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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1414 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年6月14日(月)、現在は朝の7時過ぎです。
昨夜未明から降り始めた降雨ですが、今日のお昼過ぎまでは続き、明日は
一日中曇天となり、その後の晴れ予報も雨模様に訂正されたようです。
ということは、今日あたりに関東甲信越地方の梅雨入りが発表されるかも
しれません。はっきり、どうでもいいことですが、毎年永劫回帰に繰り返す季節の
移り変わりが無いのは心配ごとが一つ増えるようなものなので、来るべきものは
来た方がベターではあります。
昨日のコロナ感染数は日曜日という事もあってか減少傾向とはなっています。
都で304人、全国的にも1387人までしか増えていません。多めの神奈川でも
170人止まりでした。
連日報道されているワクチン接種状況ですが、当方の接種日までまだ10日間
もあります。というか後10日しかない・・・という事も言えます。有名人の殆んどは
接種(当方以上の高齢者)したようですが、これも困りものです。摂取しない者は
何を言われるか???だからです。明石家さんまなどのワクチン接種しない派も
周りの接種意向が強くなり、せざるを得ない方向に向かっている気がします。
はっきり、このワクチン接種と東京五輪開催はセットで我が国民に対する国の
赤紙発行・貼り付け状態になりつつあります。この2件の案件は先の大戦が
最終段階を迎えた昭和17年以降ぐらいの世情と超似通って来ました。
ワクチンを摂取できない問題を抱えた人も多くいます。下にそれ関係の記事を
付けます。
ワクチン接種をためらう人の心配「副反応が出ても休めない問題」とは
ワクチンを打てない事情を抱える人も(写真/GettyImage)
「23番、24番、25番のかた、お並びください」
「少しでも異変があったら、スタッフにお申し出ください」
【別画像】倦怠感、発熱…これまでに起きたコロナワクチンの副反応の割合。発熱は21.5%
拡声器を通して全国でこんな声が飛び交っている。現在、国内における新型コロナウイルスワクチンの累計接種人数は約1165万人(6月3日現在)。会場には長蛇の列ができ、予約の電話番号にも連日コールが殺到する。それだけ早く接種を受け、抗体を作って自由で安全な生活を手に入れたいと希望する人が多いことの表れだ。
しかしその陰で、かき消されていく声もある。体の状態や生活環境などさまざまな事情で「打ちたくない」人もいれば、「打てない」人もいる。国は「あくまで接種は個人の自由」というが、本当に議論は尽くされているだろうか。
ワクチンを接種することによって自由を勝ち取った人たちがいる一方、人知れずため息をつく人もいる。フロリダ州のホームセンターで働く浅野育子さん(仮名・34才)は「副反応で仕事への支障が出るのが怖くて、接種をためらっている」と語る。
「もともとアメリカのファッション業界で働きたくて2年前に渡米しましたが、コロナの影響で仕事がなくなりました。いまはホームセンターに再就職できたけれど、シフト制の仕事なので、急に休めばその分だけ給与が減ってしまう。あまり長く休みすぎると解雇される可能性もある。
もし副反応が強く出てしまえば、長期にわたって休まなければならない。それが心配で、接種を受けることをちゅうちょしています。
とはいえ、近所では受けていない人はほとんどいないし、受けていない人の多くは政治思想が強かったり陰謀論者だったりする、ある意味“特殊な人”。そのうえ、受けていない人はどんどん肩身が狭くなってくる。先日は『ワクチン未接種者は55倍の値段を払わなければならないコンサート』も開催されました。そろそろ、副反応を怖がらずに受けなければならないことは、わかっているのですが……」
