PNC会員へ・・・

会員のみなさま 936                後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年5月1日(水)、現在は朝の6時15分です。
 
 早いものでもう今日から5月です。雨降りは今日一日中続きそうですが、他には
何にも変化のない普通の月替わりです。10連続弾休暇も本日で5日目、今日が終われば
もう後半戦です。それにしても昨日は”平成最後”という言葉の洪水で本当にうんざりでした。
テレビが一日中皇室関連となるのは仕方ないとは思いますが、夕方のNHKの”天皇のお言葉”
あたりの放送で、皇室関係者や天皇のご学友が出演するのは当たり前ですが、何でタレントの
中川翔子なんかが出る必然性があるの?・・・!?!超不思議です。
 もうこれらの皇室関連報道は今日から止めましょう!もうういいよ!他に国民に知らさなければ
ならないニュースがいっぱいあるでしょう!・・・と言いたいです。
 
 昨日はバカテレビだけでなく、予定が全部変更された一日でした。まず、来る予定をしていた
友人の孫のうち2人が風邪ひきで高熱を発し中止となりました。それでも昨日と今日の2日間は
両親(娘夫婦)とも仕事なので、二人の孫を預かることに変更はありません。それにしても、
ちびっ子の男と女では両極端ですね。小学3年生の長女は慎重なタイプではっきり運動関係は
どちらかと言えば不得意で、所謂”お転婆”という言葉にはほど遠い子です。結果的にあまり
怪我なども少なく、熱を出すぐらいが関の山のタイプです。ところが、下の男の子(2歳半)は
上の娘とは正反対で、メチャ動いて怪我も絶えません。昨日も階段で軽く転んで、その後に
隣りの娘宅の石の会談で足を踏み外し、顔面に大怪我です。鼻の上と両目の間、眉間の
下あたりの2か所に出血を伴って晴れもある本格的な怪我をしました。連休中で病院もやって
無いので困ったものです。女房は一応娘に写メ付きでメールをしておきましたが、救急病院に
行くほどではない(まあ素人判断なので?)…と思いますが心配でもあります。
 二人の孫が隣に住んでいるといろんなことが全部娘夫婦と共有するので当方らの負担も
半端ではありません。自分たちが30歳代の所謂子育ての頃を考えると隣の娘夫婦は楽です
(というか仕事ができる)。当方らの時代ではジジババは珠にしか来ないし、当方なども30歳代
で超忙しい日々を過ごして(証券会社の仕事は7-11と言われたぐらいハードだった)いました。
仕事に飲みに超忙しく、子育てなど女房に全部任せるしかない状態でした。現在の隣りの娘
夫婦あたりは休みの日は一日中子供と遊んでいますし、夕方の7時ぐらいにはもう帰宅しています。
楽な仕事ですね!?!
 下の孫の怪我具合にもよりますが、両親は今日も仕事で、当方らが一日中面倒を見る予定です。
楽しみでもあるのですがきつくもあり、また、新たな怪我の不安もあり、一日中心配な日になります。
 結局昨日は温泉に行って映画を1本観ただけでした。今日も昨日の続きのような気がします。
こんなことで10連続弾休暇は終わるのでしょう!?!
 
 それでは4月15日に観た”陪審員”という映画を簡単に照会しておきます。この映画は1996年
公開の米サスペンス映画です。”ゴースト/NYの幻”のデミ・ムーアが主演です。この人もいろんな
役を熟す女優です。以前にもこのPNCに書きましたが、”羊たちの沈黙”のジョディ・フォスター
その3年前の1988年に製作された”告発の行方”に出て超体当たり演技を披露していた女優とは
信じられないのと同じです。結局、フォスターは”羊たちの沈黙”1991年製作の両方でアカデミー賞
主演女優賞を摂っています。本題のデミ・ムーアですが”ゴースト・・・”で披露した清純で美しい
インテリ女性から信じられないマイケル・ダグラスと共演の”ディスクロージャー”での演技は本当に
別人としか思えないぐらいの強かさです。普通あり得ない逆ハラスメントで絶対ありえない逆レープ
に近いシーンを普通に演技しています。
 さて、”陪審員”の内容ですが、デミ・ムーア扮する彫刻家でシングルマザーの女性に裁判所から
陪審員に選出され陪審員長に選ばれるという設定です。裁判は殺人事件で起訴されたマフィアの
ボスへの裁定です。魔の手はマフィアのボスの手下のもの凄い陪審員長へのアタックです。
米国映画ですから最後はハッピーエンドとなりますが、裁判シーンも結構見どころがあり、最後に
近いあたりでは普通にアクションシーンも多発されます。まあ結構見ごたえのある映画とだけ言って
おきます。結末を全部言ってしまうとネタバレになってこれから観ようかと思っている人に失礼ですから
今日はここまでにしておきます。明日はハリソン・フォードの”推定無罪”を行きます。
 
 
それではニーチェは準備中なので量子物理学だけでお願いします。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
     第十九章  海を飲み込む水滴
 
 知的手法と客観的知識・・・客観的知識の限界・・・心理学的手法の適用による知識拡大の可能性・・・新しい知識の形態・・・プロティヌスの考え・・・意識の異なった形態・・・眠り(意識の潜在的状態)・・・夢(自分自身の中に閉じこもった意識、自分自身の反映)・・・目覚めた意識(世界の二元的感覚)・・・恍惚(「自分自身の外に出る」)・・・「トゥリア」(すべてを自分自身と感じる絶対意識)・・・「海を飲み込む水滴」・・・「ニルヴァーナ
 
 客観的知識の研究は事実の研究ではなく、「事実の表象」の研究に過ぎないといういことを覚えておかねばならない。
 客観的知識が三次元空間の限界を超越するためには、知覚条件が変化することが必要である。
 インド哲学は意識の四つの状態を区別する―眠り、夢、目覚めた状態、そして絶対意識の状態―「トゥリア」―である。
 意識の絶対的状態への移行とは、「神性との合一」、「神を見ること」、「天の王国を体験すること」、「ニルヴァーナ(涅槃)に入ること」である。神秘的宗教によるこれらの表現のすべては、意識の拡大という心理学的事実、意識がすべてをそれ自身の中に吸収したときの拡大を表現したものである。
 
 
 
 

                 PNC会員へ・・・

会員のみなさま 935

 

おはようございます。本日は2019年4月30日(火)、現在は朝の6時半です。

 

 本日で平成は終わります。何よりも天皇皇后両陛下に対しご苦労さんでしたと

申し上げます。激務と言っておかしくないほどの公務を全身全霊で励行、本当に

ご苦労さん、おめでとうございます、とだけは言いたい平成最後の日は国民に

寄り添い続けた両陛下をしのぶような涙雨の一日となりそうです。

 夕方以降に予定されている最後の陛下の”お言葉”は大切にしたい気持ちで

いっぱいです。

 それにしても30年間の平成の世は戦争こそなかったものの大きな災害も多く

発生、経済は超停滞の失われた30年でした。今上天皇即位の平成元年=1989年は

御存知バブル景気が大天井を打った年でした。この年の大納会の株価38,915円

は今でも諳んじて言えるほどです。その後の30年間ははっきり当方らは悪戦苦闘

という言葉通りのキツイ日々の連続でした。明日から始まる新天皇の時代は一体

どういう世になって行くか、当方的には完全に予想外のことだらけになるであろうとだけは

間違いなく言えると思っています。!?!

