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会員のみなさま 874                 後醍院 廣幸

 

おはうよございます。本日は2019年1月29日(火)、現在は朝の8時半です。

 

 土曜昼飲み会の反動で一昨日は休肝日にしましたが、昨晩はチョイと強めのドライ・マティーニ

ボンベイサファイア)を多めに飲んだ結果、早寝早起きとなり、夜の8時半に寝て夜中の

2時半には起床、その後、女房の風邪引きによる咳の影響もあり、合計でも6時間半ほど

の睡眠しか出来ずやや冴えない朝となっています。”毎日が日曜日”の当方ですので、仕事に

行くことは無いので、予定があっても早朝に起きなければならない…様な事はまずありません。

本日は1週間前に根抵当権外しの件で市川市法務局へ行きましたが、午後の2時予定で

登記完了証をいただきに行きます。今週中には継続した健保の保険証と離職票が届くはずです。

この2件が届いてようやっと定年退職による作業は終了します。後は離職票を持ってハローワーク

に行くだけです。

 

 昨日は多少、家にいる時間が多く、どうしてもテレビをつけたらほとんど”嵐”の件、プラスして

テニスの大坂なおみ、若干は相撲というあたりで時事関連や安倍の愚業などは皆無でした。

 12月21日を最後に(法廷出廷は下館だったので常磐線利用)遠方への電車乗車は無くなって

いますが、相変わらず常磐線は遅延過多ですね。本日も朝一で佐貫=牛久 間で信号機故障?

で遅延、その後は現在も凄い強風の影響で再度遅れているようです。雲一つない晴天ですが、

この強風はきつそうです。普通の勤め人のみなさまはもう会社には着いているでしょうが外での

仕事がある方は十分ご注意を願います。

 

 昨日は予定通り、女房と隣りの娘&孫娘の4人で武蔵野線船橋法典駅近くの”法典の湯”へ行って

来ました。到着したのは11時ごろで、お風呂の後にはお昼をいただいて帰宅しました。

 この”法典の湯”は当方常浴する”笑顔の湯”とほぼ同じころ開場したスーパー銭湯です。

ここに行くのは当家から中山競馬場に向かって近くまで来たら左に旋回してチョイとで到着します。

まず、法典駅まで北総・武蔵野線利用で行くことは無いでしょう。この”法典の湯”の開場は2005年

(平成17年)です。”笑顔の湯”はそのすぐ後の2007年(平成19年)です。ほぼ同じの開場ですが、

当方”笑顔の湯”は現在まで500~600回は利用していますが、この”法典の湯”は今回が初です。

10枚つづりのチケットを知り合いから頂いたので試しに入浴来場したわけです。《笑がおの湯》の

経営は京成電鉄グループですが、こちら”法典の湯”は東京楽天地です。懐かしい名前ですね。

当方らは江東楽天地の方が馴染み深いです。もちろんガキの頃から場外馬券を買う年齢頃まで

超お世話になった錦糸町駅前あたりにある映画館・馬券売り場・飲食店の総合レジャー場です。

 ”笑顔の湯”と”法典の湯”の違いはというと、”法典の湯”の方がやや大きく、入場者も多いでしょうか。

これは北総線の駅と武蔵野線の駅との差でしょうか?常磐線武蔵野線利用者は来やすいので

どちらかといえば特に外国人の数は圧倒的に”法典の湯”の方が多いでしょうか。外国人と言っても

中国系の方々ですが?”法典の湯”の内容ですが男子専用でのサウナは2つ、お風呂(露天・室内)は

7つあります。《笑がおの湯》はサウナが一つ、お風呂は6つです。後、食事処は”法典の湯”の方が

大分広いですが、メニュー的にも味も”笑顔の湯”が上位でしょうか?どちらにもマッサージ室は

ありますが床屋は”法典の湯”にしかありません。それでも”笑顔の湯”には岩盤浴がありますので

引き分け的ですね。結論ですが、当方的にはやはり”笑顔の湯”に軍配を上げます。やっぱり少し

綺麗ですし、入場者の質が違います。”笑顔の湯”の方が安心して入っていられますか?

”法典の湯”の利点の一つは温泉が出ていることでしょうか。地下1500mから汲み上げる温泉、

というか鉱泉でしょうか。当然、海水ですのでしょっぱいですが。

 総合的には当方は《笑がおの湯》に軍配を上げますのでチケットが無くなったらもう”法典の湯”には

行かないでしょう!?!もちろん当家からは多少遠いという欠点もありますので仕方ありませんね!

 

 ここまで書いてきたら、健康保険組合から被保険者証と初回振り込み票が届きました。早速入金

して来ます。

 

 という事で、今日はここまでです。ニーチェと量子物理学は学びましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

七 自由意志の誤謬。― 私たちは今日ではもはや「自由意志」という概念にはいかなる同情をももたない。私たちはこの概念の正体を知りすぎるほどよく知っているからである―それは、ありうるうちの最もいかがわしい神学者どもの典型であり、人類を彼らの意味で「責任あるもの」に」させるための、言い換えれば、人類を彼らに依存させるためのものである・・・

 「道徳的世界秩序」という概念をたずさえて生成の無垢を「罰」と「罪責」によって汚毒しつづける神学者どものそれにもまして根本的な敵対はない。キリスト教は絞首刑の形而上学である・・・

 

八 「神」という概念はこれまで生存に対する最大の意義であった・・・私たちは神を否認する、私たちは神において責任性を否認する。すなわち、このことではじめて私たちは世界を救済するのである。

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 

  第四章 時間とは何か、運動とは何か

 

 四次元はどの方向にあるのか・・・運動とは何か・・・二つの種類の運動・・・空間における運動と時間における運動・・・時間とは何か・・・現在、過去、未来・・・感覚認識に関するヴントの見解・・・人生を手探りで進む・・・我々はなぜ過去と未来を見ないのか・・・空間の新しい広がりとその空間における運動・・・時間の概念に含まれる二つの観念・・・空間の第四次元としての時間・・・運動の観念抜きに四次元の観念を理解するのは不可能である・・・運動の観念と「時間感覚」・・・空間感覚の限界(表面)としての「時間感覚」・・・時間の四次元空間への翻訳というリーマンの考え方・・・表面張力の法則に関するヒントンの見解・・・表面としての「エーテル