

おさらばするでしょう!生んでしまって本当に御免なさい・・・が、此のところ日々反省する

最大の案件です。

 

 それでは出廷とお昼です。6日、7日の2日間の報告です。

6日(木)は七夕が近づくと思い出す平塚簡裁です。ここのホームの出発チャイムは当然

”ささの葉さらさら・・・”の七夕の歌です。この日は真夏日到来の超暑い日でした。

入梅直前の破天荒な暑さ到来ですね。また、平塚駅から簡裁までは早足で15~16分

罹ります。もう往復とも汗びっしょ状態です。仕事自体は30分ほどかかり、ここまで来た

のだからチョイと小田原まで足を延ばし、駅の構内に在る駅弁売り場で”デラックス・

こゆるぎ弁当”を購入、上野東京ライン高崎行きの電車内で美味しくいただきました。

東海道線は遠方でも本数が多いので遠く感じることはまずありません。逆に次の日の

7日(金)に行った佐原あたりは1時間に一本程度しか電車が無く時間配分に気を

使わざるを得ない田舎です。佐原ですが、当家からはJR市川駅までバスで行き、

成田空港行きに乗り成田で銚子行の電車に乗り換えて、佐原駅には10時10分に着きます。

法廷は10時30分ですのでギリギリです。しかも駅から簡裁まで当方の早足で平塚と同じの

15~16分罹ります。千葉の田舎らしくこれよりひとつ前の電車は1時間前ぐらいに

到着しますので無理です。千葉の銚子線と東海道線の違いは雲泥の差がありますね。

 この時期の佐原は催し事が多く、この梅雨の季節は年間を通して一番忙しい時です。

現在は水郷・潮来中心の”あやめ祭り”の真っ最中で、この後には祇園祭、佐原の大祭

・・・と続きます。昨日は10時20分ごろ通った佐原のメインスポット(小野川の船巡りや

伊能忠敬記念館)でも観光客は皆無でした。平日の雨降りなので仕方ないか???と、

思いきや、法廷が終わりの11時ぐらいには結構な人が集まっていました。帰路の有名な

ウナギ屋”山田”あたりでは行列を作っていました。それにしても佐原簡裁は観光地の

ど真ん中にあることがいつ来ても不思議でなりません。また、当分来ないでしょうが、

次回来たときには”山田”に寄って見ようか?と、思いますが無理でしょうか?

 

 本日のお休みは普通なら墓参りへ行くのですが、現在、八柱霊園の当家の墓のある

あたりが工事中(アスファルトの道になる)なので、少しだけ覗いて、すし松→上新電機

→GS→トマト屋→ベルクス→ボス・・・と、回る予定です。明日は亡くなった元上司の奥様の

”別れの会”があるのでお昼に大森まで行ってきます。

 

 では、また明日ということで、ニーチェと量子物理学を行きます。

 

 

ニーチェ

 

 

 

二 「精神」というものがそもそもこの新陳代謝の一種にすぎないのだから。才気ある人々が住んでいる、あるいは住んでいた土地、機智と繊細と悪意とが幸福の要素をなしていたような土地、天才がほとんど必然的に居心地よく住み着いたような土地、そんな土地を数え上げてみるがよい。みんな空気がすばらしく乾燥している土地ばかりだ。パリ、プロヴァンス、フィレンテ、アテネ―これらの地名は何事かを証明している。すなわち、天才の存在は乾燥した空気を澄み切った空を―つまり急速な新陳代度に応じて謝を、莫大な、いな巨大なといえるほどの量の力を絶えず摂取する事のできる可能性を条件としているということである。

あのいまいましい「理想主義」―これこそ私の生涯における本当の災いなのだ。これこそ私の生涯における余計なものであり、愚鈍なものであり、そこからは良いものは何も出てこないし、誰もそれの賠償も補償もしてくれない。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 光の感覚と闇の感覚、喜びの感覚と恐怖の感覚にどう折り合いをつけたらよいのだろうか?それは同時に起こり得るのだろうか?

 それは確かに起こる。それは必然的である。神秘主義文学がその例である。光と闇の感覚、喜びと恐怖が同時に起こることは、人間生活の奇妙な二元性と矛盾を象徴している。それが起こりうるのは、一方の性質が「霊」に引きつけられ、他方の性質が「物質」(幻想、非実在)に深く沈み込んでいるような人間である。彼は非実在的なものの実在性を深く信じている。

 一般的に言って、新しい世界は光、生命、すべてに浸透する意識、喜びなどの感覚をもたらす。しかし、用意の出来ていない心にとっては、同じ世界が無限の闇と恐怖の感覚をもたらすことであろう。さらに、恐怖の感覚は現実的なものすべての喪失、この世界からの消滅から生まれるに違いない。

 新しい世界の恐怖を経験しないようにするためには、前もって新しい世界を、(愛と信を通じて)感情的に、または(理性によって)知的に知っておくことが必要である。

 そして、古い世界を喪失するという恐怖を味合わないためには、(信と理性によって)あらかじめ古い世界を自発的に放棄しておくべきである。

 我々の住む美しい世界のすべてを自発的に放棄し、それを幻、空想、非実在、惑わし、錯覚、マーヤであると認めることが必要である。人はこの非実在と折り合いをつけ、それを恐れるのではなく、その中で喜ばなければならない。人はすべてを剥ぎ取られなければならない。彼は「霊において貧しい」人となり、霊的な努力によって自らを貧しい者としなければならない。