浅野さんのような悩みを抱える人は少なくない。大西さんが解説する。
「アメリカで予防接種を受けていない成人の半数近くは、その理由として副反応で仕事に影響が出ることへの懸念を挙げています。未接種者のうち5人に1人が、雇用主がワクチン接種のために有給休暇を与えれば、接種すると答えた調査もある。
特にアフリカ系やヒスパニック系の日雇いやシフト勤務の労働者にとって、問題は深刻。有給休暇を取得できる労働者でも、その半数は年に6日以下の休みしか取れません。副反応のために欠勤するのは、たとえそれが1日や2日であっても大変なことなのです」
日本でも毎日のようにワクチン接種のニュースが報じられているが、このような声にも耳を傾ける必要がありそうだ。
※女性セブン2021年6月24日号
本日は少し相撲も行っておきます。
朝乃山の処分が確定したら現況の相撲の在り方を根本から変える
論争を含め、これ以上このまんまではもう相撲興業は困難・・・という
現実をはっきりさせ、大元から仕切り直しに入ることが絶対必要になる
事は必至だと思われます。
当方、何度も言いますが、大体、あの小さな土俵で異常な大太りの力士という名の
変異種人類を作って、闘わせる競技など本来あってはならないものです。
怪我をすることが必至の格闘技です。ヨーイドン(相撲ではハッケよい残った残った)
で始めてあっと言う間に決着が付くか1分間ほどだらだらやっているかの違いはありますが、
まず、簡単に勝敗が付く格闘技です。
力士という名の変異種の存命期間は短く、大体60歳ぐらいまでに死に絶えます。
80歳近くまで生きている北の富士のような元力士は逆に異常な現象と言えます。
次回の7月場所(名古屋開催)が決まりましたが、観客はどうなるのでしょうか?
両国と同じに5千名限定にするのかどうか???です。そして一番大事な件で、
ワンピー姐さん(ワンピー観音)は名古屋でも観戦するのでしょうか? こちらが
当方の相撲関連では一番の心配ごとです。出来たら名古屋に泊まりがけで毎日
観戦が一番ですが、新幹線で15日間往復という手もあります。何とか全日観戦を
お願いする次第です!
大相撲と力士に関する要改革案件を下に付けます。読んで下さい。
大相撲と力士の将来を守るための「改革」が急務と言えるこれだけの理由
大相撲5月場所は照ノ富士が優勝決定戦の末に2場所連続、通算4度目の幕内優勝を決めた。
【写真】「毎日が交通事故です」大相撲力士たちの“超人的で異常な日常”
数年前に頭角を現してきた時は相手の攻めを受け止めてから持ち前のパワーでなぎ倒すようなスタイルだったのだが、序二段まで番付を落とした後は、パワーも健在で時折強引なきめ出しや豪快な投げも見られるが、取組の多くは鋭い立ち合いから差して相手に攻撃させずに素早く決着を付けるという形である。
貴景勝や朝乃山、そして正代といった力士たちが大関に昇進する中、長期休場を経て30歳を目前に大関に復帰、次世代力士を圧倒する形で相撲界を席巻する照ノ富士のストーリーは魅力的に映る。若き日の自分を越えて、進化して戻ってきた。その結果、以前は届かなかった「横綱」にまで手を掛けている。照ノ富士が勝つと、ツイッターのトレンドワードに毎日上がるほど、その注目度は高い。
だが、この復活ストーリーの美しさを礼賛する以上に、問題視しなければならないことがある。照ノ富士の長期休場が、膝をはじめとする怪我と内臓疾患という健康問題に起因していたことである。
大相撲は昭和33年に6場所制に移行してから、いつの時代も大横綱たちが土俵を牽引してきた。栃錦・若乃花の「栃若」に始まり、大鵬・柏戸の「柏鵬」、北の富士と玉の海の「北玉」、北の湖・輪島の「輪湖」、そして千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬と時代を紡いできた経緯がある。大横綱たちが土俵を締めることによって、大相撲は輝きを保ってきたと言えるのではないかと思う。
