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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1093 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2020年4月13日(月)、現在は朝の7時20分です。
本日は天気予報通りの雨の一日となりそうです。特にお昼前後は強雨を予想して
います。当方、今回の4連休の最終日はスーパーへの買い物と温泉を予定しています。
今週の就業予定はその後の14日から16日までの3日間となっていますが、体調を
鑑みて適当に休む予定であります。
現況の我々の出来ることは①自分がコロナに感染しないこと②他者に感染の疑いを
起こさせて不信感を与えないこと③体調が芳しくなかったら会社を休む事・・・の3点です。
大馬鹿は80%の外出不可を勧めています。これだと外出はスーパーなどへの食料品購入
ぐらいでしょうかね?後は家でじっとしていて何もするな・・・が本筋です。
大馬鹿はそのように5月6日まで全員が家に閉じこもっていればコロナは去ってしまうと
勘ぐっている様子がミエミエです。大馬鹿の大責任である最低の施策(PCR検査拒否)
も、もう検査しても大丈夫と思ったか1日に2万人の検査体制にするそうです。
何もかも大馬鹿のやることは遅すぎ不可思議です。
当方、誕生日は1948年12月24日のクリスマスイブです。これは元号では
23年・24年の3年間に生まれた人々のことを言います。当方はそのど真ん中ですね。
当方、15年ほど前に宮崎県都城市に1年間単身赴任をしていました。日時は忘れましたが、
がありました。この先生の名前は徳野貞雄(トクノ・サダオ)と言います。講演の最中に
1948年生まれの人は挙手をしてください・・・と、言われました。当方と我が帰属の社長は
挙手をしました。この先生は”僕は此の生まれの人とは絶対に付き合わない”と宣いました。
(のたまう)何故なら1948年生まれは戦後の日本の最大人口を有する年回りだからだそうです。
この年の生まれの人は生存競争が異常に激しくつき合いが怖くてできないという主張でした。
ビックリですね!当方講演後の質疑応答時に聞きました。先生の生まれは何年ですか?
答えは1949年でした。何だ、結局我ら団塊の世代で人口も変わらないではないですか???
1948年生まれが弱肉強食の権化で1949年生まれはやさしい人の集まり…の訳はないでしょう。
まあ、このあたりは冗談話ですが、この先生の講演は非常に面白かったですので暴論?は
許すことにしました。ところでこの徳野貞雄(当時は教授)先生は現在は熊本大学の名誉教授
とのことですが、元々、食と農の専門家として活躍し、現在は我が市川市でも存在する
”道の駅”を考案、命名した本人です。
横道にそれましたが話の本筋である昭和という時代について少し書きます。
当方らが生まれた昭和23年あたりは終戦の昭和20年からは少し経っていますが、昭和は
前向きな生き方・生活ができるようになったのは当方らが幼稚園に通い始めた頃でしょうか?
昭和の後半は元号でいうところの時代性としては一番幸せな時代でした。当方らが生まれた
昭和23年から昭和が終わる64年間での約40年間は良いことだらけと言っては?ですが、
予想外の凄く発展した時代でした。昭和64年は西暦年号では1989年です。当方41歳です。
結論から言うと、我ら団塊の世代は昭和という時代(40歳から42歳ぐらい)を超満喫した世代
です。本当に良いこと尽くめの時代でした。
我らとしては中学生になったあたりから巷で一番大流行となった戯れ歌の”スーダラ節という
”ホラ吹き太閤記”という映画の主題歌で”だまって俺について来い”というのがありました。
一番の歌詞は
銭のないやつぁ俺んところにこい 俺もないけど心配すんな
見ろよ青い空白い雲
そのうちなんとかなるだろう(笑声)
本当に昭和のこの時代(昭和24年から昭和64年の40年間)ぐらいは”何とかなった”
時代でした。失敗など何も恐れませんでした。事業や投資の失敗で大金を失っても
また作れる機会がいくらでもありました。高度成長期からバブル発生とその崩壊までの
昭和64年(平成元年)は何でもアリでした。
それが平成の時代となり(平成天皇に責任は無い)、この大躍進した40年間を帳消し
してトンでも大負債を抱えた時代になり果てました。失われた30年ですね。
そしてここからがもっと凄いです。令和になって当方などはまったく期待していない
年号(令和)ですが、始まってたった2年目に最悪状況到来となりました。
もちろん、新型コロナウイルスのことです。このままいけば100年前の伝説だとばかり
思っていたスペイン風邪と同じかそれ以上の災厄を起こしそうな情勢示現です。
第二次世界大戦時の日本人の戦争と戦争関連による死者数は300万人を越えたあたり
でしょうか?今回のコロナ禍では最悪数千万人の犠牲者が出てもおかしくありません。
良かった昭和の終了から30数年で日本崩壊ですか???きついですね!?!
