PNC会員へ・・・

会員のみなさま 915                  後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年3月17日(日)、現在は朝の7時過ぎです。
 
 昨日の天気は何でもアリの一日で天気予報は完璧に外れました。雨予報が
曇で始まり、日中は逆に晴れて来て、その後には驟雨もあるという激変の一日
でした。よく言われる”女心(男心か?)と秋の空”の諺は春の方が妥当のような
気がします。というか春は激変し過ぎなので男女の心変わりは春ではなく精々
秋止まり…という事なのでしょうか?いずれにしても変わり過ぎの昨日の天候でした。
 注: ”驟雨”(しゅうう)とは当方愛読する永井家風山人が能く使う雨降りのパターンの
    一つで”にわか雨”のことです。日本には雨一つの表現をするのに400種超
    の語彙があるそうです。(・・・超驚きですね!?!)
 今週の天気もつい昨日の週間予報がだいぶ変動し、木曜日と金曜日が雨予報に
なっています。これもまた変更有りですので計画は3通りぐらいに分けて立てましょう。
 
 昨日、我孫子の”弥生軒”の所で書き忘れた件が一つあるので書いておきます。
当方、定年退職後の2ヶ月以上は電車に乗ってのお出かけは一回ぐらいしかあり
ませんでした。ちょっとした期間の内に激変していたのが食事処の閉鎖と改修による
お休みです。先の水曜日の太田の帰りに新越谷の”小諸”に寄ったら改修中で新装
開店は4月末とのことでした。金曜日の松戸簡裁後の我孫子弥生軒”も松戸から
普通の我孫子行電車に乗り到着、いつも食する常磐線快速上り電車が停まるホーム
を見ると在るべきところの”弥生軒”が閉まっています。ただこの”弥生軒は当方の
所見では我孫子駅ホームに3場所、隣の天王台駅に一か所、我孫子駅の外に(おそらく)
2か所の都合6号店まであるはず。この日も何時も行く上り線(上野方面)ホームは諦めて
隣りの下り(取手方面)の快速線ホームに言ったらちゃんと営業していました。それがまた
ビックリするぐらいに新しく綺麗になっているではありませんか。昔は普通の駅のホーム
によくある少し汚めの”立ち食いそば店”でした。今回寄ったところは別会社のような店に
なっていました。4月の末には上り線ホームの”弥生軒”もきっと今までとは激変した店に
なっていると思われます。
 
 昨晩はやっと7時間半ぐらいの睡眠を得ましたが、先週いっぱいでは女房の迎えが
あることで大体12時ごろの就寝の結果、睡眠負債は5時間を超えたようです。昨日も
ようやっとの7時間半ほどの睡眠でしたが夢見がちでほとんどの夢の内容を記憶して
います。という事は熟睡とはほど遠いという事です。大体、覚えている夢の内容が楽しく
良いものはまずあり得ません。きつかった仕事関連絡みを一番多く見ます。それも20年
近く前ぐらいの当方的には一番きつかった時期の頃絡みでの夢です。もうこの関連の
夢は数十回以上見ていますが、何度見ても再度同様の夢を見ます。この時はおそらく
熟睡とは程遠く、スタンフォード大学の研究グループが言うところの”睡眠負債”を積み上げ
る一方となっています。”毎日が日曜日”を終了させての仕事の再開が睡眠にも影響を
与えているのでしょう。ノンレム睡眠が不足気味となって表れています。本日から念力を架け
熟睡に注力します。今週からは平日の休日が3週連続で2日間は取るつもりですので
負債返済は可能だろうと期待しています。
 
 それにしても、マスメディアの体たらくは日増しに増すことはあっても良いことはまったく
なくなりました。特に朝から昼→夕方に架けての各局のワイドショー番組は酷すぎます。
金曜日も松戸簡裁から12時過ぎぐらいに帰社、執務室での仕事開始前の休憩時間に
テレビを見ていたら、どの曲も全部、コカイン使用の俳優の件ばかり、というかこれだけ
やっています。結局各テレビはこの件を1時間ぐらいやっていたようです。当方もちろん
これらは見ませんのでテレビはすぐ消しましたが。普通は海外の出来事や時事関連、
国会関連・・・と、やる事やらねばならい報道は嫌っというほどあるはずです。それが各
テレビ局のMCやレギュラーコメンテーター陣、専門家・・・など、5~6人で何処も同じような
見解で延々と1時間もやっています。もう日本は終わりですね!!!!これらを是正する
事は出来ないでしょう!最低の我が日本土人国です。
 
 注:何故1時間やっていたかを知っているかは帰宅時に金曜日だけ限定で購入する”日刊ゲンダイ” 
   の記事から引用・・・です。
 
 本日はニーチェと量子物理学はお休みして先ほどの雨の呼び名を下に貼り付けます。暇な人は
 読んでください。
 
 
 
【400種超】雨の種類・表現・意味・名前 一覧集 まとめ
 
先日、ある小説を読んでいた時に、
「翠雨(すいう)」という単語がでてきて、
 
僕は恥ずかしながらも意味が分からなかったので、
調べてみることにしました。
 
意味は「青葉に降り注ぐ恵みの雨」
 
ということで、
僕はつい声を上げてしまいました。
「え、めっちゃかっこええやん..」と。
 
なんと日本情緒漂う美しい言葉なんだろう..
僕は感銘を受けて「日本の雨の種類」について調べてみることに。
 
すると日本にはたくさんの、
雨の種類や表現、呼び名があることが分かったので、
様々なジャンル別で紹介してみたいと思います!
 
