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 会員のみなさま 842                     後醍院 広幸
 
 おはようございます。本日は2018年12月28日(金)、現在は朝の7時45分です。
 
 今朝も寒いです。天気予報によるとこの暮れが寒波襲来で一番寒くなりそうです。
週間予報でも全部晴れ予想です。昨日は午前中に年末恒例の墓参りで花を飾り、
お線香を上げてきました。夏場(お盆とか秋のお彼岸)の花は1週間は持ちませんが
今の花は最低でも3週間は持ちます(枯れない)。墓参りはこの後の30日、年が明けた
元旦の早朝…と連チャンで行く予定です。当方の墓参りは先祖供養とお掃除だけが
原因でしょっちゅう行っているわけではありません。毎日のように乗っている車ですが、
近場(スーパーとか食事とか)ばかりでバッテリー充電ができないので、せいぜい墓参り
で少し遠めの所の往復が必要だから墓参りへ行っています。八柱霊園で建墓をした
のが16年前です。当方、今まで(年間50回×16年として)800回は行っています。
早く1000回アニバーサリーを達成させたいものです。(”毎日が日曜日”なので
後2年ぐらいで出来そうです
 
 勤め人(サラリーマンやOL)は本日が仕事納めでしょうか。当方はとうとう定年となり
年明けのの7日以降も”毎日が日曜日”となりますので仕事納めや仕事始めには全く
縁が無くなります。殆んど興味はない株式市場は本日が年内最後の取引である大納会
です。昔は午前中の11時で終了していましたが、現在はいつもと同じ午後の15時
大引けで終了します。という事は今日の午後から夕・夜(?)まで目いっぱい仕事という
人が圧倒的に多数でしょうか?昔の当方のように大納会後の追証取りなどは無いので
しょうね!?!株式市場そのものは当方らの昔と今とに大きな違いは無いでしょうが、
AI時代のコンピュータ操作では年寄りはもう近寄ってはいけない類の仕事となっています。
当方より10年ほど若い後輩のディーラー(優秀な奴は毎年大収益を上げていた)あたり
でもほぼ全員が転職して株屋世界からは足を洗っています。(というかこの世界ではもう
生きていけないので)
 それよりもまだ当方あたりでも参加可能なのが競馬です。(少額資金でも参加できる)
例年20日~25日ぐらいの日曜日に行われるグランプリ”有馬記念”で競馬の大納会
となりますが、本年は2歳の王者決定戦と位置付ける”ホープフルステークス”という
G1レースが組まれて1日中の競馬が行なわれるようになりました。(どうも有馬と同じ日に
やっていた年もあるそうです)
 当方、昨日わざわざ日刊ゲンダイを買いに行き、予想した結果3レースだけすでに
ネット注文しました。
 
 株式市場は日米ともに下げ基調の中の大乱高下が現出しています。昨日のNYも
一時600ドル安があって終値では260ドル高でした。日本は今日が大納会ですが、
NYの影響もあり多少の値上がりが期待できそうです。それでも明日から6連休ですから
心配な人は手仕舞いが一番です。
 
 昨日のニュースで些(いささか)驚いた件を行きます。重要な時事関連ではありませんが、
ズワイガニ異例の豊漁”というものです。山陰の冬の味覚であるズワイガニが豊漁で
鳥取県では今シーズンの漁獲枠の90%を越えてしまったということです。今シーズンは
しけの日が少なく豊漁が続いたことが原因のようです。
 このズワイガニと正反対なのがスルメイカ漁です。こちらの原因は決定的に北朝鮮です。
とんでも違法操業のせいで不漁となっています。当方などはズワイガニなどあげるから
スルメイカを下さいと言いたいです。大体、ズワイガニをはじめ蟹は昔の仲間に言わせると
蟹は最低・・・仕事量の割に実入りが少な過ぎる・・・とのことです。確かに蟹は面倒です。
比較的食べやすいタラバでも専用のハサミで身を取り出すのに怪我をしそうです。
毛蟹などは味噌の所だけで脚は捨てたくなります。蟹は芸者さんに全部剥いてもらって
食べる以外は御免こうむります。
 
 と言いながら今日はここまでです。
 
ニーチェと量子物理学は勉強しましょう!
 
 
ニーチェ
 
 
 
556 すぐれた四つ。―われわれと平常われわれの友人であるものに対して誠実、敵に対  して勇気、敗者に対して寛容、常に―礼儀。四つの主徳はわれわれにこう望む。
 
563 倫理的世界秩序の妄想。―あらゆる罪が贖われ償われることを要求したような、永  遠の必然性は全く存在しない。―そのようなものが存在するというのは、罪として   感じられるすべてのものは罪であるということが妄想であるのと同じように、恐ろし  い、ほんのわずかな部分だけが妄想であった―物ではなく、全く存在しない物につ「  いての意見が、人間の心をそのように乱したのである!
 
 
量子物理学
 
 
ウスペンスキーは100年前《ターシャム・オルガヌム》で次のように述べている。
 
 ▼多くの人々は、人生の根本問題は解決不可能であり、人間はなぜ、何のために苦闘しているのか、何のために苦しんでいるのか、どこに向かって進んでいるのかを知ることは決してできないと考えている。このような質問をすること自体が不謹慎なこととさえている。人は人生を「それがやって来るがままに」受け入れ、何も考えず、解決可能なことのみを考え、外的なことのみに関わっていればいいと思われている。人間は、根本的疑問に対する答えを見出すことに絶望して、それについて心を煩わすことをあきらめている。
 同時に、人はこの絶望感と解決への無力感がどこから生じるのかについて曖昧な考えしか持っていない。「考えないのが一番いい」という気分を引き起こすのは何なのだろうか?
 実際、この絶望感が生じるのは人が何かを「有限」で完全なものとみなすときにだけであり、人間を超えたものは何もなく、すでに人間の中にあるものを知っていると思っている時である。
 
 ▼人間は今のままであってはならない。今のままの人間についての未来を考えることは。子供が永久に子供のままであり続けると考えながら、子供の未来を考えるのと同じくらい無益なことである。