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会員のみなさま 1386                      後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年5月17日(月)、現在は朝の7時10分です。
 
 昨日の午後位から雨模様の我が地域となりました。今後は取りあえず雨マークが
ずっと付き、梅雨入りの日を伺う展開となります。
 取りあえずは今朝ですが”じゅんさい池1周ウォーキング”に行けるかどうか?です。
 
 コロナ感染は対応曜日が日曜日の割には減少していませんね。都では542人、
全国でも5215人、兵庫県が267人で大阪は620人です。福岡は505人と多く、
愛知も同様に多目の522人と出ています。近在では神奈川が296人、埼玉では
216人と多めです。
 報道では日本のワクチン接種遅れのニュースが多いようですが、何故ワクチンの
副作用関連ニュースが少ないというかほぼないというのは???です。
 5月も後2週間で終わりますが、当方のワクチン接種予約日は6月1日と迫って来
ました。悩み多いこの2週間となります。
 
 本日は2件ほど勉強しておいてほしい記事がありますので付けます。
①一つは60歳過ぎたら投資・・・などはやらないこと、と②終活はしない…です。
 我々のようなもう70歳代のポンコツ爺はジタバタしないことです。いくら頑張った
って後15年ぐらい生きれば用無しとなります。当方のように18歳から72歳までの
54年間大酒飲みを繰り返したような輩はここらで禁酒にして(禁煙はとっくにしている
という前提)あの世行きを待つことです。飲食については食だけに限定して選別する
ぐらいで良いでしょうか?美味しいものぐらいは食べないと生きている理由が無くなり
ますので。
 
 
 
 
元証券マンが断言! 60歳過ぎたら投資・年金保険・再雇用は「全部やってはいけない」
 
 老後生活の頼みの綱である国の年金。しかし成人の大半は、「年金だけでは不安……」と思っているだろう。
「年金不安を抱かせているのは『年金は破綻する』などの誤った情報です。私もかつてはそう口にしていた1人なので、事情はよくわかります」
 
 こう話すのは、経済コラムニストの大江英樹さん。定年まで大手証券会社に勤務した大江さんは、かつて営業マンとして現場の第一線で活躍。
 
「『年金なんてアテにならないですよ。いずれ破綻するかもしれない。それに備えて〇〇(金融商品)を買いましょう』とすすめるのが常套句でした。約30年前の話です。でも実際は破綻するどころか、当時から『年金積立金』は倍以上に増えています。老後困らぬように努力することは大切ですが、ムダな備えは必要ない。不安をあおられて間違った行動を起こすことのほうが危険ですね」(大江さん、以下同)
年金2000万円問題、実はそんなものはない
 '19年6月に話題となった「年金2000万円問題」。金融庁の報告書から、高齢夫婦無職世帯が年金生活していくうえで毎月約5万5000円、30年で約2000万円が不足すると騒がれた話で、これも誤った情報のひとつ。
 
金融庁のデータでは、高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は約2500万円を前提としていました。年金などの収入約20万9000円に対し、支出約26万4000円で差額が5万5000円。ですがこれは平均をもとにしたデータであり、金額がひとり歩きしただけ。貯蓄が少なければ、それに応じた生活で老後を過ごすのは可能なのです」
 
 この誤報に焦りを感じ、'19年後半は投資を始める人が大幅に増加。一方、最近ではコロナ禍の将来不安から投資に目を向ける人も増えている。
 
「たんに不安だからと、深く考えずに投資に走るのは好ましくない。投資には知識やノウハウの勉強が不可欠です。それなくして始めたら損失を招くことになりかねません」
日本の年金財政は実は安定の大幅黒字
 では、年金は本当に安泰なのか。大江さんは絶対に破綻することはないと断言する。その根拠のひとつが前述した「年金積立金」の存在。
 
「年金積立金は、日本に公的年金が誕生した1960年代から今日まで年金制度を運営してきた中で積み上げられてきたお金です。'19年12月末時点では、約200兆円に。年金の支払いには現役世代の保険料を充て、積立金のほうは制度維持の調整を図るために活用されます。その金額は毎年の年金で支払われる額の4・9年分にもなり、世界の先進国では日本が断トツに多い。年金の財源は大幅な黒字なので、心配は無用です」
 
 明るい老後に向け、マネー関連の「いらないもの」を総ざらい。ムダをなくし、必要なものだけ賢く備えよう!
 
