PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1158                    後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2020年7月25日(土)、現在は朝の6時45分です。
 4連休の3日目となりましたが、ほゞやることは無く唯々デブるだけの今日この頃
です。それにしても雨量の多い梅雨ですね。今朝(夜半)も3時半頃に猛烈な大雨が
我が自宅界隈で降りました。その後も何度か昨報の”疎雨”(そう)のようなまだらに
降り続いています。未だこの1週間ぐらいは梅雨明けとはなりそうにありませんが、
梅雨の最終段階的大雨降りが始まった事は間違いなさそうです。
 今年は梅雨の奔り頃に熊本県球磨川が大氾濫、大きな被害をもたらせましたが、
この地域では地名に”瀬”のつく所が多かったようです。昔から地名で”谷”が付く、
渋谷や越谷当たりの低湿地では水の被害が多く出たと記憶していますが、”瀬”の
字がつく所も水害が多く発生する場所のようです。週刊ポストの記事を添付します。
 当方、証券営業1年生の時に赴任していた玉川営業所ですが、ここの地名は”瀬田”
です。秋の台風の影響で多摩川が氾濫・・・中瀬に取り残された観光客がヘリで救助
された模様を今でも覚えています。この場所は二子玉川駅に近い浅瀬の川で当然
”瀬田”という地名が似合う場所でした。
 
 
球磨川の氾濫 被害地域で多く見られた「瀬」のつく地名
 
地名が鍵になることも(時事通信フォト)
 今年7月、記録的な豪雨が九州から本州までを襲い、甚大な被害を出した。迫りくる自然災害からどのようにして身を守るか。「地名」には、その土地の安全性を知る上でのヒントが隠されている。
 
 今回の記録的豪雨による球磨川の氾濫では、熊本県南部に浸水被害が広がったが、なかでも行方不明者が出るなど被害が甚大だった地域を見ていくと、芦北町「田川」「女島」、津奈木町「福浜」という地名がある。
 
「『川』や『沢』『滝』『浜』のような水を連想させる地名は、水害の被害を受けやすいことが表われていると考えられます」
 
 そう語るのは『この地名が危ない』の著者で地名研究家の楠原佑介氏だ。
 
 今回の被害地域で多く見られたのが「瀬」のつく地名である。熊本県では、人吉市「下薩摩瀬町」、芦北町「箙瀬(えびらせ)」、球磨村「神瀬(こうのせ)」がある。土砂災害地では茨城県日立市「会瀬(おうせ)」、静岡県南伊豆町「市之瀬」、静岡県掛川市「高瀬」、広島県尾道市瀬戸田町」に「瀬」がついている。長野県の孤立集落には木曽町「砂ケ瀬地区」があった。
「瀬」とは、川の浅く流れているところを指すが、他にも意味がある。
 
「『瀬』は『狭い』に通じる漢字。狭くなっている地域には、流水が集中する可能性が考えられる。今回の球磨川の氾濫では、上流からの水流が狭窄部で滞って洪水になったとされ、『瀬』がつく地名も警戒が必要と考えられます」(楠原氏)
 
週刊ポスト2020年7月31日・8月7日号
 
 
 以上ですが関東地方はまだ梅雨が明けてはいませんので十分な注意が必要です。
 
 一方災害の最大手であるコロナ禍ですが、昨日も沢山感染者が出ています。
東京で260人、大阪もこのところ一気に増大して、昨日では149人となっています。
全国では771人と減少することはまずないようです。専門家の考察では人によって
ですが、トンでも被害を予想する向きも出てきました。当方の見解ではこのところの
感染者増大の主力は20~30歳台の若者が中心で、これはもう我慢しきれなくなった
奴らが大騒ぎをして遊び始めたことによると思います。我慢も
限界に達して来たという
ところでしょうね!?!結果として、コロナ禍第一波のような死者数の増大はありません。
第一波では志村けんさんや岡江久美子さんのような病気持ちや老人が沢山亡くなって
いたようでした。現段階の(第二波?)では死者数は大幅減少しています。これには
我々高齢者が外出しない、遊ばない、外飲みをしない・・・ことが死者減少に寄与している
と思われます。数日前に元同僚から来たメールによると、旧友との飲み会が全部中止、
ジムにも行けなくてやることが何にも無くなり精神的にまいって来ているというようなことが
書いてありました。昨日の北の富士コラムも”私も苦しい。外出できず、何もやることがない
ので食べてばかり。すっかり腹が出て苦しい。免疫力を付けるには栄養を十分に取る事
と聞いたので、少し食べ過ぎたようだ。気を付けることだ。…と言っています。
 当方も先週から5日間断酒を励行、昨日・一昨日と連チャンで飲んだらもう体調に
異変を来しそうで不安です。酒は適度に飲まないと害毒ばかりになります。今日は一応
軽飲みをしますが、その後はぐっと減酒にする予定です。
 昨日は毎週金曜日に購読する日刊ゲンダイを買い忘れました。競馬はやっていないので
どうでもいいのですが、毎週読んでいるコラムが全部読めないのは面白くありませんね。
 
 本日は予定では墓参り(7月の新盆)に行くつもりでしたが、雨降りなのでお盆のお詣りは
梅雨明けにします。真夏の墓参りでは献花はしません。何故ならすぐ枯れて腐るからです。
この季節での献花は9月のお彼岸だけです。
 
 断酒明けの一昨日から相撲観戦飲みで4時台から飲み始め、夜の8時台から9時台には
就寝しています。早く寝ると早く起きますのでほどほどにしないと逆に寝不足になります。
”ジャガジャガ飲むのもフォード・フォードに・・・して、ここらで止めても良いコロナ?”です。
 
 ということで、量子物理学は行きます。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
 現代神智学は、人間は「七つの身体」からなる複雑な存在であると考えられている。より高次の精妙な身体、七番目と六番目と五番目のものは、第四の身体に、「原理」としてのみ含まれている。人間の四番目の身体は不滅であり転生することができる。つまり肉体の死後、それに引き続いて起こる二番目の身体(アストラル体)と三番目の身体(メンタル体)―これらは肉体の死後も長い間生きていることがある―の「死」の後で、四番目の身体である「コーザル体」が新しい人間の中に転生し、かなりの時間を経て、まったく異なった新しい環境の中に生まれる。神智学徒によれば、二つの転生の間には七百年、あるいはしばしば千年から二千年の時が経過する。
転生の概念は〈カルマ〉の概念と結びついている。カルマとはある人生から別の人生に受け継がれる原因と結果の鎖として理解されている。しかしカルマという抽象的な概念の中には応報(天罰)という概念が導入されている。だから、ある人生で人が他の人にしたことは、別の人生で他の人の彼に対する同じような行為を呼び起こす。あるいは偶発的な原因から同じ結果が生じる。かくして、障害者や病に苦しむ人々の存在は彼らが過去の人生で行った残酷な行為によって説明される。彼ら自身の苦しみで彼らがかって引き起こした苦しみを贖っていると考えられているのである。実際には、カルマの考え方の中では、苦しみそれ自体には贖う力はない。人は苦しみによって何かを学び、内面的に変わり、以前とは違ったやり方で行動するようにならなければならない。そうすれば新しいカルマは、いわば古いカルマを拭い去り、人の苦しみは止む。