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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1517 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年9月25日(土)、現在は朝の6時半です。
この2日間ほどは夏のぶり返しともいうべき暑さが続きました。最高気温も
30℃を超えました。昨晩は降雨があり、今後は普通に季節通りの寒暖と
なるようです。今日からの4日間ほどは晴天で29日と30日に雨マークが付いて
いるのは台風16号の影響かと思われます。予想進路通りだと列島直撃なので
やや不安ではあります。
減少傾向の感染者数ですが、昨日は都で235人、全国では2093人となっています。
大阪が240人、神奈川が251人と出ていますが、どうもPCR検査に???が付きそう
な気配がするのでやや心配です。初冬あたりには第6波来襲となったらどう対処し
ましょうか?
このところ植草氏はワクチン接種の不備を突くコラムばかりとなっています。本日も
接種後死者千人超の記事です。
「植草一秀の『知られざる真実』」
2021/09/24
接種後急死者千人超を無視するな
第3037号
1999年8月24日、厚生労働省は「薬害エイズ事件」の反省から、血液製
剤によるHIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることの
ないように、その決意を銘記した「誓いの碑」を厚生労働省の正面玄関前に設
置した。
「誓いの碑」には次の言葉が刻まれている。
誓いの碑
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、
HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を
再び発生させることのないよう医薬品の安全
性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく
ことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月 厚生省
「誓いの碑」建立以降、毎年8月24日には厚労大臣が「薬害根絶の誓い」を
続けているとのこと。
2021年8月24日に田村厚労相は「薬害根絶の誓い」をしたのか。
多数の接種後急死者が発生している新型コロナワクチン。
メディアはワクチンのリスクに関連して「薬害根絶の誓い」をしっかりと報道
したか。
史上空前の薬害事件に発展する可能性は高いと考えられる。
新型コロナワクチンのリスクは極めて高いと考えるべきだ。
厚労省の副反応疑い報告によれば、本年9月3日までの時点で1155人の接
種後急死者が確認されている。
重篤化者は8月22日までの時点で4210人。
接種人数は8月22日時点で6654万人。
季節性インフルエンザワクチンでは、2018-19年シーズンの推定接種人
数5251万人に対して接種後急死者が3人と報告されている。
この数値を見て新型コロナワクチンのリスクを認識しない者はいないだろう。
新型コロナワクチンのリスクは決定的に高いと言うほかない。
高齢でない健常者のワクチン接種後のくも膜下出血、脳出血、心筋梗塞などに
よる急変、死亡事例が相次いで報道されている。
厚労省のサイトを見ると、ワクチン接種後の多数の急死者について、次のよう
なQ&Aが掲載されている。
サイトは「新型コロナワクチンQ&A」
メニューのなかに「Q&A」があり、これをクリックすると一番下に
「これは本当ですか?」
という項目が表示されるので、これをクリックする。
「これは本当ですか?」のページが表示される。
一番上に出てくるQ&Aが
Q 新型コロナワクチンの接種が原因で多くの方が亡くなっているというのは
本当ですか。
「詳細を見る」をクリックすると次の説明が表示される。
A 「ワクチンを接種した後に亡くなった」ということは、「ワクチンが原因
で亡くなった」ということではありません。接種後の死亡事例は報告されてい
ますが、新型コロナワクチンの接種が原因で多くの方が亡くなったということ
はありません。
と書かれている。
ポイントは次の部分
「新型コロナワクチンの接種が原因で多くの方が亡くなったということはあり
ません」
の文のなかの「接種が原因で」の部分。
政府は多数の接種後急死者とワクチンの因果関係を認めていない。
しかし、それは「因果関係がない」とするものではない。
「因果関係がない」とも「因果関係がある」とも断定していないだけなのだ。
しかし、9月3日時点で接種後急死者数は1155人。
接種人数は8月22日時点で6654万人。
この数値が恐ろしい理由は季節性インフルエンザワクチンとの比較で明らかに
なる。
季節性インフルエンザワクチンでは、2018-19年シーズンの場合、推定
接種人数5251万人に対して接種後急死者が3人。
両者を比較して新型コロナワクチンのリスクを重要視しないことがおかしい。
とても「薬害根絶の誓い」の碑を建立した省の説明とは考えられない。
厚労省は近い将来、重大な責任を問われることになるだろう。
多くの副反応疑いが報告されている。
