PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1404                       後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年6月4日(金)、現在は朝の6時50分です。
 
 今朝の今の時間帯では曇天ですが、本日はこれから1日中雨、それも大雨との予報が
出ています。明日明後日は曇りですが、それ以降の数日間は晴れて気温も高くなるようです。
 本日は”じゅんさい池1周ウォーキング”は諦めて、床屋→《笑がおの湯》を予定しています。
 
 連日、コロナ感染状況を記していますが、このところのパターンでは日曜日から週明けの
月・火あたりは減少傾向で、水曜日からの週中から週末にかけて感染数は増大するという
状況になっているようです。昨日の都では508人、全国では2831人、大阪が226人で、
愛知が288人、沖縄244人、神奈川で215人とやはり人出の多い所・観光地を有するところ
の感染者は減少する様子は見られません。
 
 コロナ禍に見舞われてから1年半が経過しますが、当方的には昨年暮れで仕事も止めて
この半年近くは”毎日が日曜日”となっています。何とか運動不足解消のために近所を
歩く”じゅんさい池1周ウォーキング”だけはほゞ毎日励行するようにしてはいます。
問題は此のくらいでは運動不足解消にはほど遠いという事、仕事をしないのでそれ相応の
頭も使わなくなっているということ。コロナの影響で外出不足も歪めません。このところ買い溜めして
読んだ書籍類も10冊チョイは簡単に読了しましたが、後に残った数冊は哲学系で超難しい
内容なのでまったくは捗らず、ほとんど前に進みません。結局、日々の空いた時間帯には映画を
観る程度しか時間つぶしは無いという事です。その映画ですが、全50作ある”男はつらいよ”を
第1作から見始め、現在はやっと32本目まで来ました。映画の内容はどの作品も似通っていて
飽きが来ないかと言われれば、そうだと答えるしかありませんが、当方的には映画の内容は
どうでも良く、ただただ映画で絶対に出てくる江戸川沿いの矢切の渡し界隈の風景とか川甚から
帝釈天→参道を通って京成の柴又駅までの景色、駅から乗った電車が終着する上野駅界隈の
喧噪景色等が見たいから映画を見ています。当方、上野地区には都合14年間勤務していました。
1990年から1996年までの6年間は普通はあり得ない証券会社の支店長を仰せつかって
悪戦苦闘の日々を経験しました。普通の証券会社の支店長は精々2年ぐらいで交代しますが、
何故、6年間もやったのかと言えば、この期間はバブル崩壊の時期でバブル時代の大掃除励行
を仰せつかって辞めるにやめられない状況だったからです。よくも悪くもこの上野界隈は当方にとって
思い出深い地区でありました。
 柴又から離れましたが、ここら辺の景色は思い出深い所ばかりです、大体当方の生まれはこの
柴又の隣り町である小岩です。中学生からは市川市国府台町に引っ越し現在に至りますが、
矢切の渡しで有名な矢切は国府台の隣り町です。寅さん映画でよく出てくる江戸川河川敷の
松戸ゴルフクラブなどは何度もプレーしています。というわけで、寅さん映画はその内容ではなく
此の江戸川界隈や上野界隈の映像を観るのが楽しみで鑑賞している次第です。それにこの映画
で寅さんが行く日本の各名所観光地も懐かしいところが結構出てきて観てて飽きが来ません。
本日も33本目を観ることとなりそうです。
 
 という事でいつもの本題論考とは離れましたが、下に2件ほどコロナ絡み記事を添付しますので
勉強しましょう!?!
 
 

 
 
この国を支配する「コロナ脳」問題…日本人は「バカとマゾが9割」なのか
 
 新型コロナについては「ヤバいです」というスタンスに立たないと“人でなし”扱いされることは、この1年4ヵ月の経験で皆さんもよく分かったことだろう。
 
【写真】コロナ危機で、じつは日本が「世界で一人勝ち」する時代がきそうなワケ
 
 その空気の中では客観的データなど一切の意味を持たない。とにかく「お気持ち」「恐怖心」「生命・延命重視主義」という空気の中では冷静なデータや事実の読み解きなど、ただただ邪魔なのである。
 
