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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 886 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年2月10日(日)、現在は朝の7時40分です。
昨日の降雪が若干は残ってどの家の車の屋根は雪化粧です。それでも程度は知れています
のでお湯をさっと1~2度かければもう発車可能な状態でしょう。
昨日はもう少し降るのかと思った雪ですが、少なかったですね。競馬も出来たはずですが
早目の対応をすると意外と反対の結果になるのが人間界の常でしょうか!?!
当方、今日明日ともまったく予定がありません。せいぜい買い物とか女房の送り迎えぐらい
です。昨日は1日中孫の世話でしたが、今日は親が居るのでそれは無し…という事は
1日中ほぼ当方一人だけという事です。じっくり本読みに徹します。
先日は武蔵野線と京葉線が1日中停まったり遅延したりで大混乱でした。当方利用することが多い
常磐線の最近の乱れ方は超の字をつけたいぐらいに頻繁化しています。昨日も一昨日も
そして今朝はひたち野うしくでドア点検…遅延しています。当方、仕事が修了して以来、
常磐線には全く乗らないのでどうでも良いのですが、将来的には仕事がらみで困るような気が
してやや心配です。
共産党の志位和夫委員長が指摘した安倍の言う6年間で250万人の就業者を増やしたという
自慢話について内訳は65歳以上が211万人増だという事を喝破しました。
当方ら団塊の世代が中心に65歳を迎えて定年退職はしても年金額が思っていたより随分低く、
当然働かなければ先行きが不安だから働いているのです。当方など、70歳で定年退職しましたが、
失業年金が支給されたと同時に新たな職に着かざるを得ません。当家では夫婦二人の生活で
家は持ち家でローンは無し、他の借金もありませんが何億もの蓄えがあるわけでは無いので
現在の蓄えでは不安です。一番の不安というか心配ごとは当方いつも言うところの”人的リスク”
です。親はもう一人もいませんが、兄弟、子供の殆んどが不安要因です。プラス孫の今後の
養育費というか学費ですね。おそらく我が子供の収入だけでは無理でしょう!?!
勢い当方らが面倒を見ること必至です!巷間よく言われる定年後には借金が無くても最低貯蓄
は3000万円必要・・・ですが、子供孫・兄弟の人的リスクがあるので3000万円でも少ないか?
と思っています。もう無理ですね!?!
それにプラスして消費財がどんどん値上がりし始めています。まだ序の口ですが、3月からは
値上げのオンパレードになります。もちろん年金支給額は減額方向でやたら税金関係の徴収は
増える一方です。結局、当方らは死ぬまで(最低80歳まで)働かざるを得ないという結論です。
この10年間どのような職業を選択すればいいのか?また仕事があるのか?…不安だらけの
雪化粧の朝でした。
当家では昨年の3月ごろに止めたコストコですが、一昨日、未だ会員になっている近所の知り合い
が行くので便乗買いをお願いして、会員時代には毎回買っていた”更科7割蕎麦”を5袋買ってもらい
ました。この蕎麦の一袋は200グラム×5で960円ぐらいです。これはアマゾンや他のネット販売より
大分安いのでお得です。7割というところが味噌なのでしょうね?8割だと割高になるのでしょう!
早速明日には食する予定です。
競馬ですが再開した馬券買いは完敗の連続です。今日も9R一鞍だけ買ってみましたが(700円だけ)
どうでしょうか???
本日の読書は最近購入した藤原正彦の”国家と教養”を完読する予定です。この著作は当方期待して
読み始めたのですが、予想に反してあまり面白くありませんでした。それが第5章に入ってようやっと
読みごたえが出てきたので今日は一気読みするつもりです。読了したらPNCにもその要旨と大事な
論考をみなさまにもお届けします。
当方、20年前からこのPNCを書き始め一応今回が886回目です。途中書かない時期もあったので
本来なら1000回越えをしてておかしくありません。それでも50回を超える連続弾はもちろん今回が
初めてです。お金にもならないのによく書き続けるな…と、不思議に思われるでしょうが、そうではあり
ません。昔の大作家はその文章技術上達のため様々な方法を試みたようです。我がPNCはどちらかと
言えば”日記”に近いと当方は思っています。日記文学と言えば当方と縁がある(地域的なところで
余丁町・たまのい・小岩・市川・・・あたりです!)永井家風山人の”断腸亭日常”ですね。昨日、藤原正彦
の本を読んでいたら鴎外・漱石の思考的正当性を主張する論考を読んで、何故か鴎外の弟子ともいえる
荷風山人の”断腸亭日常の上(文庫)”を引っ張り出し、今後のPNCの作風の参考にしようと思い至った
からです。もちろん、このPNCは日記形式ではありませんが、山人が書いているようなところを当方も
書きますので、本格的に勉強しつつ書いていこうかと思いついたからです。当方、再就職するまでは
ニーチェと量子物理学、それに荷風山人の日記の3点は毎日読んでいくつもりです。
ということで、本日もニーチェと量子物理学は学びましょう!
二 ルナン。― 神学、ないしは「原罪」による理性の頽廃(キリスト教)。その証拠にはルナンは、ひとたび比較的一般的な種類の然りや否を言ってのけるやいなや、几帳面すぎるほどきまって的外れのことをしでかす。彼はたとえば科学と高貴さとを一つに結びあわせたがっているらしいが、しかし科学は民主主義に属するものであって、このことはなんとしても一目瞭然である。ルナンは、イエズス会士や聴罪司祭とまったく同様、誘惑にかけてはその発明の才をもっている。ルナンのこの精神、元気をそぐ精神は、憐れな、病める、意思の病気にかかっているフランスにとってもう一つの宿業である。
量子物理学
かくして、「時間の概念は運動の観察から発展したものであり、運動の連続性を保証する概念に過ぎない」という一般的な理論が誤りであることが明らかになる。
実際にはその反対のことが正しいのである。すなわち、「運動」という概念は我々の「時間」の知覚(時間の感覚)によって発展したものであり、空間の四次元への知覚(感覚)から生じたおのである。しかしその感覚は不完全なものでしかない。この不完全な(四次元の)時間感覚―裂け目を通しての知覚―のために我々は「動き」という感覚を持ち、運動という幻想を作り上げた。しかし実際には「運動」というものはなく、存在するのは我々が想像できないある方向への広がりだけである。
ここで問題のもう一つの側面が重大になってくる。四次元は「時間」と「運動」に関わっている。しかし、五次元について理解しない限り我々は四次元を理解することができない。
時間を物としてとらえることで、カントは「時間は一次元である」と述べた。これは、彼は時間というものを無限の未来から無限の過去に延びる一本の線として捉えていることである。我々はこの線の中の一点のみを意識している。それは常に一点だけである。この点は次元を持たない。なぜなら我々が普通「現在」と呼んでいるのは、「寸前の過去」か「直後の未来」のことだからである。