■老後の知識 これは勘違い!!
・老後資金は2000万円必要
公的年金はアテにならない
・老後のためには投資が得策
・退職金は余裕資金だ
 
投資で儲けようとしてはいけない!
「退職金を余裕資金だと勘違いし、投資につぎ込むのはNG。いわゆる『退職金投資デビュー』だけは絶対にやってはいけません」
 
 そう指摘する大江さん。退職金は決して余裕資金などではなく、老後の生活を賄うための大切なお金。仮に投資に失敗し退職金が半分になってしまったら、大変なことに。
 
「退職金で初めて投資を行う人は失敗する可能性が高いといえます。私が反対するのはそのためです」
 退職金投資デビューが失敗を招く理由は2つある。
 
「ひとつは、投資を甘く見ていること。退職金というまとまったお金を手にすると、一発当ててやろうなどと安易に考えがちです。もうひとつは、感情の抑制がきかないこと。株価などが上がったらうれしくなって買い増し、下がったら怖くなって売ってしまうというように、投資の鉄則とは逆の行動に陥ります。未経験かつ勉強もせずに成功するほど投資は甘くはありません」
退職後の投資は儲けを目的にしない
 といっても、投資そのものが悪いわけではない。シニア世代にふさわしい投資スタンスで臨むべきだという。
「投資は『儲からなくてもいい』と捉えてください。儲けに躍起になるとリスクは高くなり、かえって老後不安を引き起こす結果に。今後インフレになってお金の価値が下がったとき、それに備えられる程度にお金を増やせればいいという姿勢で臨みましょう」
 
 具体的な投資方法は?
 
「最も合理的なのは『つみたてNISA』や『個人型確定拠出年金(イデコ)』の制度の活用です。これを使い、世界中の株式に分散投資する投資信託を長期積立していくのがベスト。預貯金をはるかに上回る成果が望め、税制優遇の利点も享受できます」
 
 価格変動のリスクが怖いという人には、別の方法をすすめる。
 
「『個人向け国債変動10年』。が望ましい。現在の利率は0・05%と低いですが、今後、金利が上昇すれば利率も上がるため、物価上昇による資産の目減りも避けられます」
 
■“退職金投資デビュー”で失敗する人とは?
・投資で儲けようとしている
・株価の動向に振り回され一喜一憂してしまう
 
年金っぽい金融商品買ってはいけない!
 世の中に蔓延する年金不安。そこにつけこんだ“年金”を名のる商品は少なくない。年金のように分配金を受け取れるものなどがそう。
 
「それら年金っぽい金融商品に惹かれがちですが、買うべきではありません。代表格は『毎月分配型投資信託』と『個人年金保険』。どちらも資産を増やすのには不向きなのです」
 毎月分配型投資信託は、運用によって得られた収益が分配金として投資家に“毎月”支払われるタイプ。
 
「通常の投資信託の場合、収益を還元せず再投資されるため、利息が利息を生む複利効果が得られます。でも毎月分配型投資信託だとその効果はない。しかも、分配金にはそのつど税金もかかってきます」
 
 前述したつみたてNISAやイデコの制度で買える投資信託なら毎月分配型タイプはなし。したがって、安心して資産を増やせるというわけ。
金利時代の今、選ぶと損する商品は
 一方の個人年金保険は、保険の保障より年金方式で給付金を受け取れることが魅力とされる商品。だが……。
 
「将来受け取れる年金額が契約時の利率で固定されるため、今の低金利時代はあきらかに不利です。しかも多くの個人年金保険は中途解約すると元本割れになります」
 
 代わりに国民年金基金やイデコの利用を推奨。税制上のメリットが大きいからだ。
 
「優れているのは掛け金全額が所得控除となり、税金を安くできること。個人事業主なら最大年間81万6000円と個人年金保険の所得控除(年間6万8000円)の12倍、普通のサラリーマンでも最大年間27万6000円と約4倍の税制メリットがあります」
 
保険に無駄なお金を払ってはいけない!
 病気やケガなど万一の備えに必須とされる保険。大江さんはこの考えにも異を唱える。
「シニア世帯にとって保険はムダな支出の筆頭に挙げられます。私は42歳のときに生命保険と医療保険をやめ、69歳の現在まで未加入ですが、何ら支障ありません」
 
