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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1531 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年10月9日(土)、現在は朝の7時ジャストです。
曇天の明け方ですが、今日は今後晴天を予想していますので軽い外出日和と
なりそうです。当方はリハビリ→”じゅんさい池1周ウォーキング”と熟す予定ですが、
足腰の具合次第でしょうか?
それにしてもコロナ感染数は大幅減となって来ましたね。昨日は都で138人、大阪で
166人と出て、全国では827人だけとなっています。都と大阪の2大都市圏の他は
全国で523人しか感染者が出ていないことになります。どうもこの激減は信じがたい
気がして仕方ありません。当方、今日からは3連休とばかり思っていましたが、違って
いました。10月11日の振替休日の”スポーツの日”というやつは7月の五輪開催時に
前倒しでもう休んでいたのですね!という事は今週末は普通の土・日だけという事に
なるわけです。遠出は不可です!?!
本日は植草氏と五木先生の日刊ゲンダイのコラムを付けます。これ以上つけると
長すぎるので今日はここまでです。量子物理学は付けますが・・・
「植草一秀の『知られざる真実』」
2021/10/08
野党共闘妨害する連合芳野会長
第3049号
10月14日に衆議院が解散され、衆院総選挙が10月19日公示、10月3
1日投票の日程で挙行される。
事実上の任期満了選挙。
岸田文雄首相は1年の時間をかけて党首選戦略を描いてきたと考えられる。
他方、野党第一党が頼ってきたのは菅義偉氏。
菅義偉氏の尽力だけが立憲民主党を支えていたと言って過言でない。
8月22日の横浜市長選。
立憲民主党が支援した候補が勝利できたのは菅義偉首相のお陰。
菅義偉氏が小此木八郎候補支援に尽力すればするほど、小此木票が減り、立憲
の山中票が増えた。
菅氏の尽力のお陰で山中氏が当選できた。
こう考えると立憲民主党は菅義偉氏を大切に取り扱う必要があったが後の祭
り。
菅義偉氏が9月3日に首相辞任の意向を表明して情勢が一変した。
菅義偉氏頼みの一本足打法では一本足の菅義偉氏が退場してしまうと立つ瀬が
ない。
枝野幸男氏は、菅義偉首相退陣は我々の成果と述べたが、事情を理解していな
い。
菅義偉首相退陣は枝野立憲を窮地に追い込む最大の決め手だった。
菅首相が退いて立憲には何も残されていない。
政権奪取を考えるなら、敵の戦術を知ることから始めるしかない。
敵の戦術は三つ。
動員、妨害、分断。
動員は自公支持者を必ず投票所に動員すること。
妨害は自公支持者以外の有権者が政治に関心を持つことを妨害すること。
芸能ニュースなどに関心を引き寄せることが行われる。
分断は反自公勢力を二つに割ること。
戦術上はこれが何よりも重要。
反自公勢力を二つに割るにはどうするか。
共産党を誹謗中傷して反自公陣営を
「共産党と共闘する勢力」
と
「共産党と共闘しない勢力」
に分断する。
この活動をもっとも熱心に展開しているのが「連合六産別」と「国民民主党」
連合の会長が交代した。
新たに連合会長に就任した芳野友子氏。
芳野新会長は10月7日、都内で記者会見し、
「連合はこれまでも共産の閣外協力はあり得ないと主張している」
と述べた。
連合は旧総評系組合と旧同盟系組合などが合流して創設された労働組合連合
体。
総評系組合が本来的な意味の労働組合であるのに対し、同盟系組合の多くは大
企業御用組合。
水と油の関係。
大企業御用組合系組合が現在の「連合六産別」と表現できる。
連合の組合員数約700万人の約6割に当たる約400万人が6産別所属。
6産別は
UAゼンセン=繊維、化学、食品、流通など(177万)
自動車総連=自動車(79万)
電機連合=電機(57万)
JAM=機械、金属(38万)
基幹労連=鉄鋼、造船、非鉄(27万)
電力総連=電力(21万)
芳野氏が所属するJUKI労組の上部団体がJAM。