 とりあえずは新元号の名前は金輪際当方の口からは出したくない書きたくもありません。

来年には絶対やるべきでない五輪もあり、何かしら大きな不幸な事件が起きなければ・・・

とだけ祈っています!

 明日は新天皇による新元号元年がスタートします。この日も雨模様ですが、その後の

1週間は晴天が続き、このままずっと晴れの日が続くこと(天気ではなく晴れの世の中の事)

を願ってやみません。

 

 10連続弾休暇の4日目はPNCの後に近所の温泉”笑顔の湯”へ行く予定にしています。

今日は一日中、隣の孫2名と友達の孫3名とがやってきてもう家に入れるかどうか?となり

そうです。1回のリビングは孫に開放して当方は2回のテレビで映画鑑賞と行くしかないか?

と思っています。

 

 映画と言えば、4月の3週目と昨日だけで10本ほど名画鑑賞をしました。名画かどうかは

当方の独断ですが全部照会しますので良かったらみなさまも観てください。

ブルーレイ・ディスクですので対応している方には連絡いただければお貸ししますので一考を

お願いします。

 

 4月14日は500ほどあるストックディスク全部探して、やっと見つけた黒澤明監督の名作、

”天国と地獄”からスタートです。15日は”陪審員”、続いて法廷もので16日に”推定無罪”、

17日にはアクションで”ボーン・レガシー”、18日には”フェイシズ”、20日は古いヒッチコック

の映画から(イギリス時代の作品)サボタージュ、21日はアカデミー賞5冠の”羊たちの沈黙

と鑑賞して、昨日は1992年版のクリント・イーストウッド監督主演の”許されざる者”と

周防監督作品から”終の信託”・・・と、観倒しました。方向性や傾向はまったくありません。

ストックを見ながら独断と偏見だけで観賞映画は決定されます。この10作品のほかにも

50本ほどスタンバイしていますが、連休中にどの位観倒せるかが問題です!

 

 まず、最初にあげるのは”天国と地獄”です。この映画の観賞は始めて見た20歳台から

恐らく5回は観ているはずですが、初めて観るようなシーンが多く、当方の観賞眼はやはり

低劣だと思うしかない名画観賞物語となりそうです。この映画の原作はエド・マクベイン

小説『キングの身代金』を映画化したものです。やはり原作が良いと映画も違って来ますね。

山田洋次監督の名作『幸せの黄色いハンカチ』も原作は米国ピート・ハミルのコラムです。

当方、WOWOWに加盟していた時に映画以外でも米国のテレビドラマ(警察ものとか

スーツなどの法廷もの)は原作がしっかりしていて面白さでは絶対に日本は適わないと

思ってしまった経験があります。

 さて、”天国と地獄”ですが、基本的には誘拐事件が中心となる物語です。横浜あたりの

山の上の高級住宅に住む会社の重役と山下の谷間のごみごみした安アパートに住む貧乏

インターンとの闘いがメインテーマです。重役は三船、インターンはまだ若い時代の山崎努

です。山崎努はテレビの”必殺シリーズ”で見た後の映画鑑賞なので犯人役がドハマリなのが

感慨深かったです。この映画は誘拐の他に当時最先端の特急”こだま”をトリックに使ったり、

三船の所属する会社の株式争奪戦(支配権獲得戦)、麻薬とその常習者、殺人事件、

一番のクライマックスは白黒映画の煙突からピンク色の煙が出るところだけカラーになったり

・・・と、信じられないぐらいのシーンの連続です。

 当方流の名作は何度観賞してもまた観たくなる映画の事を言います。それと不思議なのは

5回から10回ぐらい観ても次に観る時はまったく覚えていないシーンが沢山あることです。

本当に不思議で変ですね!?!特に観てから10年以上もたっている映画の再鑑賞では

知らないシーンの連続になります。当方、映画監督を目指すなどの大望はゼロですが、

映画に関しては完璧にただただ自分流の独断と偏見の名作(?)を徹底して観ることしか

考えていません。映画に関する薀蓄も書評もほぼ考えません。映画はただただ面白ければ

良いのです。途中まで観てつまらなかったら即ストップするかチャプター飛ばしで適当に最後まで

みて終了させます。初観賞の作品が超驚きの面白かったということが当方一番の希望です。

 

 当方的には映画鑑賞と読書はまったく違うものです。映画ずっぽり人間の方には悪しからず、

とだけ言っておきます。

 

 

それではニーチェと量子物理学です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

五十二 キリスト教はまたすべての精神的な出来のよさとも対立していると、―それは病的な理性をのみキリスト教的理性として利用しうるにすぎず、すべての白痴的なものに味方し、「精神」に対して、健康な精神の尊大さに対して呪祖を浴びせかける。病気はキリスト教の本質に属しているがゆえに、典型的なキリスト教的状態「信仰」もまた、病気の一形態たらざるをえず、認識にいたる真直な、正直な、科学的なすべての道は、教会によって禁ぜられた道としてしりぞけられざるをえない。懐疑がすでに一つの罪である・・・僧侶は心理学的清潔さをまったく欠いているということは ― これはその眼を見さえすればわかることだが― デカダンスからの帰結する一現象である、―  「信仰」とは、何が真であるかを知ろうと欲しないことである。両性のいずれを問わず、敬神家は、僧侶は、偽りである、というのは、彼らは病的であるからである。その本能が望むところは、真理がいかなる一点においてもその権利を主張しないということである。虚言せざるをえないということ― これで私は神学者たるべき運命をもつあらゆる者を看破する。― 神学者の今一つの標識は彼らの文献学への無能力である。

 

 

   これで”反キリスト者”は終わりです。次は”この人を見よ”の抜粋で行きますが少し時間を下さい!