因果関係の立証は容易でない。
容易でないというより、国は因果関係を認めようとしない。
福島原発事故後に子どもの甲状腺がんが多数発見されても、政府は因果関係を
認めない。
因果関係を認めないことは簡単。
「因果関係はないと考える」で済んでしまう。
除草剤のグリホサートも同じ。
製造業者は因果関係がないと言い張る。
しかし、グリホサートを長期間使用した人ががんを発症する。
裁判所が因果関係有りと認定しなければ因果関係があるということにされな
い。
厚労省が「薬害根絶の誓い」の碑を建立したなら、「予防原則」で行動するべ
きだ。
「因果関係がある」と立証されなくても、接種後急死者数が異常に多いことが
確認されるなら、その時点で接種を中止するべきなのだ。
「因果関係はない」と断定できるまで接種をストップするのが適正。
「因果関係がある」と確認されていないから、「ワクチンが原因で多数の死者
が生じているわけではない」と言い張るのではなく、多数の死者が報告されて
いるので、「因果関係がない」と確認できるまでは接種を中断すると判断する
べきだ。
現時点で「因果関係があると確認されていない」でも、将来「因果関係がある
と確認された」に変化する可能性がある。
そのときに、接種を中止しても手遅れだ。
季節性インフルエンザワクチンは5251万人接種で接種後急死者は3人。
新型コロナワクチンは6654万人接種で接種後急死者が1155人。
誰がどう見ても大きなリスクがあると判断できる。
厚労省が予防原則に立たずにワクチン接種を全面的に推進するのは、利権が背
景と推察される。
製薬企業は厚労省の最重要天下り先。
厚労省職員は退職後に関連業界企業、団体に天下りする。
そのために、関連業化企業、団体の利益を優先する。
しかし、そのために重大な薬害事件を引き起こしてきたのではないか。
サリドマイドでも厚生省の対応は遅れた。
そのために重大な薬害被害が引き起こされた。
「薬害根絶の誓い」の碑を建立しながら、なぜ、同じ過ちを繰り返すのか。
最終的には内閣総理大臣、厚労相、ワクチン担当相の責任。
為政者は新型コロナワクチンのリスクを正確に国民に伝えるべきだ。
多くの情報を持つ個人は、新型コロナワクチンの重大リスクを認識してワクチ
ン接種を忌避する。
厚労省サイトにも
「接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種
をご判断いただくことになります。」
と明記されている。
しかし、この説明を厚労省サイトのなかで発見するのは極めて難しい。
既述した「新型コロナワクチンQ&A」のページのなかのメニューをクリッ
ク。
一番下に「その他」という項目が表示される。
「その他」をクリックすると
Q 今回のワクチン接種の「努力義務」とは何ですか
という質問が表示される。
その画面の回答を開き、「詳細を見る」をクリックすると、ようやく説明が表
示される。
このなかに、
「この規定のことは、いわゆる「努力義務」と呼ばれていますが、義務とは異
なります。接種は強制ではなく、最終的には、あくまでも、ご本人が納得した
上で接種をご判断いただくことになります。」
が表示される。
厚労省サイトを閲覧する者で、ここに到達する国民は皆無に近いのではない
か。
トップページに「努力義務」についての説明を明記して、「本人の判断で接種
するかどうかを決める」ことを周知させるべきだ。
これが「インフォームド・コンセント」。
厚労省のスタンスは万死に値する。
以上でした。
次です。昨日近場のクリニックで22日に採血して検査に出した生検結果を
聞きに行ってきました。結果は超良好で高低に拘わらずほぼ全部正常範囲
以内の検査結果となりました。当然ですね、あと少しで(10月2日)禁酒デー
が丸々6か月となりますし、高脂血症系のものはあまり食していませんし、
炭水化物摂取過多もありません。今回のコロナ禍もそう簡単には過ぎ去っては
くれないでしょうから、飲み仲間との会合も後数か月はなさそうなので禁酒継続
は大丈夫のようです。
では昨日の相撲です。
昨日はやっぱりワンピー姐さん(観音様)はお休みでした。姐さんが不在だと
御利益的珍事は影を潜めます。昨日などは2大関とも完敗、2敗目を喫した横綱
照ノ富士も楽勝…と相成ります。それでも3敗で3力士が追っていますので今日と明日の
二日間は目が離せない取り組みがいくつか組まれることでしょう!?!
三敗力士は遠藤を筆頭に阿武咲(おおのしょう)と妙義龍の三人です。1人で良い
ので踏ん張って下さい・・・と言いたいです。当方的には今日明日のワンピー姐さんの登場を
切に願う次第です。
やっぱり食べ物の話は絶対について回る北の富士さんのコラムに行きます。昨日は
NHKの解説をテレビで観ていましたが、最終日(千秋楽)の日曜日もご登場願い奉り
ワンピー観音同様鎮座してほしいものです。
本日を含め晴天の日が続きそうです。今日はリハビリ→スーパーで買い物→お昼は
丸亀製麺→シャトレーゼと予定を組んでいます。外壁工事はこの2日間はお休みなので
少し息が抜けます。それでも組んでいる足場とシートが外れるのにはまだ2週間は罹る
と思われますので鬱陶しい限りです。
本日は最後に五木寛之氏の日刊ゲンダイの記事を(少し長すぎる13日分)付けますので
ゆっくり読んで下さい。
