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会員のみなさま 935

 

おはようございます。本日は2019年4月30日(火)、現在は朝の6時半です。

 

 本日で平成は終わります。何よりも天皇皇后両陛下に対しご苦労さんでしたと

申し上げます。激務と言っておかしくないほどの公務を全身全霊で励行、本当に

ご苦労さん、おめでとうございます、とだけは言いたい平成最後の日は国民に

寄り添い続けた両陛下をしのぶような涙雨の一日となりそうです。

 夕方以降に予定されている最後の陛下の”お言葉”は大切にしたい気持ちで

いっぱいです。

 それにしても30年間の平成の世は戦争こそなかったものの大きな災害も多く

発生、経済は超停滞の失われた30年でした。今上天皇即位の平成元年=1989年は

御存知バブル景気が大天井を打った年でした。この年の大納会の株価38,915円

は今でも諳んじて言えるほどです。その後の30年間ははっきり当方らは悪戦苦闘

という言葉通りのキツイ日々の連続でした。明日から始まる新天皇の時代は一体

どういう世になって行くか、当方的には完全に予想外のことだらけになるであろうとだけは

間違いなく言えると思っています。!?!

 とりあえずは新元号の名前は金輪際当方の口からは出したくない書きたくもありません。

来年には絶対やるべきでない五輪もあり、何かしら大きな不幸な事件が起きなければ・・・

とだけ祈っています!

 明日は新天皇による新元号元年がスタートします。この日も雨模様ですが、その後の

1週間は晴天が続き、このままずっと晴れの日が続くこと(天気ではなく晴れの世の中の事)

を願ってやみません。

 

 10連続弾休暇の4日目はPNCの後に近所の温泉”笑顔の湯”へ行く予定にしています。

今日は一日中、隣の孫2名と友達の孫3名とがやってきてもう家に入れるかどうか?となり

そうです。1回のリビングは孫に開放して当方は2回のテレビで映画鑑賞と行くしかないか?

と思っています。

 

 映画と言えば、4月の3週目と昨日だけで10本ほど名画鑑賞をしました。名画かどうかは

当方の独断ですが全部照会しますので良かったらみなさまも観てください。

ブルーレイ・ディスクですので対応している方には連絡いただければお貸ししますので一考を

お願いします。

 

 4月14日は500ほどあるストックディスク全部探して、やっと見つけた黒澤明監督の名作、

”天国と地獄”からスタートです。15日は”陪審員”、続いて法廷もので16日に”推定無罪”、

17日にはアクションで”ボーン・レガシー”、18日には”フェイシズ”、20日は古いヒッチコック

の映画から(イギリス時代の作品)サボタージュ、21日はアカデミー賞5冠の”羊たちの沈黙

と鑑賞して、昨日は1992年版のクリント・イーストウッド監督主演の”許されざる者”と

周防監督作品から”終の信託”・・・と、観倒しました。方向性や傾向はまったくありません。

ストックを見ながら独断と偏見だけで観賞映画は決定されます。この10作品のほかにも

50本ほどスタンバイしていますが、連休中にどの位観倒せるかが問題です!

 