 

 

量子物理学

 

 

 人間の「仕事」について語り、自分のことを「我々」と呼ぶのは、大きな誤りである。創造と破壊―というよりもむしろ、「創造する能力」と「破壊することしかできない能力」は、人間の二つのタイプ(種)の二つの主要な徴なのである。

 

 知性的知識の組織化された形は、「科学」と「哲学」である。

 感情的知識の組織化された形は、「宗教」と「芸術」である。

 

 科学、哲学、宗教、芸術は知識の形式である。科学の方法は観察、計測、経験である。哲学の方法は推理である。宗教と芸術の方法は道徳的または美学的な「感情的」示唆である。しかし科学、哲学、宗教、芸術が本当に真の知識に仕え始めるのは、それらが直観を顕示して始めたとき、すなわち事物の内的特質を感じ、見出したときである。実際にはこう言えるかもしれない。おそらくそれが最も正確であろう―すなわち、純粋に知的な科学的、哲学的体系でさえ、その目的は人を思考と感情の高みへと上昇させることであり、そこから人は自分で新しい高次の知識の形式に移行することができるのだ、と。そしてそれに最も近いのは芸術と宗教である。

 さらに覚えておかねばならないのは、科学、哲学、芸術という区分そのものが不完全だということである。完全な宗教は、宗教、哲学、科学をその中に含んでいる。完全な芸術は、芸術、哲学、科学、宗教をその中に含む。完全な科学、完全な哲学は宗教と芸術を含有する。科学と矛盾する宗教、宗教と矛盾する科学は等しく誤りである。

 

 

 

              PNC会員へ・・・

会員のみなさま 934                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年4月29日(月)、現在は朝の7時前ぐらいです。

 

 連休3日目です。当方は本日も昨日同様にお出かけの予定は皆無です。昨日は

じゅん菜池ウォーキング1周だけ励行しました。天気が下り坂で今日は持つが明日と

明後日は雨予報なので今日は歩いてこないとまずそうです。結局本日はウォーキングと

近所のスーパーに買い物に行くぐらいでしょうか。

 

 先の池袋10人殺傷暴走車事件以来、70代・80代の高齢者による事故が連続して

来ました。昨日では70代の女性が電車の線路内を100mほど走行するなど、一寸

考えられない事故も起きています。これなど完璧に頭の病気患い間違いなしでしょう。

こういうニュースを見聞きするたびに、当方自らはどうなの!?!・・・という感慨が身を

攻めます。何といっても昨暮れに70歳代に突入したことが最大の原因です。去年と今年

でどこが変わったの?と言われればいーや一緒ですと答えますが、70という声を

聞くとやっぱり老人というのが普通でしょうか。テレビのニュースで70代の男性・女性がとか

を見ると本当にドキッとします。真剣に免許証返納を考えなければと思わざるを得ない状況

になりつつあります。

 

 2週間ほど前になりますが、日本時間の4月16日早朝にパリのノートルダム大聖堂

燃えました。ニュース報道で見る限りもの凄い大火災です。歴史的建造物の消失で話題

的には専ら大変だ大変だ…の連呼です。それでも早速ですが識者の間ではすでにこの

大火災はフランス当局のマクロン大統領の陰謀との情報が出回っています。18年前の

2001年9月11日(9.11)のWTC(ワールド・トレイド・センター2棟)への旅客機の突入

大事件と同じだと言います。この時の米国はブッシュ息子が仕組んで(裏には戦争指導者

アルカイダを犯人に仕立て上げ、結局はイラクに戦争を仕掛けたことと同じで、今回の

フランスもマクロンが人気回復やフランス国民の団結・・などを正す目的で自作自演した

もののようです。これはあの歴史的建造物を少しづつ解体する時間的ロスと大変な事故で

世界中から立て直す費用捻出(寄付集め)のため・・・と言う多重の目的があっての事件で

あります。結果的にはこの大火災による死者も出ていませんし、また火災の原因や放火なら

その犯人なども殆んど報道しません。ただただ逆に良かったね!!!で終わりそうです。

当方、もう55年ぐらい前の中学生時代に”ノートルダムのせむし男”という映画を観て感動

した記憶があります。この題名の映画は1923年・1939年・1956年・・・と、何度か

映画化されています。当方が観たのは何年の映画かはもう解りませんが、せむし男が

もし自分だったらと感情移入して超苦しかった思い出があります。この原作はヴィクトル・

ユーゴーです。ノートルダム寺院を舞台に美女を狙う憎正と美女を助ける鐘撞き男の闘いの

物語です。出来たらもう一度観て観たい映画のひとつです。

 米国・フランスと来て、おそらくまた週十年後ぐらいに似たような事件が発覚するでしょうが、

日本ではまずないでしょう!?!という事は、当方がこの世にいる間にはもうこの手の事件

は無いでしょうし、WTCの真相も闇に葬られっぱなし…という事になりそうです。

 

 本日は最近再々・・・観賞した映画について書こうと予定していましたが、ノートルダム

書いたので明日以降に廻します。

 PNCを書き終えたらじゅん菜池ウォーキングに行ってきます。

 それではニーチェと量子物理学です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

五十一 キリスト教は病気を必要とする、ギリシア精神が健康の過剰を必要とするのとほぼ同様に、― 病気ならしめるということが協会の全救済組織の本来の底意である。そして協会自身― これこそ究極的理想としてのカトリック的気狂い病院ではなかろうか?― 地球が総じて気狂い病院ではなかろうか?― 教会の欲するごとき宗教的人間は、典型的デカダンである。キリスト者となることは、誰にでも勝手にできることではない。人は、キリスト教に「回心する」のではない、―そのためには十分病弱でなければならないのである・・・私たち他の者、健康への、そして軽蔑への気力をもっている私たち、なんと私たちは、肉体を誤解することを教えた宗教を軽蔑してよいことか?霊魂の迷信をすてようとしない宗教を!キリスト教は、病める者の怨恨を、健康な者に手向かう、健康に手向かう本能を根拠としている。すべての出来の良いもの、矜持あるもの、気力のすぐれたものを、なによりも美しさを耳にし眼にするということは、キリスト教には苦痛である。もういちど私はパウロのこのうえなく貴重な言葉を想起する、すなわち、「神は世の弱き者を、世の愚なる者を、世の卑しきもの、軽んぜられる者を選び給ヘリ」。― キリスト教こそこれまで人類の最大の不幸であった。―

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 理性は感情を支配することはできない。なぜなら感情を制服できるのは感情だけだからである。理性にできるのは感情を喚起する思想やイメージを与えることだけであり、そうして喚起された感情が特定の瞬間に他の感情を支配するのである。霊性は知性や感情に対立するものではない。それは知性や感性のより高度な表現であり、飛翔なのである。理性には限界がない。限界は人間の「ユークリッド的」知性―感情と切り離された知性―の中にのみ存在する。

 では、理性とは何なのだろうか?