連載11213回 先週読んだ本の中から <1>
公開日:2021/09/06 17:00 更新日:2021/09/06 17:00
?どこまで続くヌカルミぞ
である。こう書いても若い読者諸君(70歳以下)には、何の感慨もないことだろう。昭和前期の戦争中に日本国民がひとしく熱唱した戦時歌謡の一節である。はたして中国との戦争は、その歌詞の通りになった。
首相が交替したからといって、コロナ禍が好転するわけではない。一進一退をくり返しながらのヌカルミ状態が続くのだろう。長期戦というか、ウイルスとの共存状態がニューノーマルとなるのだ。
コロナを撃退するのではない。打ち勝つのでもない。ベトナムやアフガニスタンのような戦争が延々と続く予感がする。
「ステイホーム」と、犬に命令するように言われて、自衛のために外出を控える日々が続いてきた。誰が陽性なのかわからないし、相手も疑心暗鬼だろうから人と会うのも極力避ける。PCR検査が当てにならないのは周知の通りである。
ワクチンは2度打ったが、最近はブースター接種などと称して3度打ちが奨励されているのだからユーウツだ。
部屋にとじこもって、食事をして、原稿を書く。あとはどうするか。本を読むしかない。いろんな本を寝そべって読む。古い雑誌も読む。きのうはいつの号かわからない昔の『新日本文学』を読んだ。『小野十三郎追悼特集』だった。どうしてこんな昔の雑誌が部屋にあるのか。
私は子供の頃から活字を読むのが好きだった。親の仕事の関係で、かつての植民地を転々として育ったために、遊び仲間がいなかったことも影響しているのだろうと思う。
私の本の読み方は、読書などというご立派なものではない。手当り次第に身近にある印刷物を読むのである。目的もなければ体系もない。単行本であろうと新聞、雑誌であろうと、宣伝広告のチラシであろうと、おかまいなしの乱読だ。濫読といったほうがぴったりくる。牛や羊が草を食べるように、しょっちゅう何かを読む。トイレに坐るときも何か読むものを持っていく。便座に腰をおろして、ときには30分以上、坐っていることもある。ベッドの中でも何か読む。催眠薬がわりに読む本もあるし、食事のときも活字を読みながらでないと食が進まない。
小学生、中学生の頃は、学校まで本を読みながら歩いて通った。よく交通事故に会わなかったものだと思う。20代の頃は貸本屋に通いづめだった。
(この項つづく)
連載11214回 先週読んだ本の中から <2>
公開日:2021/09/07 17:00 更新日:2021/09/07 17:00
(昨日のつづき)
この1週間ほどのあいだに読んだ本を挙げると、おおむねこんなところだろう。
『作家は時代の神経である』(高村薫著/毎日新聞出版刊)
『日本の美』(中井正一著/中公文庫)
『新・日露異色の群像30』(長塚英雄責任編集/生活ジャーナル刊)
『いつも隣に山頭火』(井上智重著/言視舎刊)
『親鸞の伝承と史実・関東に伝わる聖人像』(今井雅晴著/法蔵館刊)
『ロード・ジム』(ジョゼフ・コンラッド著/柴田元幸訳/河出文庫)
『熱風団地』(大沢在昌著/角川書店刊)
『日本の庶民仏教』(五来重著/講談社学術文庫)
『阿部薫2020―僕の前に誰もいなかった』(大島彰編集/文遊社刊)だった。
そのほか何十年も前の古い雑誌とか、週刊誌とか、活字であれば何でもOKという無定見な読み方でコロナ下の一日が過ぎていくのだ。風呂の中で読んだ本もある。失礼ながらトイレで読破した文庫本もある。食事をしながらページをめくった本もある。版元から送られてくる本もあれば、書店でみつけてきた本もある。そのなかでも特に迫力があったのは、高村薫さんの『作家は時代の神経である』の一冊だった。
これは、近頃めずらしい硬派の本である。ここに収められている61編のエッセイは、『サンデー毎日』の連載時評として毎号欠かさず目を通していたものばかりだが、あらためて単行本にまとまったものを読むと、著者の「持続する志」に、背骨をビシッと打たれたような感じがする。
タイトルは開高健の雑誌『世界』に連載された東欧諸国の旅行記に出てくる言葉だそうだ。時代の神経というからには、いま現在の問題としてコロナの問題を無視するわけにはいかない。この文集のなかでも10篇がコロナ問題を正面からタイトルに選んである。
私は作家というものは「時機相応の」表現者でなくてはならないと思ってきた。「時機相応」とは、かつて法然が南都北嶺の旧仏教に対して「いま、この場で」の信心を主張した思想である。<コロナ以後、一気に進む民主主義の後退>という文章など、時機相応の文章でありつつ、きたるべき世界への透視力が凄い。一読、襟を正しつつ、共感するところの多い高村薫ならではの迫力ある一冊だった。
(この項つづく)
連載11215回 先週読んだ本の中から <3>
公開日:2021/09/08 17:00 更新日:2021/09/08 17:00
(昨日のつづき)
さて、今井雅晴さんの『親鸞の伝承と史実』について。
親鸞本、という言い方は失礼だが、およそわが国の仏教関係図書の中で最も数が多いのは、親鸞その人についての本ではあるまいか。
『歎異抄』に関する著作だけでも十指にあまる新刊が刊行されている。
そんな無数の親鸞関係図書のなかで、或る独特のスタンスをとった研究書を精力的に書き続けているのが今井雅晴氏である。
