PNC会員へ・・・

会員のみなさま 1552                     後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2021年10月30日(土)、現在は朝の6時45分です。
 
 今日も晴天の一日が始まりました。明日こそ曇天模様ですが、その後はずっと
(週刊単位で)晴れマークが付いて来ました。11月の天気はようやっと秋めいて来て
晴れが連続するようです。
 当方、本日もリハビリ→”じゅんさい池1周ウォーキング”は励行します。
昨日、庭のコンクリート打ちは終わりましたが、あと少し普請場所は残っているので
週明けぐらいまで工事体制は続きそうです。
 
 昨日のコロナ感染に行きます。都は少なくなったものですね24人です。大阪は多めで
52人出て、全国では292人となっています。この状況は11月いっぱいぐらいは継続して
欲しいものです。真冬は???ですので。
 
 
 本日は植草氏と五木寛之さんのコラムを付けます。読んで下さい。
 
 
 
植草一秀の『知られざる真実』」
 
                               2021/10/29
 
              彼らが野党共闘を恐れるわけ
 
      第3065号
鳩山友紀夫元首相、孫崎享氏、前川喜平氏との共著
『出る杭の世直し白書(ビジネス社)
の書評を独協大学教授の森永卓郎氏が『日刊ゲンダイ』紙に寄稿くださった。
 
心より感謝申し上げたい。
 
森永氏は政治権力に忖度する偏向メディアのなかで生き残る、数少ない正義を
語る硬派の識者。
 
生の哲学に基いて経済社会と論じる貴重な学者。
 
森永氏が掲載くださった書評を紹介させていただく。
 
週末オススメ本ミシュラン
 
本書は、鳩山友紀夫、孫崎享前川喜平植草一秀の対談をまとめたものだ。
私は、4人とも直接、話をしたことがあるのだが、とても優秀で切れ味鋭い論
客だ。ところが、彼らはあまりテレビ番組に出てこない。その理由は、彼らが
政権に忖度せず、利権に斬り込んでいくからだ。
 
本書では、その特長が、存分に発揮されている。歯に衣着せぬ自由な物言い
で、感染症対策、外交、脱原発、経済政策、教育など、幅広い分野を語りつく
す。普段から中途半端な奇麗ごとばかり聞かされている私には、彼らの議論
は、胸のすく思いがする。
 
例えば、政府の感染症対策は、後手後手、小出し、右往左往だと批判する。も
ちろん対案もきちんと示している。①徹底的な検査、②陽性者の行動抑止、③
情報開示をしたうえで、④生活保障と⑤病床確保をする。このやり方は世界の
常識だ。
 
ところが日本政府はいまだに大規模検査やロックダウンを拒否しつづけてい
る。なぜそんなことをしたのか、本書ははっきりと利権だということを示して
いる。
また、コロナ対策で73兆円もの補正予算を組んだにもかかわらず、その多く
が利権を持つ人を潤わすことに使われた。予算をすべて1人10万円の給付金
に回せば、5回実施できて、8兆円のお釣りがくる。それと引き換えに巣ごも
りをしてもらえば、コロナの被害はずっと小さかったはずだが、そうした対策
は取られない。給付金は、利権になりにくいからだ。
 
脱原発が進まない理由も、原子力ムラの利権を守るためだ。鳩山政権のときに
電源の50%とする方針を示したことについて、本書で鳩山氏は「完全に誤っ
た」と反省し、脱原発と同時に脱炭素を実現するための方策を具体的に提言し
ている。
 
著者の4人に共通することは、時代の変化に合わせて主張を柔軟に変えること
ができることだ。前例踏襲を金科玉条として、一度走り出したら、間違いが明
らかになっても、猪突猛進の官僚や政治家とは、まったく異なるのだ。
 