 理性とはあらゆる生命体の内的な側面である。

 人間にとっては理性の成長は知性の成長であり、審美的、宗教的感情のような高次の感情の成長を伴っている。こうして知性と高次の感情との融合から「霊性」が生まれる。知性は感情から霊化され、感情は知性から霊化される。

 

 人がお互いのことを理解しないのは、人がいつも「違った」感情で生きているからである。彼らがお互いのことを理解できるのは、たまたま同じ感情を同時に共有した時に限られる。「満腹な人には空腹の人の気持ちが分らない」という民衆の知恵はこのことをよく知っている。「酔っぱらった人は素面の仲間ではない」あるいは「類は友を呼ぶ(同じ色の鳥は集まって飛ぶ)」とも言われる。

 

 

 

 

 

 

 

                   PNC会員へ・・・

会員のみなさま 933                  後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年4月28日(日)、現在は朝の7時25分です。

 

 今朝は予定通りの好天で、当方の10連続弾休暇では最初のじゅん菜池ウォーキング

を始めることになりそうです。適当に午前中に1周か2周して来ます。

 昨日は飲み会があり、超久々にイカの生け作りを賞味させていただきました。

場所はJR津田沼駅近くの”魚一”という店です。門前仲町の安価で有名な”魚三”という

店は知れ渡っていますが、ここ津田沼の”魚一”は知りませんでした。当方の記憶では

この前にイカの生け作りを食したのはもう40年ぐらい前になるはずです。新宿の生け作り

専門店で、確か一匹で8,000円ぐらいしたはずです。何しろイカを生かせて泳がせて

おくだけでコストがすごくかかるようです。それでもこの店の”泳ぎ活イカ姿造り”は2,780円

です。所謂若者が中心に行く居酒屋よりは高級で値段も高めですが、このイカの造りは

絶品の割には安い値段です。驚きました。3人で適当に飲み食いしてちょうど10,000円は

良心的と言えるお店でした。土曜日の4時という時間帯でも開店しているのはうれしいことです。

それにしても津田沼は今回で2度ほど飲みに来ましたが完全な繁華街となっていますね。

千葉県下ではひょっとしたらNO1かもしれません!?!

3人の飲み会が終わって帰路の市川駅南口にある友人がやっている居酒屋”もえぎ”を久々に

訪ねてみました。此の友人は癲癇などで何度も救急車で救急病院に運ばれているので心配

だったのですが、普通に元気で仕事をしていました。当分は大丈夫でしょう。良かったです。

 

 もうやーめた…!?!と言ったばかりの競馬ですが、連休中の楽しみがまったくないので、

金曜日に1万円だけネットに入金しておきました。そして、昨日は東京競馬の10Rだけ買って

みました。6番の馬から馬連で6通り(1・4・7・11・12・13)と流しました。これ以上流すのは

全通りで買う事となるのでそれはできません。投入金額はたったの1,500円です。結果ですか?

当方最近はほゞ軸馬の選定は正解しています。6番の馬は単勝5番人気ですが、チャンと頭に

来てくれました。そこからが憎い話です。連絡みの2着馬は何と3番の馬でした。ハズレです!

そして当方の買った馬券の内で1・4・11・12番の馬が7着までに入っていました。結果としては

よくある”一着三着”という結果と相成った次第です。最近こればっかりです!!!

本日は天皇賞がありますが、これが天皇賞???というくらいの駄馬ばっかりのG1競争など

誰が買うものか・・・です。当方は東京競馬の9Rだけ買いました。馬連で3番から2・4・6と3通り

だけ1,000円づつ投入です。これは本命サイドですので当方的にはつまらないレースですが

これまで落としてもまた1着3着だったら本当に金輪際競馬は止めるでしょう!?!

 

 時事ですが、米国で昨日行われた日米首脳会談で安倍はトランプに日米貿易交渉の早期

決着、しかも5月末合意に言及され完璧な”前門の狼後門の寅”状態突入です。

トランプの言う事を聞かないとトンデモ男のトラさんは日本に何をするか気が気ではなくなります。

また、トランプの言う通りにしたらこれはもう経団連や日本国中の経営者から総スカンを食って

次期選挙で大大敗することは眼に見えてきます。一体どうしたらいいの?・・・が、安倍の心情で

帰国後の采配ははっきりもう”ギブアップ”となり、”僕ちゃんもうやーめた”となる可能性まで

出てきました。馬鹿安倍は次期(衆参同時選挙の可能性もある)選挙を見据えて、最大の争点

である消費税の引き上げか延期か?・・・ではなく、思い切って野党がゴタゴタしている隙に

消費税を5%に引き下げる…という案までチラホラ出して来ているようです。こうなったらオール野党

山本太郎の元(小沢付き)に結集して、消費税廃止(ゼロ%)を大きく歌い上げるしか選挙に

勝てる見込みは無いのではないでしょうか!?!日米関係の今後を見据えて今度の選挙は

思った以上の争いになること必至となりそうです。

 

 という事で第2弾目となりました。ニーチェと量子物理学は行きますよ!!!