旧同盟はCIAが野党分断のために創設した民主社会党(民社党)の支援母体
だった。
その延長線上にあるのが国民民主党と連合六産別ということになる。
枝野氏が連合六産別に隷従するなら枝野氏の下で政治刷新を期待することはで
きないということになる。
国民民主党と連合六産別が何を主張しているのかを見れば、構図をすぐに理解
できる。
国民民主党と連合六産別は
「共産党とは共闘できない」
と主張している。
まさに、分断戦術の実働部隊なのだ。
歴史的には民社党と同盟の流れを汲んでいる。
連合は旧総評系組合と旧同盟系組合が軸になって創設された。
しかし、現在は旧同盟系の組合が中心の「連合六産別」が連合の主導権を握っ
ている。
大企業御用組合が金銭的にも豊かでこれも六産別が主導権を握る重要な一因に
なっている。
もう一つの問題がある。
旧総評系の組合は社会党との関係が深い。
共産党系の労働組合と社会党系の労働組合は歴史的に対立してきた。
このこともあり、革新陣営における連帯構築が難しくなっている。
しかし、現状を放置することは自公サイドの思うつぼ。
公明支持者はどのような発言を示しているか。
「共産党と共闘しない野党共闘の方が怖い」
と言う。
これは典型的な「まんじゅう怖い」。
本当はまんじゅうが大好きだから「まんじゅう怖い」と叫ぶ。
するとまんじゅうが投げ込まれる。
願ったり叶ったりだ。
「共産党と共闘しない野党共闘が怖い」と叫んで、「共産党と共闘しない野党
共闘」を育てる。
他方で、「共産党と共に闘う」勢力は確実に存在するから、反自公陣営は二つ
に分断される。
これを狙って「共産党と組まない野党共闘が怖い」と叫ぶ。
どうしたらよいか。
答えは明白だ。
共産党を含む野党共闘を育てること。
その際に重要なことは、「共産党との共闘などあり得ない」と叫ぶ者を除去す
ること。
「共産党との共闘などあり得ない」
と叫ぶ者は、間違いなくCIAとつながる者と考えられる。
非常に分かりやすい。
反自公陣営が一枚岩にならないようにこれを叫んでいる。
この勢力は本来的に自公の支援者。
だから、この人々には自公サイドに行ってもらう。
丁重にご案内して、正々堂々と自公の応援団になってもらうのが正しい。
戦争法制を肯定
原発稼働を肯定
新自由主義経済政策を肯定=消費税増税に賛成
が連合六産別の基本スタンスと理解できる。
自公の応援団になってもらう方が理にかなっている。
ところが、現状では立憲民主党の枝野幸男氏が連合六産別に阿(おもね)って
いる。
選挙区の候補者調整もほとんど進んでいない。
これで政権奪取出来るわけがない。
総選挙前哨戦になる参院静岡、山口補選が10月7日に告示された。
しかし、この選挙でも野党共闘が構築されていない。
これでは自公政治が続く。
CIAの念願は自公と第二自公による二大勢力体制を構築すること。
これが実現すれば、米国による日本支配は半永久的になる。
選挙協力が進展していない現状に鑑み、主権者である市民の総選挙対応には英
断が必要になる。
次に五木寛之氏です。
連載11231回 対談は時代を映す <1>
公開日:2021/10/04 17:00 更新日:2021/10/04 17:00
<対談>というのは、表現の原初的な形態である。人は独白する前に、他人と話し合った言葉だけでなく、身振りや表情、また声色や笑いなどによっても相互に交流した。
<対談>の場、というものがある。その時、その人、その場所によって一つの祭りが成立する。それが<対談>というものだ。
<対談>は対話とはちがう。対話を静とするならば<対談>は動だ。講話と講談のちがいのようなものかもしれない。
私は対話はほとんどしていないが、<対談>のほうなら数えきれないほどやってきた。
雑誌や週刊誌、PR誌の<対談>のホストもつとめてきた。ラジオやテレビの<対談番組>もやってきた。若い頃は毎月、10人ほどのゲストと<対談>したこともある。これまでの<対談>の数をかぞえたら、一体どれくらいになるだろう。
いちど思いつくままに、対談させて頂いたかたがたの名前を数えてみたが、500人あたりまできたところで諦めた。