この記事の目次 [非表示]
1  降り方による雨の種類? 強い雨
? 弱い雨
? いきなり降る雨
? 降り続く雨
? 恵みの雨
? 色で表す雨
? 面白い雨
 
2 季節による雨? 「春」の雨
? 「梅雨」の雨
? 「夏」の雨
? 「秋」の雨
? 「冬」の雨
 
強い雨
 
・大雨(おおあめ)
大量に降る雨。大雨注意報の基準を超える雨。
 
・強雨(きょうう)
大量に降る強い雨
 
・豪雨(ごうう)
大量に降る激しい雨。
 
ゲリラ豪雨(げりらごうう)
限られた場所に短時間集中的に降る、急激な強い雨
 
ゲリラ雷雨(げりららいう)
雷を伴ったゲリラ豪雨
 
・集中豪雨(しゅうちゅうごうう)
限られた場所に集中的に降る激しい雨。警報基準を超えるような局地的な大雨。
 
・スコール
短時間に猛烈に降る雨。熱帯地方で雨を伴ってくる突発的な強風による。
 
・鉄砲雨(てっぽうあめ)
大粒の、鉄砲のような強烈な雨。
 
・篠突く雨(しのつくあめ)
細い竹や篠で突くような、激しく降る雨。
 
・飛雨(ひう)
風が混じった激しい雨。
 
弱い雨
 
・小雨(こさめ)
それほど長くない時間降って止む弱い雨。総降水量1mm未満。
 
・疎雨(そう)
まばらに、ポツポツと降る雨。
 
・霧雨(きりさめ)
霧のように細かい雨。雨粒の大きさが0.5mm未満の雨。
 
・細雨(さいう)
あまり強くなく、しとしと降り続く雨。
 
・微雨(びう)
急に降り出すがすぐ止む、それほど強くない濡れてもすぐに乾く程度の雨。
 
・小糠雨(こぬかあめ)
音を立てず静かに降る、糠のようなとても細かい雨。「糠雨」とも。
 
・涙雨(なみだあめ)
涙の如く、ほんの少しだけ降る雨。
 
・天気雨(てんきあめ)
晴れているのに降る雨。
 
・天泣(てんきゅう)
空に雲がないのに降ってくる、細かい雨。「天気雨 」と同義。
 
狐の嫁入り(きつねのよめいり)
太陽が出ているのに降る雨。「天気雨」と同義。
 
いきなり降る雨
 
・通り雨(とおりあめ)
さっと降りだし、すぐに止む雨。
 
・俄雨(にわかあめ)
急に降り出して、しばらくすると止んでしまう雨。
 
・驟雨(しゅうう)
急にざっと降りだし、すぐに止む雨。「俄雨」と同義。
 
・叢雨(むらさめ)
降り方が激しくなったり、ゆるくなったりする雨。「村雨」、「群雨」とも書く。「俄雨」と同義。
 
・鬼雨(きう)
鬼の仕業ともいえるような、急で激しい雨。「ゲリラ豪雨」の和名。
 
・肘笠雨(ひじかさあめ)
急に降り出す雨。笠をかぶる暇もなく、肘で頭を覆う様子が由来。
 
降り続く雨
 
・長雨(ながあめ)
数日以降降り続く、まとまった雨。
 
・陰雨(いんう)
しとしとと降り続く陰気な雨。「淫雨」とも書く。
 
・地雨(じあめ)
強さが一定の長く降り続く雨。
 
・連雨(れんう)
漢字通り、連日降り続く雨。
 
・霖雨(りんう)
連日降り続く雨。
 
・積雨(せきう)
積もっていくように、長く降り続く雨。
 
・宿雨(しゅくう)
前夜から降り続く雨。
 
・漫ろ雨(そぞろあめ)
それほど強くはないが、降り続く雨。
 
恵みの雨
 
・翠雨(すいう)
青葉に降り注ぐ恵みの雨。
 
・喜雨(きう)
日照り続きの後に降る喜びの雨。「雨喜び(あまよろこび)」とも。
 
・慈雨(じう)
干ばつを救い、草木を潤す恵みの雨。「喜雨」と同義。
 
・甘雨(かんう)
草木を潤す、しとしととした雨。「慈雨」と同義。
 
穀雨(こくう)
穀物の成長を促す雨。
 
・瑞雨(ずいう)
穀物を潤す喜びの雨。「穀雨」と同義。
 
色で表す雨
 
・緑雨(りょくう)
青々とした新緑の草木に降る雨。
 
・青雨(せいう)
青々とした新緑に降り注ぐ雨。「緑雨」と同義。
 
・紅雨(こうう)
春に咲いた花々に降り注ぐ雨。
 
・白雨(はくう)
夏、明るい空から降る、俄雨。
 
・黒雨(こくう)
空を真っ暗にするような大雨。
 
面白い雨
 
・私雨(わたくしあめ)
局地的な限られた地域にだけ降る雨。箱根や鈴鹿、比叡などが有名。
 
・外持雨(ほまちあめ)
限られた場所、人にだけを潤す俄雨。帆待雨とも書き、船頭が船主と内密に契約外の輸送をして不正に収入を得ることや、定収入以外の臨時収入を指す。
 
・虎が雨(とらがあめ)
陰暦5月28日に降る雨。曽我十郎の忌日であるとされ、恋人の虎御前の涙が雨となって降るといわれている。
 
・洗車雨(せんしゃう)
陰暦7月6日、七夕の前日に降る雨。彦星が織姫に会う際に使用される牛車を洗う水と云われている。
 
・酒涙雨(さいるう)
七夕に降る雨。雨によって会えなくなった彦星と織姫が流す涙と云われている。
 
・怪雨(かいう)
色がついていたり、異物を含む雨。つむじ風に巻き上げられた魚やカエル、木の実、火山灰などが降ったという観測もある。
 
・血雨(けつう)
土壌由来の成分を含んだ、赤い色の雨。
 
・作り雨(つくりあめ)
打ち水のことです。
 
・樹雨(きさめ)
濃霧の森林を歩いている時に葉から滴り落ちてくる雨。
 
季節による雨
 
「春」の雨
 
・春雨(はるさめ)
春のしとしとと降る雨。「花散らしの雨」とも呼ばれる。2月末から3月にかけて降る雨。
 
・春時雨(はるしぐれ)
春に降る時雨のこと。「花時雨」とも呼ばれる。
 
・菜種梅雨(なたねつゆ)
3月から4月の菜の花が咲くころの雨。
 
・発火雨(はっかう)
二十四節季の「晴明」の頃、しとしとと静かに降る雨。「桃花(とうか)の雨」「杏花雨(きょうかう)」とも呼ばれる。
 
・春霖(しゅんりん)
3月から4月にかけてぐずつく雨。「春の長雨」とも呼ばれる。
 
・軽雨(けいう)
春に少しだけ降る雨。
 
・雪解雨(ゆきげあめ)
冬に積もった雪を解かすようにふる雨。
 
・催花雨(さいかう)
花の育成を促す雨。「養花雨(ようかう)」「育花雨(いくかう)」とも呼ばれる。
 
「梅雨」の雨
 
卯の花腐し(うのはなくたし)
旧暦の卯月に降る長雨。この時の雲を「卯の花雲」という。
 
・麦雨(ばくう)
麦が熟する頃(梅雨の時期)に降る雨。
 
入梅(にゅうばい)
梅雨に入ること。由来は梅の実が熟す頃に降る雨から。
 
・栗花落(ついり)
梅雨に入ること。由来は栗の花が散る頃に降る雨から。「堕栗花」とも書く。
 
・五月雨(さみだれ)
旧暦五月に降る長雨。梅雨のこと。
 
・走り梅雨(はしりつゆ)
五月中旬から下旬にかけて降り続く、梅雨入り前の雨。
 
・暴れ梅雨(あばれつゆ)
梅雨の時期の終盤に降る、強烈な雨。
 
・送り梅雨(おくりつゆ)
梅雨明けを知らせる、雷を伴った雨。
 
・返り梅雨(かえりつゆ)
梅雨明け後に、再び雨が降り続くこと。「戻り梅雨」「残り梅雨」とも呼ばれる。
 
・旱梅雨(ひでりつゆ)
雨があまり降らない梅雨。「空梅雨(からつゆ)」「枯れ梅雨(かれつゆ)」とも呼ばれる。
男梅雨(おとこつゆ)
雨が降るときは激しく降り、雨が止むときはすっきり晴れる梅雨。
 