長くなりましたが、本日は連休の最終日という事もあり、書く予定の中から当方、
本来なら自分の言葉に直して書くのが筋ですが今日は無理です。植草氏の言では
令和版インパール作戦の安倍コロナ対策
2020年4月 9日 植草一秀の『知られざる真実』
1984年に刊行された『失敗の本質』
野中郁次郎氏らによる旧日本軍の戦史研究書である。
ノモンハン事件、太平洋戦争におけるミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦を素材に、第二次世界大戦前後の「大日本帝国の主要な失敗策」を通じ、日本軍が敗戦した原因を追究すると同時に、歴史研究(軍事史)と組織論を組み合わせた学際的研究書である。
同書を解説した『「超」入門 失敗の本質』の著者である鈴木博毅氏が旧日本軍の5つの弱点を挙げている。
1.あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織
2.上から下へと「一方通行」の権威主義
3.リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる
4.現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する
5.問題の枠組みを新しい視点から理解できない
1944年3月8日から7月3日にかけて行われた。
9万人以上の兵力が投入され、7万2000人が死亡し、その大半が戦病死であったされる。
兵站(へいたん)を無視し精神論を重視した杜撰(ずさん)な作戦によって多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫したために「無謀な作戦」の代名詞となっている。
3月から7月にかけて、どれだけの犠牲が生まれるか。
安倍内閣は国民に財政資金を投下しない。
インパール作戦では前線の兵士が飢餓と疫病で生死の境をさまようなかで、上官は避暑地メイミョウで目を覆うばかりの堕落した生活を送っていた。
日本のコロナ統計の作り方(田中宇)一律に外出自粛させる政策は国際経済を全停止させて破綻に追い込むための策
前回の記事を書いた後、新型ウイルスの感染検査(主にPCR検査)について、
どの国が毎日どのくらいの検査数を実施しているかをまとめたサイト
http://ourworldindata.org/ を、英オックスフォード大学などの研究者らが作っ
ていることを知った。それによると、現時点(4月5-8日)で累計検査数が多い順に、
米国219万、ドイツ132万、イタリア81万、韓国47万、カナダ36万、豪州32万、トル
11万、となっている。人口比(千人あたり)の累計検査数だと国別の順位が、ア
っている。このほかの主要国の千人あたりの累計検査数は、米国6.6、イタリア
13.6、ドイツ15.9、韓国9.1、英国3.5だ。
今回、私が注目したのは日本についてだ。上記のサイトの日本の累計検査数は
4月6日の時点で4万6172件だ。千人あたりの累計検査数は0.36で、とても少ない。
集団免疫策をやりかけた英国のジョンソン首相は、コロナ感染して集中治療室に
入院したが、肺炎にはなっていないと発表された。肺炎になっていないのにICU
に入ったのは、用心のための措置だという。人工呼吸器もつけておらず、軽症の
ようだ。実はジョンソンは感染しておらず、集団免疫策をやろうとして暗殺
(本当にMI6あたりにコロナ感染させられて致死)されかねなかったので、先制
的に感染したことにしてICUに用心(暗殺回避)のため待避したのかもしれな
い。ジョンソンが元気なら、いったん棚上げした集団免疫策をいずれ再開するだ
ろう。ワクチンがない現状では、集団免疫の獲得しか解決策がない。これだけは
確たる事実なので何度も書く。
以上です!!! 今週はまた連休になるかもしれません。その時には
またPNCが行きます。