先日、浅川マキのことを書いていて、彼女といちど金沢であったことがある、と書いたあと、そういえば<対談>したこともあったと思いだして、あわてて訂正した。デビューの前後に一度、そして歌手、浅川マキとして対談したときと、計2度は言葉をかわしたのだった。
念のために探してみると、1971年(昭46)に文藝春秋から出した『真夜中対談』という単行本に収録されているのがみつかった。1971年といえば、私がまだ30代の新人作家だった頃である。
この対談集は、いまはなき『週刊読売』誌上に連載したもので、私が真夜中にゲストを招いて対談をやろうという、かなり型破りの企画だった。
単行本のオビの文句もすこぶる威勢がいい。
《草木も眠る丑三つ刻に当代の快男奇女が双肌ぬいでくりひろげる衝撃の大舌戦。ポルノから文明論までのユーモア対談集!》
と、かなり気合いがはいっている。
当代の快男奇女とは、はたしてどういうかたがたであったのか。「当時の」というところがミソなのだ。時分の花、というか、その時代、70年代の空気を色濃く背負った<時の人>たちである。登場人物とテーマを掲載順に列記してみよう。
永六輔(偽三島由紀夫と偽新珠三千代)
冨士眞奈美(感じる女が褥を去るとき)
(この項つづく)
連載11232回 対談は時代を映す <2>
公開日:2021/10/05 17:00 更新日:2021/10/05 17:00
(昨日のつづき)
永六輔さんとの対談は『真夜中対談』のシリーズのトップのゲストだった。
こちらがサービスしなくても、永さんのほうから面白い話をどんどん提供してくれる。サービス精神旺盛なのは冗談工房の特性だろう。
三島由紀夫とよく間違われる、という話から、こんなエピソードまで披露してくれた。
<(前略)一度、女房と歩いてたら、三島さんでしょう、ってサイン帳出された。
しかたなしに三島由紀夫って書いて渡そうとしたら、相手がモジモジしてね。女房のやつを横目でチラチラうかがいながら、言いにくそうにして、あの、お連れの方にも書いていただけませんか、って。
それで、おまえどうする、って女房にサイン帳わたしてやったら、これがまた澄ました顔で新珠三千代って書くの。(笑)>
いつもニコニコしている印象の永さんだが、実際にはすごく喧嘩っぱやいところがあるらしい。番組の制作中でも、言いたいことをズケズケ言うから、顰蹙されるところもあったことだろう。
徳川夢声さんの日記に、こんな事が書いてあったそうだ。
<二十九年四月某日、KRで『失言時代』が始まる。その台本を書いている永六輔という若者が現れた。はなはだ生意気なり>
当時、ぼくは二十歳でしたからね。おれは生意気だったんだなあ、と、それを読んで思ったそうだ。
古川ロッパから物を投げつけられたこともあるという。「台本どおりにやってほしい」と言ったら、「無礼者!」といきなり投げつけられたという。
徳川夢声や古川ロッパといっても、いまの読者にはピンとこないかもしれない。どちらも長老級の大スターだったのだ。
「士農工商構成作家」などという差別語がまかり通っていたテレビ創生期のことだから、私などには実感がある。
そういえば、新珠三千代というスター女優さんの名前も懐しい。風情のあるいい女優さんだった。
そろそろ午前1時だね、と私が言うと、永さんは、愉快そうに笑って、
「ワン・オクロック・ジャンプって曲が昔あったでしょう。なつかしいね。あれがラジオのテーマ曲として受けた時代のことを思い出します」と感慨ぶかげに呟いた。あの真夜中の対談は傑作だったと今でも思い出す。
(この項つづく)
連載11233回 対談は時代を映す <3>
公開日:2021/10/06 17:00 更新日:2021/10/06 17:00
(昨日のつづき)
『真夜中対談』(文藝春秋刊)は、永六輔さんに始って、24人のゲストが名を連ねている。ひととおり列挙しておくと、
冨士眞奈美さんは、すでに紹介した。
○永末十四雄(川筋気質と庶民のスピリット)
○若林美宏(性の神話への優しい造反)
○今野勉(テレビ局がダメになっても)
○犬養道子(複雑怪奇なゲルマンの森の中で)
○植草甚一(ボクは自由と安ものが好き)
○水の江滝子(海と森と星の見える丘の上で)
○吉永小百合(胸をひらいて自由に生きる)
○麻生れい子(仕事と友達とどっちが大事?)
