PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1030                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年12月1日(日)、現在は昼少し前の11時15分です。
 
 本日は遅めの書き出しです。少し寝坊したのと、朝方に買い物へ行ったことでこの時間と
なっています。起きた頃はやや曇っていましたが、現在は晴天に近い状態です。
 昨日は”土曜昼飲み会”が行なわれ無事終了となりました。フルメンバーだと7人なのですが、
昨日は2人が欠席、5人での催しとなりました。
 詳しくは後述します。
 
 本日は12月1日です。本年も後一月というところまでたどり着きました。この24日には当方は
満71歳となります。老人色が色濃く出てきそうです。同年輩の人を別にすると、元部下とか後輩、
息子・娘とその配偶者、当方が年を取ったのと時を同じくして年を取り、もう30代後半以上に
なっています。ついこの間、30歳ぐらいのバリバリで働いてもらっていた部下たちももう還暦の
60歳を過ぎ始めています。自分や先輩の年齢よりこれらの後輩たちの年齢を確かめると愕然と
します。後輩がもう60歳の定年を迎えます。先ほど、勢古浩爾 著になる『続 定年バカ』という新書を
アマゾンに注文しました。この書の趣旨は定年後はどのように生きるか?だと思います。
結論から言うと”一日一日を普通に生きる/定年後は自分の好きにすればよい・・・”です。
一日一日を生きて、いつの間にか十年が経つ。その時はじめて『定年後』になるのだそうです。
 当方は普通の人とは違い、やや変則的に定年後を廃棄しました。本当なら昨年の12月末
あたりで定年だった(正社員→契約社員→アルバイト社員、そして現在の派遣社員)はずの人生が
長々と働く羽目に相成っています。何時定年するの?・・・と、言われても当方にも分りません。
結局、仕事上でのミスが続出したり、ややボケ症状が出たり、身体不良(怪我とか)にならない限りは
永久的(と、思われる)に働くことになりそうです。
 
 話はガラッと変わり昨日の競馬ですが、中山のメインR は取れませんでした。 軸馬の横山典
騎乗の馬は8着でした。この横山と内田の人気騎手は買わないと来るというたちの悪い2人です。
現在、内田は騎乗停止?あたりでしょうか、全く乗っていません。(今ネットで調べたら、やはり、
騎乗停止(今日までの4日間)になっていました。来週からは出るでしょうがここから買えるか?
…不安です。本日は中山の9Rを2-13の一点買い、中京のメイン11Rを11から5と8に特券
で2点買いです。収支は11400円→9500円→7000円となっています。
 
 それでは、昨日の飲み会の報告です。
 
 
 『京成電鉄 夜の不思議』
 
 昨11月30日の午前11時集合の京成柴又駅には当方、10時40分に到着(一つ前の電車に
乗れたので)しました。当然、ここでは一人の待ちとなります。二人が欠席で、一人が病院経由なので、
この柴又集合は男女二人づつの4人です。帝釈天方向の信号を渡ると、もう寺の参道となります。
馴染みの”高木屋老舗”(トラさん映画のモデルとなったお団子屋)やうなぎの”川千家”の前を
素通りし、帝釈天を少し覗いて、”川甚方向へ向かいます。そこも素通りして、江戸川の土手を越え
矢切の渡し場に到着です。先の大型台風の影響で矢切側の船着場が壊滅しているので舟で到着は
出来なく、ぐるっと江戸川を多めに廻って(サービス的)終了となりますが、お客さんは我々も含め、
結構満足げに乗っています。再開は来年の3月ごろのようです。前回か前々回(数十年前)には
50円とか100円だったと記憶している舟賃は400円でした。まあ観光だから仕方ないでしょうか?
 そして帰路は同じ道を柴又駅に向かいます。この時点で1時近くなっていたはずです。柴又駅に近い
定食屋(夜は居酒屋)の”さくら”という店で一杯飲り、遅れてきた男性一人と連れだって京成線の
高砂まで向かいました。メインの店は青砥駅で4時ごろ入店予定だったので、まだまだ時間は多く
あります。結局高砂駅近くの”王将”で結構飲んで青砥に向かいましたが、計算上ではこの王将に
は2時間ぐらい居たことになります。その高砂駅から東京方面に向かって一つ目の駅が青砥です。
この青砥には当方、もう46年ほど前の就職したばかりの頃にアパートを借りて1人住まいをしていた
事もある駅です。駅から歩いて2分ぐらいの所に本日のメイン酒場である”小江戸”はあります。
この店はお隣の有名店である”江戸っ子”立石店で5年ほど修行をして新たに店をオープンさせた
店です。出てくる飲み物や料理(ホルモン中心)はほゞ江戸っ子と同じです。この店は2階ですが、
4時の時点で客席はほぼ満員状態でした。何とか5人は入れました。ラッキーカムカムです。
 
さて、美味しい好物のもつ焼きをたらふく食べて飲んでからが怪の始まりです。
 
この店の飲み終わりの時間はまったく記憶がありません。数年前には2度ほど出くわした
東西線の不思議同様、京成線でも不思議に遭遇しました。京成線の千葉方面行に乗って、
気が付くとそこは八千代台という駅でした。ここからが問題です。当方、どうやって帰宅できたか
まったく記憶が飛んでいます。覚えているのは船橋駅ぐらいでしょうか!?!帰宅時の電車は
普通は京成高砂まで戻り、そこで北総線に乗り換えて矢切駅に向かいます。それがどうも
京成国府台駅で降りてバスで帰宅したようなのです。帰宅時間は9時あたりだそうです。
青砥に何時ごろまで居たか???ですので、帰宅時間の京成線の夜の不思議は確かめ
られません。この千葉方面は東西線と言い京成線と言い、不思議が多く起こる所です。
おそらく、時空のゆがみか何かがあり、不思議スポットへ移行したとしか思えません。
きっと、4次元の世界を神が体験させてくれたのではないでしょうか!?!
 
 
では、お口直しに量子物理学です。これも怪だらけですが勉強しましょう!
 
 
量子物理学
 
 
 
 
隠された知識という考え方と並んで、人類の思想史には「超人」という考え方が一貫して流れている。
 超人という観念は世界そのものと同じくらい古い。何百世紀もの歴史を通じて、人類は超人という観念と共に生きてきた。あらゆる古代民族の言い伝えや伝説は超人のイメージで満ちている。
 すべての時代や民族の民衆の智慧は、人間は自分の力では、いわば人生を調整できないことを常に理解していた。民間信仰は、決して人間を創造の頂とはみなしていない。それは常に人間の位置を理解し、人間と同じようではあるが、普通の人間よりもはるかに高く、強く、複雑で、「奇跡的な」存在がいるに違いないと考えてきた。 
 超人のアイデアはいくつかのカテゴリーに分けられる。
 第一に、超人を過去の黄金時代と結びつける考え方である。
 しかし過去の夢は人間を満足させない。彼は未来を夢見始め、再び超人がやって来る時代を夢見る。ここから新たな超人の概念が生まれる。
 ほとんどすべての宗教は超人の到来、預言者、メシアの到来を予言している。仏教では神の観念は超人の観念に完全に置き換えられている。というのは、仏陀は神ではなく、超人にすぎないからである。
 現代西洋思想は超人という観念を扱いあぐねている。進化という概念についての現代における理解の欠陥については前の章で指摘した。
すべてのモノは必然的に上昇するという考えこそ、最も空想的な進化の概念である。