 生命保険は保険を掛けている本人が亡くなった場合、残された家族が生活に困らないようにするためのもの。
 
「子どもが小さかったり、高校生くらいまでの子がいるなら生命保険も必要です。でも独立していたらもはや手はかからないわけですから、生命保険はほぼ不要となります」
 
 一方、医療保険は医療費を賄うためのものと思いがちだが、それは誤解。
 
「治療費は公的医療保険である『健康保険』などで賄われます。社会保険国民健康保険などです。仮に自己負担が高額になっても高額療養費制度があるため、自己負担額は少なくてすむ。よって私は健康保険だけで十分と考えます」
老後の安心のためなら貯蓄したほうがおトク
 民間の医療保険は公的医療保険では賄えない部分、入院時の食事代や差額ベッド代などをカバーするのが役割に。
 
「でもそれは貯蓄で賄えばいい話ですよね。月3000円の医療保険を20年加入したら総額72万円。対して仮に5日間入院し、1日1万円の入院給付が出ても5万円です。差額を考えてみてください。保険は“下りる”、貯金は“下ろす”と言いますが、その響きから、保険は何もしなくてももらえると勘違いしてしまう面もあるのかもしれません」
 
 そんな大江さんが備えるべきというのは損害保険。
 
「起こる確率は低いけれど、起こったら到底自分の蓄えでは賄えない。例えば車の運転による人身事故といった事態に備えるのが保険の真の意義です。最近だと個人賠償責任保険は必要かもしれません」
 
■老後の保険、これはムダ!
×生命保険
×医療保険
社会保険
 保険に入る必要があるのは、「必要となるお金が自分の蓄えでは賄えない」場合のみ。老後は生命保険も医療保険も当てはまらなくなる
 
■これは入っておくといい! 個人賠償責任保険
 日常生活で他人をケガさせたり、他人のモノを壊してしまうなど偶発的な損害を補償する保険。数百円から加入できる。自転車をよく利用するなどリスクが想定される人に向
再雇用でしかたなく働いてはいけない!
 定年退職後、「再雇用」を選択し、新たに雇用契約を結び継続して働く人は多い。転職などより一見ラクに見えるが、「再雇用はやめたほうがいい」と大江さんは助言する。
 
「私も一度は再雇用を選びましたが、半年で辞めました。なぜか。正直つまらなかったからです。仕事は責任と権限が大きいほどやりがいを感じます。しかし再雇用の場合、基本的に役職からはずれ、責任と権限の範囲が大幅に縮小するため、やりがいを奪われ楽しくないわけです」
 
 では、どうすればいい?
 
「定年後は現役時代のようにがつがつ稼ぐ必要はなくなります。アルバイトをするのも選択のひとつで、夫婦でやれば月収20万円程度は難しくないはずです。いざとなったら年金を早く受給してもいい。ですから、会社に残って嫌々働く必要はないでしょう」
 
50代からの人脈が老後の仕事につながる
 定年後も稼ぎたい人は思い切って独立する道もあり。
 
「私がそうです。講演や執筆などを仕事とし、得た収入で生活しています。年金は70歳からもらう予定ですよ」
 
 ただし、大江さんのようなスタイルを望む場合は、相応の心がけが必要になるそう。
 
「50代になったら、会社の人とばかり付き合うのはやめる。つまり職場以外の人と交流を持つようにすべきです。というのも、私は50代初めに会社の出世コースからはずれ時間ができたのを機に、会社の外に目を向けました。社外の交流を広げたのです。そこで培った人脈が独立してからの仕事にすごく役立っています。貯金もいいですが、老後生活に活きるのは“貯人”。ご主人にぜひお伝えください」
 
■50代になったら貯金より貯人!
・会社の飲み会ばかりに行かない
・他業種の人とも交流する
・趣味の集まりに参加してみる
 
お話を伺ったのは
大江英樹さん 経済コラムニスト。オフィス・リベルタス代表。大手証券会社で個人資産運用業務や企業年金制度のコンサルティングなどに従事。講演・執筆活動を行っている。近著に『定年前、しなくていい5つのこと』(光文社)
 
《取材・文/百瀬康司》
 
 
 次に、終活です。
 
 
 
 
 