『親鸞と東国門徒』、『親鸞とその家族』、『親鸞と如信』など、主として関東在住時代の親鸞についての実証的研究に独自のフィールドを構築してきた学者である。私も『小説・親鸞』を新聞に連載した折り、親鸞の東国での足跡と生活について様々に教えを受けたことがある。ご一緒に筑波山の頂上まで登って関東平野を展望したことなど、忘れることのできない思い出だ。
今井さんの視点には、一般の親鸞関係書とちがう独特の色彩がある。それはあくまで関東という地域に即しての実証的フィールドワークが土台になっていることだ。
親鸞の初期の支持者たちに、農民、庶民より、むしろ武士階級が多かったことなども、今井さんの著作から学んだ。<関東に伝わる聖人像>という副題をもつこの一冊も、学界からはとかく軽視されがちな在地の伝承や言い伝えなどを注視して、これまでの親鸞研究書にない新しい親鸞像を提示してくれる労作だ。従来の親鸞像に一石を投じる問題作というべきだろう。
これまで関東における親鸞の生活は、のちに京都へ帰るまでの雌伏の時代のように思われていたといっていい。
漠然と「東国」という言い方で描かれていたのだ。しかし、親鸞の一生のなかで、関東における生活はきわめて重要な時代であった。
東国とひと言で言うことが、そもそも地方に対する無意識の偏見の影が落ちている。あらためて言うまでもなく、当時の関東地方は経済的、文化的にも中央と拮抗する実力を有していた。鹿島は新しい外来文化の玄関口でもあった。中国やアジア諸国の情報の流入地でもあったのである。親鸞が鹿島に足を運んだのはそのためだと私は考えている。
常陸国、奥郡、笠間郡、北の郡、鹿島郡、行方郡などに残された親鸞の伝承は、これまで見えなかった親鸞の実像を映し出すものとして大いに注目すべきだろう。
親鸞のフィールドは京の都ではなくて、実は関東だった、とさえ思われてくる一冊だ。
連載11216回 先週読んだ本の中から <4>
公開日:2021/09/09 17:00 更新日:2021/09/09 17:00
(昨日のつづき)
中井正一の『日本の美 』(中公文庫)と、文遊社から出た『阿部薫2020-僕の前に誰もいなかった』を交互に読んだ。
かたや本体価格820円の文庫本。かたや本体2700円のずしりと重いハードカバー。阿部薫を論じる本がこんなに重くていいんだろうか、中井正一の1930年代の文章を収めた本が、こんなに軽くていいんだろうか、と、ふと戸惑う。
中井正一は私たちの世代にとってはレジェンドである。若き日の京都時代の中井の話は、故・久野収さんから何度となく聞いた。『世界文化』『土曜日』などのエディターであり、また滝川事件で反対運動に企投した彼は、特高の手で検挙され、懲役2年、執行猶予2年の判決をうける。
『土曜日』は幻のパンフレット・マガジンだ。京都の喫茶店に置かれたフロンポヒュレールふうの同誌に、映画評を投稿してきた学生が若き日の淀川長治だったと聞いたことがある。
中井正一は阿部薫のように若くして死ななかった。偽装転向して生き、戦後、国立国会図書館初代副館長に就任する。
彼は<文学―幽玄・わび>の中で、こんなことを語っている。
「上手の、極め到りて闌けてなす心位にて、時々異風を見することのあるを、初心の人これを学ぶことあり。この闌けてなすところの芸風、さうなく学ぶべからず」
という世阿弥の「闌ける」という境地は「異風」の世界だから真似しちゃいかん、と言うのだ。
この「闌けた」世界、危険な異風の世界に逆噴射して突入したのが阿部薫だったのかもしれない。並みの達人とは反対に、いきなりそこからスタートしたのだ。
もし彼が中井のように長生きしたら、どんな演奏をしていただろう、と、ふと考える。
私が知っている阿部薫は、すべて鈴木いづみを通してのものである。また間章、若松孝二、土取利行などを通じてのイメージでしかない。彼に殴られて前歯の欠けた鈴木いづみは、ひと晩中、阿部のことを語ってやめなかった。
しかし、死んだあとこれほど熱く人々に語られる演奏者が、ほかにいただろうか。この本は、いわゆる識者先生の解説論文ではない。それこそ一行ごとに文章を寄せている人の息づかいが感じられるような切迫感のある一冊である。
<おれの後には誰もいなかった>という言葉が表紙カバーにそえられているが、<おれの前にも誰もいなかった>と書き加えてもいいだろう。定価の10倍くらい読みごたえのある本だった。
(この項つづく)
連載11217回 先週読んだ本の中から <5>
公開日:2021/09/10 17:00 更新日:2021/09/10 17:00
(昨日のつづき)
先週読んだ本の中で、最も分厚く、最も重かったのが『新・日露異色の群像30』(生活ジャーナル刊)だ。
<――文化・相互理解に尽くした人々>とサブタイトルが付いている。一体どんな人たちの名前があがっているのかと眺めてみると、日本人20余人、ロシア人10人あまりの名前が並んでいた。私の知らない人々も多い。黒島伝治や神西清など、若い頃に読んだ書き手の名前もちらほら見られる。
なかには大鵬幸喜などというひさしぶりにお目にかかる名前もあった。大鵬は史上最高の横綱と称された第48代目の横綱である。
先日、亡くなった高橋三千綱は大鵬のことを、
「大鵬はカチアゲや張り手を使わず、受けて立つ相撲であれだけ強かった。もし白鵬と実際に戦ったなら、差し身の早い大鵬が左四つに組み止め、すくい投げか上手投げで決めると思う」