・女梅雨(おんなあめ)
しとしととした、雨脚の弱い梅雨。
 
「夏」の雨
 
・夕立(ゆうだち)
夏の夕方に降る、短時間で降る雷を伴った雨。
 
・神立(かんだち)
神様が何かを伝えようとしている「雷」を指すことから、夕立や雷雨を意味する。
 
・半夏雨(はんげあめ)
夏至から11日目の半夏生(はんげしょう)の日に降る雨。
 
・御山洗(おやまあらい)
富士閉山の旧暦7月26日に降る雨。登山者によって汚れた富士山を清めると云われる雨。
 
・電雨(でんう)
夏に稲妻とともに降る俄雨。
 
・土用雨(どようあめ)
夏の土用の頃(7月下旬~8月上旬)に降る大雨。
 
「秋」の雨
 
・秋雨(あきさめ・しゅうう)
秋に降る冷たい雨。夏から秋にかけての移行期に現れる、秋雨前線による。
 
・冷雨(れいう)
晩秋に降る、しとしととした冷たい雨。
 
・白驟雨(はくしゅうう)
秋に降る、雨粒の大きい激しい雨。
 
・秋微雨(あきついり)
秋に降る長雨。「秋入梅」とも書く。
 
・秋時雨(あきしぐれ)
晩秋に降る降ったりやんだりする雨。
 
・伊勢清めの雨(いせきよめのあめ)
宮中行事である、神嘗祭が執り行われる、陰暦9月17日の翌日に祭祀の後を清める雨。
・秋湿り(あきしめり)
秋の長雨。
 
秋霖(しゅうりん)
秋の長雨。
 
「冬」の雨
 
・時雨(しぐれ)
あまり強くないが、降ったりやんだりする雨。傘を差す間もなくすぐに晴れるような通り雨。主に秋から冬のものをいう。
 
・村時雨(むらしぐれ)
ひとしきり強く降り、すぐに通り過ぎる雨。
 
・片時雨(かたしぐれ)
ひとところに降る村時雨。地雨性の村時雨。
 
・横時雨(よこしぐれ)
横殴りに降る村時雨。
 
・朝時雨(あさしぐれ)
朝方に降る時雨。
 
・冬時雨(ふゆしぐれ)
晩秋から初冬にかけて降る時雨。
 
・月時雨(つきしぐれ)
月明かりのちらつく時雨。
 
・北山時雨(きたやましぐれ)
京都北山区に降る雨の風物詩。
 
山茶花時雨(さざんかしぐれ)
山茶花の紅い花が咲く頃に降る時雨。
 
・解霜雨(かいそうう)
冬の寒いときに、作物についた霜を溶かすように降る雨。
 
氷雨(ひさめ)
霙(みぞれ)や雪に変わる前の、非常に冷たい雨。
 
・凍雨(とうう)
凍るような冷たい雨。
 
寒九の雨(かんくのあめ)
寒の入りから9日目に降る雨。
 
・寒の雨(かんのあめ)
小寒大寒の時季に降る雨。
 
・鬼洗い(おにあらい)
晦日に降る雨。追儺(ついな)と呼ばれる宮中行事に由来するとも云われている。
 
まとめ
 
結果...めちゃめちゃある!
紹介した表現の他にも、
日本には400以上もの表現があるといわれています。
 
稲作が豊富な日本ならではの、
非常に敏感で洗練された表現が多いですね!
日本の美徳を感じます。
 
 
 
 

                                PNC会員へ・・・

会員のみなさま 914                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月16日(土)、現在は朝の7時40分です。

 

 2週連続のフル出場(休み無しの仕事のこと)で疲れはだいぶ溜ったようです。

今週から法廷出廷が始まりましたが、80日間の休暇を得て復帰したかのように

仕事は楽で楽しいぐらいの感じです。やはり外に出ての仕事と電車内での読書

は当方にとって最大の癒しのひと時となっているようです。会社に居て一日中

事務仕事をしたり、弁護士・司法書士事務所へ督促の架電をしていると疲れます。

 来週と再来週の出廷は2週間で3つしかありません。ついでに4月の第一週も

出廷はゼロです。毎年この時期は裁判所の人事異動で法廷がありませんので

仕方ないのですが、こちらの都合も考えろよ!・・・と、言いたくなります。結局3週間で

法定は都合3回だけという事になります。1年を通じてこの時期を如何に凌ぐかが?

この仕事の最大の重要ポイントとなります。来週は出廷2日の休日(平日の)2日、

再来週は金曜日しか出廷が無いので月から水の間で2日間休みを入れます。そして

その次の週は出廷がゼロですのでどのような日取り(出勤と休日)にするかまだ考えて

いませんが、2日か3日は休むことになるでしょう!?!

 

 本日の天気予報は雨模様だったのですが、どうも我が市川界隈は雨は降らずに

1日中曇天の冴えない日となりそうです。それでも明日以降は1週間ぐらいは晴れ予報

となっていますので良かったです(どうでも良いか?)。

 昨日は最近大問題の遅延が通常となってしまった常磐線利用でした。10時の松戸簡裁

の仕事はすぐ終わり、帰社にはチョイと我孫子まで寄り道して久々になる我孫子駅

弥生軒”へ向かいました。もちろんお昼をここの「竹輪天・唐揚げの天抜き」を食する

ためです。『最近このブログを読み始めた人のためにこの”天抜き”について少し解説して

おきます』。天抜きとは天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもののことを言います。ここがなかなか

理解しずらいのですが、江戸時代からの伝統ですので文句なしに納得してください。

天ぷら蕎麦から天ぷらを抜いたら単なる”かけ蕎麦”です・・これは解りますね?。

江戸時代の大店あたりの旦那衆は夕餉のひと時にはこの”天抜き”・・・熱いだし汁の

中にエビのてんぷらが2つ入っている食べ物を肴にして飲んで、最後に軽く(5口ぐらい)

せいろ蕎麦を食して済ませたようです。この時のメインの肴が”天抜き”です。

因みにせいろ蕎麦は5口ぐらいと言いましたが、現在でも神田の”藪蕎麦”に行った人は

納得するでしょうが、そのせいろ一杯の蕎麦の少なさは5口ぐらいです。だから神田の藪

に行ったらせいろは5杯ぐらい食べないと腹いっぱいにはなりません。勢い高くつく神田藪

です。この天抜きを出す店で有名どころと言えば同じ神田では”神田まつや”、上野だと

池之端の藪”あたりでしょうか。

 当方が言うところの我孫子弥生軒”の天抜きは此の粋なネーミングで呼んでいるのは

おそらく当方だけです。当方、初めてこの弥生軒入ってビックリした時がありました。中学生

あたりの若者が唐揚げ(超大)だけ(蕎麦無し)を所謂おやつのように食べているではありませんか。

完璧に”天抜き”です。中学生や高校生は腹ぺり族ですからおやつにこの唐揚はもってこいです。

当方、勝手に天抜きと言っていますが、この店で注文する時は自販機で切符を買って店の人には

”単品でお願いします、食べて行きます”ぐらい言えば通です。この我孫子駅弥生軒”は

その昔、貼り絵の天才・山下清画伯が勤めていた店でもあります。店内には画伯の弥生軒

貼り絵が展示してあります。行ったことない人は一度は行ってみてください。くれぐれも唐揚げ

1個140円(大きいので安いぐらい)の切符を買って”単品で食べてき行きます”と言ってください。

よく利用する人は普通のかけ蕎麦にこの唐揚を2個注文する人が多いですが、当方的には

不可能です。大き過ぎますね!