 

 

ニーチェ

 

 

四十九 科学、― 原因と結果という健康な概念である。しかし科学は全体としては幸福な事情のもとでのみ栄、― 「認識する」ためには、人は時間を、人は精神を、ありあまるほどもっていなければならない!・・・あった。

 人間は苦悩すべきである・・・しかも人間は、いつも僧侶を必要とするように苦悩すべきである。― 医者など消え失せろ!必要なのは救い主なのである。

 

 

量子物理学

 

 

 すべての人生、あらゆる出来事、事故、興奮、誘引などは人を常に何らかの知識へと導くものである。あらゆる人生体験は知識である。人間の中にある最も強力な感情は、未知のものへの欲求である。愛で差さえ(そのためにすべての他の感情が犠牲にされるのであるが)未知のものへの誘引、新しいものへの好奇心なのである。

 

 すべての生命は全体の中の部分の顕現であるということを理解すれば、その時に初めて全体を理解する可能性が」生まれる。

 「一人の人が死ぬと宇宙の目が一つ閉じる」とフェヒナーは言った。

 

 知性と感情の間には明確な区別はない。全体としての知性は、感情でもある。しかし普通習慣的が言語や「通俗的心理学」の中では「理性」は「感情」に対立させられる。そして、それから独立した別個の能力としての「意志」がある。道徳家は「倫理観」をまったく別物として見る。宗教的な人々は「霊性」や「信仰」をまったく別なものとみなす。

 人間の魂には感情とその調和的な共存しか存在しない。スピノザは次のように述べたとき、このことを明らかに認識していた。「ある感情は別の、より強力な感情によってのみ克服されるのであり、それ以外の何物によってでもない」

 

 

               PNC会員へ・・・

会員のみなさま 932                   後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年4月27日(土)、現在は朝の7時15分です。

 

 今朝方まで冷たい雨ふりで、とても今日から5月のゴールデンウイーク突入とは

思えない陽気です。本日はこれから段々天気は良くなり明日・明後日は晴れ予報です。

その後はまた2日ほど雨降りで次の3日間は晴れのようです。2年前は10日間とも

晴れて10日間のじゅん菜池ウォーキングを達成、去年は2日間は雨だったので8日間

ウォーキングでした。今年は今のところの予報では去年と同じか?というところです。

世間的には初の10日間大型連休という事で、今日からもう高速道路が渋滞したりして、

嫌でも盛り上がろうという意図的なテレビ放送満載です。

 

 もちろん、当方は今日からPNC10連続弾スタートですが、もう3年目の10連続弾で

慣れたせいかこれといった用意も心構えもありません。ウォーキングもやるかやらないか

その時の気分で決める予定です。10日間のうち予定があるのは本日の飲み会一回だけ

です。墓参りは2回ぐらいは行くでしょうか?ゴールデンウイーク中はヨガ教室もなく、本当に

やることは無いに等しい10連休です。休み前の3週間はフルで働いた結果、けっこう疲れ

が溜ったようです。本来なら温泉に行ってマッサージとかに罹りたいのですが、何時も頼んで

いた人が辞めたので行く気が起きません。結局、良い天気だったらじゅん菜池ウォーキング

だけは励行しようかと思っています。

 

 PNC会員のみなさまもほとんどの人は10連休でしょうが、せっかくのお休みですので、

この時とばかり良書に限定した読書とか名作映画鑑賞とかに勤しんでください。最近観た

というか再・再々観賞した映画の感動面をこの10連続弾中に報告しますので乞うご期待!

です。

 

 それでは今週の出廷とお昼に行きます。今週の出廷は非常に疲れた日が在ったり、

やや遠方が主体となると予期せぬ出来事が起こるものだと、危ない目直撃の案件

発祥で肝を冷やしました。

 月曜日は横須賀でした。横須賀簡裁へは京急線の横須賀中央という駅で降ります。

矢切駅から途中の品川駅で一度だけ乗り換えるだけで到着します。この駅はもうほぼ

三崎とか久里浜に近い処です。金沢文庫とか金沢八景より先です。仕事は簡単に終わり、

帰路の東京駅”祭”で大船軒の”鳥めし”を買って帰社後に休憩室で美味しく戴きました。

火曜日は当家からはさほど遠くない土浦です。この日も御多分に漏れず”常磐線”遅延です。

本当に常磐線は最近では遅延の王様となっています。殆んど毎日遅れてます。

帰路は当然に我孫子駅の”弥生軒”で竹輪天・唐揚げの天抜きですね。上りホームの

改築中のそば店はまだ出来ていませんでした。水曜日は問題発生の遠方である太田簡裁

です。当方、何を血迷った(と思わざるを得ない)か東武伊勢崎線の久喜の手前の駅で

車内アナウンスに従って降車したことで法廷に遅刻する羽目に至りました。どう考えても

下せません。何で何度も行っている館林・足利市・太田・伊勢崎ですが、途中下車など

したことがないに関わらずやってしまいました。11時の法廷に太田駅10時22分着の

予定の電車が1本遅れると太田駅到着が11時2分と40分遅れになってしまいます。

完全にアウトです。仕方ないので10時過ぎぐらいに電車内から太田簡裁へ電話を入れて

遅れることを告げました。その後、11時過ぎにも電話を入れました。そして太田簡裁へは

11時20分ぐらいに到着です。ところが裁判所では10時にした当方の電話が通じてなく

此の法廷は原告・被告欠席なので休止にしたというではありませんか?

此の法廷は2度目なので休止にされたら一大事です。2度流れると訴訟取り下げとなって

しまうのです。当方、超焦って書記官に直談判です。結果的には裁判長が善い人(?)だった

ので法廷成立としていただけました。被告は来ないので法廷用語でいうところの”和解に

代わる決定”で終結して戴けました。超危ない所でした。疲れるどころではありませんね。

雨は降るし駅から簡裁へは遠いし、最悪の出廷顚末となった次第です。それでも当方、

勝手に勘違い(と思う?)したアナウンスにも文句は言いませんし、ここで遅れたことには

何かの因縁があったのだろうと思うことにしました。もし普通に着いていたら何かもっと

悪い件が発生していたかもしれないではないですか?こう思うと少しは楽になります。

 危機一髪的事象を熟した帰路には新装なった新越谷駅”小諸”でのお昼です。店に

入ったら前より狭いので何で?と思いましたが、蕎麦を手にして奥に行ったら何と広い

こと、テーブルが4席、カウンターまであり前と比べたら広いも良い所でした。味の方まで

良くなったような気がしました。おめでとう・・・と言いたいですね!天玉そばのネギたっぷりも

今後(5月だけで)3回ありますので嬉しいことです。

 木曜日は千葉の千葉一宮簡裁でした。ここの最寄駅は”上総一ノ宮”になります。ここは

駅から簡裁まで5分と罹りません。近くて助かります。帰路は海浜幕張まで帰ってきて

前週の金曜日に飲み会で行った”鳥一”という店の昼定食に挑戦しました。当方は

ここは初めてなので和風ハンバーグと唐揚げのセットにしました。まあまあの合格点

でした。他のメニューで唐揚げ食べ放題セットというのもありあました。他の人が食べて

いるのを見たら当方のセットは唐揚げ3個ですが、食べ放題セットでは唐揚げが10個は

入っています。食べ放題だから20個食べてもいいはずですね!?!当方若かったら

挑戦しますがもうダメです。でも一度、唐揚げ7個ぐらいで挑戦するかもしれません。

昨日の金曜日は法廷が無く、社内のワイズで天蕎麦で終わらせました。それでも疲れた

1週間でした。10日間休んだ後の5月は法廷出廷が12日間はあります。そして派遣会社

からは次の契約(6月~8月)の書類を送付したとのメールが来ましたのでそれまでは

就業確保ということになった次第です。

 

 本日はここまでです。また明日も行きます。では取りあえずニーチェと量子物理学は勉強

すべし・・・ですよ!!!

