PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1100                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年4月21日(火)、現在は朝の7時30分です。
 
 今朝は未だ曇天ですが、今後は晴天となり、明日以降も当分の間は気分爽快な
好天が続きそうです。本日から毎日じゅん菜池ウォーキングを予定していたのですが、
昨日の大雨で歩くコースがけっこう水たまりが多いので今日の午後か明日からに
先延ばししました。もちろん、肺に違和感発生なら即止めますが、胸の上部と背中の
懲り・張りが今現在でもあるのでやや不安です。これが痛い・息苦しいまで行けば
クリニックぐらいは受診しますが、まあそこまではいかなさそうです。
 
 昨日は午前中に勤め先に電話をし、5月6日(政府が言うところの外出80%不可)
まで(ゴールデンウイーク含む)休むことを報告しました。理由は当然ですが、人に
危険感を起こさせない、家人にウイルスを持ち込んで感染させない・・・ことです。
外出(出勤)すれば当然、電車(現在は空いている方だが)→職場では嫌でも人と
接触する→隣の人と2mは離れていない→帰路の電車・・・と、危険がいっぱいです。
勤務先の上席社員は当方の派遣元にも連絡してくださいと言われ、電話を一応入れ
ました。この会社はだいぶ前から在宅勤務となっているようですが、少し前には
この会社が入る雑居ビル(大きいビル)の階違いの会社でコロナ禍発症したとのこと
です。当方在籍する会社も何時そうなるか???です。それでも自分が発生源となった
らもう言い訳が出来ないので当方が長い休暇(欠勤…この間は無給となる)を取るのは
当然です。他人にも家人にも悪影響しか与えません。そして、現在の状況(裁判所休廷)
ではやらねばならない仕事は皆無ですので当然休みますね!?!
 午前中は歩きは止めて近場の露地もの販売農家の野菜購入とサフランベルクス
廻る予定です。当方、1週間前の14日が出勤の最終日でした。その前日の13日には
最後の温泉でしたので、コロナ感染ならもうそろそろ症状発生して良い頃合いです。
コロナ感染後発症までの時間は5日間強から2週間のようです。ということは最長では
後1週間は様子を見なければなりませんので長いですね!この1週間は人とほとんど
接触していません。隣の娘家族とも全く接触無しです。接触あるのは女房だけです。
 つまらない毎日ですが、1日か2日断酒後の飲酒だけが楽しみになるとは予想だに
しませんでした。専門家によると今後の入梅時から秋口ぐらいまでは流石のコロナウイルス
も下火になりそうですが、その後は第二弾が用意されているようできつい時期がまた来る
のは避けられないようです。この夏の間に余って世間に吐き出されたマスクがあったら多めに
購入しておきましょう!?!
 
 昨日のNY原油先物は急落、史上初のマイナスとなったようです。コロナ禍による世界経済が
停滞、原油を貯蔵するスペースが限界に達しつつあるようです。
 この影響でNYダウも592ドル安となっています。今後がやや心配です。
それにしても簡単な買い物やウォーキングすらマスク装着はきついですね。それでも電車に
乗らないで済んでいるだけでも当方は恵まれているのでしょうか?
当方、ゴルフはやりませんが、もしやってコロナ感染ともなったら、関係ないのに石田純一並みの
バッシングを受けること必至です。もう、やることは何もなくなったということです。
仕事もこの時期、強烈な営業・売り込みは不可でしょう!?!当方、ズル休み中の会社ですが、
この状況だと普段やらない仕事をやらされるようです。それでも正社員だろうがアルバイトだろう
が会社を当方のように平気で休めない人には何とかコロナ対策だけは充分して仕事は適当に
やってくださいと言いたいです。
 
 今日はこの程度の流しで終わりますが、明日からはじっくり論考交えで行きます。真面目に
書きますので熟読してください!
 
 では、量子物理学です。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
 
私が知っていた人物、そして死んだ人物は決して存在していなかった。存在していたのはまったく異なったものであった。なぜなら彼の人生は、普段我々が思い描くような単なる一連の出来事ではなく、死によっても変化しない。思考と感情を持つ「生き物」だったからである。
 
 我々は思っている以上にお互いに独立した存在であることを私は認識した。我々は他人の顔の特徴について責任がないのと同じぐらい、他人の人生の出来事についても責任がないのである。それぞれの人が、自分自身の輪郭と特徴を持った自分の顔を持っているように、それぞれの人が自分自身の運命を持っている。他人はその中である位置を占めるが、決して何も変えることはできないのである。
 
 私は著書『ターシャム・オルガヌム』の中で、誕生から死までの人間の「長い身体」という考え方を提示しようと努めた。インド哲学で使われる「リンガ・シャーリラ」という用語はまさにこの「人生の長い身体」を意味している。