 それに是非、食べたことのない人は神田か上野で本格的な”天抜き”を一度注文して熱燗か

冷で飲み食いしてください。江戸の大店の主人になったつもりも腹の中には必要ですが。

 

 それにしてもこの我孫子駅のある常磐線の最近の事故・遅延の多さには改めてビックリものです。

昨日も当方的には何の障害もありませんでしたが、夜にはちゃんとこの我孫子駅で障害発生、

だいぶ遅延したようです。昼でなくて良かった…ですね!

 

 最近、チョイと当方もボケたのか・・・???という現象が連続しました。昨日でいえば松戸簡裁

出廷前の松戸駅側のいつも行く本屋で新書を1冊購入しました。何となく見知ったタイトルだなあ

・・・とは感じたのですが、やっぱり2度買いでした。先ほどパソコンに入力したら黙って作家の

名前が出てくるという事は絶対的にこのエクセル表にその名前があるという事です。案の定の

2度買いでした。まあそれでも本の内容はほとんど記憶していませんので普通に最後まで読む

つもりです。こんなことは仕事再開後にこれが2度目です。原因の一つは最近面白い食指の湧くような

新書が出ていないことと、全く新しい論考(健康でも時事関連でも)が主体の新書はまず出ていない

ので勢いつまらないものを2度買いしてしまうのでしょう!?!気をつけなければお金の損だけでは

ないと思いますので。

 本に関しては今後は新しい論考等は期待せずにだいぶ以前から家に置いてある名著を中心に

専ら再々読に勤しむことにします。映画もそうです。自分が良いと思った名作ははっきり何度観ても

厭きませんし何回観ても新たな発見があります。これは本当に不思議ですね???もう10回近く

観ている映画でも、たとえば昨日見たらこんなシーン・・・って,あったけ?という事が多くあります。

普通の2時間の映画でもだいぶ見過ごしているシーンが多いことにビックリします。映画でも本でも

こんなものです。という事は新しい新書や単行本はなるべく買わないでたとえば昔の当方的には

50年前に購入して再三再四読んでいる(精読しているつもり)”ニーチェ”とかを真剣に読むほうが

よほどベターです。

 

 という事でニーチェが出たところでニーチェに行きましょう!量子物理学も同様です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

一〇 完全にごまかしの世界が、存在するものの世界が、実在性にでっちあげられてしまった・・・カントの成功はたんに神学の成功にすぎない。カントは、ルターと同じく、ライプニッツと同じく、もともと調子の狂ったドイツ的正直さのいまひとつの輪止め役をつとめたのである― ―

 

十一 道徳家としてのカントを駁してなお一言。注:(ばくす)・・・他人の意見に反対し、批判・攻撃する。反駁する。論駁する

徳は私たちの発明であり、私の最も個人的な正当防衛や必需品でなければならない。その他のいずれの意味でも徳はたんに一つの危険である。私たちの生れは生の最後的衰弱、ケーニヒスベルグ的シナ精神が表現されている。

カントはフランス革命のうちに国家の非有機的形態から有機的形態への移行を見てとってはいかなかったのか?彼は、人類の道徳的素質による以外ではまったく説明のつけようもない、したがってこの素質とともに「人類の善への傾向」が一挙に証明されている出来事があるのかどうかと、自問してはいかなかったのか?「それこそ革命である」というのがカントの答えである。なにもかもつかみそこねる本能、本能としてのドイツ的デカダンス― これこそがカントである! ―

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 しかし「二次元知覚」は平面にのみ存在するのではない。唯物思想はそれを現実の生命にも適用しようとしている。その結果奇妙な不条理が生じ、不幸にも多くの人はその真の意味を理解できない。そのような結果の一つが「経済的人間」である。「経済的人間」は明らかに二次元的存在であり、生産と消費という二つの方向に沿ってしか動くことができない。すなわち、生産・消費という平面の上でのみ生きる存在なのである。そのような明らかに人工的な存在の形式でどうやて人間を一般的に表象することができるだろうか。架空の平面に住む架空の存在の法則を研究することによって、知ることへの欲求を持つ人間の生活を支配する法則をどうやって理解することができるだろうか。この問題に対する解答は秘密のままである。人々が経済理論に引き続けられるのは、長い質問に短い解答を提供するあらゆる単純な理論が好まれるのと同じである。我々はあまりにも唯物的が理論に深く巻き込まれているため、それ以上のことが考えられないのである。

 

 

 

 

       PNC会員へ・・・

会員のみなさま 913                後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月15日(金)、現在は朝の7時20分です。

 

 普通の勤め人生活が開始されて今日で11日目となりました。この間、土日以外の

休みは無く、疲れが溜って来ました。昨日は法定が無く、一日中会社での業務でした。

半分以上は久々の架電業務に従事した結果、昨晩あたりは首肩の懲りがピーク状態

となっています。それでも明日・明後日は休みになりますので回復を期します。

 本日は9時に家を出発して家から一番近い松戸簡裁へ出廷します。本日は本来なら

PNCは書かない日なのですが、ブログにあげたこともあり、忘れられない様に平日の

発信も簡素化はしますが発することにしました。明日からの週末には普通に書きますので

今日は適当になりますが御免下さい。

 それにしても、電車の遅延は万遍なく毎日起こるようになりましたね。この原因は多々

あると思われますが、ただ単に電鉄職員の職務能力の低下とか安易な(考えられない?)

人身事故という名の自死、信号機や電気系統の故障とか運行が遅延する要素は多くあり過ぎ

です。昨日も我が利用線の常磐線が人身事故で遅延していました。本日は松戸簡裁なので

会社までの帰路は常磐線武蔵野線利用となり数多の路線でも関東地方では現在、一番

遅延が多いワン・ツー路線で普通に帰社できるかどうか???です。

 

 当方、12月の21日以降、70日間ほど電車に乗らないで済み、インフルエンザには罹らずに

済みました。普通の風邪も引きませんでした。やはりこれらの病は何処かで人からうつって

いる事が原因なのでしょう。仕事再開のこの3月ですが、もうおそらくですがインフルエンザに

罹る可能性は少ないと思われます。そして時期的には花粉症被害が前面に出てきました。

電車内でくしゃみが止まらない乗客の多い事、半端ではありません。

 

 月曜日の下館簡裁出廷関係は既報しましたが、次の日の火曜日は市川簡裁でしたので

お昼は市川駅構内の”坂内”で喜多方ラーメンにしました。一昨日の水曜日は遠方の太田

です。帰路の新越谷駅で遅いお昼を摂ろうと腹減りを我慢してようやっと到着したら何と

目当ての”小諸”が改装中でした。4月いっぱいは休みとなります。超残念ですね。

小諸は蕎麦以外のそばつゆとかかき揚げ、ネギ食べ放題・・・と、蕎麦さえ我慢すれば

良いこと尽くめの立ち食いそば店です。仕事再開で先週行ったら終わっていた”チバちゃん”

に次いで小諸も(こちらは改装なので5月からは再開するが、それまでこの駅を2回は利用

するので他を当たらねばならなくなりました)…残念です。小諸の蕎麦の件ですがやはりそば粉

の比率の少なさです。巷間言われているのはそば粉比率1割から2割とのことです!?!