 最たる例が、前内閣官房参与嘉悦大学教授・高橋洋一氏の辞任騒動である。同氏の2つのツイートが大炎上し、メディアからも猛烈なバッシングを受け、野党は国会招致を求めるほどの大騒ぎだった。
 
 問題視されたツイートは以下の通りである。
 
 「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」
「日本の緊急事態宣言といっても、欧米から見れば戒厳令でもなく『屁みたいな』ものでないのかな」
 
 同氏はいずれのツイートでも日本の被害が欧米各国より軽微であることを示す「Our World in Data」のグラフを貼り、その解説として文章を添えたのだが、テレビはそのグラフは紹介せず、言葉だけを切り取った(グラフの一部は出たものの、テロップで核心部分は隠れていた)。
 
 これを受け、たとえば『めざまし8』(フジテレビ系)MCの谷原章介氏がこの発言を問題視するなど、高橋氏はメディアから全面的な批判を浴びせられた。谷原氏の発言については、テレビを見てコタツ記事を作ることが仕事のスポーツ報知電子版が、下のようなお手軽記事を掲載した。
 
 〈 谷原章介、「さざ波発言」で辞任の高橋洋一氏に怒り「頑張っている人みんなをバカにしている」〉
 
 『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)に出演する社員コメンテーター玉川徹氏は、「内閣官房参与は総理に直接会って助言をする立場ですよね。総理は助言を得るために国税を使ってわざわざ任命しているんです」と発言。その後、高橋氏はツイッターで「調べてから言うべき。私に対する国費はないのだが」と玉川氏に反論。内閣参与としての仕事は無給で行なっていたという。
 
 谷原氏の発言は大方「コロナで亡くなっている人がいるのに『さざ波』などとそのヤバさを矮小化するなど許せない!」という意味であろう。ただ、どう考えても、日本は数字は他国と比較すると「さざ波」である。しかも、後述するが、高橋氏の発言意図とは論点が大きくズレている。
 
 人口1億2800万人の日本では、5月29日現在、陽性者数73万5465人、死者1万2702人。人口が2.6倍の米国の場合、陽性者数は3321万8044人、死者は59万3288人だ。しかも「第一波」で緊急事態宣言が発動された昨年4月7日の東京の陽性者数は79人である。
 
 力強く経済を回復させた米国と比べて、いかに我が国がこのウイルスにビビりまくり、経済を停滞させ、自殺者を激増させてきたか、ということが問題なのである。確かに東アジアでは日本は劣等生に入るが欧米様に比べれば圧倒的にマシであり、それは厳然たる事実ではないか。
 
 ハッキリ言おう。日本人はバカとマゾだらけである。
 
私の「コロナ脳」が解けた瞬間
 
 2020年春に「コロナはヤバ過ぎる」ということを多くのメディア・政治家・専門家が断言したため、比較的軽微な被害であるにもかかわらず、国民が過度に脅えてしまったのだ。
 
 そしてもはや彼らはその論調を撤回することができなくなっており、「後遺症」「変異種」「若者も重症化する」「3密でなく1密でも感染する」などなど、手を変え品を変え、恐怖煽動に勤しんでいる。
 
 正直言うと、私も昨年の5月あたりまでは「ヤバ過ぎる未知のウイルス」という捉え方をしており、ビビっていた。
 
 その後も連日、テレビがその恐怖を煽り、知事は神妙な面持ちでステイホームを呼びかけ、政治家は憔悴しきった顔で会見を続ける。そして野党はこのヤバ過ぎる状況に対して、政府の無策ぶりを糾弾する。コロナ治療に従事する医療関係者からは悲鳴が聞こえ、テレビ、ツイッターでは「医療関係者に感謝しましょう」と訴える声が多数登場する。
 
 逆説的だが、私の「コロナ脳」が解けたのは、日本全体がこの過度なコロナへの恐怖を共有しなくてはいけない! という「進め一億火の玉だ」状態になったのを感じた瞬間からである。
 
 いや、本当はこれって大したことないんじゃないか? 過剰な恐怖報道と実際に大変な思いをしている医療従事者の悲鳴、マスク率99.5%、店舗での検温・アクリル板・アルコール消毒という“舞台演出”によって恐怖心を植えつけられているだけなのでは? と思い始めたのだ。
 