仏教思想家が「終活はするべきでない」と指摘する理由 終活ビジネスで財産を奪われるリスクも
 
今年85になる仏教哲学の“伝道師”
 自らが死んだ後、遺族に迷惑をかけまいと終活に励む人が増えている。しかし、仏教思想家のひろさちや氏はこれに警鐘を鳴らす。実例から学ぶ、終活をすることで生じるトラブルとは。
 
 自分の死後、相続で遺族が揉めて欲しくないからといって「終活」に励む人がいます。でも、揉めるかどうかは残された家族の問題だと思うのです。自分が生きている間に、子供たちの仲がうまくいくよう心を砕くのならまだ分かりますが、死後のことはもう口出しできません。ならば生きているうちに旨いものでもたらふく食べ、持っているお金は使い切っちゃえばいい。
 
 終戦直後、私の母が戦死した父に掛けていた保険金を受け取りに行ったのですが、インフレで保険金は片道のタクシー代にもならなかったと聞きました。ドイツでもハイパーインフレが起こった際、相続したお金を真面目に貯め込んだ人は全部パーになってしまった。ところが、もらったお金を酒で浪費した人は、ビール瓶を売って儲かったという笑い話もあるくらいです。つまりは明日、世の中がどうなっているかなんて誰にも分かりませんから、未来のことを考えても仕方ない。死後のことは後世に生きる人たちに任せましょう。
 どうせ「終活」で遺言書の類を作っても、のちのち遺族同士で、“お前が死んだ父さんに無理やり書かせたんだろう”などと、かえって揉める原因になる。相続や葬式は遺族の問題ですから、自分がしゃしゃり出てはいけない。何も考えず安心して死にましょうというのが、私の考えです。自分の葬式の準備をしておけという人は、じゃあ自ら棺桶担いでくださいという話ですが、そんなことできっこありません。葬式のために費用を貯め指示を遺しても、最後に棺桶を担いでくれるのは遺族ですから、彼らのしたいようにさせるべきです。子供には「お父さんは死ぬ。後は宜しく頼む」と、その一言だけを伝えるだけでいいと思うのです。
 
 こんな面白い話を聞いたことがあります。仏教徒の男性がクリスチャンの女性と結婚後、妻から「死んだら葬式はキリスト教式でやっていい?」と言われ、しょげかえってしまったとか。だけど「オレの葬式」と思うのが間違いで、葬式は遺族のものと考えれば、どうぞお好きにと言うのが当たり前。その代わり、君が死んだら葬式は仏式でやらせて貰うと言って、仏教徒の意地を見せるくらいでよいのではないでしょうか。
 
 もともと日本では、葬式と仏教は切っても切れない関係のように思う人も多いと思います。確かに、今の日本の仏教は「葬式仏教」と言われるくらい、死者の面倒をみます。しかし無宗教だった社会主義国旧ソ連や中国でも葬式はやっていたし、太古を生きたネアンデルタール人にさえ埋葬文化は存在したわけですから、葬式自体は決して宗教の専売特許ではない。じゃあ宗教の役割とは何か。それは人間の「生き方を教える」ということです。
 宗教は人生のいわば羅針盤の役割を果たしてくれるものなのに、今は葬式にばかり顔を出すようになっている。「金儲け仏教」と呼んでもいいくらいですが、事実、日本人は無宗教といわれても「拝金教」を信仰している人は多いでしょう。「終活」だってお金を残したり分けたりと、お金のことばっかり考えているじゃないですか。そもそも「葬式仏教」になってしまったのは、江戸時代に幕府がキリシタン弾圧をしたことが背景にあります。庶民を監視するため寺請制度を作り、寺院の檀家になる仕組みを作った。葬式がお寺の仕事になったのは、この時からなのです。
 
金儲けのビジネス
 私は仏教徒ですが、遺族に自分の葬式をああしろ、こうしろなんて言いたくない。墓だってどうしてくれても構わない。だって、死んだ後の魂があんなジメジメとしたところにあるわけがないからです。「千の風になって」の歌じゃないけれど、墓の中にも骨壺の中にも私なんかはいません。仏教には「即得往生」という考え方があって、死んだ瞬間に魂はお浄土の世界に行って、仏様が迎えてくださる。それを信じていますから、雲の上からみんなのことを見守ろうとは思っていますが、「終活」のような死んだ後の処理を気にする必要はないのです。
 