 

 

ニーチェ

 

 

 

四十八 ―聖書の冒頭にある有名な物語が真に理解されたであろうか、― 科学に対する神の大恐慌についてのあの物語が?・・・理解されてはいなかった。すぐれて僧侶のものであるこの書物は、当然のことながら、僧侶の大きな内面的困難ではじまっている。僧侶にはたった一つの大きな危険があるだけであり、したがって「神」にもたった一つの大きな危険があるだけである。― 

― 人間が科学的となれば、僧侶たちも神々もおしまいである! ― 道徳として言えば、科学は禁ぜられたもの自体であるということになる、― 科学のみが禁ぜられている。科学は最初の罪、すべての罪の萌芽、原罪である。このことのみが道徳である。

― 老いたる神は戦争を捏造し、諸民族を離間せしめ、人間がたがいに絶滅しあうようにする(― 僧侶はつねに戦争を必要としてきた・・・)。戦争こそ― なかんずく科学の大妨害者である!― 信ぜられないことだ!認識は、僧侶からの解放は、戦争あるにもかかわらず増大する。― そして最後には老いたる神はこう決意するにいたる、すなわち、「人間は科学的となった、― 手のほどこしようがない、人間を溺死させなければならない!」・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

     第十八章  生命と知識

 

 知性と生命・・・生命と知識・・・知性と感情・・・知識を得るための道具としての感情・・・知識の観点からの感情の進化・・・純粋な感情と不純な感情・・・個人的感情と超個人的感情・・・真の知識に近づく方法としての自己中心的要素の除去・・・「幼子のようであれ・・・」「心貧しき者は幸いなり」・・・知識の観点からの道徳の価値・・・知性主義の欠陥・・・知的文化の頂点としての「ドレッドノート」・・・道徳主義の危険性・・・道徳的美学・・・感情的知識の組織化された形態としての宗教と芸術・・・神の知識と美の知識

 

 

 

                      PNC会員へ・・・

会員のみなさま 931

 

おはようございます。本日は2019年4月21日(日)、現在は朝の6時45分です。

 

 昨日・今日と朝まだきはまだまだ空気が冷たく、日差しも花曇り程度でもう10日ほどで

5月の初夏になるとは思えないほどのどちらかというと寒い部類に入る朝でしょうか。

今週末は先週のような(マスターズ開催)大きなスポーツの開催も無く、昨日本馬場

行ってきた競馬も今週から10週連続開催となる東京競馬場ですが、本日に限って言えば

G1レースも無く盛り上がりに欠けるスポーツ・ギャンブル界の週末であります。

 昨日は墓参りに行き、その帰りに中山競馬場にチョイ寄りをして5レースほど購入しましたが

予想通り全敗でした。というか、軸馬は1着か2着にちゃんと来てくれていますが、紐が駄目です。

馬連で紐を全頭数買うわけにもいかないのでもう競馬そのものを諦めました。安給料の手取り

額をもっと少なくしてどうするの?・・・が、本音でしょうか。結局、ギャンブルとスポーツ(やるのも

見るのも)とは遠縁となって行くわけです。

 昔は大好きだった車の運転や遠出のドライブとも縁が無くなっています。車は買い物とか

墓参り、外食に行くのに絶対的に必需ですので運転を止めるわけには行きません。

一体何時運転を止めて免許証を返納するのかは当方的に(ほとんどのみなさまも)重要な

課題となって来ました。年齢で(例えば80歳からとか)決めるのか、明らかにボケてきたから

止めるのか(なかなか自分では分らない)、事故を起こして仕方なく止めるのか?・・・皆目

見当がつきませんがその時期が迫っていることも現実です。

 昨日起きた池袋の11名殺傷事故も高齢者によるものでした。母子2名が亡くなるという悲惨な

大事故ですが、所謂報道が少しおかしいと思ったらやっぱり”忖度”が働いていました。

はっきり犯人(自動車事故でも)は87歳の高齢男性で認知などが入っている人ではなく、普通の

社会人です。しかも、元キャリア通産官僚で元工業技術院長で何やらの勲章も貰っている

立派な逸材(?)です。事故を起こした後すぐに息子に電話して良からぬ指示を出すことまで

しているので、完璧にボケ老人ではありません。この大事故の犯人に対してテレビでは

”さん”付けで読んでいました。新聞・テレビは完璧に”忖度”方向で報道しています。

流石に名前(飯塚幸三)だけはチャンとテロップとアナウンスでもしていますが、詳しい人的報道は

少ないです。当家の元お隣さんだった元通産官僚の野々内隆氏とは2年ほど先輩にあたる

飯塚ですが、野々内さんは資源エネルギー庁長官から日立の専務、飯塚はクボタの副社長

でした。違うのは野々内さんは昔から車の運転はしなかった(家には車庫も無かった)のに、

飯塚は87歳でも運転していたことでしょうか。本当に”天下り”と高齢者の運転は止めて欲しい

ものですね。

 当方、70歳になっても働いていますが、また今後何年働けるか分りませんが、これからの働いた

末の給与は将来車の運転をしなくなった際に使うタクシー代として貯蓄することに決定しました。

5年後か10年後かあるいはもうチョイと先かは不明ですが、病院通いや墓参りにはタクシー利用

となること必至です。日常の買い物はおそらくもう少し経つとスーパーやコンビニが宅配する

ようになるはずですので問題はありません。結論的になりますが、結局車の運転免許証を国に

返納するのは何歳からではなく仕事を止めた時…という事になりそうです。

 

