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会員のみなさま 1258                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年1月5日(火)、現在は朝の7時半過ぎです。
 
 今朝も曇天の始まりですが、週間予報では雨マークが無くずっと好天のようです。
ただ、今週の木曜日からは猛烈寒波到来、日本海側中心に大雪に警戒が必要に
なりそうです。
 
 当方の体調はまあ普通なのですが、じゅんさい池1周ウォーキング時のマスクの影響
もあるのか、胸あたりのややの息苦しさ、痛みが気になります。原因解明のために大病院で
CTスキャンとかMRI検査をすべきかと思うのですが、行きつけの内科クリニックの先生は
その支持というか、大病院を紹介するとかはありませんので大したことではないのではないか?
と勝手に決めていますが、本格的に痛みが酷くなったら即、大病院を紹介してもらうことに
決めています。
 
 コロナ禍での緊急事態宣言発出は1都3県と政府が協議をした結果、早ければ7日(木)
から1ヶ月程度の予定で行うようです。識者はほぼ全員、もう遅すぎ、手遅れ・・・と、言い募って
います。昨日でも東京都では884人、重症者は最多の108人、全国の感染者数は3324人
まで増えています。前回のようにすべての学校を閉鎖にするようなことは無いようです。
この時期は受験シーズンでもあります。厳しい年明けですね!?!
 
 昨日・今日は仕事初めの会社が通常ですが、すぐ(木曜日)緊急事態宣言発出で自宅待機や
良くてもテレワーク…となる可能性が高そうです。都心の飲酒店は8時が飲酒のラスト時間と
なり、いよいよ本格的な倒産ラッシュが訪れる可能性が高そうです。
 
 快食・快眠・快便が100%近く励行されて、当方的には『マスク禍』とでも言うべきマスク着用
に伴う不快感とか息苦しさ以外はまったく問題のない身ですが、実弟は病院の個室に入院、
口からの食事は誤嚥が心配なので点滴だけで過ごしているようです。我が身内の中でも一番の
呑兵衛の弟がまさかの坂を転げるとは予想外でした。当方の身内(兄弟・親戚)で酒盛りを
交わすのはこの弟だけでした。それがもう適わぬとなると、20人ぐらいにのぼる酒盛り相手も
現在は5人以下ぐらいになり、もう酒盛りは金輪際諦めることにしました。
 当方は病院へ行く用事はあまりないのですが、今日も女房の膝の痛みに伴う飲み薬とか
湿布薬を貰いに行きます。ついでにスーパーで買い物もする予定ですが、先の緊急事態宣言
発出時のスーパーの混雑が再燃されるのかどうかは行って見ないと分りませんが、またか~
の感じですね。
 
 では、”関東限定ドサ回り的簡裁出廷”の千葉版、銚子を軽く紹介しておきます。
銚子は先の館山と同様に房総半島の南端近く(やや東より)に在り、この街は漁港と醤油
の街です。銚子と云えば近くの犬吠先の灯台を思い浮かべますが、今年も元旦の初日の出
では賑わった(といっても今年は見学人数に制限有)ようです。
 銚子簡裁へは港とは逆方向に15分は歩かされます。先の館山と云い、遠方の簡裁のある
場所はほぼ何処も最寄駅から結構遠い所にあります。これは国の政策の一端なのでしょうか?
真実は当方には分りません。
 銚子に初めて行ったときは簡裁へ行く途中にある喫茶店で昼定食を食したりしていましたが、
後の方は全部、銚子簡裁の真ん前にあるセブンイレブンの弁当で過ごしました。
 簡裁へ行く途中には醤油工場は無く、あまり醤油の匂いに悩まされるようなことはありません。
銚子と云えば最近は銚子電鉄駅等で売っている”濡れせん”を思い浮かべますが、この銚子電鉄
はJRの銚子駅からはやや歩いて、乗換て乗車します。当方は残念ながらこの電車には一度も
乗ったことはありません。仕事を辞めたこともありもうこれに乗ることはありえないでしょうか!?!
 千葉の遠方簡裁はここまでで、ここから北上して簡裁のある順番としては八日市場→佐原→
と来て、紹介が終わった佐倉を経由で会社に戻ります。それに外房線の別線のような路線で
千葉一宮(駅名は上総一ノ宮)と東金があります。全部行きますのでお願いします。
 
 今日は久々に量子物理学を行っておきます。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
 意識と脳
 一般に意識は、脳の機能のうちの特殊なものに違いないと、と思われている。
 ところが、意識は脳内で脳によって作り出させる機能だとする主張は、数々の問題に直面する。第一に、脳が実際に意識を生み出すという臨床的証拠は存在しない。臨床的には・・・いくつか注目すべき例外はあるものの・・・、意識は脳と関連があるということが示されているだけだ。
 
  脳を超えた意識
 意識は、脳そのものではなく、ただ脳に関して存在しているだけである。しかし、意識はそれが関連している脳という物質に限られた存在なのだろうか?それとも、意識は脳を超えた領域にまで広がっているのだろうか?
人間精神が世界のほかの部分と驚異的な一貫性を持っていることはすでに注目したとおりだ。意識に届く情報を抑圧しなければ、わたしたちはかすかな直観、イメージ、感覚に気づく。それらが教えてくれるのは、物理的・生物的な環境、また、社会的・文化的な環境からおのずと発生した印象を、脳や意識が受け取っているということだ。臨死体験、体外離脱体験、前世の経験で、また、さまざまな神秘的、宗教的な経験でも、わたしたちは眼や耳やその他の身体的感覚によって伝えられたのではないものを知覚することができるようだ。臨死体験では、脳波が「平坦」になり脳が臨床的死亡状態に入っても、のちに詳細にわたって思い出すことができるほどはっきりとした生々しい経験することがある。体外離脱体験では、脳や身体から離れた地点から物事を「見る」ことができ、また、神秘的・宗教的なトランス状態では、自分よりも大きな何か、もしくは、誰かと一体になったという感覚を持つことができる。こうした経験のなかには、個人の意識が器官としての脳から分離するものもあるが、経験そのものは生々しく、現実的である。このような経験ををして、それが現実であることを疑う人はほとんどいない。