 一応、私も長男で京都に我が家の墓があります。遺族が遺骨をそこに入れたければそうしたらいいし、粉々にして世界のあちこちに捨てて貰ってもいいですな。世間で行われている「火葬してから埋葬」という遺骨の扱い方は、単なる風習のひとつにすぎません。古来の日本では土葬が行われていましたし、それが今では火葬が主になって、再び墓に戻す「火土葬」というべき奇妙な葬り方となった。そうした風習がこのまま続くとは限りません。火葬場の技術も進み、今は骨の形が残る程度に遺体を焼いていますが、もっと火力を強めれば骨も残らず焼き尽くすことも可能でしょう。そうなればお墓や納骨堂、永代供養も必要なくなり、墓をどうするといった「終活」自体が無くなるかもしれません。
 
 生きているうちに二、三百万円もする墓石を購入したり、永代供養の契約をする人もいるようですが、未来永劫お坊さんが面倒を見続けてくれる保証はどこにあるのでしょう。約束を破られたら、墓場から蘇って告訴できる人だけが契約をすればいい。少子化の波もあり、寺院というのは今後減少していくと考えられます。供養をお願いした寺院が、死後も存在し続ける保証など何処にもないのです。
 
 昨今の「終活ブーム」は、いわば金儲けのビジネスになっています。流行りのエンディングノートにしろ、葬式にしろ、遺言信託にしろ、必ず誰かがそれでお金を儲けている。政府も銀行もみんな寄ってたかって老人から金を吐き出させようとしている。それに引っかかっている人が多すぎます。私たちは「終活」で、お金儲けをする人たちに奉仕する格好となっていることに、気づいて欲しいですね。それでもキレイに死にたい、畳の上で死にたいとかいろいろ言う人がいると思いますけど、人間どんなに準備したところでいつ死ぬかわかりっこない。それはどんなに万全な「終活」をしていても同じことです。
 
 知人に大金持ちでがんを患った男性がいて、家族に“畳の上で死にたい”と常々言っていたそうなんです。で、いざ彼が入院したら、娘さんは病院に多額の寄付をして“これで畳の部屋を作って父を入れてくれ”って頼んだとか。まぁ、これは一つのエピソードですが、結局のところ人間がどうやって死ぬかなんてわからないという話なんですよ。
 
自分のやりたいように
 私自身も2年前に脳梗塞を患いました。自宅で突然倒れ、救急搬送され病院に2カ月入院。左半身不随となって、今でも歩行困難で杖は欠かせません。つらい治療やリハビリ生活が続き「救急車の中で亡くなっていたらよかったのに」と思ったこともありました。
 
 こんなにしんどい毎日なら、あの時に死んでおけばよかったと……。でも、死というものは、どうあがいても自分では思うがままにはなりません。予期せぬ病気にかかることもあれば、自殺しようとしても死ねなかった、という人もいる。生きている間のことでさえ大抵は思い通りにならないのに、自分の死に方が思い通りになると思いますか。絶対にならないでしょう。明日の自分がどうなるかすらわからないのに、死後の世界までコントロールできると思うこと自体おかしいと思いませんか。何事も自分で操ろうとするのは「人間の欲」の発露なので、今の時代は「終活」も含めてみんなが「欲ボケ」しているんです。
 本来の仏教は“欲を少なくしなさい”と教えているのに、お坊さんまで「終活」に前のめりになっている。やれ戒名だ、読経だと高いお金を取るのはインチキ宗教のやることだと思います。仏教では、「思うままにならないことを、思うようにしようとするから苦しい」と考える。この「苦しみ」を取り除きましょうと説く人もいますが、それは違うと思いますね。何事も、最初から無理に思いどおりにしようとしない。そう考えることが、仏教の教えだと理解して欲しい。私たちは思うようになる範囲の日々の営みだけを、一生懸命に頑張ればいいのです。私自身、脳梗塞になって早く病気を治したいと焦ったこともありました。けれど最近は治る時は治るし、治らない時は治らないもんだと考え直した。それからは、自分のペースでのんびり病人をやらせてもらっています。
 
 高齢になると、みんなやることがなくなって暇を持て余す。だから「終活」なんてものが流行るのだと私は思います。だったら、私たち高齢者はどのように生きていけばいいのか。そこでヒントになるのが、お釈迦様が生まれたインドの考え方だと思っています。
 