だが今年で36歳になる白鵬以降、その系譜を継ぐ者は現れていない。大横綱たちの多くが20代前半から土俵を席巻していることを考えると、現在が「非常事態」であることがお分かりいただけるだろう。
全盛期の三分の一程度しか入門者が居ないことや、他の人気スポーツに人材を奪われているということも原因の一つではあるが、若くして昇進した力士の多くが幕内上位の相撲に適応する前に、大きな怪我を負いながら強行出場せざるを得ないという事情がある。
野球やサッカーでは、大怪我した選手が完全復活を目指して1年以上欠場するケースも見られるが、大相撲だと横綱以外は番付が降下するためにそれをすることも出来ない。怪我をした後に万全の状態に戻すというケアが必要であるし、そして何より、怪我を未然に防ぐという意味での「改革」も急務だと言える。
「SCAT:スキャット1」の大相撲版
怪我をした後の対処という意味で考えると、実に考えさせられる事件が発生している。境川部屋の力士である響龍(ひびきりゅう)が取組中の事故が一因となり、他界したのである。
2021年3月場所、響龍は立合いで頭部を強打し、土俵に崩れ落ちた。そのまま動けなくなり、病院に搬送されたものの、約1か月後にこの世を去った。
このような悲劇から力士たちを守るために、果たして大相撲にはどのような改革が必要なのだろうかーー。
元横綱・大関を始めとする力士たちの治療に携わりながら全国柔整師協会関東甲信越地区支部長を務める乾智幸氏は、角界の非常事態を受け、「大相撲メディカルシステム構築・導入」を提言している。なお、乾氏は鍼灸師としてのキャリアを相撲部屋の住み込みとして働くことによってスタートしており、角界の事情にも精通している。その視点から実現可能な範囲で提案しているものである。
また、この提案はスポーツ界で重要視されている、スポーツによる脳震盪評価ツール「SCAT:スキャット1(Sports Concussion Assessment Tool)」の大相撲版の作成を念頭に置かれているが、脳震盪に限らず、怪我の予防と発生時のケアを考慮されているものである。
その内容は概ね以下の通りだ。
1)土俵際にメディカルスタッフを最低1名配置し、アクシデント発生時の迅速な対応を実現する。
2)力士の怪我は、メディカル・マネージャーを通じてアドバイザリー・ドクターに報告する。
3)現在、各部屋で行っている力士の健康状態の把握・管理を相撲協会が一本化し、健康診断の実施、健康相談の窓口の設置、場所前のメディカルチェック体制を敷き、メディカル・チームを通して理事会とも共有する。
4)親方・関取は直接アドバイザリー・ドクターと連絡をとり、助言等を受ける体制を構築する。
乾氏が考える現状の問題点は、怪我が土俵上で発生した時の対応が不十分であるということ、力士の健康状態を各部屋で管理するのは限界があること、力士から健康状態についてエスカレーションを上げるための仕組みが整備されていない、ということだ。
例えばボクシングの試合ではリング下にドクターが常駐しており、バッティングなどによる出血時には試合を一旦止めて傷の状態の確認をしている。だが大相撲には現状、このような対応が可能な人員は配備されていないのである。
本来であれば大相撲でもドクターを常時配備できれば良いのだが、現実的な観点から考えればアクシデントの一時対応が可能なスキルを保有するメディカルスタッフを配備するというラインでの提言になっている。
アクシデント発生後に更に上級の知識と経験を持つ担当(アドバイザリー・ドクター)にエスカレーションしてその後の対応について連絡・相談するというのも、以降の対応を適切に進めるうえで必要なことだろう。
また、力士の健康状態の把握について、現状では各相撲部屋に委ねられているという側面について考えると、当然、相撲部屋でも医学的な知識や管理経験に基づき対応しており、全てが悪いというわけではない。ただ、全ての部屋で適切な対応が行われているかと言われると、疑問が残る。健康状態の管理について、相撲協会からの指導や定期的なチェックが行われているという話も聞かない。
