PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1445                   後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年7月15日(木)、現在は朝の7時20分です。
 
 曇天の一日が始まったようです。何となく冴えない日は今日までで、明日からは
晴天マークの羅列となっています。やっとというか(例年と変わらない)梅雨明けの
到来のようです。梅雨明けは気分的に有難いですが連日30℃台の暑さになることを
思うとやはり気が重たくなります。これといった予定のない”毎日が日曜日”人間な
ので楽ちんなのですが、早目にコロナ禍が終息することを祈らざるを得ません!
 昨日の感染に行きます。やっぱりというか当然というか都で大台乗せの1149人、
全国では3194人と大量発生です。何時もの100人以上では大阪が349人、
神奈川361人、埼玉で243人、千葉208人となっています。この増大は今後も減ることは
無さそうです。
 
 昨日、近くの罹りつけクリニックから第二回目ワクチンの接種を26日から明日の15日に
変更する旨の電話がありました。良いことか悪い事か(?)ですが、本日の2時には一応
行くことにしました。直近のワクチン関連記事によると接種後の死者数は増える一方との
報です。直近では接種後の排便で便秘が酷く、力み過ぎて死者が出たようです。当方的には
昨日大量排便がありましたので本日の第二回接種はあまり怖くはありません。というか、ワクチン
接種後に便秘になったらやたら力まずに自然に任せることにします。便秘が2~3日続いたからで
死ぬ人もいないでしょう!?!
 
 昨日、当方の座右の書として机の上に置いてある永井荷風散人の日記”断腸亭日常”の
昭和2年(1927年)12月23日の部分を読んでいたら『朝来微雨』、午後に至ってやむ。
という記述が見られます。これはおそらく『ちょうらいびう』と読むのだと思いますが、辞書や
ネットで調べても出てこないので???です。朝起きてからずっと降っていた小雨が午後に
なってやっと止んだという意味でしょうか!?!
この記述は12月ですが、梅雨もそんな感じですね。今年の入梅も今日明日で終わる感じです。
コロナも『朝来微雨』~のように終わってほしいものです。
 
 少しだけ、相撲も書きます。連日、超面白くない取り組みが連続します。ワンピー姐さんの
お休みだけでもつまらないのですが、白鵬照ノ富士の両力士の漣勝など見たくはありません。
当方不思議に思うのですが、白鵬は6場所休場した1年ぶりの登場です。照ノ富士も先場所まで
は優勝するにしても危うくというところも多々ありました。この2力士がここまで強いということが
超不思議なのです。これはどうも2力士が急に強くなったのではなく対戦相手が弱くなっているか、
実際に弱いのか、やる気がないのか…のいずれかでしょうか?当方らがどう考えても現状でこの
2力士に勝てる逸材はゼロです。千秋楽に全勝同士で決勝戦・・・という最低のシナリオが普通に
起こりそうです。
 
 今日は量子物理学だけ添付してお茶を濁します・・・
 
 
   では、また明日・・・・・
 
 
 
 
この新しい世界観の行き着く先
 現代の実験心理学の紛れもない祖であるグスタフ・フェヒナーは、危篤までなった重い病気から快復した直後に次のように記している・・・「私たちの誰かが死ぬとき、それは世界にある目の一つが閉じられるようなものだ。その特定の部分からの知覚的な貢献がすべて終わりを迎えるからだ。しかし、その人のさまざまな知覚の周囲に張り巡らされていた記憶や概念のつながりは、それまでと同じように大きな地球生命のなかに残り、さらに新しいつながりを形成しながら、未来永劫、成長し発展しつづける。それは、私たち自身の思考の明瞭な対象がいったん記憶にとどめられれば、新しいつながりが形成され、有限の一生のあいだ発展し続けるのと同じだ」。しかすると胎児は、母親の子宮のなかで成長していくどこかの段階で、私たちが生涯において蓄積した体験の記録の鍵を開けることができる暗号をたまたまにする(あるいは、もともと鍵を開けられるようななんらかの性質を持っている)のかもしれない。胎児は自分自身ではなく私たちの記憶を読み出し始める。その読み出し作業は、私たちの生涯の記録の最後に追加された情報に注がれる。つまり、私たちが死ぬ前に起きた(あるいは死に伴って起きた)体験である。