と、述べているそうだ。幕内優勝32回、45連勝、6連覇2回という実績だけで見ても凄い横綱だったと思わざるをえない。
大鵬の出自に関しては様々な推論があるが、兄の幸治は「父は白系ロシア人。若いころコサック騎兵隊の幹部だった」と語っているそうだが、ウクライナ系のロシア人だったことは事実だろう。母は納谷キヨ。
この本のなかで懐しかったのは、黒田辰男の章である。戦後、わが国のソヴェート文学の研究・紹介に献身したロシア文学者、と紹介されているが、私は昭和27年(1952年)春から数年間、早稲田の露文科で黒田先生の授業を受けている。当時は学生の間では「クロタツ」と呼ばれて、反発する連中も少くなかった。
当時の露文科には、ドストエフスキーの翻訳者として有名な米川正夫、評論家・除村吉太郎、ロシア人のワルワーラ・ブブノワなど、一家をなした先生がたがいて、壮観だった。が、のちに『静かなドン』を訳された横田瑞穂氏が私の先生だったが、黒田さんの授業も受けている。当時の露文のボスは、岡沢秀虎だった。通称「オカトラ」である。
当時の早稲田の露文科は、ひょっとしたら戦後の黄金時代といっていいかもしれない。
ショーロホフ、オストロフスキイ、グラトコフ、エレンブルグなど当時のソヴェート文学は活気にみちていた。やがてスターリンの死とともに、新しい時代が始まった。
さまざまな回想を誘う本だった。
(この項つづく)
連載11218回 続・先週読んだ本の中から <6>
公開日:2021/09/13 17:00 更新日:2021/09/13 17:00
(前回のつづき)
1週間(5回)で終るはずだった夏休みの読書感想文が、3分の1ほど今週に持ちこすことになってしまった。真面目に本の紹介だけしていればいいものを、つい横道にそれて雑談をしてしまう悪い癖のせいである。
さて、今週は山頭火についての2冊の本から始めよう。
じつは今秋、熊本で山頭火をめぐる催しが予定されていて、不肖、私も参加することになっているのだ。
そもそも私は種田山頭火という人物について、通り一遍の知識と関心しか持っていなかった人間である。ただ私自身が一カ所に腰を落ちつける事のできない性格であり、この国の定住の歴史や文化よりも移動放浪の山人・海民に関心を抱いてきたことから、遍浪者としての山頭火を、ずっと長いあいだひそかに意識し続けてきていたのは事実である(遍浪者であって遍路者ではない)。ある意味ではハプニングアートを見るような目で山頭火を遠望していたのだ。
故・赤尾兜子と、放哉と山頭火について激論を戦わせたこともあった。禅に関して、「座禅」というものがあるなら「歩禅」というものがあっていい、などと書いたのもその頃である。
そんなわけで、熊本にいくはずだったかわりに、ふと山頭火に関する2冊の本を手にとったのだ。
1冊は<ちくま文庫>の『放哉と山頭火』(渡辺利夫著)。
おそらくこれほど放哉と山頭火の生活に密着した本は少いのではないか。伝記というか、研究というか、2人の一挙手一投足にいたるまで細密に描いた文章である。ある意味では小説的なドキュメントといった感じのする描写で尾崎放哉と種田山頭火の足跡を丹念にたどる一冊だ。なみの入門書ではない。注目すべきは、筆者と対象の距離感である。カメラの視界のように冷静で感情移入が表に出ないのが特色なのだ。評伝でもなく論評でもなく、終始みだれぬ歩調で2人の足跡を追っていく。そうだ、この本の特色は文章のリズムに一切変化がないことだろう。
達意の文章には、全編いささかの乱れもなく、書き手の呼吸も転調することがない。4ビートのリズムが着実に刻まれていく。それを長所と見るか短所と感じるかは読み手の主観だろう。少くとも自由律とは離れた着実な文章で描かれた2人の姿が浮かんでくる。
(この項つづく)
連載11219回 続・先週読んだ本の中から <7>
公開日:2021/09/14 17:00 更新日:2021/09/14 17:00
(昨日のつづき)
<死を生きる>と副題のついた『放哉と山頭火』にくらべて、対照的な山頭火本が『いつも隣に山頭火』(井上智重著/言視舎刊/本体2200円)の一冊だ。
徹頭徹尾、主観を押さえて客観描写に徹した『放哉と山頭火』に対して、『いつも隣に山頭火』は、描く対象と書き手が一体化して、<隣りに>どころか腕を組み合って歩いているような体温の高い山頭火論である。いや、山頭火論というのではない。タイトル通り山頭火に対するオマージュというか、親愛の情があふれんばかりに横溢したラヴレターのような熱い一冊である。
随所に山頭火の句を惹きながら、山頭火の人生を共に歩んでいく。そんな感じのする作品で、私はこれを読みながら実際に山頭火がすぐ隣りに一緒にいるような気がした。
第一章 第二の故郷熊本
第二章 乞食坊主の生き方
第三章 安住の庵を求めて
第四章 旅への想い やみがたく
巻末特集として「山頭火のいた熊本」、そして坪内稔典氏との活気ある対談がおさめられている。
『山頭火のいた熊本』という特集は、親切なガイド本というだけでなく、研究者や山頭火初体験の読者にも読みごたえのあるコーナーだ。長く新聞社に在籍していた井上氏ならではの手腕だろう。<九州新聞に荻原井泉水の俳壇>などは、私にとってもじつに興味ぶかい一章だった。
今後、山頭火について関心を抱く読者はもとより、山頭火をずっと追い続けてきたキャリア読者にとっても、これほど充実した山頭火本はまず見当らないと思う。
