PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1144                     後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年6月21日(日)、現在は朝の7時少し前です。
 
 昨晩の夜半に若干の降雨があったようで、外の景色は濡れ模様です。
今日は一日中曇天が予想されていますが外出予定もほぼなく(精々スーパーでの買い物
ぐらい)、暇な時間は読書と映画鑑賞に充てるつもりです。
 
 当家からはやや遠い露地もの野菜販売店で木曜日に購入したトマトは未だ完熟前な
ようで若干当て外れでした。現状では当家からやや近い販売店の方が美味しいという
事が判明しました。毎年なのか今回だけなのか何かいつも」違っているようで選択が難しい
です。まあいずれにせよ、当家から何時でも行ける露地野菜販売店は家から1分ちょいの
所も含め5件はあります。昨日は本年度お初となる1分ちょいの店で枝豆を購入、美味しく
戴きました。当分(夏の間)は当家の夕餉にはトマト・きゅうり・枝豆の3点セットは欠かせない
食材となります。
 
 本年はコロナ禍の影響で毎年恒例の行事等がほとんど中止され(お祭りや花火大会、
各スポーツなど)、完全に年間スケジュールが狂っています。昨日、孫娘が家に来た(といっても
隣りだから訪ねるというほどではないが)ので、本来なら5月5日に計測するはずの身長を
チェックしてみました。この孫は今年小学4年生ですから現在は満9歳です。小学校に上がった
頃は背が低く、学校でも整列すると前の方でした。それがこの数年で成長著しく、昨日の計測でも
昨年から10㎝は伸びていました。この調子で頑張って最低でも165㎝にはなってほしいものです。
 
 今週の就業はフルの5日間です(ズル休み無し)。月から木は法廷出廷で、月と火は近場の
東京簡裁です。まだガラガラなので気は楽ですが、この簡易裁判所の民事法廷が開催される
庁舎(弁護士会館の隣り)のスマホの受信状態が悪く、庁舎の前あたりから通話不可となります。
下らない事で苦労させられます。これも東京簡裁出廷の行きたくないところでもあります。
 東京簡裁は霞が関が最寄駅ですが、当方が利用する日比谷線霞が関の先(神谷町との間)
に新駅が出来ました。6月6日開通で名前は”虎の門ヒルズ”です。神谷町駅側に在る浄土真宗
大谷派のお寺さんは当方の大学時代の友人の生家でPNCの会員でもあります。学生時代には
夜遊びをした後はこの家でよく厄介になった(泊まった)記憶があります。この駅の名前はまだ
神谷町ですが、このあたりの地名は確か虎の門と地名変更しているはずです。神谷町より虎の門
の方がレベルが上昇、恐らく地価も上昇したはずです。
 
 ここらで話題を変えて米中戦争前哨戦とも思われる今回のコロナ禍による事態収拾作業等を
鑑みると、将来の21世紀覇権争いの全貌が垣間見えてきます。
 6月19日に米政府は世界保健機関(WHO)に代わる提携機関を選出したと発表しました。
トランプ大統領は先月、新型コロナウイルスの対応を巡って、WHOとの関係を打ち切ると発表
しました。新型コロナウイルス感染者数は米州を中心に増加して、18日の増加数は約15万人
と1日当たりで過去最多を記録したとし、感染拡大が加速しているとWHOは警告しています。
 当方ら他国(米中以外)の普通に生きているだけの民衆には絶対に知らされることは無いで
あろう今回のコロナ禍騒動ですが誰がどの国が犯人か(米か中に決まっているが)は分らない
にしても本当に酷い話です。結局人類は永久に殺し合いを続けて地球そのものが無くなるまで
戦いを継続させるのでしょう!?!
 
 ということでコロナ禍はまだまだ終息は不可能です。当方は外飲みを再開しました。
先週に引き続き今週も1回は外食外飲みを実行します。場所は銀座界隈でしょうか?
 
 でなわけで今週はここまでです。次回のPNCは27日になる予定です。
それまで量子物理学をバックナンバーで読んで勉強してください!?!
 
 
量子物理学
 
 
 
上にある如く下にもある。
 我々にとっての四次元は天体の世界と分子の世界にある。
 五次元は、永遠に同じ場所に留まっている人生のある瞬間と、全体としての人生そのものの反復の中にある。
 (人生)はそれ自体が人間にとっての(時間)である。人間にとって彼の人生の外部にはいかなる時間もあり得ない。人間とはその人の人生である。その人生はその時間である。
 太陽や月の見かけの運動などによって、すべての人にとっての時間を測定する方法は、実用的な目的のためには有益である。しかしこれは共通の合意によって受け入れられた形式的な時間にすぎないということは一般に忘れられている。人間にとって絶対的な時間はその人生である。この時間の外にはいかなる時間もあり得ない。
 今日私が死ねば、私にとって明日は存在しない。しかし、前に述べたように、来世、死後の存在、転生などの理論は明らかな一つの誤りを犯している。それらはすべて通常の時間の理解に基づいている。つまり、死んだ後にも明日が存在すると考えている。実際には生が死と異なるのはまさにこの点においてである。人間は彼の時間が終わった時に死ぬ。死んだ後には明日はあり得ない。しかし「来世」についての理論はみな「明日」の存在を必要とする。突然、どんな未来も、どんな「明日」、どんな時間も、どんな「以後」もなくなるとしたら、どんな来世があり得るだろうか?心霊主義者、神智学徒、神学者、その他来世についてすべてのことを知っている人々は、どんな「以後」も存在しないという事実に気づいたら、非常に不思議な状況にいることが分かるだろう。
 それなら何が可能なのだろうか?そして一つの円としての人生の意味とは何なのだろうか?