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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 1271 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2021年1月18日(月)、現在は朝の7時50分です。
スカッとした好天とは云えないが、まずまずの良い天気となった週始めです。
今後は金曜日まで好天が続き、週末の土・日には雨マークが付きました。
週中の水曜日までは冬らしい寒さが続きますが、その後はやや暖かくなり
そうな予報となっています。
当方、加齢が進んだことが原因か(?)ちょっとした間違いが多くなって来ました。
昨日も最後の”関東限定ドサ回り的簡裁出廷”の予告のところで、下妻と下館と
書くところを大妻と大館と書いてしましました。完璧な間違いです。お詫びとともに
訂正します。下と大の間違いなど今までなかったのに残念な加齢的間違い発生
でした。今後は気を付けます。
毎日言っているようですが、コロナ感染はなかなか閉息しませんね。昨日でも
東京は1592人、全国では5757人となっています。まだまだ多いですね。
識者は今週末あたりがピークかと、予想していますが!?!です。
当方の自宅の近くに国際医療福祉大学市川病院があります。この1年ほどの
間のコロナ関連テレビ解説でこの病院の教授が出演していますが、本日は同じ
国際医療福祉大学の教授の和田秀樹教授の論考で一般的な意見とは真逆な
記事を見つけたので参考に添付します。題は”コロナ死4000人VS肺炎死10万人”
をどう読むか(?)というショッキングな意見です。少し長いですが、読んでください。
「コロナ死4000人vs.肺炎死10万人」という数字をどう読むべきか
わが国の新型コロナの累計感染者数が30万人超、死者が4000人超となった。精神科医の和田秀樹氏は「例年のインフルエンザの感染者数や死亡者数は、現状のコロナのそれと規模感が近い。またインフル関連死は例年1万人、通常の肺炎死も毎年約10万人になっている。政府は新型コロナ対策を打つ際、もう少し冷静に数字を見て判断してもいいのではないか」という――。
■医師が「2度目の緊急事態宣言」に違和感を覚えた理由
コロナ感染拡大に伴い、1月7日に東京と神奈川、埼玉、千葉の1都3県で、そして13日には大阪、愛知、福岡など7府県が加わり、11都府県で緊急事態宣言が出された。
宣言発出に関しては「対処が遅すぎる」との声が多い。確かに重症者が増えたことや数千人の入院待ちの患者が生じるなど、医療崩壊が現実的なものになっていたし、1月7日に都内だけで2447人の感染者が確認されるなど、「感染爆発」との表現も大げさではない状態だった。
ただ、死のリスクを常に抱える高齢者を専門とする医師である私は、政府が2度目の宣言を出したことに若干違和感を覚えた。まだワクチンも打てず薬もないコロナという得体のしれない感染症に対する恐怖心は私にもある。コロナ陽性者が入院できないまま自宅で亡くなるといったニュースを心から残念に思う。だが、批判を覚悟で言えば、いささか怖がりすぎではないのか。
そう考える理由のひとつは、コロナ感染者数が累計約30万人まで増えながらも、コロナの死者数は現状、例年の季節性インフルエンザのそれと規模的にはそれほど大きく変わらないということがある。インフルエンザの過去5年間の平均患者数は約25万人で2019年のインフル死者数は3575人(厚生労働省人口動態統計)、この数字はもちろんワクチン利用が可能なうえでの数字だ。いっぽう、コロナ死者数は2021年1月15日時点で4059人だ。
■コロナ死4000人vs.例年のインフルエンザ関連死1万人、肺炎死10万人
インフルエンザの死者は、医師が死因をインフルエンザと認めた数であり、肺炎を併発したり、インフルエンザによって持病が悪化したりして亡くなった数は含まれない。インフルエンザに関連する死亡者数は年間約1万人と推計されている(関連死亡者数には、インフルエンザが直接的に引き起こす脳症や肺炎のほか、2次的に起こる細菌性の肺炎、また、呼吸器疾患や心疾患といった持病の悪化など、間接的な影響によって死亡した人の数も含まれる※)
※インフル関連の死者、年約1万人 注意すべき合併症は
それに対してコロナの場合、持病があるほど重症化しやすいとされており、全数とは言わないまでもコロナ感染で持病が悪化して亡くなった数も、「コロナ死」にカウントされていると思われる。そう考えるとインフルエンザのほうがコロナよりむしろ死者数は多いといえる。
例年、インフルエンザで3000人から1万人(持病の悪化も含む)亡くなることを知っている人であれば、もしくは、通常の肺炎で毎年10万人の命が奪われると知っている人であれば、コロナをここまで怖い病気と思わなかったかもしれない。
■「感染者数」で考えるべきか「死者数」で考えるべきか
私が緊急事態宣言発出に違和感を覚える2つめの理由は、コロナの感染の危機を問題にしたり、非常事態宣言や飲食店の時短要請をしたりする場合に、「感染者数」を基に行うことが多いということだ。
季節性インフルエンザの場合、その感染の危機を問題視するとき、基本的には死者数を基に行う。「今年は3000人の死者が出た」といった報道はされるが、感染者数を報じることはほとんどない。
ある行動をする際、「何に判断基準を置いて」それを実行するか。その基準によって人の判断は大きく変わる。