いずれにせよ、彼らの本音トークをたっぷり聞けるのは、書籍のなかだけだ。
ぜひ多くの人に日本の真実を知ってほしい。
 
 
私は鳩山友紀夫元首相、前川喜平元文部科学事務次官に日本の新政権樹立を牽
引していただきたいと思っている。
 
前川氏は選挙に出ることを強く固辞されているが、政治の世界では「なりたい
人」より「なってほしい人」に活躍していただきたいと思うのが人々の心。
 
日本政治刷新は夢物語ではなく、現実に掴み取ることのできる目標だ。
 
足りないのは優れたリーダーと的確な戦術だ
 
2014年と2017年の選挙結果を分析すると政治刷新のための戦術は明確
になる。
 
投票率は2014年が52.7%、2017年が53.7%。
 
2017年は全有権者のうち、24.7%が自公へ、28.0%が非自公に投
票した。
 
2017年は全有権者のうち、24.6%が自公へ、25.2%が反自公(維
新を除く)に投票した。
 
つまり、有権者の半分が選挙を棄権し、選挙に行った有権者の半分弱が自公
に、半分強が反自公に投票した。
 
しかし、議席の占有率では
 
2014年は、自公が68.4%、非自公が31.6%、
 
2017年は、自公が67.3%、反自公が30.3%だった。
 
投票数で非自公、反自公が自公をやや上回っているが、議席数では自公が7
割、非自公、反自公が3割という結果になっている。
 
理由は単純明快。
 
選挙が小選挙区を軸に行われており、非自公、反自公が複数候補を擁立すると
自動的に自公が勝利してしまうため。
 
反自公勢力が候補者を一本化するだけで互角の勝負になる。
 
もう一つの決め手が投票率
 
2009年の総選挙では投票率が69%にまで高まった。
 
政治刷新の期待が膨らむと投票率が上昇する。
 
投票率の上昇分は圧倒的に反自公に有利に作用する。
 
したがって、反自公候補を一本化し、投票率を高めることができれば、政治刷
新は確実に実現すると言える。
 
このことを裏側から考えるとどうなるか。
 
「裏側から」とは、自公の立場に立って、自公政治を維持するにはどうすれば
よいのかという視点だ。
 
自公が政権を維持するための秘策=基本戦術は
 
野党分断。
 
反自公陣営を二つに割ることができれば、自動的に自公政権が維持される。
 
どうすれば反自公を割ることができるか。
 
方法は単純明快。
 
共産党と共闘する勢力」と「共産党と共闘しない勢力」に分断する。
 
どうすればこれを実現できるか。
 
方法は単純明快。
 
共産党を誹謗中傷する。
 
共産党を誹謗中傷しても共産党を支持する人、共産党と共闘する勢力は残る。
 
結果として、反自公陣営は「共産党と共闘する勢力」と「共産党と共闘しない
勢力」に分断される。
 
天皇制、日米安保自衛隊について、共産党は異なる考えを有している。
 
この点を誹謗中傷して「こんな政党と共闘するんですか」と叫ぶ。
 
そうすると、反自公勢力が割れる。
 
しかし、この化学反応を引き起こすには触媒が必要。
 
反自公勢力のなかに触媒を混ぜておく。
 
混ぜられている触媒が「国民民主党」と「連合六産別」。
 
この勢力の淵源は「民主社会党」と「同盟」。
 
1960年にCIAが野党勢力を分断するために創設したものだ。
 
「同盟」は大企業御用組合連合で、この系譜を引くのが現在の「連合六産別」
 
電力、電機、自動車、基幹労連(鉄鋼)、JAM(機械・金属)、UAゼンセ
ン(繊維・流通等)の「六産別」は文字通り大企業御用組合連合。
 
「国民民主党」と「連合六産別」が共産党との共闘を徹底的に攻撃する。
 
問題は野党第一党立憲民主党代表の枝野幸男氏がこの勢力の尻に敷かれてし
まっていること。
 
総選挙投票日が2日後に迫った。
 
強固な野党共闘が構築されていれば、今回の総選挙で政治刷新が実現したはず
だ。
 
しかし、立憲民主党の迷走によって強固な野党共闘は構築されなかった。
 