 何しろ、かつては外から見ても分かるほど混んでいた街の病院の待合室がガラガラであることが多かったし、私の周囲では陽性者がまったく出ていない。これまでにたった2人だけで、そのうちの1人とは8年ほど会っていない。フェイスブックの報告で知っただけだ。
 しかし、こういうことを言うと、「あなたはそれを医療従事者の前で言えますか!」「あなたはそれを遺族の前で言えますか!」とテンプレート式の反論が山ほどくる。つまり、高橋氏の「さざ波」という言葉があれだけ非難轟轟になったのは、「コロナは『ヤバ過ぎます』という点について一切異論を挟んではいけない」という空気感が完全に醸成されているからだ。
 
 〈 谷原章介、「さざ波発言」で辞任の高橋洋一氏に怒り「頑張っている人みんなをバカにしている」〉
 
 この谷原氏の番組中の発言にしてもそうだ。『王様のブランチ』(TBS系)などでユーモアを交えた見事な司会ぶりを見せていた彼でさえ、「コロナはヤバ過ぎます」「コロナへの軽視発言は万死に値する」という空気に飲まれてしまったのだ、と愕然とした。
 
全員が同じレベルで怖がるべき理由はない
 
 私がこのコロナ騒動を見ていてとんでもなく虚しく思うのは、人は個々人によって恐ろしいものは違っていいはずなのに、コロナについては一律に、そして過度に怖がる点である。さらに、怖がらない人間は人でなしの烙印を押され、非常識で誰かを死に至らせかねないテロリスト予備軍である、と糾弾される点だ。
 
 人がコロナ以外の理由でも簡単に死ぬ脆い存在だということを忘れているのだろうか。
 私がコロナをそこまで恐れていない(というかまったく恐れていない)のは、私にとっては鬱病と若年者のガンの方がよっぽど恐ろしいからである。鬱病が原因で20代・30代で深い関係性にあった知り合い(大学の同級生・大学の先輩・取引先・会社の同期・婚約者)を5人亡くしているし、若年性のガンについては、42歳だった大阪の知り合いにガンが判明、そこからの急展開をこの目で見た。
 
 兵庫県明石市の高度なガン治療ができる施設に見舞いに行った時はまだ元気だった。だがその8ヵ月後、京都の病院に転院したころにはガリガリにやせ細っており、少量の食事を終わらせるのに1時間もかかる状態だった。帰り際、病院の入り口近くで「オレは死にたくないんです!  また、中川さんと一緒にビールを飲みたいんです!」と慟哭し、1ヵ月後に亡くなった。
 
 彼は自分が生きた証を残したいと言い、「オレを何かの雑誌に出してください!」と依頼してきた。週刊SPA! 編集部からは「40代のがん患者が死ぬ前にやっておくべきこと」という特集を依頼された。彼は、まだ元気で死ぬことは想定していなかった時期に、若干の自虐ネタも交えてインタビューに応じてくれた。「あぁ、これで一つオレが生きた証ができました。ありがとうございます」と言われた。
 
 このように、実際に交流のあった人たちが亡くなった経験から、私にとってはコロナより鬱病と若年性のガンの方がよっぽど怖いのだ。
 
 若くして親を心筋梗塞で亡くした少年は一生、心筋梗塞をとにかく恐れるだろうし、家族が交通事故の犠牲になった人は、そのトラウマから車の運転ができなくなるかもしれない。
 個々人が個別の理由で「怖い何か」を持っていて当然なのに、おかしなことに、コロナについては強制的に全員が同じレベルで怖がらなくてはいけないような空気感になっている。
 こうした全体主義は「マスク警察」やテレビの「アーッ!  あそこにいる若者たちはマスクをしていません!」という報道にも表れている。
 
 たとえば、タバコを吸っていると肺がんになりやすくなるのはデータからも明らかだが、禁煙指定された場所以外でタバコを吸う人に向かって「こら、タバコを吸うんじゃない!」などとは、よほどのタバコ嫌い以外は注意しないだろうし、吸ってる側も「ここでは許可されてるだろ!」と逆ギレできる。
 
 だが、昨今の「マスク警察」にはこの理屈は通用しない。圧倒的多数のマスク着用者が発する「圧」により、気の弱い人はマスクをつけずに外を歩くのが恐ろしいと感じることだろう。
 
