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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 997 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年9月16日(月)、現在は朝の7時です。
一般的な勤め人の方は本日は敬老の日の振り替え休日のはずです。
それでも朝から本降りに近い雨が降り続いて、今日いっぱいはこの状態が継続
しそうです。当家では一昨日の午前中にお彼岸の墓参りは済ませましたが、
昨日も隣の娘の要請で二人の孫を連れて連日の墓参りに行って来ました。
午後という事もあり一昨日とは正反対に暑い炎天下での墓参りでした。
今年の秋のお彼岸は今日と次週の21日から23日の彼岸本番週末が雨予報
となっています。今回に限っては当家の独り勝ちのような結果になりそうです。
房総地区の停電の復興はまだまだのようです。限界説まで出始めています。
そんな状況で本日は大雨予想が出ています。台風16号も発生していますが、
こちらは千葉県あたりに影響はなさそうですので一安心ですが。
昨日の相撲は日曜日なので解説が北の富士だったので普段は見ない・見れない
取り組みを観ていました。横綱の鶴竜が休場で横綱不在となり、優勝に一番近い
はずの豪栄道が情けなく3敗目を喫しました。という事は今場所の優勝力士は
平幕(前頭)からの可能性も出てきました。貴景勝か遠藤あたりのこの後の頑張り
に期待します。
ここのところ、書くこと・書きたいことの他に横やりが多く入って書けなかった記事の
紹介を少し行っておきます。
最初に重大な大問題です。絶対的な大馬鹿政権に責任のある我らが老後の生命線で
ある年金に関して報告しておきます。この記事の題は”厚労省・指摘無視で10兆円超の
GPIF『損失リスク』を”隠蔽”・・・です。厚労省によると楽観的なケースでも30年後に
給付額が2割減少することが分り国民の不安は募るばかり・・・としています。
昨年10月から12月期に14兆円の損失を出し問題となった。検査院はGPIFは収益が減少する
リスクについて国民に対して丁寧に説明を行っていく必要がある。・・・としていますが、厚労省は
これを完全に無視しています。国民の年金を”株ギャンブル”につぎ込んだこと自体が重要な
過ちであることは間違いがなしです。年金を株ギャンブルにつぎ込む国は日本土人国だけです。
外国人(英米)の利益確定のため高値で買い取り、下がって来ると評価損が多くでるのでそこで
またぞろ年金を使って買い支える…という、株の世界では絶対にやってはいけない手法を取って
います。本当に早くこの土人国から逃げ出したいものです。
当方、昨日から今日にかけての排便と睡眠には大満足に超がつくほどの結果が出ました。
昨日は此の2~3に日若干出の悪かった便ですが、一日に都合5回トイレに行き、その中で
2回は大量排出でした。睡眠ですが、こちらも久々の正味で8時間熟睡を達成、これは当方に
とっても珍しい現象でした。夜の8時に就寝→起床は朝の6時ですが途中起きていたのは2時間ぐらい
なので正味で8時間ぐっすりと相成りました。毎日これだと今までの負債が返済できるのですが、
まず困難です。ただ今回は4連休なのであまり物事を考えないでこの残った2日間を何もせずに
過ごすことにします。
前置きはこのぐらいにして本題に移ります。 ”軽視できない睡眠不足 睡眠6時間以下で死亡リスク
2.5倍 睡眠不足は寿命を縮める” です。
OECDによると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、加盟28か国中でも最短レベルである。
とりわけ40~50代は短く、平均7時間を割っている。
『睡眠が充分に取れていないと、免疫力が低下して身体を壊しやすくなったり、肥満を招いたり、
高血圧や糖尿病の原因になることがある。
『睡眠は長くても短くても死亡リスクが上がる。睡眠時間が6時間半から7時間半が最も死亡リスク
が低かったという研究もある。
◎『朝食を抜く』 『座り過ぎ』 は死亡リスクが上昇
朝食抜きによって心筋梗塞や脳卒中といった心血管疾患による死亡リスクが87%高くなること
が解っている。
朝食を食べないと、なぜ死亡リスクが上がるのかは・・・メタボリック症候群になりやすいからだと
説明されています。 注・当方はこの意見は賛成しません。食べない効果もあるからです。
◎『座り過ぎ』も注意が必要です。1日に座っている時間が4時間未満の人に比べ、11時間以上
座っている人の死亡率は40%も高かったというシドニー大学の研究が衝撃を呼んだ。
『運動不足』ではなく、あくまで『座り過ぎ』が原因。座る仕事が中心の人は30分に1回は立ち上がり、
コピーを取ったりトイレに行ったりして、座り続けず体を動かすことです。
特に日本の高齢女性は座り過ぎで『サルコペニア』という筋肉がどんどん減少する状態になりやすい
という。筋肉量は健康寿命にも影響するため、注意をしましょう。
ということで、今日はここまでです。
少しご無沙汰したニーチェと量子物理学は頑張って勉強しましょう!
ニーチェ
三 まことに全歴史はいわゆる「道徳的世界秩序」という命題の実験的反駁である―― というだけのことではない。もっと大切なことは、ツァラトゥストラがかつてのどんな思想家よりも誠実であるということだ。彼の教説は、そして彼の教説だけが誠実性を最高の徳として掲げている―― 誠実、すなわち現実に直面しては逃避してしまう「理想主義者」の怯儒の反対。
四 結局、インモラリストという私の語が含んでいるのは二つの否定である。まず、第一に私はこれまで人間の最高の型と思われてきたもの、すなわち善人、善意の人、善行の人という型を否定する。第二に私はこれまで道徳の全体を意味すると思われて支配的な
勢力を占めるに至っていたけれどじつは道徳の一種にしかすぎないもの――すなわちデカダンスの道徳というもの、手っ取り早く言えばキリスト教的道徳というものを否定する。
ツァラトゥストラは楽天家というものが厭世家よりももっと有害だということを把握した最初の人であるが、そのツァラトゥストラはこう言っている。善人どもは、決して真理を語らない。偽りの岸辺と安全とをお前たちに教えたのは善人どもであった。善人どもの嘘の中でお前たちは生まれ、かこわれていたのだ。すべてが善人どもの嘘の中でお前たちは生まれ、かこわれていたのだ。。
すべてが善人どもによって底の底まで偽られ、ゆがめられている、と。
量子物理学
人類の精神生活における四つの道の意義を定義するには、まずそれが二つのカテゴリーに入ることを知らなければならない。哲学と科学は知的な道である。
宗教、哲学、科学、芸術がどれも等しく真理探究のための不完全な道だと言えば、多くの人々が憤慨し、異議を唱えるに違いない。
宗教的な人間にとっては、その考え方は宗教に対する不敬に思われる。科学的な人間にとっては、それは科学を侮辱するものである。芸術家を馬鹿にしているように思われ、哲学者にとっては、哲学への理解を欠いたナイーブな考えに思われるだろう。
現在「四つの道」の区分の基礎になっているものを定義してみよう。
宗教は啓示の上に築かれている。
啓示とは高次の意識(力)から与えられた何物かである。啓示という考え方なしには、宗教は存在しない。宗教を単純化し、合理化しようとするあらゆる企ては同様に否定的な結果を生む。不幸にも、我々が教会で見出すことのできる宗教はすべて「疑似宗教」でしかない。
哲学は、推論、論理、思考、我々が知っているものの統合と、我々が知らないものの分析の上に成り立っている。哲学はその領域の中に宗教、科学、芸術を含むものでなければならない。
現在我々が哲学と名づけているものは哲学ではなく、単なる「批評」であり、個人的見解の表明でしかなく、その目的は他の個人的見解を転覆し破壊することである。