○藤本義一(「虫めずる姫君」をめずる男)
○浅川マキ(たとえ五人の聴衆のためでも)
○山下勇三(現代の絵かきの胸のうち)
○橋本隆(闇の中に息づく若者たち)
○岩下志麻(誇り高き女のエロチシズム)
○北山修(戦争を知らなくって悪いかい)
○原田康子(「挽歌」の世界の背後にあるもの)
○篠山紀信(めざすは自己の生理としての写真)
○堤玲子(精神の貴族たちをコマしたい)
○芦田伸介(幾山河越えきを「花の十郎太」)
○風間完(日本に“寂しさ”が広がっている)
○イリ・ケイラ(料理で世界に平和のかけ橋を)
○和田誠(旅に出かけて人間と会ってきた)
○矢崎泰久(ナマの人間に会うよろこび)
こうして列挙してみると感慨がある。
すでに故人となったかたがたもいるし、いまも全力疾走を続けておられるかたもいる。
ある世代にとっては懐しい名前もあるだろうし、若い人たちにはなじみのない登場人物もあることだろう。
しかし、このラインナップが、当時、時代をリードしていた人たちであることはまちがいない。
堤玲子さんは『わが闘争』という作品で一世を風靡した作家である。
対談のなかで、こんな話がでた。
堤<(前略)この前、新幹線の駅で、あたしにデブといったんです。男が三人。そりゃデブだけどね。カッときた。いまだれがいった、いうたら、一番目のが二番目だ、二番目のが三番目だいうて。「オイ オイ」ってそこで遠山の金さんみたいに片肌脱いで入れ墨見せたの。>
(この項つづく)
連載11234回 対談は時代を映す <4>
公開日:2021/10/07 17:00 更新日:2021/10/07 17:00
(昨日のつづき)
今回、昔の『真夜中対談』を読み返して、当時の週刊誌の対談というのは、どうしてこんなに自由で面白かったんだろうと感慨をおぼえた。こういう会話が大新聞社の週刊誌に堂々とのっていたのだ。
たとえば富士眞奈美さんとの回の対話である。昔はこんなにセンスと知性のある女優さんがいたんだな、と、あらためて思った。その一部だけを紹介しておこう。
富士 えーと、つまり男の好みについて言えば、加賀まりちゃんなんかもそんなこと言ってたけど、かなり寛容になったと自分でも思う。しかし、これはいや、という一点はありますね。
五木 たとえば?
富士 たとえば以前ちょっとつきあってた人があったんですけど、その人、水割りを飲むとき小指をこんなふうにちょっと立ててグラスを握るのね。はじめのうちその人がとても好きでつきあってた時にも、やはりその小指が何となく気になってたんだけど、後で少し倦怠期にはいってきたらすごくいやな気がした。そのクセがたまらなく不快に感じられて。やはり最初の印象って当ってるんだな、と後で思った。(中略)
五木 つまりあなたご自身の気づいていない重大な点は、その後の立てた指が小指だったという点にあるのじゃないか。もし立てるのが、こう、ピンと立った立派な親指だったとしたら……。
富士 アハハハハ。お酒飲んでたらバンバン喋っちゃうところなんだけど。今夜はつつましく聞いているだけ。
五木 ある人に聞いたんだけど、句会をやっていらっしゃるんだそうですね。その句会でのあなたと黒柳さんとの罵り合いというのは言語に絶する物凄さだという(笑)(中略)どんな句を詠まれるわけですか。
富士 いろいろ。
五木 ぼくは昔、子供のころ父親から「ウンポー」という俳号をもらって使っていた。
富士 (中略)あたしのはキンキョ。
五木 キンキョ? なんです、それは。
富士 褥を去る、と書いて「褥去」。
五木 事前に去るわけですか、それとも事後に?
