PNC会員へ・・・

会員のみなさま 992                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年9月7日(土)、現在は朝の6時45分です。

 

 今朝も暑い猛残暑とでも言いたくなるような夜明けです。夜中の3時ごろ左ふくらはぎが

こむら返りとなり、(痛みは10分ぐらい)、何やら台風の影響かやけに蒸し暑く、結果として

不眠に陥り、そのまま朝まで寝られませんでした。台風13号と15号の影響かやたら暑い

週末です。当方、この週末は次の月曜日が休みの3連休、次の週末の14日から17日までは

4連休となっています。そして、その翌週も3連休と・・・連続弾休暇が3週連続します。

おかげでこの9月は未だ7日なのに残った実働日は後12日だけとなり、この夏の疲れを癒す

には持って来いの9月となりそうです。

 台風15号ですが、この夏初の関東地区上陸となりそうな気配です。9日の月曜日の出勤時間帯

あたりが一番きついか?・・・との報でしたが、今度の台風は速度が速く、少し前倒ししそうです。

当方は9日(月)はズル休みにしていますので、どちらでも構いませんが、出勤時間帯の直撃だけは

きついですね。本日からの4日間は最高気温が33℃ぐらいが連続して、これが本当の今夏最後の

猛暑攻撃となりそうです。

 

 5日の水曜日は当方休みで午前中はけっこう忙しく動き回っていました。京急の事故が起きた

11時40分ごろはau東松戸店に居ました。スマホやテレビでは緊急速報を流していました。

電車の事故で一番きついのは(回復に時間を要する)このような衝突事故で次が信号機等の

故障事故、そして人身事故…と続きます。今回の京急脱線事故では本日の昼ごろが開通予想

ですので丸々2日間かかったことになります。当方は職業柄このような電車事故に遭遇する確率は

結構高いはずです。それでも衝突脱線事故には生涯に一度もありません。乗っている電車に

飛び込まれた経験は1回ありますが、後は軽いものばかりでした。今回の京急の事故に遭遇した

電車は青砥発三崎行の快特でした。当方、仕事でもう10回ぐらいは行っている横須賀ですが、

ここに行くには今回の事故現場に近い神奈川新町駅(子安と仲木戸の間の駅)は横浜がすぐ近く

です。当方がよく行く横須賀は京急横須賀中央という駅名です。ここは金沢八景の先で三崎はもう

すぐの所です。当方、ここに行くには矢切で北総に乗り、そのまま京成・メトロと乗り継ぎ、品川駅か

京急蒲田駅で特快の三崎行に乗り換えます。遠いですね。

 それにしても今回の京急衝突脱線事故は不可解な部分が3つはあります。一つは亡くなった

トラックの運転手が何故あのような狭い道を選択して、しかも千葉へ帰るには反対方向に向かって

走っていたか?もう一つはトラックの運転手の要請で京急の社員(駅員か?)二人がトラックの誘導

等を行っていたこと。そして最後に衝突された京急特快の運転手は決められた通りの場所で急ブレーキ

を架けたのだろうか?…という3点です。これらは今後、次第に明らかになって行くことでしょうが、

不安なのはトラックの運転手が所属する会社は普通の個人経営の会社だが電車は大手私鉄電鉄

なので、真実は軽々と闇に葬られる可能性が大であることでしょうか!?!

 当方、今月の京急利用は川崎簡裁出廷が2回あり、京急川崎駅経由なので最低2回は乗ることに

なります。最近、当方がよく利用する電車(JR・私鉄を問わず)で不安いっぱいなのは武蔵野線

京葉線常磐線スカイツリー線、そし今度の京急…という事になります。

 

 今週は一昨日の5日が休みで出廷とお昼は書きましたが、昨日は一番近場の松戸簡裁だったので

当然ですが、我孫子駅の”弥生軒”で竹輪天唐揚げの天抜きとなりました。来週は松戸出廷が2回

用意されていますが、一度は弥生軒にして後は松戸駅近くのカレー専門店でも行こうかと思案中です。

 台風が接近中という理由からか?我がPC室から見る空の入道雲は完全に真夏模様です。

今日もこれから暑くなりそうですね。やや寝不足の状態では外出はなるべく控え、少し昼寝でも

しようかと思っています。

 

 9月は今日を入れて12日の休みがあるので、PNCも12回は書くことになる予定です。

という事は書くネタは少しばらすという事でもあります。今日書く予定だったものも明日に先送り

されます。

 

 本日から競馬は秋競馬の第一弾として中山競馬場に舞台を移します。約4か月間は使って

無かった馬場は当然、速いタイムが出ることでしょう。快速馬でなければこなせないという事です。

先週末は軽く買って軽く負けました。本日も軽くスタートする予定です。3鞍だけにする予定です。

 

 

 それではニーチェと量子物理学は行きます。

 

 

 

ニーチェ

 

 

善悪の彼岸

 

  未来の哲学なるものの序曲

 

二 この本(1889年)はすべての本質的な点において近代性の批判である。近代科学、近代芸術、いや近代政治さえも除外されていない。と同時にこの本は、可能な限り最も近代的ならざる一つの反対典型、高貴な、然りを言う典型を示唆しようとするものである。この後者の意味においてはこの本は一つの貴公子の学校である。ただし、この貴公子という概念を史上最高に精神的かつ根本的に解していただきたい。

 

 

量子物理学

 

 

 

 

通常の思考における(変容という意味での)進化という考えは、秘境思想における進化の考えとは次の点で異なる。秘境思想は、科学思想がその可能性を認めないところに変容や進化の可能性を認める。つまり秘境思想は、「進化」という言葉の最高の意味として、人間が「超人」に変容する可能性を認めるのである。

 この意味とは別に、「進化」という言葉は、種族を損ない、種を退化させる過程に対立するもの、種族の改善や種の保存に有利な過程を示すものとして用いることができる。

 

 秘境という考えそのものに戻ると、例えばエジプトやギリシャのような多くの古代の国々では、独断的で儀式的な宗教と、神秘的な宗教が併存しているということを理解しなければならない。

 「秘境」については比較的わずかなことしか知られていない。古代共同体の生活におけるその役割、古代文明の創造にそれが果たした役割は比較的知られていない。しかし、多くの歴史的な謎、とりわけおそらく史上最大の謎―7世紀のギリシャ文化の突然の勃興とそれに続く八,九世紀の完全な暗黒時代―を説明することができるのは、まさに「秘儀」の存在なのである。