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【後編】「ボコボコに叩かれても私が「コロナ脳にとっての暴論」を書き続ける理由」に続く
 
 
 

 
 
【急げば急ぐほど警戒の目】
 
予約埋まらず ワクチン接種大誤算
 
 鳴り物入りで始まった自衛隊が運営する新型コロナの高齢者向け大規模ワクチン接種センターでは、5月30日までの1週間で東京4万人超、大阪2万人超が接種を受け、同31日から1日当たり1万5000人接種の本格運用に入った。
 
 もっとも、東京会場については予約枠が埋まらず、埼玉、千葉、神奈川の3県からの受け付けを前倒しして、ようやく埋まる状況。見過ごせないのはキャンセルの多さで、直前キャンセルが1週間で7401件あり、これは実際に接種した人数の11%にあたる。当日のドタキャンは3872件にも上った。
 
 もちろん急に体調不良になることもあるだろう。通勤時間帯で混雑する電車や地下鉄を乗り継いで東京・大手町まで出向くのに躊躇し、自宅に近い自治体接種を選んだ人もいるだろう。そもそも二重予約が可能なポンコツシステムなのだから、そうした混乱は必至だったが、ここへきて、週刊誌など一部メディアで報じられつつある「副反応」への不安も影響しているのではないか。
 
 医療関係者の話を総合すると、接種後8、9割が腕の痛みを訴え、2回目については半数が重い倦怠感や発熱があったという。さらに気になるのは、厚労省医療機関などからの報告として公表した85件の死亡事例だ。
 
 例えば基礎疾患のなかった26歳女性は接種後、普段通りに勤務していたものの4日後に脳出血などで死亡。接種後、筋肉痛やだるさを訴えていた67歳男性は、10日後のテニスプレー中に卒倒、心肺停止となった。
 
 報告書ではいずれも「ワクチンとの因果関係は評価できない」とされ、厚労省は「現時点では重大な懸念は認められない」としているが、死亡事例を知れば知るほど怖くなる。
 本来、10年単位で開発・治験が行われるワクチンを、今回は緊急使用でスピード承認されているからなおさらだ。
 
バスに乗り遅れるな
 
「1日100万回」「7月末まで高齢者接種完了」という菅首相トップダウンの掛け声の下、当初の供給不足の“飢餓感”もあり、国民はいまワクチン接種を「急げ、急げ」とあおられ、焦り、「バスに乗り遅れるな」の状態に置かれている。その一方で、政府は副反応についての丁寧な説明を避け、「重大な懸念は認められない」と断じるだけなのだ。
 
 厚労省は、アストラゼネカ製のワクチンをモデルナ製と同時に承認しているのに、「現時点で予防接種法の対象にせず、当面、公的接種には使わない方針」と決めている。欧州などで極めてまれに血栓が生じるリスクが報告されていることが影響しているからだが、ならばなぜ承認したのか、契約済みのものはどうするのか、政府からの説明はない。そうしたら、「台湾にアストラ製のワクチンの提供を検討」というから、日本では打てないものを台湾に送るのか? ワケがわからない。
 
 副反応での死亡事例について、医療ガバナンス研究所の上昌広理事長は日刊ゲンダイのコラムで、「小柄な日本人には過量(過剰投与)なのかもしれない」と指摘していた。米医学誌に掲載された臨床試験を参考にすると、「副反応と接種量の間には明白な用量依存性がある」というのだ。
 
 実際はどうなのか。政府は因果関係についてさらに詳しく調べてくれるのか。ワクチンに慎重な国民からすれば、聞きたいことは山ほどある。
 
 政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
 
「私も副反応に不安を覚えている一人です。基礎疾患のない人の死亡例もあるのに、どうしてもっとリスクを伝えたり、副反応についての議論をしたりしないのでしょうか。ワクチン接種を加速させたいがために、丁寧な説明をはしょっているのかと、疑心暗鬼になります。NHKを筆頭にメディアでは、学者が『ワクチン接種が進めば経済が回復する』と語ったり、医師が『早く打った方がいい』と勧めたりなど、打つのが当たり前のような報道ばかり。ワクチン接種頼みでシャカリキな菅政権と一体化しているかのようです」
 