富士そばでさえ4割と言われています。JRの”きらく”もそば粉比率は若干は高いはずです。

”きらく”は圧倒的に冷製かき揚げ蕎麦とかが一番おいしい事でも解ります。それでも”小師”

の蕎麦はそれ以外が美味しいので許されますが。因みに新越谷の”小諸”にふられたので

あまり行きたくなかった南越谷駅構内にあるJR”きらく”に行き、ミニカツ丼そばセットに挑戦

してみましたが、やはり駄目・はっきりまずかったです。カツ丼が最低で暖かい蕎麦はここでは

食べない方が良いと思われます。特に南越谷はまずいです。客もほとんど入っていません。

場所は駅内で一番ですが、まずいとダメです!!!

 本日は松戸なので常磐線(無事の運行なら)で我孫子駅まで行き、3カ月ぶりぐらいの”弥生軒

で竹輪天・唐揚げの天抜きに挑戦の予定です。

 

 それでは本日はここまでにしておきます。明日と明後日はもう少しまともに行きます。

ニーチェと量子物理学は今日も勉強しましょう!!!

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

八 僧侶が、生の否定を、誹謗を、毒害を本職とするこの者が、高級種の人間としてなおも通用している限り、真理とは何であるか?という問いはなんら答えられていない。無と否定との意識的な弁護者が「真理」の代弁人として通用するなら、すでに真理は逆立ちしてしまっている・・・

 

九 こうした神学者本能に私は戦いをいどむ、私はいたるところでその痕跡をみいだしたからである。体内に神学者の血を持っている者は、はじめから万事に対してゆがんでおり不誠実である。そこから生ずるパトスは信仰と呼ばれるが、これは癒しがたい虚偽の姿で苦しまないために、おのれの眼を永久にとじることにほかならない。万事へのこうした誤りだらけの光学から、或る道徳が、或る徳が、或る神聖性が手もとででっちあげられ、やましからざる良心が錯覚と結び付けられ、― その要求するところは、おのれの光学が、「神」、「救い」、「永遠性」という名称で神聖きわまるものとされてしまったからには、他種の光学にはもはや価値をみとめてはならないということである。私は神学者本能をなおもいたるところで掘り起こした。この本能は、地上にある虚偽のうち、最も蔓延している、真に地下的な形式の虚偽なのである。神学者が真なりと感取するもの、それは偽たらざるをえないということ、ここにほとんど真理の標識がある。実在性がなんらかの点で畏怖されることを、ないしはただ発言することをさえ禁ずるということが、神学者の最も奥底の自己保存本能である。神学者の影響がおよんでいるかぎり、価値判断は逆倒しており、「真」と「偽」という

概念は必然的に逆転している。すなわち、生に最も有害なもの、それがここでは「真」と呼ばれ、生を上げ、高め、肯定し、是認し、勝ちほこらしめるもの、それが「偽」と呼ばれる・・・神学者が君主(ないしは人民―)の「良心」をつうじて権力へと手をさしのべるようなことが生ずれば、私たちは疑わない、そのつど根本においておこっているものの何であるかを。すなわち、週末への意志、ニヒリズム的意志が権力へと意志するのである・・・

 

 

量子物理学

 

 

 

 

  第十三章 実証主義の限界

 

 生命の明らかな側面と隠れた側面・・・生命の現象側面の研究としての実証主義・・・実証主義哲学の「二次元性」を構成するするものは何か・・・すべてを一つの面、一つの物理的連続として思い描く・・・地下を流れる水流・・・現象としての生命の研究が与えるものは何か・・・科学が自分のために築いた人工的世界・・・完結し孤立した現象は実際には存在しない・・・新しい世界観・・・

 

  我々は以前に、平面上で二つの同形の円を研究する二次元存在が「ロウソク」と「コイン」の機能を理解することがいかに不可能なことかを見てきた。人間を機械として研究している科学者にとても、人間の機能は同様に理解不可能であろう。その理由は明らかである。それは、ロウソクとコインは実は同じ円ではなく、二つの全く異なった意義と利用法を持つ、平和世界よりも「高次元の」存在だからである。同様に、人間は機械ではなく、目に見える世界よりも高次の世界で目的と意味を持つ存在なのである。

 三次元世界でのロウソクとコインの働きは、面存在にとっては、近づくことのできないヌーメノン(本質)であろう。円という現象からロウソクとコインの機能の違いを知ることは明らかに不可能である。

 

 

 

 

 

 

 

                       PNC会員へ・・・

会員のみなさま 912                 後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月12日(火)、現在は朝の7時前ぐらいです。

 

 昨日の午前中はけっこうな雨降りでしたね。それでも当方が家を出るころは止んでいて

大型雨傘から折り畳み傘に変更しました。一日中未使用で終わると思いきや少しは

降られました。雨が止んだ午後からは気温も上昇、もう春真っ盛りとなっています。今日

から当分は晴れ予報なので気分も春そのものです。

 

 昨日は約80日ぶりに法廷出廷が再開されましたが、懸念された通り遅延の連続でした。

まず、矢切駅から松戸駅行きのバスが普通5分以内の間隔で運行して(外環貫通以後は

渋滞無し)いるのですが、これが20分近く遅延です。道路がガラガラなのに何故?・・・

というほどの遅れです。遅れの原因を運転手は何も言いませんので原因は分らず仕舞いです。

ここまで遅れて出廷初日から遅刻を覚悟しました。ところがです、取手まで行く常磐線には

乗り遅れ必至と思いきや、流石(?)の常磐線ですねこちらの電車も遅延していたので間に合う

電車に乗れてしまいました。最近(仕事再開後)はこのような遅れ遅れで逆に正解という結果

が増大しています。これは良い事なの?と、考えてしまいます。

 

