PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1038                  後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年12月26日(木)、現在は朝の7時20分です。
 
 今朝は曇天の夜明けですが今にも雨が降り出しそうな憂鬱な雰囲気の朝です。
当方、昨日で本年の就業が終了し、本日から年末年始の12連休が始まりました。
昨年の今頃は仕事が終わり12日どころか永久休暇が開始されたはずの年末でした。
実際、1月・2月の2ヶ月間は全休でした。それでも何を間違えたか3月から同じ会社、
同じ仕事に就業し現在の12月まで続いています。普通にこのまま来年いっぱいも
恐らく就業することでしょう(?)
 昨年の今頃は70歳アニバーサリーを迎え本格的老人スタート、仕事も終了し、今後
他の仕事を見つけ働くかどうか(?)迷いに迷っていた日々でした。それが何と同じ会社
からの要請で新たに派遣社員として今までとまったく同じ仕事が再開されました。
 当方、70歳代での派遣社員ですので、所謂派遣切りに遭っても何の文句もありませんが、
働き盛りの30歳代・40歳代の派遣切りはきついというか違法ではないかと(?)思わざるを
得ません。数日前にテレ朝の《報ステ》で大量の派遣切りが行なわれました。何か不自然な
社業ですね。何らかの見えざる手が入った感じです!大体、派遣社員という業があること自体
当方的には不思議な現象です。こんな業態があっていいわけありません。70歳代とは違い
働き盛りの30・40歳代はそれこそ生き死にの問題となります。最低でも1年間の就業手当
支給とかがあるのですか?恐らく何も無いのでしょうね!?!こんな企業が勝手に社員を
簡単に解雇できるなど…トンでも所業です。全て、小泉・竹中極悪コンビ以降の所業です。
 
 少し相前後しますが、とうとう本年最後の台風が発生してしまいました。29号です。
多いししぶといですね。この台風は日本には接近しませんが影響は与えるそうです。
雨が降ったり寒くなったりで困ったものです。本日は雨模様なので墓参りは止めて、市川駅
界隈の銀行と坂内ぐらい午前中に回って来る予定です。午後は温泉でマッサージでもと、
思案中です。
 
 さて、競馬です。22日朝のPNCで書きましたが、結果から言うとまあ大当たりでした。
この日は有馬記念一本に絞って買いましたが、軸馬に選んだ10番・サトゥルナーリアは
何とか2着に入ってくれ、紐に選んだ6番・リスグラシューが圧倒的な強さで快勝しました。
 馬連は6番―10番で2,990円の配当でした。当方はこれを500円買いましたので、
14,950円ゲット、収支は4,200円→19,200円となりました。明後日の28日(土)に
行なわれる変則競馬で本馬場中山競馬場)に行こうかどうか迷っています。行かなくても
ネット注文で大き目の勝負に行きたいとは思っています!?!
 それにしても日本国土人はダメですね。今回の有馬も1・2着は外国人騎手です。
3着にようやっと武豊が入ったくらいです。有馬で頭に来た強すぎる馬(リスグラシュー)は
香港競馬とかで活躍する所謂”日本土人国馬”ではないのでしょう!?!
 
 では、簡単に出廷とお昼に行っておきます。
今週の最終週法廷は何故か遠めの所ばかりでした。月曜日は此のところ何度か行くことが
増えた水戸簡裁でした。水戸駅10時到着で即、ニュ-デイズに向かい、”とりあい弁当”を
ゲット、もうこれ一個しか残っていませんでしたので超危ない綱渡り的駅弁購入でした。
水戸簡裁の仕事は超早く終了、11時発上野行きの電車で帰宅、帰路に矢切駅の”笑顔の湯”
へ寄り、帰宅しました。火曜日は川崎簡裁です。ここには10時半の法廷に10時に着いたら、
早目に法廷を開催、即終了しました。この日は帰路の東京駅”きらく”で竹輪天玉蕎麦にしました。
ここの蕎麦の汁の温度は低めで”小諸”同様にイマイチ状態でした。暑過ぎるのも良くないですが
温過ぎはもっとよくありません。残念な日でした。そして本年の終業最終日の昨日は立川簡裁
だったので東京駅サウスコート内にある”築地喜代村の深川弁当”1200円を購入、帰社して
会社の休憩室で美味しく戴きました。量が多いので3分の一は残し、家へのオミヤとしました。
 
 本日から取りあえずの12連続弾を予定していますが、明日朝の8時20分出発で
早稲田の穴八幡へ行くので時間が足りない可能性があります。それでも12弾を成功させたいので
軽く書くことにします。その分は土曜日以降にj充実させます。
 
 ということで、12連続弾最初のPNCは量子物理学で締めくくります。勉強しましょう!!!
 
 
量子物理学
 
 
 
 
 
 
 
超人の心理を我々が理解できないのは、超人の普段の心的状態は、我々がその言葉のあらゆる意味において《恍惚》(エクスタシー)と呼ぶ状態であることが分からないためである。
 恍惚の体験を平易な言葉で描写することは克服しがたい困難をもたらす。詩、音楽、絵画、建築のような芸術だけが、非常に弱々しくはあるが、真の恍惚の中身を伝えることができる。あらゆる真の芸術は恍惚の感覚を伝えようとする試み以外の何ものでもない。その中に恍惚の味を見出すことができる者だけが芸術を理解するだろう。
 
超人の観念は時間と永遠の問題、スフィンクスの謎の問題と密接に結びついている。この中にその魅力と危険がある。その故にそれは人間の魂に強い影響を与えるのである。
 前に指摘したように、現代の心理学は特定のテーマ、観念、問題の持つ大きな危険性に気づいていない。観念を神のものと人間のものに分割する原始的な哲学においてさえ、観念の序列が存在することはよりよく理解されていた。現代思想はこれをまったく認識していない。既存の心理学知の理論は人々に観念の序列を識別することを教えず、非常に危険で、長い複雑な準備なしに近づいてはならない観念があるということを指摘してもいない。その理由は、現代の心理学は観念の現実性を考慮に入れず、この現実性を理解していないためである。現代人の頭脳にとって、観念とは事実からの抽象物である。我々の目には、観念はそれ自体の存在を持たない。我々がある種の観念に触れることでひどくやけどするはそのためである。我々にとっては、存在しない「事実」がリアルで、本当はそれだけが存在する観念はリアルではない。