 インドには「四住期」といって、人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つに分け、それぞれの期間でどう生きるべきかを示す考え方があります。
 
 まず「学生期」は一生懸命に勉強して人生の真理を学ぶ時期、「家住期」は一家の長として家族を支えたり、家庭を切り盛りして自分の役割を果たしていく時期。それに続く「林住期」は、社会の第一線から退く、隠居生活に移る時期といってもいいでしょう。そして、最後の「遊行期」は気ままに旅をする、日本流に言い換えれば悠々自適に暮らすという意味を指します。
 
 こうした区分けはインドの法典「マヌ法典」などに出てきますが、日本人もこうした考え方で生きていけばいい。今の日本には高齢者でもリタイヤせず「林住期」の人がいない。生涯現役、エコノミックアニマルとして生き続けろというわけですが、それはアホな考えだと思います。隠居することは何もしないという意味ではないからです。いわば孫の世代に教えを伝える、教育する期間と捉えるべきです。まだ子供が成人していない父親や母親の世代なら、生きていく術や金儲けの仕方を教えなければいけませんが、我々祖父や祖母の世代は違います。孫たちに「のんびり生きなさい」と教える余裕ができる。
 
 私には孫がいませんが、甥っ子や姪っ子たちがいましてね。彼らの親が「勉強しなさい」と叱り飛ばす横で、「学校なんて嫌なら行かなくていいんだぞ」なんて口を挟んでいました。そうしたら「おじちゃん大好き」と懐かれましてね。高齢者まであくせくした世の中では、自分らしく生きていいんだと話すお年寄りが少なくなってしまった。
 
 今、私たちがやるべきなのは未来のことなど考えず生きること。一生懸命に働かなくてはいけない。頑張らなきゃいけない。今度は「終活」しなければいけない。そうやって何かに追われて生きるなんてアホらしい。そんな時間があったら、どうやったら自由に生きられるかを考えてください。「自由」というのは「自分に由る」ということ。「終活」もそうですが、現代ではみんな「世間に由って」、周りの目を気にしてばかり。もっと自分のやりたいようにやっていいと思います。
 
 ちなみに釈迦は「死後について一切考えるな」と教えています。とはいえ仏教では、極楽や地獄という死後の世界があるじゃないか。そういう意見もあるでしょう。しかし、これは便宜的な教えで、「死んだら浄土に行くから心配しなくていい」と教え、今をしっかり生きられるようにしているんです。だから、「死後のことを考え終活しなければ」ということばかりに囚われ、「今」を蔑ろに生きるのは馬鹿らしいと、私は思うのです。
 
実例で学ぶ「死後の準備」の落とし穴
 ひろさちや氏が語ってくれたような「死生観」を持っていれば気にも留めないだろうが、とかく「終活」と名がつく「死後の準備」には際限がない。
 
 葬式に始まり墓、それらの希望を書き連ねたエンディングノートまで――。死後の段取りが済んだと思えば、こんどは身の回りに溢れる家財や着るものまで整理したくなる。なにも手をつけていないあなたは大丈夫か。残された遺族を困らせてはいけない。そう不安を掻き立てられ、まるで「終活」が「人生の総決算」であるかのような情報が世間には溢れているのもまた事実だ。
 
 さらに厄介なのは、これらで推奨される「終活」が金のなる木になってしまっているということである。「地獄の沙汰も金次第」と言わんばかりの契約を巡り、トラブルも多発しているという。行きつく先は、残された家族までもが巻き込まれるという最悪の事態。遺族に迷惑をかけないようにと始めたのに、これでは何のために準備を重ねたのかわからなくなってしまう。
 
 全国の消費者から苦情や相談を受け付けている独立行政法人国民生活センターの担当者に話を聞くと、
 
「当センターや各地方自治体の消費生活センターには、コンスタントに相談が寄せられているという印象です。終活にかかわる代表的な項目で、件数が多い順にいえば『墓』、『葬式』、『遺品整理サービス』と続きます」
 
「終活」の泥沼に足を突っ込めば、何が貴方を待ち受けるのか。以下では、同センターに寄せられたものをはじめ、さまざまなトラブルの実例を分野別に紹介して、「死後の準備」を見直す一助としたい。
「葬儀」「墓」生前契約でトラブル多発
 誰もが死ねば「葬儀」や「墓」の問題は避けては通れない。そこで「生前契約」をしてしまえば、遺族の金銭的な負担や面倒な手続きも省ける。そう考えがちだが、そこにはこんな落とし穴もあるからご用心である。
 
