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会員のみなさま 968                       後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年7月13日(土)、現在は朝の6時です。

 

 今朝は珍しく雨が降らない日なのか若干の花曇りというところです。

それでも明日の日曜日は大雨マークが朝から夜までびっしりついています。

20日までずっと雨マーク付きとなっています。明けない梅雨は無いのでしょうが、

これ以上は勘弁願いたいものです。

 本日はこのPNCを書いたら昨日に引き続き病院行きです。本日の病院は

近所の国際医療福祉大学市川病院で痛風の薬をもらうだけなのですぐ終わる

(採血は無いので)はずです。昨日の市川東病院付属の健診専門クリニックは

酷かったです。9時過ぎぐらいにクリニックに到着、手続きを済ませ、即検査に

入ったまではよかったのですが、最後の医師による問診が最悪でした。

ひとりひとりの時間の長い事、問診まではすんなり終了した健診はここに来て

最悪状態です。結局、10時半まで罹ってしまいました。当方の前の人の平均の

問診時間は10分、当方は急かして2分ぐらいで終わらせました。医者の問診

ほど無駄なものはないでしょう。こんなくらいで重篤な病が発見されるわけがある

わけないでしょう!!!当方、会社勤め人を辞めたら死ぬまで健康診断には

絶対罹らないと決定しました。

 

 当方の余命は後何年間あるのか?は分りようがありませんが、昔活躍した人とか

大金持ちとかの人が80歳台で普通に亡くなっています。

 7月8日には89歳で竹村健一が亡くなりました。手帳一冊だけで仕事をする評論家

として有名でしたね。晩年のテレビ出演ではやや付きのボケが進行し始めていたように

記憶しています。死ぬ前の数10年はどのような境涯だったのかいつも不思議に思う

のですが、誰も教えてくれません。ただ亡くなったわけではないと思うのですが!?!

そして、翌7月9日には何かと話題のジャニー喜多川が87歳で逝きました。

超大金持ちの死は当方ら全く縁のない者でもその遺産の行方が気がかりとなります。

どうも大金持ちとかいい男で金もあり女にモテて当たり前の人に限って結婚してなかったり

するものです。直系親族が居ないわけで、その多額の遺産の行方が心配になります。

当方らにとって何の関係もありませんが、超気がかりです。

 

 昨日は健診の後、市川駅まで戻り、新装なった駅構内の”シャポー”を覗くつもり

だったのですが、長時間大馬鹿問診のせいで諦め、坂内の喜多方ラーメンだけ食して

帰宅しました。今日は病院後に買い物に行き、昼は家で7割更科蕎麦にします。

 

 参院選挙が後1週間と近づいて来ました。当方の投票ですが、比例では当然、

”令和新選組”、選挙区では立憲民主党長浜博行にしようかと思ったのですが、

入りそうなので共産党の浅野史子にしました。何とか自民の二人の候補のどちらかを

落したいものです。

 

 9日の火曜日ですが、法廷からの帰社後、PC作業をしていたら行の右半分ぐらいが

消えてしましました。後醍院 廣幸 としたら、後の廣幸が見えないのです。この状態は

約20分位続きました。顔(目)を洗って目薬をつけたら治りました。それでも不安なので

翌日のお昼前に眼医者に行きました。やや精密に検査をしてもらった結果、大事に至る

ものではなく、単なる疲れ目であろうとのことでした。視力が弱っているのは仕方ないで

しょうか?心配だった緑内障などはすぐ回復したので問題ないとのことでした。去年の暮れに

戴いた目薬がちょうど切れるところだったのでちょうど良い眼医者通いとなりました。

心配なのは、視神経に繋がる頸動脈あたりの損傷だそうですが、それは今回は大丈夫

だったようです。何しろ、目が見えなくなったら、当方にとっては読書も物書きも出来なくなる

ことで、お酒のみと同列の超最悪の大事件となります。当方、目が見得なくなってお酒も

ストップになったら自死を選ぶしかなくなるでしょう!?!

 

 今日はここまでです。また明日と明後日があります。この両日は予定がないので少し

気を入れて書きます。それではニーチェと量子物理学は行きましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

 

八 栄養の選択、土地と風土との選択、休養の選択において――指導的役割を果たしているのは一種の自己保存の本能である。ところでこの自己保存の本能がまごうかたなく最もはっきりと表れるのは自己防衛本能としてである。多くを見ない、多くを聞かない、多くを身に寄せ付けない――これが第一の狡知であり、自分が決して偶然であるのではなく、一個の必然なのだということの第一の証拠である。

 学者――これは一個のデガダンである。――天分もあり、豊かで自由な素質のある人物が、すでに30代で「読書呆け」になり、かろうじて、火花を――「思想」を発出させるためには誰かにこすってもらわねばならないマッチのごとくになってしまっているのを私はこの目で見て知っている 。――朝早く、夜が明けるころ、物みなみずみずしく、東雲の空のように体内の力がだんだんと赤く熱を帯びてくる。そんな時、こともあろうに、書物など読むとは、――そんなものを私は罰当たりと呼ぶ!―― ――

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 ⑧その世界では我々の世界におけるような二元性は存在しない。「存在」は「非・存在」に対立するものではなく、「生命」は「死」に対立するものではない。その反対に、一方は他方を含んでいる。統一と多様性、運動と静止、一体性と分割性、善と悪、真と偽といったような区分はそこでは不可能である。主観的なすべてのものは客観的であり、すべて客観的なものは主観的である。そこは対立物が統一される世界である。

 

 ⑨その世界の実在性(リアリティ)を感じることは、この世界の非実在性を感じることでもある。そこでは主観と客観の違いが存在しないように、実在と非実在の違いも存在し得ない。