PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1080                  後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年3月23日(月)、現在は朝の7時20分です。
 
 一般的なみなさまは今日から週明けの仕事開始だと思います。当方、本日は
所謂”ズル休み”の有給を戴き仕事は無しです。今週は今日の他に26日が休みで、
来週は30日(月)、4月1日・2日がズル休みとなっています。
 今は曇っている我が市川界隈ですが、お昼頃から晴天に転じこの金曜日までは
好天の予報となっています。この5日間は良い天気という事ですね。
 
 それにしてもコロナ禍は収まりそうにありません。イタリアでは3月21日付で
生活必需品以外の全産業の生産活動を停止するようです。死者の数も極端に増加、
1日で800人増え、現状では4,825人となっています。
 東京五輪の延期は1カ月を目途に判断するようです。ドイツのメルケル首相が
自宅隔離となったようです。また、ドイツの五輪選手は出場停止を表明し始めました。
 我が市川ではまた昨日1名が感染との報が入っています。この方は60歳台のようです。
それでも日本人の感染者数は世界的に見て超少なすぎます。この原因は大詐欺師大馬鹿
晋三にあるのは当然です。PCR検査大妨害で少しでも感染者数を少なくさせ、東京五輪
何とか開催させようという魂胆がミエミエです。PCR検査をしても病院に隔離する病室が
無いとの判断で動いています。これは完全なまやかしです。PCR検査をして自宅隔離すれば
良いだけの話です。当方も今度、37度台の体温上昇になったら、医者に頼み込んでPCR
検査をしてもらいます。という事で当方は連日、体温測定を20回近くやっています。結果は
残念ですが精々36,4℃ぐらいまでしか上がりません。これでは正常範囲です。
 
 昨日で相撲の3月場所が終了しました。本当につまらない無観客試合も金輪際無くして
欲しいものです。でも次は5月ですのでまだ無理でしょうか?相撲の結果は見たくもない
モンゴル勢の決勝戦横綱白鵬の44回目の優勝で終わりました。もういいよと言いたいです。
横綱対決の前に今場所の目玉である朝乃山の大関昇進を架けた大一番がありました。
普通の相撲ファンはモンゴルの横綱対決など殆んど見ないでしょうから、ひとつ前の朝乃山
貴景勝戦を見て今場所は終了したはずです。対戦結果は朝乃山の圧勝で終わりました。
解説の北の富士舞の海はこれで朝乃山の11勝での大関昇進を予想しました。今朝の報道
によると、25日に大関昇進の決定を発表するようです。当方的には2人の横綱のうち1人だけ
でも勝って欲しかったです。当方、朝乃山が嫌いな訳ではなく、やはり大関になるには横綱
1人ぐらいはやっつけて欲しかっただけですが。来場所の活躍に期待を架けますが、5月に
はどうでしょうか?もう無観客試合は勘弁です。それならやらない方がましです。
 それと昨日のテレビを見ていて超気になったことがあります。今週の土曜日(28日)に
78歳になる北の富士さんの健康状態です。何か、解説をしていても2時間はもう無理なような
感じでしたからです。若いころからの暴飲暴食・女好きがそろそろ祟ってくる年齢です。
現在は大酒を煽ったり女遊びなどはもう卒業したと思いますが、結構旨いものは食べている
ような気がします。節制を心掛けてほしいものです。当方も北の富士さんより6歳若いのですが
酒も旨いものも当然女もだいぶ控えています。昨日あたりでも飲酒後の20時には就寝、
起床は6時と、10時間床に入ってはいました。それでも正味の睡眠時間は8時間半がやっと
ぐらいです。日々の睡眠は足りていますが、何分過去に溜め込んだ睡眠負債の返済は
なかなか難しいです。快眠・快便はまあまあですのでこのまま会社を適当にズル休みしながら
生きながらえていくつもりです。北の富士さんにはもう少し頑張って解説を聞きたいので摂生を
お願いする次第です!?!
 
 少し前に雨が降ってきましたが、本日は予定通り松戸のダイハツディーラーへ1年点検に行って
きます。1時間の待ち時間の間に買い物に行く予定でもあります。明日は往復40分は歩かされる
龍ヶ崎簡裁出廷です。でも恐らく今度がここへ行くのが最後となりそうなので40分の速歩を充分
楽しんで来る予定です。
 
 
 では、本日はここまでです。
 
量子物理学は勉強しましょう!
 
 
 
量子物理学
 
 
 
 我々は眠りに落ちる瞬間から目覚める瞬間までずっと夢を見続けているが、覚えているのは目覚めに近づいたときの夢だけであるということであった。さらに後になって気づいたのは、眠っているときにも目覚めている時にも我々は絶えず夢を見ているということであった。我々は気づいていないだけで、常に夢を見続けているのである。
 その結論から導かれるのは、夢を観察するのは目覚めている間にも可能だということである。
ここで、非常に明快な、しかし幾分予期せぬ結論に達する。つまり眠りと目覚めは互いに継承し合い、連続する二つの状態ではない。その名前自体が不正確である。その二つの状態は「眠り」と「目覚めた状態」ではない。それは「眠り」と「眠りプラス目覚めの状態」と呼ぶことができるかもしれない。つまり、目覚めた時に眠りは消滅するのではなく、眠りの状態に目覚めた状態がつけ加わるのであって、それが夢の声を掻き消し、夢のイメージを見えなくするのである。
催眠にかかって催眠状態に陥るためには、人は完全に受動的でなければならない。つまり、自分が催眠にかけられていることを知り、それに抵抗してはならない。それを知らなければ、普段の思考と行動のパターンが催眠的行動を妨げるであろう。子供、酔っぱらい、狂人は催眠にはかからない。もしくは非常にまずくかかる。
 催眠術の利用がもたらすのは短期的な成果で、見かけ上は良い結果を生むが、望ましくない方向に強い反作用があり、それに付随する否定的な結果を生じ、望ましくない影響に対して抵抗する意思が弱まり、以前よりも不安定な状態になる。
 信念、見解、確信、観念、感情、趣味、好悪、あらゆる動き、あらゆる思考の中で、人は何千もの暗示に拘束されており、自分では気づかないうちにそれに従っている。そして、自分自身がこのように考え、感じているのだと自分を暗示にかけているのである。
 自発的でない暗示と自発的でない被暗示性についての研究が人気を勝ち得ることはありえない。なぜなら、それは何にもまして、何百万もの幻想を破壊し、人にありのままの姿を明らかにするからである。人は決してそれを望まない。なぜなら、人生にはそれに反対する最も強い暗示が存在しているからである。それは、自分自身とは違ったものになるだろう、自分自身とは違ったものに見せようという暗示である。