この本の特質をひと言で言えば、山頭火を身近かに知ることと同時に、いやおうなしに山頭火を好きになってしまうことだ。作者の熱い思いがあふれて、読む側にもダイレクトに伝わってくるのである。
生涯をかけて遍浪した山頭火を、著者は生涯をかけて同行したという感さえする熱い一冊だった。
これまでも、そして今後も、この作品を超える山頭火論はないのではないか。このような同行者を持った山頭火は幸せな男だと思った。
山頭火に熱い関心を抱く読者も、またそれほど興味を持たなかった人にも、ぜひ読んで欲しい作品だ。
この本のなかに、福岡県と熊本県の県境の峠の話がでてくるが、山頭火もこの峠を歩いて越えたと知って感慨ぶかかった。それにはちょっとしたわけがある。
(この項つづく)
連載11220回 続・先週読んだ本の中から <8>
公開日:2021/09/15 17:00 更新日:2021/09/15 17:00
(昨日のつづき)
私ごとだが、戦後、引揚げてきてから、何年間かは縁故をたよって、あちこちで暮した。
師範学校出で、教員生活しかしらない父親は、闇ブローカーをやったり、密造酒の生産に手を出したり、武家の商法的な失敗をくり返したりしていたが、一時期、熊本県と福岡県の県境にある山間の峠で、今でいうドライブインのミニ版のようなショップを始めたことがあった。山中峠とか小栗峠とかいわれる淋しい場所である。しばらくしか続かなかったが、中学生の私は、ときどき夜に一人でその店に泊ることがあった。当時の八女郡の辺春村である。文字通りの辺境の峠だ。昭和6年冬、山頭火はこの峠を越えて福島町へ向かったらしい。そうか、彼もあの道を歩いたのか。
さらに冷水峠をこえ、筑豊に回っている。ここで飯塚を過ぎ、田川へ向かう。この飯塚と田川の間にあるのがカラス尾崎だ。この本では鳥尾峠とあるが、烏尾崎だろう。私たちは短くカラス崎と呼んでいた。この峠から遠望する香春岳の描写が、私の長編小説の冒頭の文章だ。彼が歩いたのは、昭和7年、私が生まれた年である。
<鉄鉢の中へも霰>
とは、この筑豊の旅から生まれた句かもしれない。
山頭火はこの旅で福岡へ着くと今でいうサイン会のような句会をやっている。短冊60枚書いたというから盛会だったのだろう。
意外だったのは、山頭火は酔うと若山牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」という歌を朗唱したという。
このエピソードを読んで、私はすぐに詩人、小野十三郎のことを思いだした。私たちが大学生だった頃は、小野十三郎の抒情をうたうな、という言葉がモットーだったのだ。赤まんまの花より石油コンビナートの存在感を、と公式的に決めこんでいたのである。
ところが小野の追悼特集では、小野十三郎は、酔うと啄木の「やわらかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」という歌を愛唱してやまなかったという。これは意外だったし、ちょっとショックだった。
牧水の歌を酔って朗唱する山頭火の姿は、硬化した山頭火像に、ある新鮮な刺戟をあたえるエピソードだ。
『いつも隣に山頭火』を読むと、すぐそばに彼がいるような錯覚をおぼえずにはいられない。いい本を読んだ、と思った。山頭火を知るには最良の一冊だと思う。言視舎はいい本を出したものだ。
(この項つづく)
連載11221回 続・先週読んだ本の中から <9>
公開日:2021/09/16 17:00 更新日:2021/09/16 17:00
(昨日のつづき)
放哉にしても山頭火にしても、なぜ私たちは放浪遊行の先達に惹かれるのだろうか。
最近、また注目されだしたノマド的生き方への憧憬だろうか。それとも自由な個人生活に惹かれるのか。
そうではないような気がする。その根元にあるのは、或る種の宗教的志向ではないか。
山頭火が僧形で旅したことは、単なる便利を考えてのことではない。みずからも仏門に身をあずけた経歴はともかく、山頭火は行乞に身を投じ、人々の布施をたよりに旅をしたのだ。近世幕藩体制のなかでは、農民も労働者も定住を強いられた。しかし、仏教者は本来、放浪と遊行の思想である。
『日本の庶民仏教』(五来重著/講談社学術文庫)の中で、著者はこう書いている。
<(前略)キリスト教は一所定住を重んじ、この戒律が中世の修道士たちを規制した。ところが日本では宗教者は本来放浪者であった>
わが国の庶民宗教のなかで、歌と踊りの伝統は驚くべき熱狂をもたらした。一遍上人の踊り念仏は言うまでもなく、床を踏み破るほどの踊りの熱狂は、いまでは想像できないほどの激しさであった。
次回のパリ五輪大会からは、ブレイク・ダンスが競技種目に加わるという。ストリートダンスでもあるこの身体的表現は、中世の宗教世界では普通のことであったらしい。踊り念仏の熱狂のうちに床を踏み破る話があるが、著者はそれをマジカル・ステップと呼ぶ。
<(中略)私は宗教というものは本来、遊行であり放浪であると思っている。(中略)もともと神そのものが遊行し放浪したのである>