大事なことは野党共闘が構築された選挙区で統一候補を勝たせること。
 
野党共闘が構築されなかった選挙区では、野党共闘構築に尽力した政党候補を
支援するべきだ。
 
また、比例代表選挙では、野党共闘を牽引した政党に投票を集中することが適
切だ。
野党共闘が大事だと言っても基本政策を共有しないなら「野合」になる。
 
平和主義堅持、原発稼働ゼロ、共生の経済政策という基本政策を共有して大同
団結=連帯を構築する。
 
自民党共産党の政策を誹謗中傷して「共産党と共闘するんですか」と叫ぶ
が、その自民党はかつて社会党と連立政権を樹立している。
 
社会党日米安保自衛隊に否定的な考えを示していた。
 
しかも、自民党内閣総理大臣に祭り上げたのは社会党党首。
 
共産党天皇制、日米安保自衛隊の現状を直ちに変更することを求めていな
い。
 
政治刷新が実現する場合でも閣外協力を行うと明言している。
 
つまり、共産党を含む野党共闘に問題はまったく存在しない。
 
共産党を誹謗中傷し、野党を分断しようとする「工作」は、現在の対米隷属日
本政治構造を死守しようとする日本政治支配勢力の「謀略」。
 
この重要事実を直視することが最重要。
 
敵の戦術を知り、野党共闘を破壊しようとする己の反自公勢力内隠れ自公勢力
の戦術を知れば、百戦して殆うからずということになる。
 
 
 次に五木氏ですが、私の親鸞・・・そとがき・・・というコラムです。
 
 
 
 
連載11246回 「私の親鸞」そとがき <1>
 
公開日:2021/10/25 17:00 更新日:2021/10/25 17:00
 
<そとがき>なんて言葉はない。
<まえがき>とか、<あとがき>などというのが普通である。
  しかし、こんど出した『私の親鸞』(新潮社刊)には、<あとがき>も<まえがき>もついている。
  その上に、さらに自分の本について何かをつけ加えるとすれば、<そとがき>としか言いようがないではないか。
  そもそも自分の本について語ったり書いたりするのは恥ずかしい事である。良識ある作者なら、そんなことはしない。書評かなにかで取りあげてもらえる機会を、控え目に待つというのが普通だろう。
  しかし良識とか常識などというものは、デビューのときから捨て去って出発したエンターテイナーの私ではないか。これまでも散々、恥ずかしい事をやり続けて生きてきたのだ。いまさらカマトトめいたポーズを作っても滑稽なだけだろう。あえて今月、出した新刊について自作自弁するゆえんである。
『私の親鸞』は、今回、新潮選書の一冊として出た。たまたま碧海寿広さんの『考える親鸞』と同時期の発売となった。
  新潮選書は、私の好きなシリーズである。小島憲之さんの『ことばの重み』などは、表紙がすり切れるほど繰り返し読んだ。江川卓さんの『謎とき「罪と罰」』も、左右の一冊である。なんとなく俗っぽいタイトルだが、ロシア文学論、ドストエフスキー論としてはまことにユニークな本だと思う。
  ところで私が親鸞について何かを書いたのは、たぶん金沢に住んでいた1960年代だったような気がする。私がまだ30代だった頃だ。『文学界』に「暁烏敏ロシア文学」という短い文章を書いた記憶もある。
  私はそれまで意識的に親鸞に触れたことがなかった。しかし母の話では家で『正信偈』をとなえていると、子供の私がうしろのほうで必ず「タコ踊りみたいな踊りを踊っていた」というから、まんざら縁がなかったわけではないだろう。
  暁烏敏は『歎異抄講話』で『歎異抄』を国民的ベストセラーに押しあげた人物で、清沢満之の高弟である。さまざまなスキャンダルに見舞われた個性のつよい僧だったが、金沢では今でもタクシーの運転手氏が、「暁烏さんは~~」と、まるで親戚のような言い方をしたりするほど親しまれた人物だ。
  私もまた縁あって暁烏によって親鸞の森に迷い込んだ一人なのかもしれない。
  (この項つづく)
 
