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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 909 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年3月5日(火)、現在は朝の7時過ぎです。
昨日の降雨はほぼ1日中続きました。この日・月の雨量は関東地方にとっては
まさに”干天の慈雨”となったようです。本日は一転して好天になり最高気温も
15℃を予想しています。それでも明日は曇りで明後日はまた雨模様です。これが
春という日々が到来したことはめでたいことです。
昨日と今日は10時出社なので心身ともに楽ちんです。我が路線はちゃんと普通に
遅延はしています。昨日も京急の遅延が北総にまでおよび、当方が乗る電車は10分
遅れでした。それでも武蔵野線のこの時間帯の本数は少ないので乗る予定の電車には
十分間に合いました。
当方、今日までは所謂研修です。本日の最後に簡単なテストをやって50問中40問
正解すれば合格で通常業務に入れますが、点数が悪いと再研修となるようです。
まあ大丈夫でしょうが不合格だと格好悪いです。やはり年寄りだねー!?!とか言われ
ること間違いないでしょうから。
昨日と今日は12時のお昼なので弁当持ちです。近場の食堂(ワイズとかチバちゃんとか)
の12時過ぎは超混みます。コンビニも行列必至です。早く法廷出廷が始まり、行く先々での
お昼にしたいものです。路線ごとに行く処、食べるところは決まっています。もう2ヶ月以上
食していない処ばかりです。気分的に期待が高まりつつあります。
今日までは10時出社でしたが、明日からは9時です。7時40分には家を出ますので
PNCを書こうと思ったら最低でも5時半には起きないと無理です。以前は何が無くとも
5時半がいつもの起床時間でした。”毎日が日曜日”が2ヶ月続いたことにより通常で
6時から6時半ぐらいの起床になっています。やはり人間”毎日が日曜日”は良くないのか?
・・・と思います。働く事が一番で当方のように毎日の早朝に物書きをしてもそれは1時間
から2時間で終わります。その後の夕方までの時間の使い方が難しいものです。PC作業
をしたり、読書・映画鑑賞・・・あたりしかやることはありません。当方的にはもう厭きた・・・
と、言うところもありますが、この”毎日が日曜日”状態がけっこう良いものだと感じ始めた
事の方が心配していました。やはり人間はほおっておけばだらけて怠け者になって行くものの
ようです。いけませんね!!!
昨日の常磐線は超久々に巡行だったようです。このまま通常の運行に戻って普通に
走ってほしいものです。何故なら来週以降はこの常磐線利用もあるはずだからです。
では、ニーチェと量子物理学に行きますが、明日以降のPNCはちょっと厳しいかもしれ
ません。書けなかったらごめんさいです。悪しからず!!!
三 人類に代わって次にあらわれるべき生物が何であるかということが、私がこの書物で提出する問題ではない(― 人間は一つの終極である―)そうではなくて、いかなる人間典型が、価値のより高い、生きるにより値し、未来のより確実なものとして、育成されるべきであるか、意欲されるべきであるかということである。
― そしてこの恐怖から反対の典型が意欲され、育成され、達成された。すなわち、家畜が、群居動物が、人間という病める動物が、― キリスト者が・・・
量子物理学
もしそうであれば、「運動」は実際には「派生物」であり、知性が全体としてとらえることができないものと接触した時に心の中に生じるのかもしれない。我々自身が、ゆっくりと建設されていく、以前には存在していなかった未知の町に近づいていると想像してみよう。以前にはなかった鐘楼が現れ、長い間見えていた川が消滅する。
時間に対する我々の関係も全く同じである。時間は無から生じ、無の中に消えていく。
すべての物は時間の中に存在するが、我々に見えるのは物の断面だけである。意識を物の断面から時間の中にあるその物の一部へと移行させることで、我々は物自体が運動しているという錯覚を持つのである。
このことを次のように表現してもよい。「運動」の感覚は「空間から時間への移行(空間についての明晰な感覚への移行)の意識である。現実には、我々は静止した四次元の角度と曲線を知覚し、それを外部の世界に現象として投影しているのである。
これに基づいて次のように推測できるかもしれない。すなわち、本当はいかなる運動も存在しないのだが、静止した不変のものが、単に我々が感覚知覚という小さなのぞき穴を通して見ているために、動いているように見えるだけではないのか?