<(前略)これを今まで日本文化を「恥の文化」とする理念でとらえられてきた。西洋文化を「罪の文化」とし、日本文化を「恥の文化」とする撫で斬り日本人論である。このような日本人論は、日本人は一億総武士だという、あやまった発想から出発する。いうまでもなく、恥というのは武士道のような、社会的・倫理的概念である。人にわらわれまい、家名をけがすまいとする。これに対して宗教的な罪のために生命をすてる、もう一つの「死に様」がある。これは日本人の「罪の文化」である。罪の自覚の上に立って「罪ほろぼし」すなわち滅罪のための宗教的実践をする「生き様」があることは案外に知られていない。これは武士階級や支配階級の道徳とはちがって、庶民の宗教生活の中に生きてきた、もう一つの日本文化である>
あらためて最初から読みなおしてみようと思う。 (この項つづく)
連載11222回 続・先週読んだ本の中から <10>
公開日:2021/09/17 17:00 更新日:2021/09/17 17:00
(昨日のつづき)
ジョゼフ・コンラッドの『ロード・ジム』(柴田元幸訳/河出文庫)と、『熱風団地』(大沢在昌/角川書店)をつづけて読んだ。時代もちがえばジャンルもちがう2作品だが、少しも変らぬ共通項がそこにはある。
それは小説というものの本質だ。さまざまに主張はあるだろうが、つまるところ小説を読むということは「ちがう人生を生きる」ということにつきるのではないだろうか。
私たちは限られた人生を生きている。時代も、職業も、個性も、国籍も、環境も、体力も、すべてひとりひとりがちがう。あたえられた人生の枠の中で生き、そこで生活し、その枠の中で生涯を終えるのである。
小説を読むということは、その限界を越えて、ちがう人生を生きるということだ。少くとも、それをリアルに体験することにほかならない。これほど驚異的なことが、世の中にほかにあるだろうか。
コンラッドについては、中野好夫さんからさまざまに教えを受けた。コッポラが来日した時には「平凡パンチ」紙上で決定的に対立した激論をかわした。通訳つきだが、身ぶり手ぶり、表情、声色を総動員して、『地獄の黙示録』からコンラッドの映画化についてやりあった記憶がある。
『ロード・ジム』も、その「自分でない人間」の人生を生きるための乗物の一つだ。ある英国の批評家は、チェーホフの『三人姉妹』を引きあいに出してコンラッドについて語っているという。チェーホフとコンラッド。それに驚くことはない。ともに他人の人生を生きるという特別な体験を味わわせてくれる表現者だからである。
小説は他人の人生を生きることを可能にする道具だ。私はその視点からすべての小説を読んできた。古典であろうと、19世紀の作品であろうと、現代文学であろうと、純文学であろうとエンタメ小説であろうと、その一点だけにこだわる姿勢は、いまも昔も変らない。リボルバーの銃口を相手に向けて、ためらいなく引金を引くことなど私の人生にはありえないことだ。しかし、『ロード・ジム』の物語りのなかで、私はそれをやる。
小説は自分を超えて他人の人生を生きる道具である。私はこの単純素朴な一点に固執して、さまざまな小説を読んできた。描かれる主人公に、また登場人物にスムーズに同化できる場合もあり、できない時もある。それは縁がなかったということにすぎない。
(この項つづく)
連載11223回 続・先週読んだ本の中から <11>
公開日:2021/09/21 17:00 更新日:2021/09/21 17:00
(前回のつづき)
大沢在昌は不思議な作家である。大ベテランであるにもかかわらず、全然ペースが落ちない。すべての作家は、新人期、全盛期、円熟期と、3つの季節を通過してその季節を完結するのが常である。しかし大沢在昌にはそのサイクルがない。「新宿鮫シリーズ」で鮮烈な印象を残して以来、ほとんどペースを落さずに作品を発表し続けてきた。最近でも『帰去来』『悪魔には悪魔を』、そしてこんど読んだ『熱風団地』と、たて続けに書店の平台を占拠し続けており、以前の作品で『爆身』『獣眼』なども並んでいる。
しかし、多作だけをいうなら、ほかに幾人もの書き手を挙げることができるだろう。だが、多作はおのずとマンネリをもたらす。彼の驚くべき能力は、数十年にわたって世に送ってきた多数の作品の質が、まったくレベルを落とさず、常に一定の水準をたもちつつ読者に充足感をあたえ続けてきている点にある。
以前、『海と月の迷路』で吉川英治文学賞を受けたあとも、少しも作風を変えることなく、平然と自分の道を歩み続けてきた。
故・生島治郎は、大沢在昌と北方謙三を世に送った作家として記憶されていい。ハードボイルドは日本的風土にはなじまない、という先入観は、日本人にはジャズはやれないという偏見と同じである。
かつてジーン・クルーパが来日したとき、日本人ジャズメンに残したのは、「Keep On!」という一語だった。1980年代初頭に作家デビューをはたして以来四十数年、少しも歩調を乱すことなく書き続けてきた大沢在昌に、ジーン・クルーパは黙って握手するだろう。
以前、彼が作家志望の若者たちのために小説家としての心得を語っている本を読んだことがあった。角川かどこかでの講座の内容をまとめたものだ。私はそれを読んでプロの作家はいかにあるべきかを、あらためて痛感したものだった。作家になることは不可能ではない。しかし職業作家として生き続けることは至難の道である。大沢在昌は堂々とその大道を歩み続けてきた。そして現在も決して円熟することなく、デビュー当時のリズムで書き続けている。
一度や二度、ホームラン王を獲得することは、めずらしい事ではない。しかし何十年にもわたって打率3割以上を維持し続ける打者こそプロというものだ。大沢在昌は、その意味でまさしく職業作家の鑑というべきだろう。『熱風団地』を一読して、あらためてそう思った。