連載11247回 「私の親鸞」そとがき <2>
 
公開日:2021/10/26 17:00 更新日:2021/10/26 17:00
 
(昨日のつづき)
  きのうの原稿で「左右の一冊」とあるのは、「座右の一冊」のまちがい。
  なにしろ締切りのギリギリで原稿を入れるので、字の間違いはちょくちょくある。この何十年間、ずっとストックなしのその日勝負でやってきた悪癖である。
  まあ、字の間違いを探すのも、老後の娯しみの一つと思って御容赦いただきたい。
  さて、今回、新潮選書の一冊として出た『私の親鸞』には<孤独に寄りそうひと>というサブタイトルがついている。これは編集部のSさんの苦心のコピーだ。とかく宗教行事は大勢でやるのが定番である。米国などは東京ドームみたいな大会場で、コンサートみたいなイベントをやる。
  本というのは、その点では逆だ。作者と活字をとおして対面で語り合う。喋り口調でまとめたこの本も、私は独り言のつもりでまとめた。
  だからいわゆる啓蒙的な親鸞本ではない。一対一で親鸞とひそかに向きあった一冊である。だから「みんなの親鸞」ではなく、あえて『私の親鸞』という題をつけた。
  私も若い頃、親鸞についての本や小説を一応は読んだ。しかし、それは一般的な知識としての接触であり、常識的な理解に過ぎなかった。
  私は北朝鮮ピョンヤンで敗戦をむかえた。父親がその街の師範学校の教師として勤務していたからである。
  植民地の宗主国の国民が、その地で敗戦を迎えるということは、怖るべき事態であった。ソ連軍の第一線部隊が進駐してくると、とんでもない状況が発生した。徒歩で三十八度線をこえて脱北するまでの記憶は、全身タトゥーのように消えることなく引揚後も残った。
  そのほんの一部を私はこの本の中で書いた。そのトラウマは10代の頃からずっと私の中に居坐って離れなかった。見殺しにした母のことや、弟や妹を食わせるために長男としてやったことのすべてが、黒い血のように全身を巡っていた。まともに人間面をして生きていくことへの不安が高まると、どこかへ隠れたい気持ちがつのるばかりだった。
  大学に抹籍届を出して逃げだしたときも、その気になれば、外になんとか居残る手段はあったかもしれないと今は思う。
  放送作家、作詞家などの仕事を投げ出して北陸に引き込んだのも、一種の逃亡だったと思う。まともに顔をあげて生きていく資格のない人間、いや人非人としての意識のせいである。
 
連載11248回 「私の親鸞」そとがき <3>
 
公開日:2021/10/27 17:00 更新日:2021/10/27 17:00
 
(昨日のつづき)
  引揚げ後の中学、高校時代を、私は一見、快活そうな少年として過ごした。新聞部を立ちあげて幼稚な連載小説めいたものを書いたり、アルバイトに精を出したりした。
青い山脈』という青春映画が大ヒットして、みんながテニス部に押しかけたりした時代だった。しかし、10代の私は一日たりとも本当に心が晴れることはなかった。許されざる引揚時の記憶と、人間への不信が心の奥にとぐろを巻いて居坐っていたからだ。父親を殺したいと思ったこともあり、弟を捨てたいと考えたこともある。のちに親鸞の「心は蛇蝎の如くなり」という言葉に出会ったときは、まさにその通りだと首をすくめた。もっとも醜いもの、悪しきものを「蛇蝎」と呼ぶのは昔の習慣だが、ヘビやサソリにしてみれば迷惑千万にちがいない。
  とりあえず「良い子」のふりをしていても、心の底にはどす黒いものがうごめいている、といった意味の表現だろう。
  私にも、それなりの青春はあった。しかし、常に心にはバイアスがかかっていて、スカッと澄み渡る時など一度もなかったような気がする。のちに『青春の門』などという小説を書いたのは、そんな私のありえなかった青春への憧れのせいかもしれない。
  私には世にいう「悪人」という言葉がピンとこないのだ。人はそんなに単純に「善人」と「悪人」に分けられるものだろうか。「この世に生きる人間は、すべて悪人である」として、そのことを自覚しない人間を「善人」、おのれの内面に「蛇蝎」の存在を意識して身もだえする者を「悪人」と、明快に区別することなどできないと思う。「悪人正機」の立場に立てば、「悪人はすでに救われているのだ。愚かしく善人ぶって、自分は往生できる人間だ」と盲信している人間こそ哀れな存在ではないだろうか。
  私たち第2次世界大戦を経験してきた人間にとって、善悪は状況の産物でもある。アウシュヴィッツの看守たちも救われるのか、というのが私の高校時代の幼稚な疑問だった。
  ともあれ、私はずっと「救われざる者」という自意識を心中に抱いて生きてきた。今も当然、そうである。心に棲む蛇蝎は年を重ねるごとに増えるばかりだ。
  ともあれ私は、そうやって戦後を生きてきた。そして中年にさしかかって親鸞に出会った。そのきっかけを作ってくれたのが、暁烏敏という、毀誉褒貶ただならぬ北陸出身の人物だったのは皮肉である。
  (この項つづく)
 