富士 このところ去りっぱなし。(笑)
といった調子で真夜中の対話は、快調にすすむ。
(この項つづく)
連載11235回 対談は時代を映す <5>
公開日:2021/10/08 17:00 更新日:2021/10/08 17:00
(昨日のつづき)
この原稿を書いている最中に、机が大きく揺れた。どうやら震度5程度の地震らしい。
こういう時は、あわてて外へ飛びだしたところでろくな事はない。揺れが一段落したところで、また原稿にもどる。
植草甚一さんとの対談は楽しかった。楽しいというか、横文字に弱い私にはとても勉強になった。
植草 (前略)フィリップ・ロスはユダヤ人なんです。ですから、読んでると、要するにマスターベーションの描写になると、全部ユダヤ人的なユーモアなんですよ。(中略)ええ。うちでめしを食っていると、急にしたくなる。おなかが痛くなったって、はばかりへ入り込んじゃう。
やり出すと、電球へひっかかって、たれだして、湯気が出だしたとか。(笑)
そうすると、おふくろが、「どうなんだい、おまえ、下痢したのか」といって、戸をバタバタ叩くっていうようなね。(中略)ぼくも実はポーノグラフィーのぼくの系統ってのは、やっぱり、ローレンスですね。その前に<トルゥーラブ>とか、学校時代でみんなが読むノミの自叙伝とか、そういうのがあったわけですけど、ローレンスのことですね。あれを英語で読んでびっくりして、それからヘンリー・ミラーになったわけです。
その前にぼくは、不思議に戦争中に、フランク・ハリスを手に入れたんです。(中略)
それからボリス・ビアンが始めたんですけど、黒人を主人公にしたエロと暴力です。
フランスのなくなっちゃったけど、ベルナルサンという人が、わい本専門なんです。ぼくに十冊ほど貸してくれたんですが、ほとんど黒人と暴力主義のポーノグラフィーになっていたんですね。やっぱりびっくりしました。
そしたらアメリカで二流のポーノグラフィーが、五、六年前にいっぱい出だしたんです。おそらく三千冊ぐらい出ているでしょう。
ぼくはそのうち百冊ぐらいあるわけですが、どうせしょうがないから、そのうち古本屋へでも売ってやろうと思ってたんです。そのころ、二流のポーノグラフィーが、東京のちょいとした古本屋に、手つかずのが百五十円ぐらいで、いっぱい出てんです。
と、こんな具合で、不要不急の対談が延々と続くのだ。よくこんな内容を週刊誌にのせたものだと、当時を懐しく思うことしきりだった。対談の時代はいまは遠い昔である。
地震は、どうやらおさまったらしい。
(この項おわり)
量子物理学です。
仮定を発展させるのが科学?
アインシュタイン相対性理論は、マイケルソンとモーレの実験結果(エーテル・ドリフトが生じない)が宇宙全体に適合するという仮定を基に、数学的に発展させた理論といえる。ビッグバン宇宙論も、宇宙の赤方偏移という現象を「銀河が離れ遠ざかる」と仮定して、数学的に発展させたものである。その支流がホーキング宇宙論や、東大S教授の唱える「インフレーション宇宙」などへと発展した。つまり両理論とも仮定を数学的に発展させた理論だが、ここに落し穴が存在した。
宝くじが当たったという仮定を基にどんなに計算を発展させても、実際に当たらなければ「捕らぬ狸の皮算用」で単なる夢やお遊びにしかすぎない。仮定を数式で発展させる科学理論という意味も、前提(仮定)が誤っていたら同じ結果を生むのはもちろんである。アインシュタイン相対性理論もビッグバン宇宙論も同様である。
日本の主流科学者たち常に言う「数学的に誤っていないからアインシュタイン理論は完璧で間違いない」という主張も単なる思い違いである。
そうした従来の科学(理論先行型)とは違って量子力学で使用される数学は、会社の損益決算表のように、実際の体験(現象確認先行)に基づいて計算された数式なので信頼性は十分といえる。だから技術面でも多角的に応用されているわけで、D・リンドリーが言うようにアインシュタイン理論はテクノロジーとして応用したくてもできないのである。量子力学の「まず現象ありき」と、従来の物理学「まず理論ありき」とは、このような大きな違いのあることを知っていただきたい。
以上でした。長いですね・・・
では、また明日・・・・・