(この項つづく)
連載11224回 続・先週読んだ本の中から <12>
公開日:2021/09/22 17:00 更新日:2021/09/22 17:00
(昨日のつづき)
佐藤愛子さんの最近のご本を2冊、読んだ。読みだしたら途中でとまらない。一冊は文庫本『九十歳。何がめでたい』(小学館文庫)で、もう一冊がハードカバーの『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(小学館)である。
佐藤さんと雑誌で対談をさせて頂いたのは、たぶん今年になってからのことだと思う。最近、時空の記憶がからきし駄目になってしまって、3カ月以上前のことだとほとんど忘れてしまうようになった。
その時の話の内容も、今ははっきりしない。おぼえているのは、和服姿の佐藤さんが、じつにシャキッとして、話される声に力があったことだ。
そのとき伺った話の中で印象ぶかかったのは、御父君の佐藤紅緑が書くことを止めた際のエピソードである。『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』のなかにもその話が出てくる、『マグロの気持』という一章だ。
むかし落語の名人が、晩年に高座で一瞬、言葉につまって、キッパリと仕事をやめた話を感慨ぶかく聞いたことがあった。どんな才能のある表現者でも引き際を意識することはあるものだ。しかし、いさぎよく筆を断つのも見事、逆にマグロのように生きている限り休むことなく泳ぎ続けるのも立派、ということだろう。
佐藤愛子さんの書くものを皆がきそって読むのは、マグロ派に対する共感からかもしれない。私よりちょうど10歳歳上の作家の文章には、少しの緩みもない。リズムとテンポのある泳ぎ方だ。「日は暮れ」ても、一日が終ったわけではない。一昼夜、などと言うではないか。日暮れてなお道はるか、なのだ。『みいれなのか ねのね』という奇妙な一章が感慨ぶかかった。佐藤さんが幼い頃に耳にしたという歌の、ほとんどを私も知っている。<ストトン節>などというのは、佐藤さんのような良家の子女はご存知ない替え歌のほうを毎日うたっていたのだ。
「ストトン ストトンと音がする 寝ていた坊やが目を覚まし 父ちゃんあの音なんの音――」などと猥褻な歌ばかり熱唱していた。こんな文章を読んでいるうちに、なんとなく胸に迫るものがある。「おもしろうて やがて かなしき」という感じだ。
言いたいほうだい言っているようで、笑って、考えて、しんみりさせられるところが、愛子エッセイの真価だろう。
私も今月末で89歳に。あと10年、マグロのように口を開けて泳ぎ続けられるのだろうか。
連載11225回 続・先週読んだ本の中から <13>
公開日:2021/09/24 17:00 更新日:2021/09/24 17:00
(前回のつづき)
べつに政府の「緊急事態宣言」に従順にしたがっているわけではないが、このところ完全に外出することなく、室内にこもって暮らしてきた。こうなると、本を読むか原稿を書くかしかない。食事の時をのぞいて、なすこともなく文庫本を読む。トイレで読み、食事中に読み、ベッドに入って読む。手当り次第に手近かにある本を目的もなく読みつつ一日が過ぎてゆく。
この数日間、走り読みしたのは、『宿敵』(上下/リー・チャイルド著/講談社文庫)、『回想の明治維新―ロシア人革命家の手記』(メーチニコフ著/渡辺雅司訳/岩波文庫)、『選択本願念仏集・法然の教え』(阿満利麿訳・解説/角川ソフィア文庫)、『壊れた世界の者たちよ』(ドン・ウィンズロウ著/田口俊樹訳/ハーパーコリンズ・ジャパン刊)などなど。
リー・チャイルドは、まあまあ新刊が出たら読む作家である。ドン・ウィンズロウは迷ったあげくに読みにかかる感じの作家だ。なにかいま一つ読みづらいところがあるのだが、なんとなく気になって、つい分厚い文庫本を買ってしまうのだ。
アメリカの都市型ハードボイルドというか、サスペンス小説は最近、これという作品が出ていない感じがする。結局、何べんも同じ有名作家のものを再読、三読することが多い。
皮肉なもので、こういう本は最後に卓抜なトリックがないほうが再読に耐えるのである。
結末に鮮やかなドンデン返しがあったり、唸るような解決法が出てきたりする作品は、2度読み、3度読みには向かないという困った問題が出てくる。見事な解決がある作品は、ああ、あのシーンで一挙に逆転するんだな、とわかっていると読み進むのがおっくうになってくるのだ。
トリックというか、アイデアというか、結末にそれがあって最初に読んだとき感嘆させられると、再読する気があまりなくなるのは残念な気がしないでもない。
その点、事実だけを投げ出したような小説は、何度でも読み返すことができる。結末は平凡なほうがいい、というのは読者の勝手な期待だろうか。
わが国の外国小説の翻訳の質の高さは、いつも感心させられるところだが、今後むずかしいのは女性語の問題だろう。女刑事や女性の登場人物が、いわゆる「おんな言葉」を使うことに違和感を抱く読者も増えてくるにちがいない。いまやわが国でさえ、男女間の言葉の差は急激に失われつつあるのだから。
(この項おわり)
以上でした。超長かったですね!!! では、また明日・・・・・