PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1070                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年3月1日(日)、現在は朝の7時半です。
 
 世界的には”天気晴朗なれど波高し”ではないですが、新型コロナウイルス
当方もない蔓延とそれに伴う経済の停滞を見越したNY中心となる大幅株安も
異常な程となって来ました。本日も好天ですが、普段なら休日で動き出す人々
も遊園地の閉園、スポーツ観戦の無観客試合、競馬も競馬場以外の場外馬券売り場
すら閉鎖状態で、競馬はネット販売だけとなっています。まあ当方は当面の間競馬は
止めていますのではっきりどっちでもいいですが?!1週間後から予定されていた大相撲
も現在、無観客試合か中止かで本日結論を出すようです。当方的には競馬も相撲も
他のスポーツも全部当面の間は中止にすべきと思います。我が市川駅側のスポーツジム
で3名の感染者が発生した件では最寄りの小学校が学級閉鎖をしたことにより、大馬鹿は
全国の小中高のすべての学校を3月から春休みまで(ということは3月いっぱい)休校と
しました。学生の姿が我が通勤や仕事での電車から消えるわけですが、我ら普通の大人は
新型ウイルスに感染しても仕方ないとの判断でしょうか!?!
 もう確定的に日本ではPCR検査を国民全員に実施する以外ないところまで来ているはずです。
当然大馬鹿政権としてはこれには大反対です。何故ならこの検査をすれば大量の感染者が
炙り出されてそれこそ東京五輪どころではなくなるからです。五輪は完璧に中止となります。
 このままほっといて、新型ウイルス感染者(それも実態が不明で)ばかりとなり本当に昔の
スペイン風邪のような事態到来も不可能ではなくなります。
 
 当方の風邪も最終段階に来ているはずですが、なかなかそのすべてが去ってくれません。
体温は今朝の寝起きあたりで36.7度(平熱より0.5度高い)で、その後の計測では36.4度
ほどです。咳はまだまだ収まらずで結構出ます。でも、頭痛とかはまったくなく、唯々怠い症状
だけは継続していますが。それよりも今週と来週の2週間のフル就業の方が心配です。
本当は最低でも今週いっぱいはズル休みにしたいところです。
 
 大問題のNY株式市場の大下げは未だ下げ止まりの兆行がありません。此のところで7日連続安
で今週だけでも3,580ドル下落しています。率では12.3%です。これは大きいですね!
 今週に入り、24日(火)が1,031ドル安、25日(水)が879ドル安、翌日のの26日(木)では
1,190ドル安、と、1日の下げ幅では過去最大となっています。週末終値は25,409.28ドルです。
 
 当方的には強烈な大暴落の経験では、1987年10月のいわゆる”ブラックマンデー”でしょうか。
朝起きて、週明けのNY市場をテレビで見ていたら、目を疑いました。何と508ドル安となっています。
これは当時のダウで行くと率では信じられない下げのマイナス22.6%です。
 これを受けた我が東京市場はほぼ全銘柄がSP(ストップ)安となり、日経平均は3,836円48銭安
となりました。1日中顔色が真っ青の日でした。まあ、この時は日本市場が翌日に大反発して世界の
株式市場も落ちつきを取り戻してその後は順調に上昇しましたので大過は無かったですが、心臓に悪い
1987年10月の出来事でした。今回のNYの下げも%ではマイナス4.42%です。NYダウの26日の終値
は25,766.64ドルで1987年10月19日の日経平均株価は25,746.56円でした。何か米日の
株価連動を垣間見るような値動きですね!?!
 週末の日経平均株価は21,142円96銭(-805.27)です。米日株価連動の観点からだとNY市場は
まだ高いといえます。NYに関しては週明けにスーパーチュウズデー(3月3日火曜日)があります。
トランプなどはコロナよりこちらの方だけが心配で動いているようです。そんなことをしている間に
ブラックマンデーの再来が来たどうするか不安です。新型コロナウイルスの発生源である中国では
リーマンショックを上回る不況に突入したようです。
 
 競馬も相撲も消えた日本は早く”東京五輪中止”を発表して、会社も休校(休業)にして、嵐が過ぎ去る
(全国民に対するPCR検査実施)まで家でじっとしていることです。
 
 本日はこれからいつも行く近所のスーパー・ベルクスとマツキヨへ買い物に行く予定ですが、
果たして物はあるのでしょうか?当家ではマスクとトイレットペーパーのストックはやや不安ですが、
お酒だけは充分です。最悪の場合、酒だけで生きていくつもりです!?!
 
 という事で、会社が休校(業)になるか裁判所が休所することを祈って今日一日過ごすことにします。
 
量子物理学は勉強しましょう!
 
 
量子物理学
 
 
おそらく私の人生で最初のもっとも興味深い印象は夢の世界からやって来た。
 夢はあまりにも軽く、薄く、変わりやすい。それは観察には耐えられない。観察は夢を変えてしまう。
 朝や夜中に夢を書き留め始めるやいなや、また夢を再構成し、それについて考え、分析し、互いに比較し始めるやいなや、私は夢が変化し始めるのに気づいていたのである。夢は以前と同じままであり続けることはなく、すぐに気づいたのは、観察しているのは自然な状態で見る夢ではなく、観察しているという事実によって作り上げられた新しい夢だということであった。 
 これが最初の興味深い発見だった。
 
  心理学的文献 『原注』
 
 夢に関する文献の中に、私はいわゆる「精神分析もの」、つまりフロイトとその弟子たちによる理論は含めていない。第一に、私が夢に関心を持ち始めたときには「精神分析」はまだ存在していなかったし、第二に、私が後に確信したように、「精神分析」の中には何も価値のあるものや普遍的なものはないからである。それは私の主張や結論をまったく変えるものではない。そして私の結論は「精神分析的なもの」とは正反対なのである。