「打たない選択は村八分」の空気づくりを政府が率先
 
<コロナ対策として重視すべきと考えるのは「コミュニケーション」ですね。社会の広い層にコロナを正しく理解してもらうこと。この点が日本はうまく行っていないと思います>
 免疫学が専門の宮坂昌之・大阪大学名誉教授が、月刊誌「文芸春秋」(6月号)での討論で、こう話していた。さらには、<「正しく恐れる」が感染症対策の要諦です。そして「正しい知識」を得ることがその第一歩です。厚労省のHPを見ても、多くの情報が単に羅列されているだけで、探したいものが見つからず、どこを読めばいいのか分からない>とも苦言を呈していた。
 
 これはワクチン接種についても言えるのではないだろうか。
 
 とにかく、菅政権は「接種を増やせ」の一点張りだ。国が財政支援して、自治体に次々と大規模接種会場をつくらせるだけでなく、1日は、職場や大学での接種を今月21日から開始可能とすることを発表した。東北大や広島大など全国7大学で先行実施する方向で調整されている。企業も日本航空などが具体的な検討に入ったという。
 
 医療従事者の接種が終わる前に、高齢者接種が始まったのと同様、高齢者接種完了前に64歳以下の現役世代や若年層を前倒しする。接種券がなくても打てるというから、もう何でもアリだ。
 
 その一方で、誤って生理食塩水のみを接種してしまったなどのミスが各地で頻発している。1日も東京の高齢者施設で、ワクチンを3回接種するミスがあったことが分かった。「急げ、急げ」で自治体や医療従事者に無理を強いているからではないのか。
 
 ワクチンの“負の側面”についても、接種を推進するのと同様に正確に伝えてもらいたいと考えている国民は少なくないはずだ。ところが、菅政権は国民との「コミュニケーション」が不足し、「正しい知識」を伝えようとしていない。
 
 そう考えると、「なぜそこまで急ぐのか」と逆に不信感を抱く人が出てくるのは当然だ
 立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)は言う。
 
菅首相東京五輪開催を前提にして、ワクチン接種のスケジュールを組んでいるからでしょう。そのために、日本全体を『急いでワクチン接種しなければならない』という空気に持っていこうとしている。本来、任意接種のワクチンですが、いまの日本で『打たない』という選択をしたら、白い目で見られて、村八分です。『良心の自由に基づいた選択』は憲法で保障されている。それを否定するのはファシズム的な発想です。政府が率先して打たない人をはじき出すようなムードをつくろうとしているのは危険です」
 
アメとムチで自治体もコントロール
 
 さらに驚いたのは、河野行革担当相が1日、自治体へのワクチンの追加配送で、高齢者接種率で上位の5県に傾斜配分すると発表したことだ。まずは5県に希望量を供給し、残りの都道府県は案分して配送するという。河野は「今後は、より厳しく接種実績を見たうえで、配送したい」と言ったが、自治体を競争させ、優劣をつける“ご褒美”方式である。アメとムチによる官僚コントロールが得意な菅政権らしい発想だ。
 
 自治体によって人口も年齢分布も異なるのに、そうした事情を無視しての上から目線。地方交付税を握る総務省を使った圧力もそうだったが、それほどまでの強権発動は、ワクチン接種の行方が、五輪開催と今秋に必ず行われる解散総選挙に直結すると考えているからだろう。
 国民の命と健康より、邪な政治的思惑。国民はそれを見透かしているから、政府がワクチン接種を急げば急ぐほど警戒の目を向けざるを得ない。
 
「菅政権が国民の命と健康を重視していたら、五輪なんてとっくに中止していますよ。菅原一秀・前経産相議員辞職させたのも解散総選挙の準備の一環でしょう。菅首相の頭の中には、五輪と選挙しかないのです。ワクチンだって、もし余ったら政治責任になるので、打ってもらわないと困るという事情もあるんじゃないですか。ともかくハチャメチャです」(本澤二郎氏=前出)
 
 ワクチンを接種するなら、菅首相の保身のためではなく、自分のために、十分納得したうえで打ちたい。それがマトモな国民の心情だ。
 
 
 今日も添付が長いので量子物理学は先送りします。
 
それでは、また明日・・・