たとえば、心理学の用語に「フレーミング」がある。心理学を経済学に応用しノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、その著書『ファスト&スロー 上・下』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)において、フレーミング効果とは、「問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響を及ぼす現象」(早川文庫版、下巻、237頁)と定義している。
■同じ現象でも「思考のフレーム」によって結論はがらりと変わる
カーネマンと同僚のエイモス・トベルスキーが、医師に対して、A:1カ月後の「生存率」が90%と提示した場合と、B:1カ月後の「死亡率」が10%と提示した場合で、彼らが手術を選ぶか放射線治療を選ぶかを実験した。
表現・アプローチが異なるだけで、結局、AもBも同じことを言っているが、Aと言われて手術を選ぶ医師が84%いたのに対して、Bと言われるとそれが50%に減ることがわかった。つまり、「生存率」というフレームで考えるか、「死亡率」というフレームで考えるか。命を預かる医師という専門職でさえ、判断ががらりと変わってしまうのだ。
さらに、カーネマンが同著の中で提示したフレーミング効果の検証のために行った有名な実験がある。「アジア病問題」と言われるものだ。
600人の死が予想されるアジア病という伝染病について2つのプログラムのどちらを採用するかという問題である。
Aは200人が助かるプログラム、Bは600人が助かる確率は3分の1で誰も助からない確率は3分の2。
AもBも助かる人数の期待値は200人なのだが、Aを選ぶ人が72%、Bを選ぶ人はわずか28%だった。
ところが、「死ぬ数」を強調して同じことを別の言い方に変えて聞いてみたら答えはまったく違っていた。
Cは400人が死ぬプログラム。Dは誰も死なない確率は3分の1で600人が死ぬ確率は3分の2。この選択だとCを選ぶ人はわずか22%でDを選ぶ人は78%もいたのだ。
助かることを強調するか、死ぬことを強調するかで、こんなに判断が変わってしまうということだ。
コロナ対策を国が考える場合、その思考や判断のフレームワークの基準に「感染者数」を置いたら、感染者数を減らすことが最大の目標になるし、そのためにはどんな市民の生活の制限もいとわないことになるだろう。
しかし、緊急事態宣言のような施策は影響力が極めて大きい。経済はもちろん、前回指摘したように自殺者の増加や、高齢者の運動機能・認知機能の低下、あるいはコロナに対応できる免疫機能の低下にもつながるという問題も出てくる。
逆に、「感染者数」でなく「死者数」を減らせばいいというフレームワークの基準になれば、コロナ患者を入院させる医療機関の充実や一般市民の免疫力を上げる(栄養管理など)ための啓もうにもっと力を入れるということになるだろう。
■一度できた思考のフレームを変えることが難しい
厄介なのは、カーネマンに言わせると、一度思考のフレームが出来上がってしまうと、別のフレームを与えられても(カーネマンの例でいけば、死亡率でなく生存率というフレームに変更、コロナの例でいけば、感染者数でなく死者数に変更)、異なる判断をする人がまずいないだろうということだ。
フレームの再構成(リフレーミング)には大変な努力とエネルギーを要するので、リフレーミングしなければならない明白な理由がない限り、私たちの大半は、意思決定問題を当初フレームされた通りに受け身的に受け入れるということだ。
一度できた思考のフレームはそれほど変わることが難しいものなのだ。
現在の、コロナ対策の判断を「感染者数で行うフレーム」が正しいのか間違っているかは私にはわからない。しかし今後、ワクチンが普及すると、このフレームが新しい判断の邪魔になる可能性は大きいと見ている。
ワクチンというのは、インフルエンザワクチンの時によく言われるように、感染者を減らすことより、感染した際に重症になりにくくするという効果が期待できるものだからだ。
現在認可されているコロナのワクチンは、コロナウイルスに暴露した際に、PCR陽性率も下げることは報告されているだろうが、ゼロにはできないし、かなりの数の陽性者は残るだろう。
ただ、ワクチンの普及によって、コロナが死を招くリスクは大きく下がる。
ワクチンが普及し、死者数が激減しても、感染者数を気にするフレーミングが続き、いつまで経っても市民生活に規制(これに副作用があるのは前述の通りである)が続くのではないか……。そんな私の不安が杞憂(きゆう)であってほしい。
ついでにいうと、読者の皆さんには、この機会に自分の判断のフレームワークをコロナ問題に限らず、誰かの受け売りではなく、自分の頭で考え内省する習慣をもってもらえると幸いである。
和田 秀樹(わだ・ひでき)
国際医療福祉大学大学院教授
アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化した「和田秀樹 こころと体のクリニック」院長。1960年6月7日生まれ。東京大学医学部卒業。『受験は要領』(現在はPHPで文庫化)や『公立・私立中堅校から東大に入る本』(大和書房)ほか著書多数。
かようにいろんな意見や見方があるものです。
これに関しては現在日本に流布される米国の政治情勢では民主党バイデンの勝利は
確定している…という普通の報道があると思えば、いや違うトランプの勝利がもうすぐ
発表されるという意見も普通に存在します。取りあえずは今週の20日にははっきりする
でしょうが、まだまだ確定には時間が罹りそうです!?!