 前出の国民生活センターの担当者に尋ねると、
 
「葬儀会社から45万円を請求されたという30代の女性からの相談です。亡くなった父親が、生前に葬儀費用を積み立てる互助会に入って24万円を支払っていた。それで葬式は賄えると考えていたのに、食事代や着物代を別途請求された。互助会のパンフレットには、白装束の写真もあって着物代も含まれると思っていたのに説明もない。返金して欲しいと葬儀社に苦情を入れたが拒否されたというのです」
 
 お墓でも、金銭にまつわるトラブルが多く報告されているとしてこうも言う。
 
「ある寺の土地を1区画購入したという70代女性から相談が寄せられました。納骨されてから32年間使用でき、供養してもらえるという契約で夫婦合わせて44万5千円を支払った。ところが、購入してから女性に病気がみつかり、夫も記憶障害を持つようになってしまった。そうなると夫婦どちらかが亡くなれば、子供の家で厄介になる可能性が高い。しばらくは子供がどこに住むか決まっていないのでキャンセルを申し出たところ、一旦契約すると返金できないと言われたという内容でした」
 
 この夫婦の場合、墓石の代わりに植えられた木が墓標となる「樹木葬」に惹かれて契約したというが、なかなか先のことまで思い描いた通りにはいかない。
 
『自分らしい逝き方』の著者で、葬祭カウンセラーとして「日本葬祭アカデミー教務研究室」の代表を務める二村祐輔氏は、
 
セミナーに来る相談者の事例で、70代の男性が墓じまいをするため菩提寺に請われて、300万円近いお布施をお包みした。男性には一人娘がいましたが嫁いでいたので墓の跡継ぎはいない。これで子供の手を煩わせることもないから安心だろうと娘さんに伝えたところ、揉めてしまった。彼女としては、結婚したとはいえ実家と絶縁するわけでもない。どうして大事なお墓までなくしてしまうのか、という思いがあったのです。そこで彼女は墓じまいを取り消して、お寺に返金してもらおうとしたそうですが、寄進されたものなので、応じられないと言われました。良かれと思ったことでも、家族に相談もせずに一人で話を進めるのはよくありません」
 
書いてはいけない「エンディングノート
 葬式や墓のみならず、残される家族とコミュニケーションを取らず、すべて自分の想いだけで進めることは「終活トラブル」に繋がると、先の二村氏は指摘する。
 
「いくら事前に準備しても必ず実行されるかは分かりませんし、遺族の意向で変更されるかもしれない。自分の希望は2割くらいに止め、残り8割は遺族に任せるくらいの心持ちでよいのです。自分の希望があるなら伝えることは大切ですが、家族との話し合いの時に注意したいのは残される側が積極的になってしまうこと。その結果、家族関係がぎくしゃくしてしまった事例をご紹介しましょう」
 
 二村氏のセミナーに80代の男性が辛そうな顔で相談に来たというのだ。
 
「息子たちに迷惑をかけたくないと思って、死後の希望などが列記できるエンディングノートを書いてみようと思い立ち、家族にも打ち明けたそうなんですがね。息子たちが盛んに霊園のパンフレットをもらってきたり、終活セミナーをすすめてきたり、挙句にはエンディングノートの内容や進み具合を確認されて、その男性は“早く死ねと思われているのではないか”と疑心暗鬼になってしまった。息子さんたちの世代は、高齢者世代と比べ情報収集能力が高いので、良かれと思って親にたくさん話を伝えるわけです。それ自体が親からすればストレスに感じて、ノイローゼになってしまう。いわば“終活疲れ”に陥ってしまうのです」
 