連載11249回 「私の親鸞」そとがき <4>
 
公開日:2021/10/28 17:00 更新日:2021/10/28 17:00
 
(昨日のつづき)
  私が金沢に移住したのは、個人的な事情もあった。だが、それ以上に東京の今の生活から逃亡したい、という気持ちのほうが強かったことはまちがいない。
  金沢にいって、しばらくは無為の日々が続いた。戦前の古い雑誌を読んだり、スペイン戦争のことを調べたりして過ごした。
  当時、金沢大学は金沢城内にあって、その図書館によく通ったものだった。
  そこで、めずらしくロシア文学関係の本を置いてある一画を見つけて、不思議な気がした。仏教関係のいろんな本のあいだに、19世紀のロシアの小説が何冊かはさまっていたのだ。
  ある日、たまたまその中に白隠禅師の本を見つけて面白く読んだ。返却するとき、裏表紙のところに筆書きの文字が記されているのに気づいた。
  なに気なく読むと、正確な文章はおぼえていないが、たしか<長谷川先生のロシア語授業の後に>とか、そんなふうな書きこみがあったのだ。長谷川先生。そしてロシア語。なんとなく直感的にこれは二葉亭四迷のことではないか、と考えた。二葉亭は一時期、東京外語で教鞭をとっていたはずである。
  あらためて図書館のそのコーナーを眺めてみると、<暁烏敏文庫>とある。清沢満之の高弟で石川県出身の僧、暁烏敏が死後その蔵書を金沢大学に寄贈したものであるらしい。
  ロシア文学に関心のある坊さんとはめずらしい、と興味をおぼえた。
  そこで、その棚の周辺にある本を片っぱしから目を通すことにした。なにしろ金はないが時間だけはある浪人生活である。
  蓮如とか、親鸞とかいった真宗関係の本を集中的に読んだのは、そのときがはじめてだった。
  古本屋で『精神界』などという古雑誌をみつけてきては読んだりもした。当時「南陽堂」という古書店があり、毎日のように通っていたのだ。暁烏が一時、外交官を志し、東京外語に通っていた時期もあることを知って、なんとなく納得するところがあった。
  敗戦のとき以来、ずっと心に抱いていた負のバイアスが、少しずつ解消される感じがあったのは、その頃からである。
  のちに『暁烏敏ロシア文学』という短い文章を「文学界」に書いたのは、そんなことが背景にあったのだ。
  それから50年以上の歳月が過ぎている。これまでにも「親鸞」について何冊かの本を書いてきた。こんどの『私の親鸞』で、ひと区切りついたような気がするのは、なぜだろうか。 (この項つづく)
  ――協力・文芸企画
 