相撲です。昨日はまたまた残念な結果でしたね。大関2人が負け、貴景勝はすでに6敗です。
後の2人は何とか勝ち越してカド番を脱出するでしょうが(?)ハッキリ3役の上位陣の弱さには
ガッカリという言葉しか出て来ません。これで大相撲などと声高に言える状態ですか???
昨今の医療崩壊どころか相撲崩壊です。
それでは”関東限定ドサ回り的簡裁出廷”の茨城版で昨日間違えた(大妻ではなく)下妻へ
行ってみます。
ここ下妻は結構出廷している簡裁です。ここは超がつくほど田舎のローカルディーゼル電車が
取手駅から終点の下館駅まで1~2両編成で走る路線です。関東鉄道常総線といいますが、
現在は関東鉄道から京成電鉄に変わっています。下妻簡裁へは同駅から徒歩でここも15分
近く罹ります。路線は違いますが昨日書いた石岡は駅から4分位と近くですが下妻は真逆で
やや遠いです。当方、ここへも都合で10回近くは出廷していますが、思い出すのは1点・・・
平成27年9月(2015年9月)の件です。当方、下妻簡裁出廷するため常磐線の取手駅
(常総線に乗り換えるため)で降車し常総線方向に歩いていたら、駅長さん(と思われる)が
小走りで当方のすぐそばに来て、本日、鬼怒川が氾濫、この路線は走行中止となります・・・
と言われました。もちろんこの日の当日はとっくに台風は去っています。えー…と思いましたが
仕方なく、下妻簡裁へ電話を入れ電車が動かないことと結果として出廷できないことを告げ
ました。結論的には下妻あたりは完水しているので相手の書記官も理解してくれ、この日の
法廷は我々が言うところの”和解に変わる決定”にしてもらい、当方は帰社することにしました。
台風一過のこの日は停まっている路線が多く、当方は松戸駅まで戻りここで新京成線に乗り換え
ました。新京成は松戸から津田沼までの路線です。途中で停まったらもう諦め・・・というい感覚で
乗車→無事帰社できました。後から分ったことですが、此のたびの下妻界隈の鬼怒川氾濫による
大洪水状態は路線回復に2カ月以上罹ったと記憶します。大変な台風禍でした。
路線が回復して他の法廷で下妻へ行きましたが、下妻界隈の水浸し後の状態は酷いものでした。
この日の法廷の時間が早かったらおそらく当方は下妻あたりに留め置かれた可能性が強いです。
危ない状況でした。もしそうなったらどうやって取手まで帰ったでしょうか(?)不可思議です。
てなわけで下妻と云えば鬼怒川の大氾濫が最大の思い出ですが、この駅の近場にはまず
飲食店等はありません。ここに出廷した時はやはり我孫子まで戻り弥生軒が普通だったと思います。
次回予定する同じ路線の下館は水戸線の駅でもありずっと賑やかな駅ですが飲食店等は少なく
ここでは駅のコンビニ”ニューデイズ”でパンかおにぎりを買ってホームか電車内で戴きました。
今日はここまでです。明日は一応、下館を予定しています。
本日は本来、昨年中に歯医者でメンテナズをする予定だった件で退職後初の元会社近くへ
行ってきます。歯医者の予約時間は12時15分です。結果として我が家を10時半過ぎには
出発、海浜幕張駅近くの”鳥の一”にて、お昼の唐揚げ食べ放題定食を1ヶ月以上ぶりに堪能
させて貰う予定です。歯医者後はまっすぐ帰宅するつもりです。もしかしたら床屋へ寄るかも
しれませんが明日にするかも・・・と、思案中です。