 雨っぽい日の初出廷は下館です。定年直前の最後の出廷が下館でした。そして再開も下館

とは不思議な縁ですね。下館では裁判長と書記官に何故か再開されてしまいましたと理由を

言って、仕事は始まりました。この日は2件の案件がありましたが、被告の2人はどちらも欠席

でした。超簡単に仕事は終わったので下館からの水戸線に間に合うので簡裁を出て歩き始め

ました。そこで書記官から呼び止められました。ひとりの方が渋滞で遅延しているがあと5分で

到着するとのこと。法廷再開してほしいとのことです。当方的には水戸に行きたかったので、

断ろうかと思ったのですが、やはり和解成立が出来るならいい仕事となりますので水戸は諦め

て、法廷再開を待ちました。結局、”和解に代わる決定”から”和解成立”にして終了、その後に

被告から多少の聴取をして終了した時には下館発水戸行きのJR水戸線は行ってしまいました。

この後の電車は1時間後なので水戸は諦め、来た時の関東鉄道常総線に30分ほど待って乗り

帰宅(直帰)の途に着きました。

 下館の裁判長はこの数年間の内に何回か裁定して戴いた当方的には気の合う良い裁判官です。

ところが今回の春の人事異動で転勤が決まったそうです。書記官からトウカンに移動です、と言われ

ましたが、当方このトウカンが最初分りませんでした。よく聞いてみたらトウカンは東京簡裁のこと

ではありませんか。当方も少ないとはいえこの東京簡裁は月に最低一度は行ってますのでまた

の法廷での再会を約して下館を去りました。

 結論的には水戸駅は行けず、当然所望していた”とりあい弁当”も幻で終わってしまいました。

残念と思いながら夜のテレビを見ていたら何と水戸の偕楽園の夜のライトアップ映像を放映して

いました。そこで思い出しました。この時期は梅の一番の見どころで平日でもけっこう混むのが

当たりまえです。あの、ほんとに駅なの?・・・の偕楽園駅もおそらく使用しているはずです。

もし水戸に行けば駅は相当混雑してその挙句駅弁は当然売り切れ間違いなしだったと想像します。

結局、行かないで正解なのでは?・・・と、勝手に結論付けました。水戸にはまた行きます。

因みに偕楽園の夜のライトアップと梅の見どころは今週いっぱいだそうです。この週末は大混雑

が予想されます。(テレビ放映もあったので) 水戸駅の駅弁は梅の時期が過ぎたら行くことにします。

 

 本日は地元の市川簡裁の法定出廷が10時半です。この後の9時20分には家を出ますが、

まだ1時間半以上あります。8時半になったら昨日届いた日本年金機構の年金変更通知の内容が

イマイチ分らないので電話をして聞いてみようかと思っています。”毎日が日曜日”の時は時間が

たっぷりあったのですが、仕事再開のため殆んど時間不足となっています。

 

それでもニーチェと量子物理学は行きます。

 

 

ニーチェ

 

 

七 キリスト教は同情の宗教と名づけられている。― 同情は、生命感情のエネルギーを高める強壮な欲情の反対物である。同情を、それがうみだすことをつねとする反作用の価値に従って測定すれば、同情が生にとって危険な性格をもっているということは、はるかに明伯となる。同情は、大まかに言って、淘汰の法則にほかならない発展の法則をさまたげる。それは、没落にひんしているものを保存し、生の勘当され、断罪された者どものために防戦し、同情が生のうちで手放さずにいるすべての種類の出来損ないを充満せしめることによって、生自身に陰鬱な疑わしい相貌をあたえる。人はあえて、同情を徳と名づけてきた。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

  第十一章 科学と四次元問題

 

 科学と四次元の問題・・・一九一一年メンデレーフ会議でのN・A・ウーモフ教授の論文「現代自然科学思想の特徴と課題」・・・新しい物理学・・・電磁理論・・・相対性原理・・・アインシュタインとミンコフスキーの仕事・・・過去と味来の同時的存在・・・永遠の今・・・ヴァン・マーネンのオカルト体験についての本・・・四次元物体の図

 

科学の未知なるものの探究であるべきである。

 

 

  第十二章 現象と本質

 

 現象の分析・・・現象の異なった秩序を決定するものは何か・・・ある現象から別の現象に移行する方法と様式・・・運動現象・・・生命現象・・・意識現象・・・我々の世界知覚の中心的問題「他の現象を生み出す最初の現象はどちらか」・・・運動はすべての始まりとなりうるか・・・エネルギー変容の法則・・・潜在的エネルギーの単純な変容と解放・・・さまざまな現象の異なった解放力・・・機械的エネルギーの力、生きた細胞の力、観念の力・・・三次元世界の現象と本質

 

 現象の序列は、第一に我々の知覚方法によって、第二にある現象から別の現象への移行形式によって決まる。

 知覚方法と他の現象への移行形式に従って、我々は現象を三つに分けることにする。

 物理現象、(物理と化学によって研究されるあらゆる現象)。生命現象(生物学とその専門領域によって研究されるあらゆる現象)。心理現象(思考、感情など)。

 

 

 

                  PNC会員へ・・・

会員のみなさま 911               後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月10日(日)、現在は朝の7時半です。

 

 昨日から今朝にかけて”春まだき”という造語にふさわしい寒さが身に染み入る

ような朝を迎えています。。本日の昼間は好天が続くようですが、夜から明日にかけて

(特に明日の午前中)、大雨の予報もあるようです。明日は事実上の当方仕事始め

です(法廷出廷)。しかも遠方の下館で、ここは駅から簡裁まで10分強は歩きます。

雨傘は特大のものを持って対応するつもりです。それでもそれ以後の1週間ぐらいは

晴天が予想されていますので、一気に桜の開花も進みそうです。

 

 昨日今日と仕事開始後では初の連休となる当方ですが、熟さねばならない用事は

ほぼ無く、今日も午前中にATMでお金をおろして駅のスイカにチャージをしたり、

墓参り→上新電機と回るぐらいです。おそらく来週から再来週にかけてのお休みの日は

春のお彼岸(春分の日は21日)の墓参り客が大挙殺到することが予想されるので、当方は

本日の前倒しと4月に入ってから妹夫婦を連れて2度目のお彼岸の墓参りをすることに

なる予定でいます。

 

 話は変わって今朝のヤフーニュースを見ていたら”サバ缶”ブームの話が乗っていたので

少し触ってみます。当方、サバは好きか嫌いかと言われたら遠い昔は嫌いだったのが

この数十年ぐらいは特に鯖焼き定食とか福井の名産”浜焼き鯖寿司”は大好物でよく

食べると答えざるを得ないでしょう。そして問題のサバ缶ですが、これは数年前までは

当方よく行く業務スーパーの安売りコーナーで一缶80円台ぐらいで売っていました。

水煮と味噌煮が主流ですが、当方は専ら水煮を選択します。味噌煮についてですが、

当方らの家庭で作る味噌煮はどうしても美味しく出来ません。何度作って貰っても

イマイチの状態となります。プロとアマの違いは致し方ないとしてもちょっと差があり過ぎ?

と思わざるを得ないぐらい違います。そういう状態ですから缶詰でも味噌煮はまだ美味しい

ほうです。でも当方は水煮を選択しますが悪しからず!ところでその値段ですが、はっきり

サバ缶の最大の魅力は安さにあります。100円以下が普通で昔よく食べた鮭缶は300円

ぐらいはしていました。けっこう高いので当方大好物の鮭缶はお目出度い日しか食べさせて

もらいませんでしたが。時代は変換するものです。あの鮭缶とサバ缶の値段が急接近しつつ

あるではないですか!?!「サバ缶」大ブームの要因はテレビでサバ缶の栄養価の高さや

健康・美容への効果が相次ぎ紹介されたことに寄るようです。EPAとかDHAとかが豊富に

含まれ身体に超良いという事が植えつけられたからでしょう!サバは殆んど国産のものを

使用しています。ところがサバの浜値の高騰が半端ではないようなのです。その中でアフリカや

東南アジア向けに需要が増大、その結果2018年前半には1㎏あたり70~80円だった

サバの浜値は10月から12月にかけて120~130円台へ急上昇したそうです。

 美味しくて安い食材がこのようにどんどん値上げされていきます。昔は世界中の人がまず

食べなかった”蛸”も今ではどの国の人も食べるようになって来たようです。欧米では蛸は

悪魔の生き物といって誰も食べなかったのが今はどんどん食べているようです。残念です。

 

 ということで、1時間が経ってしまいました。今週末のPNCはここまでですが、火曜日の市川

簡裁出廷時と15日の松戸簡裁出廷時は家を出発する時間が9時過ぎなので書く案件があったら

書くつもりです。

 

ニーチェと量子物理学はいつも行きます!?!

