PNC会員へ・・・           後醍院 廣幸

会員のみなさま 957
 
おはようございます。本日は2019年6月16日(日)、現在は朝の7時ジャストです。
 
 今朝は昨日と打って変わって青空の広がる好天です。昨日は台風並み予報の中、
”昼飲み会”を断行しましたが、思ったほどの大雨ではなく、流石にあっちこっちを見学
することは少なくして専ら飲みに徹しました。当方、大雨対策でスポーツウエアの上下で
参加しましたが、そこまでの必要はなかったかもしれませんでした。11時に御徒町
アメ横入り口近くの改札口で集合して、即、もつ焼きの”大統領”へ向かいました。アメ横
このあたりは昔と違い、ほぼ浅草のホッピー通りと似た様相になっています。”大統領”の
ガード下の本店ではなく数年前に出来た支店に直行です。ここに入ったのは初めてでした
が、3階全部が飲み場で、当方らが飲み始めて少ししたら3階全部が満員となっていました。
ここは儲かっていますね。浅草以上です。ここの後は不忍池沿いにある下町風俗資料館
で時間をつぶし、2番目の店に直行です。予定していたビアホールのライオンはいっぱいで
入れなかったので、そのそばの居酒屋で軽飲みです。その後は予定していた東上野の
”鳥清”に向かいました。残念なことに5時ちょうどに着いたら暖簾がかかっていません。
何か変です。店の店員さんに聞いたら、理由は解らないですが今日は休みですと言われました。
店主に何かあったようです!?!諦めて近場で焼き鳥屋を探したら良い店がありました。
ここはお通しの大根おろしが食べ放題、鳥スープも飲み放題・・・と、意外と良い店で大満足
でした。というわけで此の店には少し長居をして解散したのは8時過ぎぐらいになりました。
ここまで飲み会の報告でしたが、これだけ飲んでも(飲みは6時間超)大してというか
殆んど酔わなかった原因が判明しました。やはりアルコール度の強い酒(焼酎ロックとか)や
日本酒のがぶ飲みとかを控えれば昼飲みには勝てることがやっと分りました。次回からも
飲むものは生ビール・ホッピー・ハイボールあたり限定で行くことにします。
 というわけで帰りは京成線の始発・上野駅から矢切駅に向かい、寝ることも無く、東西線
不思議もなく無事帰宅できました。次回の予定は分りませんが雨の降りの少ない季節に
したいですね!
 
 それでは今週の出廷とお昼に行きます。月曜日は出廷が無く、一番嫌な一日中会社勤務
でした。火曜日は地元の市川簡裁です。仕事自体は5分ぐらいで終わり、市川駅まで戻り
何時もの坂内のラーメンにしました。水曜日は休んで、木曜日は少し遠方の立川でした。
この立川だけではなく最近の都心近くの簡裁の訴訟案件は圧倒的に交通事故の争いばかり
になりつつあります。当方らの債務関係の訴訟はあってもあまり時間を要しない案件が多く、
法廷で専ら時間を取っているのは交通事故案件ばかりです。この立川では2件の案件の
時間が長すぎ(これは裁判官の技量も関係ある)、当方の10時半の法廷が終了したのは
11時20分ぐらいでした。この日は帰路の東京駅で大船軒の”鳥めし”を購入、帰社して
美味しくいただきました。最後の金曜日ですが、この日はさいたま簡裁で遅い11時の法廷
でした。朝の出発は9時15分を予定していました。ところがそこに入ったニュースでは
北総線秋山駅(矢切から2つ目)で人身事故発生とのことです。少し出発時間を早めて
9時に家を出ましたが、変則ダイヤでも普通に(逆に早くなって)浦和駅に到着できましたので
何の問題もありませんでした。最近はこの人身事故と法廷の交通案件訴訟の二つが当方らの
仕事の妨げ要因であることが確定しました。次週ですが、法廷が一日しかないので月曜日と木曜日
を休みにして、水曜日の松戸簡裁だけとなります。つまらないですね!?!仕方ないので
松戸簡裁の仕事の後は昨日報告した”弥生軒”に行く予定です!
 
 競馬ですが、2日間で156頭の出走が取り消しになるという前代未聞の出来事発生で
今日もつまらないレースばかりとなりそうです。当方の昨日の成績も最低で本命サイドで
400円ぐらいのレースだけしか取れなくて、6000円→3600円→4000円となりました。
本日は新聞もないし止めることにしました。来週の日曜日は阪神宝塚記念がありますが、
ひょっとしたら中山競馬場に行くかもしれません。ここで取っておかないと、秋まではお休みに
なるので超つまらない夏となってしまいますので。
 
 本日は9時出発で所沢聖地霊園に行きます。一応法事なのでスーツぐらいで行こうと思って
いましたが、暑くなりそうなので軽装に切り替えました。お坊さんが来るでもなく、ただ当方の
カセット併走読みのお経”仏説阿弥陀経”約15分間だけになりますのでご勘弁願います。
 
 
 では、量子物理学をお願いします。
 
 
量子物理学
 
 
 
 『ターシャム・オルガヌム』に含まれる公理は我々の言語では定式化できない。しかし敢えてそれを定式化しようとすれば、不条理な印象を与える。アリストテレスの公理の形式を借りて表現すると、新しい論理学の根本的な公理は貧しい地上の言語では次のように見えるかもしれない。
 
 「AはAであると同時に非Aである。」
 
あるいは
 
 「すべてのものはAであると同時に非Aである。」
 
または
 
 「すべてのものはすべてである
 
 
 
 
 しかし実際にはこのような命題はまったくあり得ない。これは高次の論理学ではなく、概念によって高次の論理を表現しようとする試みに過ぎない。現実には高次の論理学の観念は概念で表現することはできない。この表現不可能性に突き当たるとき、それは我々が原因の世界と接触していることを意味する。
 「AはAであると同時に非Aである」という論理学的定式は、「ある量はそれ自体よりも大きくも小さくもありうる」という数学的定式に相当する。
この両方の命題の不条理性は、それが我々の世界に関わることができないことを示している。もちろん、不条理性はそれ自体が本質(ヌーメナ)に属することを示す証拠ではない。しかし本質に属する事実は不条理な形で表現されざるを得ない。原因の世界の中に我々から見て論理的なものを探そうとするのは、実体の世界が影の世界の法則に従って動くと考えたり、立体(三次元)が平面(二次元)の法則に従って動くと考えるのと同じくらい無益なことである。