連載11250回 「私の親鸞」そとがき <5>
 
公開日:2021/10/29 17:00 更新日:2021/10/29 17:00
 
(昨日のつづき)
  親鸞と私の出会いは、そういうものだった。そして私は親鸞の思想に触れることで、自分の生きる意味を示されたような気がした。しかし、頭で理解することと、体全体で実感することはちがう。
  竹中労ふうに言うなら、「理解」することと「理会」することとの間には、大きなへだたりがある。
  私が親鸞の言葉に本当にリアリティーを感じたのは、その後、奈良の誓興寺という寺に通うようになってからのことだった。その寺の住職である太田信隆師とのふれあいの中で、呼吸するように自然に感じられるものがあったのである。やがて縁あって京都の龍谷大学千葉乗隆先生の教えを受けることになったのもその一つだ。
  その頃から私の中では、『私の親鸞』が着床しはじめていたと言っていい。やがて私は『親鸞』という新聞小説を書き、ときおり親鸞について感想を述べるようになる。
  新潮社内の一室で何十人かの愛読者を前に、親鸞についての雑感を語る機会もあった。『正信偈』をラップにできないかと、いろいろ試みたりもした。
  今回、新潮選書の一冊として出た『私の親鸞』は、そんな親鸞ドリフターズの一人としての体験ドキュメントのようなものかもしれない。『私の親鸞』のまえがきの中で、私はこんなことを書いている。
《(前略)この本の中では、これまで長いあいだ封印してきた戦後の私の体験についてもお話しました。(中略)こうして一歩ずつ親鸞という暗く深い森の中へ踏み入っていくことになるような予感があります》
  その暗い深い森の中には、いくつかのほら穴があったような気がする。
  高校生の頃、先輩の大学生からカヤカベ教のことを教わったこともその一つだった。
  また、岩手の山村で、いわゆる<隠し念仏>の深夜の儀式に参加したこともそうだった。私は長いあいだ、宮沢賢治がなぜ真宗から日蓮宗に転教したのかを、ずっと疑問に思っていたのだ。しかし、<隠し念仏>の儀式を体験したときに、おのずとその謎がとけたような気がしたのである。
  九州の<隠れ念仏>は<隠れ>であり、東北の<隠し念仏>は<隠し>である。そのちがいは大きい。いずれその事は書くことがあるだろう。ともあれ新しい一冊の本の刊行にこぎつけたことで、肩の荷がおりたような気分をあじわっているところだ。
  (この項おわり)
 
 
 
 今週のG1競馬は秋の天皇賞東京競馬場2000m)です。
今の所、G1は2連勝中ですので明日も何とか取ってみたいものです。
その前に本日の土曜競馬で資金を積み上げておきたいものです。今日は
東京競馬の9Rと10Rを買います。
 
 
 今日は量子物理学も付けますので勉強願います。
 
 
 
 
  光のスピードは有限(秒速約30万キロ)であり、無限大ではない。
 
 光のスピードが有限ということは、1秒間に約30万㌔しか進めないということである。
 因果律の崩壊(時間の矢が反転する)とは、物体の運動スピードが無限大(到達時間が完全なゼロ)を超えることが絶対の条件で、光速(30万㌔・秒)を超えただけで時間の反転など起こるべくもないのである。
 因果律(時間の矢)は、スピードが無限大(光速ではない)を超えてこそ崩壊する。しかし無限大の質量など現実に存在しないのと同じく、無限大を超える運動スピードなど自然界に存在できるわけもない。
 光のスピードはたかが秒速30万㌔である。数学的な観点からいう無限大のスピードから見れば、光のスピードなど停止状態に近いといえる。そのようなスピードでは、けっして時間の矢が反転することはないのである。
 マイナス…秒が現実に可能なわけはない。ホーキング宇宙論と同じく、数学概念の操作による完全なマヤカシである。
 
 時間の矢は、究極スピード(ゼロ秒)を超えてのみ反転する(因果律の崩壊)
 
 この意味を光のスピードに置き換えると、「超光速では因果律が崩壊して時間が逆転する」というアインシュタイン相対論の大ウソがハッキリしたと思う。
 
 
 
  当方の禁酒期間も後4日ほどで丸々7カ月となりますが、不思議と酒を飲みたいという
気はまったく起きません。飲む気がしなのだからこのまま死ぬまで禁酒してもよさそうな
ものですが、それではこの世に生を受けた塊が無いでしょう!やっぱり、飲んで酔っ払う
事もたまには必要です。今後ですが、飲酒再開予定(と言っても月にすれば5日間ぐらい)
は当方誕生日の12月24日か年明けの元旦だけ・・・となっています。まあこの時も触る程度で
大酒飲みとはならない予定です。
 酒を飲むのは良いとして、今までの飲酒仲間はその前通りに当方の飲酒につき合って
くれるかどうか不安です。コロナ禍で巣篭っている間に飲み友が全員居なくなった・・・では
悲しいです。どうか偶のたまですのでお付き合い願います!?!
 
 
 
  では、また明日・・・・・