 

 

ニーチェ

 

 

六 私の解して頽廃というのは、すでにおわかりであろうが、デカダンスという意味なのである。すなわち、私の主張はこうである。現今人類がその至高の願望をそのうちに一括しているすべての価値は、デカダンスの価値である。

 私は、動物が、類が、個体が、その本能を失うとき、おのれに害のあるものを選択し、それをかえって好むとき、そのものは頽廃したと名づける。「高尚な感情」,「人類の理想」の歴史は― ぼとんど、なにがゆえに人間はかくも頽廃してしまったかの説明でもありうる。生自身を私は、諸力の成長に対する、蓄積に対する本能、権力に対する本能とみなす。すなわち、権力への意志を欠くところには、衰退がある。私の主張はこうである、人間のすべての至高の価値にはこの意志が欠けている、― 

衰退の価値が、ニヒリズム的価値が、最も神聖な名称をかたって支配権をふるっている。

 

 

量子物理学

 

 

時間の関係の新しい理解について言われたことのすべては、非常に曖昧なものにならざるを得ない。それは我々の言語が時間概念の空間的表現にまったく不向きであるからである。我々はそのために必要な言葉を持っておらず、必要な言語形式を欠いている。厳密に言えば、これらの新しい関係の表現には、言葉ではない、まったく新しい、違う形式が必要である。新しい時間関係の表現には動詞の無い言語が必要である。まったく新しい文節が必要であり、無数の新しい単語が必要である。それができるまでは、人間の言語では、「時間」について示唆することしかでいない。その本質は我々にとって表現不可能なのである。

 表現が不可能であるということを決して忘れてはならない。これは真実の微であり、実在(リアリティ)の微である。表現しうるものはリアルではない。

 人間の魂と時間との関係について語るあらゆる体系、死後の存在、転生の理論、魂の交換の理論などのあらゆる観念、これらすべては表徴であり、我々の言語の貧困さと弱さのために直接に表現することができない関係を伝えようという努力から生まれたものである。芸術的な象徴や寓話を文字通り解釈することができないのと同様に、それらを文字通りに理解すべきではない。隠れた意味、言葉には表現できない意味を求めるべきである。

 

 

 

 

 

 

 

               PNC会員へ・・・

会員のみなさま 910                   後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月9日(土)、現在は朝の7時少し前ぐらいです。

 

 PNCは3日間お休みして4日ぶりとなります。この3日間はきつかったです。

仕事が再開されましたが、2日間ほどは出退勤(執務室への出入りなど)のカードも無く、

未だ仕事に絶対必要で重要なプログラムシステムには侵入許可が下りていません。

再就職の最初の3日間は研修受講でしたが、水曜日からの3日間は執務室に1日中

いるのが苦痛でした。それも昨日までで、来週からは本格的に法廷出廷が始まります。

 来週の出廷は4日間あります。初日の月曜日は何とも不思議な縁で先の12月20日に

最終出廷した遠方の下館簡裁となりました。約80日間法廷出廷は無く(定年退職なので

当然です)、久々ですが、下館簡裁の裁判官と書記官とは慣れ親しんでいますので、

助かります。最後の出廷の時には停年退職する旨をお知らせしてしまったので今回の

復帰を何といえば良いか思案中です。火曜日は地元の市川簡裁です。次の水曜日が

遠方の太田となります。下館とこの太田は直帰とする予定です。木曜日は出廷が無く、

1日中会社です。そして金曜日はこれも地元の松戸です。4日間のお昼の予定は決めて

います。下館は行けたら(時間に余裕があったら)水戸駅の”とりあい弁当”が所望です。

市川は普通に帰社しますが途中のJR内”きらく”の蕎麦になるでしょう。問題は太田です。

ちょうどお昼時間は太田駅界隈に居ますがここは期待の食べ処が皆無です。今から

悩んでいます。そして金曜日は松戸です。帰路の我孫子駅の”弥生軒”で竹輪天唐揚げの

天抜きにするつもりです。これらすべて3カ月ぶり以上ですので期待が膨らんでいます。

仕事をしていて楽しみはお昼ぐらいですので仕方ありません。

 

 今朝は好天でスカッとした週末の初日ですが、5日と7日はけっこうな降雨でしたね。

前年の後半から続いていた雨不足はここにきてだいぶ解消されてきました。本日と

明日の夜ぐらいまでは晴天でその後は3日ほどまた雨予報となっています。下館は雨の

出廷となりそうです。

 仕事再開で昨日まで6日間経過しましたが、大きな遅延は無くまず無事なスタート

となりました。運行遅延は普通に多くありますが、押せ押せで電車が動くので支障は

来しません。この調子で来週からもお願いしますと言っておきます!

 

 先に我がベストに近いお昼のお店である東銀座の”中華三原”のお昼の営業を止め

て、東銀座で飲み会があった時だけ〆に食べていますが、久々の木曜日に行った

”チバちゃん”のお昼の営業が2月いっぱいで終了していました。ややですが残念です。

理由は解りませんが、早稲田のカツ丼発祥の店である”三朝庵”が人手不足を原因に

店そのものを畳んでしまったことと”中華三原”がお昼の営業を止めたことは理由的には

おそらく人的問題ではないかと思われます!?!。当方は”チバちゃん”ではいつも

唐揚げ定食のご飯抜きしか食べませんが、ここはメインの料理以外に惣菜が数種類あり

ご飯・味噌汁は食べ放題です。これだけの料理を揃えて一食600円ほどですので採算が

合わないのではないか?と思われます。それでも夜の営業はやっているようなので何時か

一度ぐらいは飲みに行ってみます。

 最近(このところ下火に)、コンビニやお昼どころでのアルバイト店員によるSMS動画配信

が大きな問題となっていました。考えることも無くこのバカ騒ぎの最大の原因は安給料に

あることに異論はないでしょう。養護施設の職員による暴力行為と同じレベルの仕返し的

所業に間違いありません。結論的にはやはり小泉=竹中の貧乏人急増システム発祥以来

の反動的出来事の一端だと思われます。

 

 此のたびの研修の間、当方以外にやはり派遣会社経由で入社した女性2人と話していた

ことで、当方、ずっと拒否してきたLINEを開始することに相成り発信した次第です。LINEを

している皆様方にはご迷惑でしょうがご容赦願います。当方、パソコンはもう20年やっていて

キーボード入力は同年代の人たちの中でも早い方だと自負していますが、携帯(スマホ)など

の機械に一本指で入力するのが苦手です。それでもやっていると多く使う文字群が沢山でる

ようになってきて段々楽になりつつあります。パソコンを打ったり(桜田流)、携帯を操作したり

今の世の中覚えることが多くて大変です。

 

 昨日、当方の仕事では同業であるクレジット会社の”オリコ”から新しい更新のカードが届き

ました。これは当家からさほど遠くないホームセンターの”ユニディ”の専用カードです。

これを見ていてびっくりしました。カード利用の金額がキャッシング50万円、ショッピングも

50万円で限度額合計100万円となっています。当方、仕事先であるイオンのカードを会社

の要請で作成する時のキャッシング枠はゼロで申請します。バブル期以降カードでお金を

借りることは金輪際なくなっています。もちろん銀行のカードローンも同様です。超低金利

住宅ローンも完済しましたので、現在では所謂借入は皆無となっています。ハッキリ言って

使い道も無いのです。株はやりませんし借金してまで競馬などやりません。ゴルフもやらず

たまの飲み会でもカードを切ったことなどもう数十年前になるでしょうか!?!