 先の天皇皇后両陛下の伊勢神宮参拝で行われていた”3種の神器”奉納の件を少し書きます。

これはもちろん神話の世界の話ですが天孫降臨の際に天照大神瓊瓊杵尊ニニギノミコト

に授けた(サズケタ)とされる”3種の宝物”・・・”八咫の鏡””八尺瓊勾玉””草薙剣”の総称です。

カタカナ表示で”ヤタノカガミ””ヤサカニノマガタマ””クサナギノツルギ”となります。ヤタノカガミの

八咫は日本サッカーのJリーグでシンボルマークとして使われている3本足のカラスの事です。

草薙ぎの剣は別名”天叢雲剣”(アメノムラクモノツルギ)とも言います。こちらの方が当方的には

絶対ベストです。”記紀”の世界である神話の話は別にして、この”三種の神器”が特別の意味を

もって活躍するのは我がご先祖”後醍醐天皇”が所有したとされる本物の”三種の神器”は南朝

所属しているという真実があり、結果として後醍醐帝があれだけ超強気で親政を行ったことに

関係があります。あくまでも私見ですが、本当の”三種の神器”は3つ全部そろってあの京都の

天龍寺”のどこかに密やかに収められて、歴史が大きく動くのを心待ちに待っています。

後醍醐帝は晩年に密かに足利尊氏を呼び寄せ、”真正三種の神器”を託したと思われます。

巷間言われるところの(歴史書など)後醍醐と尊氏は戦闘状態になり尊氏が後醍醐を裏切って

武士の政権を奪取した…などは嘘のコンコンチキです。伊勢神宮に在るとされる八咫鏡

熱田神宮に在るとされる草薙剣は偽物です。もちろん皇居に在るものはレプリカであります。

何時のことか(?)、本物の天皇の子孫が”真正三種の神器”を携えて歴史の大団円を造る

事が約束されていますので、みなさま、そこまで長生きしようではありませんか!?!

 

 

では、ニーチェと量子物理学は日本の神話とは関係無く学びましょう!

 

 

ニーチェ

 

 

 

 

四十七 ― 私たちが袂を分かつゆえんは、歴史のうちにも、自然のうちにも、自然の背後にも、私たちがなんらの神をも見つけださないからではない、― そうではなくて、神として崇められていたものを、私たちが「神」とは感ぜず、憐れむべきものと、背理と感ずるからであり、誤謬としてのみならず、生への犯行として感ずるからである・・・私たちは神を神として否認する・・・キリスト者のこの神を私たちに証明してみせる人があっても、私たちはいよいよこの神を信じ得なくなるだけであろう。― 定式で言えばこうなる、すなわち、パウロの創造せる神は神の否定なり。―パウロは,虚言が― 「信仰」が必要であるととらえた。― 教会がのちになってふたたびパウロをとらえた。パウロは「世の智慧」を辱めようと意志する、彼の敵はアレクサンドリアの科学で鍛えた優れた文献学者とである。― 彼らにパウロは戦いをいどむ。事実、同時に反キリスト者でもあることなしには、誰も文献学者でも医者でもない。すなわち、文献学者としては「聖なる書物」の背後を看破し、医者としては典型的キリスト者の生理学的堕落の背後を看破する。医者は「不治」と言い、文献学者は「詐欺」と言う・・・

 

 

 

量子物理学

 

 

 

 

 

 人間を肉体、魂、霊に分ける古い区分には良い点もあるが、しばしば誤謬にもつながる。そのような区分への試みは即座に、肉体はどこで終わって魂はどこから始まるのか、魂はどこで終わっては霊はどこから始まるのかといった見解の相違を引き起こすからである。厳密な境界線というのは存在しないし、存在し得ない。さらに、肉体、魂、霊がお互いに対立する概念であり、相互に対立する原理であるという考えに惑わされやすい。その考えは完全に誤りである。なぜなら肉体は魂の表現体であり、魂は霊の表現体であるから。

 肉体、魂、霊という言葉そのものが説明を要する。「肉体」は我々にはほとんど理解できない心を持つ物質的な体である。「魂」とは科学的心理学の研究する心、すなわち外的世界と肉体から来る印象に支配される活動の反映である。「霊」とは、(特定の状況下で)魂の生活を方向づける高次の原理である。

 

 ①肉体は本能の領域であり、個別の器官、肉体の一部と全有機体の内的な本能意識の領域である。

 ②魂は感覚、表象、概念、思考、感情、欲望から構成されている。

 ③霊は未知の領域である。

 

            PNC会員へ・・・

会員のみなさま 930                        後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年4月20日(土)、現在は朝の6時半過ぎです。

 

 1週間ぶりのPNCですが、今週も(?)けっこう疲れた毎日で、睡眠負債ならぬ就業

負債を重ねた5日間でした。後述しますが超疲れた法廷が2日間もあったり、会社での

1日中架電業務が2日間あったり・・・と、やたら疲れた週となりました。

天気のほうはまずまずで雨も降りましたが少量で今朝もまずまずの好天です。今週の

空具合は水・木・金のゴールデンウイーク10連休前の軽い水撒き程度の雨が降るようです。

来週の1週間は当方的には良い方で4日間のまあ遠方出廷が用意されています。

5日間頑張れば10連休となります。当方は今年で3年連続の10連休となります。

という事で普通のみなさまと比べたらずっと慣れきった10連休です。毎年この10日間は

好天の連続で我がPNCとじゅん菜池ウォークは完遂されそうです。PNCの10連続弾は

お約束された決め事となります。2年前に初めてPNC10連続弾を決行して、去年も達成、

そして今年はこれからの10連続弾の前の”毎日が日曜日”の期間に75連続弾という当方

的にはあり得ない奇蹟的作業も達成しています。今週のような昔と同じ週に1回(週末の

土日のいずれか)にすると何かしらサボっているような感覚、やる気なしの感覚が発生・・・と、

なります。派遣社員として3月から働き始めましたが、ワンクールというか契約は3カ月です。

まあ、おそらく間違いなく6月から8月の3か月間も契約更新となるはずですが、今後は

法廷出廷だけに完全特化しての就業にするつもりです。何しろ人材不足なので当方あたり

でも貴重な存在となっています。もし当方の希望通りの就業状態になると週に1~2日は

休めるので(土・日以外で)、PNCもヨガ教室も充実できます。

 

 先週末はマスターズでのタイガー・ウッズの大活躍で大盛り上がりでした。結局、本当に

優勝してしまったのですから驚愕の奇蹟的出来事です。超人的大活躍期から一転、セックス

依存症だとか交通事故や薬物使用などで逮捕までされた”堕ちた偶像”の本格的大復活劇

に世界中が酔いしれた出来事でした。当方的には本当に(?)こんなことが起こるのだ・・・

ということは、政治・経済・外交においてもこのような奇蹟的事象が現出しても不思議なしと

思わざるを得ません。

 今のところ、10連休中に予定されていることはまずありません。せいぜい息子が帰郷

するとか飲み会が1~2度あるか?という程度です。今日は墓参りというかお彼岸の献花

の後片付けとかをしに行き、帰路に中山競馬場に寄り道して少し遊ぼうかと思案中です。

中山開催は先週で終わり今日からは東京開催ですので駐車場が500円で入場料は無し

なので行くわけです。本日土曜日の5Rだけ買うつもりです。それでも競馬場に居る時間は

せいぜい1時間です。当方競馬場に1日中居るなどまったく出来ません。忍耐力が低下

したというか競馬がそれほど面白くないから…という事でしょうか?