そういう意味で考えると、相撲協会で一元的に管理を行い定期的なチェックを行うというのは理に適っていると言えるだろう。定期的なチェックでは拾いきれない点については、窓口を設けて親方と関取が知見のあるドクター(アドバイザリー・ドクター)に相談する選択肢を設けているのは、きめ細やかな対応を実現するという視点からも意味がある。
ただ、これを見て思うのは、他の競技で行われているレベルの当たり前の「医療体制」が、なぜ大相撲では敷かれていないのか、ということだ。
力士と大相撲の将来を守るために
写真:現代ビジネス
大相撲は、平均体重が160キロを超える巨体が近距離からぶつかり合うという競技の性格上、取組中・稽古中にアクシデントが起きる確率が他の競技と比べて相対的に高い。その上、特殊な食習慣・生活習慣の関係で基礎疾患を持つリスクも高い。
そう考えると、現在の体制には不備があるというしかない。怪我や病気で才能が壊れていく事例が絶えないのは、不十分な医療体制に起因する部分も否定できないのではないか。
大相撲は現在、かつてと比べるとマイナースポーツ化しており、年間入門者数は80人前後と、ピーク時の三分の一程度である。また、旧時代的な価値観から脱却途上であるために、力士や関係者による不祥事が後を絶えない。
このような状況下で、コロナによる若手力士の逝去・持病を理由にした下位力士の引退も含め、世間の目が大相撲に厳しいことも事実だ。
大相撲の体質的な問題の是正は、この10年の間で取り組まれている最重要課題と言えるが、医療に代表されるように体制的な部分についても、喫緊の課題として取り組みを進めなくてはファン離れを招くばかりでなく、入門者数の減少という相撲を支える根本が揺らぐ事態を招く恐れがあることを忘れてはいけない。
照ノ富士の復活劇は、若くして成功した力士が挫折を経験し、そこから這い上がってきた美しいストーリーではあるのだが、死亡事故の件も含めて考えると、美しいだけで終わらせるわけにはいけない問題である。
もし過去に遡ってこの提言内容を実現できていたとしたら、照ノ富士にも響龍にも、また違った「現在」があったかもしれない。彼らが助かった未来を考える想像力があれば、誰もがスピード感をもって対応しなければならないということが分かるはずだ。
力士と大相撲の将来を守ることは、まだ可能なのである。
西尾 克洋(相撲ライター)
今日はここまでですが、量子物理学も行きます。
では、また明日・・・
はじめに
多くの人々の考え方に影響を与えている「科学的世界観」は、あまり愉快なものではない。この世界観に立つと、人間という種の本質は、地球上の生命史のなかで繰り広げられた無作為(ランダム)かつ偶然の出来事の産物であり、一人ひとりに特有の性質は、たまたま生まれ持つことになった遺伝子の組み合わせによって決まることになる。そして、あらゆる個人、企業、社会が際限なく取り組まなければならない日々の生存競争によって、私たちは利己的な存在の集団化と化し、肉体の限界や個人的・専門的な関心の範囲を超えたすべてのものと無縁の存在になってしまう。
科学の最先端に出現しつつあるこの視点に立てば、世界は、各部分が継ぎ目なくつながった一つの総体である。そればかりではない。その総体に含まれるすべての部分が互いにやり取りし合っているのだ。宇宙のなかで共存し共進化するものの間には、常に緊密なやりとりが存在する。共有されたつながりとメッセージは、実在を壮大な相互作用とコミュニケーションのネットワークへと変える。それは、微弱ではあるが常に存在し続ける響き合う宇宙の海なのだ。
宇宙が常に微妙に結合し合っているという考え方は、人間という種の未来を決める一本の道のなかで私たち一人ひとりがそれぞれの目標に向かって歩むときに行く先を照らし出す、信頼できる標識となる。個の確信が本書執筆の動機であり、本書を読まれる読者の方にもこの洞察が生まれることを願っている。