 実際、エンディングノートには葬儀や墓の希望をはじめ、財産目録や訃報を伝えるべき友人の連絡先など、数多の項目がある。
 
 その原型となるノートを作成した経験を持つという二村氏は、こうも言う。
 
「90年代後半、まだ日本でエンディングノートの存在が広く知られる前に、全体のデザインなどを考案しました。著作権は放棄したので、今やさまざまなエンディングノートで私が考えた項目が使用されていますが、作成した私自身も全部びっしり埋めるような使い方は想定していませんでした。そもそも、たくさん書けるくらいなら、終活の準備ができていることになりますからね。当初、考えていたのはノートを机にポンと置き、気が向いたらパラパラと眺めるくらいで丁度いいと。家族の目にとまれば、“コレは何?”と会話のきっかけにもなる。あくまでコミュニケーションの手段として捉え、延命治療の是非など、どうしても伝えたい実務的な情報を書き足すような、メモ代わりにしてもらうくらいでよいのです」
 
「生前整理」「断捨離」で“終活ビジネス”に狙われる「あなたの財産」
 いざ「終活」を始めれば「生前整理」や「断捨離」は必須とされているが、大抵の人なら歳を重ねるほどに身の回りの品は増えていく。ひとりで片付けるのはどうにも厄介だろうが、そんなあなたの財産を狙う不届き者もいるというから要注意だ。
 
 再び国民生活センターの担当者に話を聞くと、
 
「50代女性からの相談で、実家に住む80代の母親のところに、ある日突然『生前整理アドバイザー』だと名乗る買取業者がやってきたそうです。不用品を出すように勧められ、掛け軸を差し出したところ貴金属はないのかと強く求められた。高齢の母は、言われるがまま金のネックレスや指輪など数点を総額4万3千円で買い取られたが、特に貴金属は全て市場価格をかなり下回る額で、納得できないというものでした」
 
 新聞広告で見た業者に、わざわざ電話してトラブルになったケースもある。
 
「相談者は80代の男性ですが、かつては熱心に切手を集めておりコレクションの中にはかなり高額で購入したものも含まれていたそうです。価値のあるものなので息子に譲ろうと思っていたが、嵩張るのでいらないと断られてしまい、仕方なく骨董業者に連絡をした。切手の他に刀剣なども買い取ってもらったが、全部で3千円にしかならなかった。あまりにも安値で後悔し、事前に契約はクーリングオフできると業者に言われていたので返してもらおうと7、8回電話をかけたが、まったく出てくれないとのことです」
 
 母親の「生前整理」を手伝おうと業者に依頼した50代女性の場合は、こんな災難が降りかかった。
 
「すぐ業者が見積もりに来たそうですが、まだ不用品を仕分けできていないと伝えたところ、一緒に整理を手伝いますと言われ安心してしまった。作業当日は男性が4人来てくれたが、時間がないのかゆっくり仕分けをさせてもらうことができなかった。後日、母親のものではなく相談者が大事にしていたカバンまで不用品として回収されていたことに気づき、業者に確認しても“探しようがない”と言われてしまったそうです」(同)
 
 改めて二村氏がこう警鐘を鳴らすのだ。
 
「『終活』という言葉にのっかったビジネスやメディアに煽られ、多くの人は“しなければいけない”という強迫観念を抱いているのではないでしょうか。死に対して実務的に備えるだけではなく、自分の死生観を見つめ直して欲しいですね」
 
ひろさちや
仏教思想家。1936年大阪府生まれ。東大文学部印度哲学科卒、元気象大学校教授。『どの宗教が役に立つか』『ひろさちやの般若心経88講』『仏教に学ぶ老い方・死に方』『釈迦物語』『こんな長寿に誰がした!』など著書多数。
 
週刊新潮」2021年5月6日・13日号 掲載
 
 
 2件とも長い記事でした。何とか読んで下さい!
 
 
 最後に相撲を少し行っておきます。
 
 昨日の結果は順当でした。照ノ富士貴景勝→高安・・・と、やや絞られた感が強く、
中日(なかび)が終わった時点での優勝争いはもう決まったようなものです。
それにしてもダメ大関2人の相撲は残念感が漂います。朝乃山が特にひどく、これでは
大関返上するしか無いような相撲内容です。正代はカド番ですので今場所は何とか8勝
するだけに専念することです。朝乃山は今日も体たらくな相撲を取るようなら逃げの休場
が必至となりそうですので今日は大事です!?!
 
 もうこのようなつまらない相撲を見せられていますが、ワンピー姐さんだけはしっかり
東側一等席で観音様座りで頑張ってくれてます。大関の名に恥じない相撲を取りたいものです。
 
 
 今日も添付が超長いので量子物理学は先送りです。
 
 では。また明日・・・