 

 ということで、今回はここまでです。また明日行きます。

 ニーチと量子物理学は頑張って勉強しましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

 

五 キリスト教を装いたてたり飾りたてたりしてはならない。キリスト教は、こうした高級の人間典型に決戦をいどんできた。この典型のすべての根本本能を追放してきた、この本能を蒸溜して、悪を、悪人そのものをつくりあげてきた、すなわち― 典型的に唾棄すべき者、「極悪の人間」としての強い人間。キリスト教は、すべて弱いもの、低劣なもの、出来損ないのものの味方となってきた、強い生の保存本能に対する抗弁から一つの理想をでっちあげきた。それは、精神的に最強の本性の持ち主すらの理性をも頽廃せしめてきたのである、精神性の至高の価値を、罪あるものとして、惑わすものとして、誘惑として感じ取るよう教えることによって。最も気の毒な実例は、すなわちパスカルの頽廃であり、彼は原罪によるおのれの理性の頽廃を信じていたが、実はこの理性は彼のキリスト教によって頽廃させしめられていたにすぎない! ―  

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 生命現象と生物現象は、非常に複雑で、相互に交錯する大量の線から構成されている何らかの四次元円が空間を通過することに非常に似ている。

 生物現象、生命現象とは何なのだろうか。科学はこの問いに対する答えを持たない。それは謎である。生きている有機体、生きている細胞、生きている原形質は定義不可能な「何か」を含んでおり、それが生きた物質と死んだ物質を区別している。我々はこの「何か」をその働きを通じて知るのみである。それらの動きの中で、死んだ有機体、死んだ細胞、死んだ物質にはない主要なものは、再生産の能力である。

 

人間(三次元存在)にとって、時間は四次元とそれ以上の空間の性質を含んでいる。

 かくして、意識と知覚形態の上昇と拡大に従って、空間の性質は増加し、時間の性質は減少する。

 換言すれば、空間感覚の成長は時間感覚を犠牲にして進む。あるいは次のように言えるかもしれない。時間感覚とは不完全なる空間感覚(不完全な表象能力)であり、それが完全になるに従って空間感覚(形体表象能力)に移行する、と。

 上にある如く、下にもある。かつてあったものは、再び帰る。天にある如く、地もまたかくの如し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      PNC会員へ・・・

 会員のみなさま 909                   後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年3月5日(火)、現在は朝の7時過ぎです。

 

 昨日の降雨はほぼ1日中続きました。この日・月の雨量は関東地方にとっては

まさに”干天の慈雨”となったようです。本日は一転して好天になり最高気温も

15℃を予想しています。それでも明日は曇りで明後日はまた雨模様です。これが

春という日々が到来したことはめでたいことです。

 

 昨日と今日は10時出社なので心身ともに楽ちんです。我が路線はちゃんと普通に

遅延はしています。昨日も京急の遅延が北総にまでおよび、当方が乗る電車は10分

遅れでした。それでも武蔵野線のこの時間帯の本数は少ないので乗る予定の電車には

十分間に合いました。

 当方、今日までは所謂研修です。本日の最後に簡単なテストをやって50問中40問

正解すれば合格で通常業務に入れますが、点数が悪いと再研修となるようです。

まあ大丈夫でしょうが不合格だと格好悪いです。やはり年寄りだねー!?!とか言われ

ること間違いないでしょうから。

 昨日と今日は12時のお昼なので弁当持ちです。近場の食堂(ワイズとかチバちゃんとか)

の12時過ぎは超混みます。コンビニも行列必至です。早く法廷出廷が始まり、行く先々での

お昼にしたいものです。路線ごとに行く処、食べるところは決まっています。もう2ヶ月以上

食していない処ばかりです。気分的に期待が高まりつつあります。

 

 今日までは10時出社でしたが、明日からは9時です。7時40分には家を出ますので

PNCを書こうと思ったら最低でも5時半には起きないと無理です。以前は何が無くとも

5時半がいつもの起床時間でした。”毎日が日曜日”が2ヶ月続いたことにより通常で

6時から6時半ぐらいの起床になっています。やはり人間”毎日が日曜日”は良くないのか?

・・・と思います。働く事が一番で当方のように毎日の早朝に物書きをしてもそれは1時間

から2時間で終わります。その後の夕方までの時間の使い方が難しいものです。PC作業

をしたり、読書・映画鑑賞・・・あたりしかやることはありません。当方的にはもう厭きた・・・

と、言うところもありますが、この”毎日が日曜日”状態がけっこう良いものだと感じ始めた

事の方が心配していました。やはり人間はほおっておけばだらけて怠け者になって行くものの

ようです。いけませんね!!!

 

 昨日の常磐線は超久々に巡行だったようです。このまま通常の運行に戻って普通に

走ってほしいものです。何故なら来週以降はこの常磐線利用もあるはずだからです。

 

 では、ニーチェと量子物理学に行きますが、明日以降のPNCはちょっと厳しいかもしれ

ません。書けなかったらごめんさいです。悪しからず!!!

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

 

三 人類に代わって次にあらわれるべき生物が何であるかということが、私がこの書物で提出する問題ではない(― 人間は一つの終極である―)そうではなくて、いかなる人間典型が、価値のより高い、生きるにより値し、未来のより確実なものとして、育成されるべきであるか、意欲されるべきであるかということである。

― そしてこの恐怖から反対の典型が意欲され、育成され、達成された。すなわち、家畜が、群居動物が、人間という病める動物が、― キリスト者が・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 もしそうであれば、「運動」は実際には「派生物」であり、知性が全体としてとらえることができないものと接触した時に心の中に生じるのかもしれない。我々自身が、ゆっくりと建設されていく、以前には存在していなかった未知の町に近づいていると想像してみよう。以前にはなかった鐘楼が現れ、長い間見えていた川が消滅する。

 時間に対する我々の関係も全く同じである。時間は無から生じ、無の中に消えていく。

 すべての物は時間の中に存在するが、我々に見えるのは物の断面だけである。意識を物の断面から時間の中にあるその物の一部へと移行させることで、我々は物自体が運動しているという錯覚を持つのである。

 このことを次のように表現してもよい。「運動」の感覚は「空間から時間への移行(空間についての明晰な感覚への移行)の意識である。現実には、我々は静止した四次元の角度と曲線を知覚し、それを外部の世界に現象として投影しているのである。

 これに基づいて次のように推測できるかもしれない。すなわち、本当はいかなる運動も存在しないのだが、静止した不変のものが、単に我々が感覚知覚という小さなのぞき穴を通して見ているために、動いているように見えるだけではないのか?