 まず、最初にあげるのは”天国と地獄”です。この映画の観賞は始めて見た20歳台から

恐らく5回は観ているはずですが、初めて観るようなシーンが多く、当方の観賞眼はやはり

低劣だと思うしかない名画観賞物語となりそうです。この映画の原作はエド・マクベイン

小説『キングの身代金』を映画化したものです。やはり原作が良いと映画も違って来ますね。

山田洋次監督の名作『幸せの黄色いハンカチ』も原作は米国ピート・ハミルのコラムです。

当方、WOWOWに加盟していた時に映画以外でも米国のテレビドラマ(警察ものとか

スーツなどの法廷もの)は原作がしっかりしていて面白さでは絶対に日本は適わないと

思ってしまった経験があります。

 さて、”天国と地獄”ですが、基本的には誘拐事件が中心となる物語です。横浜あたりの

山の上の高級住宅に住む会社の重役と山下の谷間のごみごみした安アパートに住む貧乏

インターンとの闘いがメインテーマです。重役は三船、インターンはまだ若い時代の山崎努

です。山崎努はテレビの”必殺シリーズ”で見た後の映画鑑賞なので犯人役がドハマリなのが

感慨深かったです。この映画は誘拐の他に当時最先端の特急”こだま”をトリックに使ったり、

三船の所属する会社の株式争奪戦(支配権獲得戦)、麻薬とその常習者、殺人事件、

一番のクライマックスは白黒映画の煙突からピンク色の煙が出るところだけカラーになったり

・・・と、信じられないぐらいのシーンの連続です。

 当方流の名作は何度観賞してもまた観たくなる映画の事を言います。それと不思議なのは

5回から10回ぐらい観ても次に観る時はまったく覚えていないシーンが沢山あることです。

本当に不思議で変ですね!?!特に観てから10年以上もたっている映画の再鑑賞では

知らないシーンの連続になります。当方、映画監督を目指すなどの大望はゼロですが、

映画に関しては完璧にただただ自分流の独断と偏見の名作(?)を徹底して観ることしか

考えていません。映画に関する薀蓄も書評もほぼ考えません。映画はただただ面白ければ

良いのです。途中まで観てつまらなかったら即ストップするかチャプター飛ばしで適当に最後まで

みて終了させます。初観賞の作品が超驚きの面白かったということが当方一番の希望です。

 

 当方的には映画鑑賞と読書はまったく違うものです。映画ずっぽり人間の方には悪しからず、

とだけ言っておきます。

 

 

それではニーチェと量子物理学です。

 

 

ニーチェ

 

 

 

五十二 キリスト教はまたすべての精神的な出来のよさとも対立していると、―それは病的な理性をのみキリスト教的理性として利用しうるにすぎず、すべての白痴的なものに味方し、「精神」に対して、健康な精神の尊大さに対して呪祖を浴びせかける。病気はキリスト教の本質に属しているがゆえに、典型的なキリスト教的状態「信仰」もまた、病気の一形態たらざるをえず、認識にいたる真直な、正直な、科学的なすべての道は、教会によって禁ぜられた道としてしりぞけられざるをえない。懐疑がすでに一つの罪である・・・僧侶は心理学的清潔さをまったく欠いているということは ― これはその眼を見さえすればわかることだが― デカダンスからの帰結する一現象である、―  「信仰」とは、何が真であるかを知ろうと欲しないことである。両性のいずれを問わず、敬神家は、僧侶は、偽りである、というのは、彼らは病的であるからである。その本能が望むところは、真理がいかなる一点においてもその権利を主張しないということである。虚言せざるをえないということ― これで私は神学者たるべき運命をもつあらゆる者を看破する。― 神学者の今一つの標識は彼らの文献学への無能力である。

 

 

   これで”反キリスト者”は終わりです。次は”この人を見よ”の抜粋で行きますが少し時間を下さい!

 

 

量子物理学

 

 

 人間の「仕事」について語り、自分のことを「我々」と呼ぶのは、大きな誤りである。創造と破壊―というよりもむしろ、「創造する能力」と「破壊することしかできない能力」は、人間の二つのタイプ(種)の二つの主要な徴なのである。

 

 知性的知識の組織化された形は、「科学」と「哲学」である。

 感情的知識の組織化された形は、「宗教」と「芸術」である。

 

 科学、哲学、宗教、芸術は知識の形式である。科学の方法は観察、計測、経験である。哲学の方法は推理である。宗教と芸術の方法は道徳的または美学的な「感情的」示唆である。しかし科学、哲学、宗教、芸術が本当に真の知識に仕え始めるのは、それらが直観を顕示して始めたとき、すなわち事物の内的特質を感じ、見出したときである。実際にはこう言えるかもしれない。おそらくそれが最も正確であろう―すなわち、純粋に知的な科学的、哲学的体系でさえ、その目的は人を思考と感情の高みへと上昇させることであり、そこから人は自分で新しい高次の知識の形式に移行することができるのだ、と。そしてそれに最も近いのは芸術と宗教である。

 さらに覚えておかねばならないのは、科学、哲学、芸術という区分そのものが不完全だということである。完全な宗教は、宗教、哲学、科学をその中に含んでいる。完全な芸術は、芸術、哲学、科学、宗教をその中に含む。完全な科学、完全な哲学は宗教と芸術を含有する。科学と矛盾する宗教、宗教と矛盾する科学は等しく誤りである。