 

 それでは今週の出廷とお昼に行きます。

月曜日と水曜日は一番近場の松戸簡裁でした。これが超酷い過酷な法廷となりました。

まず、最大の問題は最近の傾向ですが、当方が法廷出廷の仕事を始めた7~8年前と

比べると圧倒的に交通裁判が増加しています。これは自動車保険の特約で事故が起こると

裁判に弁護士が就くという条項があるからでないかと思われます(?)弁護士の側からは

はっきり弁護士の仕事自体が急減していて(弁護士の数も急増)、この交通裁判へ特化

した弁護士が急増しているからだと思われます。当然、弁護士は原告と被告に就きます。

という事で裁判ではこの交通裁判を優先して法廷が開催されます。今回の松戸簡裁では

当方の10時半の法廷の終了は11時20分でした。水曜日はもっと酷く10時半の法廷で

当方の案件が終了したのは11時40分でした。はっきり、待ちあぐねている最中には心の臓

が不全を起こす直前まで来ました。現在の法廷で一番混雑するのはこの松戸と市川そして

千葉本庁でしょうか。最大の東京簡裁は案件が圧倒的に多くても裁判が行なわれる部屋

が沢山あり、裁判の進行も超敏速です。ところが今回の松戸の案件では月曜日と水曜日

の裁判官二人ともはっきりクソ爺です。頭の回転が遅いので何をしても遅くなります。

もう本当にご勘弁願いたいですね!!!認知症一歩手前の裁判官はもう来るな!と言って

やりたいです。此の2日間の昼は若干足を延ばした我孫子駅弥生軒”ですね。上りホーム

の改装中の食べ処はまだ出来ていませんので、両日とも新装なった下り線ホームとなります。

メニューはいつもの通り”竹輪天・唐揚げの天抜き”です。そして間の火曜日は法廷が無く、

会社のワイズで久々になるワイズの”惣菜バー”ご飯抜きです。この3日間は炭水化物カット

が久々に励行されました。木曜日は少し遠方の”館林”です。この日の帰宅後、テレビの

ニュースを見ていたら天皇皇后両陛下の最後の公務ともいえる伊勢神宮参拝の模様を

どの番組も放送していました。”3種の神器”持参での参詣です。当方的にはこの3種の神器

に関しては異論がありますが、ゴールデンウイークの10連続弾中にその真実をご披露できる

かもしれませんので乞うご期待!!!です。何故急に伊勢神宮かというと皇后陛下である

正田美智子さんはこの館林が地元の正田醤油日清製粉皇后陛下の実家だからです。

それでもこの館林あたりは過疎化されて駅前も寂しいものです。ついでに館林簡裁でも

極小の裁判所で近場の栃木や足利、桐生の裁判所とは比較できないほど貧相なものです。

天皇家に関係する地ですがこれでいいのだ・・・です。利用する電車が東武線のスカイツリー

ラインですので当然新越谷=南越谷がお昼の場所です。残念ながら新越谷駅構内の”小諸”

は4月21日が新装開店です。仕方なくまたまた南越谷内の”きらく”で天玉そばにしました。

”きらく”は蕎麦に関しては他の立食いそば店のなかでは一番でしょう!まだ温かい蕎麦に

していますが、今後は冷製かき揚げ蕎麦一辺倒になるでしょう!!!

そして昨日の金曜日はまた法廷が無く社内にあるファミマでのり弁とカップヌードルにしました。

これで今週の報告は終わりますが、来週は横須賀→土浦→太田→一ノ宮となっています。(金は

出廷無し)。1週間後には報告します。

 

 という事で今日はここまでです。明日も行きますがニーチェと量子物理学は学びましょう!!!

 

 

ニーチェ

 

 

 

四十六 ― 私は新約聖書のなかで共感できるたった一つの特徴でもと探したが無駄であった。そのなかには、自由で、善良で、公明正大で、正直であると言ってよいものは何一つとしてない。人間性はここではまだその緒にすらついていない、― 清潔さの本能が欠けている・・・新約聖書のうちには劣悪な本能だけがはあるが、この劣悪な本能への気力自身はまるでない。そのなかにあるものは、すべてみな臆病であり、すべてみない振りをすることや自己欺瞞である。

 「初代キリスト教徒」を敵にまわすことこそ一つの名誉である。新約聖書を読めば、そこで虐待されているものをかえって必ずや愛するようになる、― 厚かましい大ほらふきが「宣教の愚を持て」徒労にも傷つけようとする「世の智慧」については言わぬにしても、・・・しかしパリサイ人や学者すらそうした敵視をうけて得をしている。偽善 ― これが「初代キリスト教徒」たちが浴せることのできた非難の言葉であったとは!結局のところ、敵視されたのは特権ある者たちであった。

 

 

量子物理学

 

 

 

 換言すれば、我々は三次元的に観察できる心を持っている物のみを、すなわち人間と同類の心を持つ物のみを生き物として認めているのである。他の物については我々は知らないし、知ることができない。

 三次元的でなく心を表現する物は我々の理解を超えており、知ることは不可能である。それらが我々と接触することがあったとしても、その表現は死んだ無意識の活動とみなされざるを得ない。人間の類推能力は三次元世界に限られている。我々は三次元の条件を超えた論理で考えることはできない。従って、我々とまったく同じように生き、考え、感じないものすべては、死んだ機械にしか見えない。

 しかし我々は時々、自然現象の中で進行している強烈な生命を漠然と感じ、我々にとっては死んだものであるはずの自然現象の中で、その生命が感情に溢れて活き活きと表現されているのを感知する。私が意味しているのは、「目に見える現象の背後に感情の本質(ヌーメン)を感じる」ということである。