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会員のみなさま 858              後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年1月13日(日)、現在は朝の8時10分です。
 
 昨夕には本当に久々の降雨がありました。東京では本年の初雪が降ったそうです。
当家のある市川界隈ではお湿り程度の降雨があっただけでした。また、今日から
殆んど晴天の日が連続しそうで困ったものです。
 昨日は隣の下の孫(2歳の男の子)が風邪気味で保育園を休み、ほぼ一日中当家
で過ごしました。2歳と4カ月ほどでまだ完璧ではないですが一応会話にはなるくらいの
話は出来るようになっています。当家の居間と和室を3輪車で駆け抜け、当方が2階で
PC作業をしようとしているとすぐ来ます。ハッキリ孫の世話で他には何もできない一日
でした。今日は親が居るので当家には来ないでしょう(?)
 昨日は正月用にストックしたアルコール類がほとんど無くなったので、近くの酒の量販店
のビッグ・ボスに調達に行きました。本来なら断酒をしていなければいけないのですが、
やはり夜がつまらないので呑んでしまいます。難しいものです。
酒の種類は日本酒(2㍑パック)・芋焼酎”三岳”の900㎜・ジンのボンベイサファイア
チンザノのエキストラドライ(これはマティーニ用)・チリワインのアルパカ・ホッピー2本
(赤ホッピーは売り切れていたので店長に入れておくように指示(偉そうに)しておきました。
 
 本日は一昨日報道のJOC竹田会長の刑事訴訟の件だけで他の報道は無しなのが
普通ですが、どうでしょうか?昔のテレビでは日曜日の午前中は”時事放談”から始まって
各キー局は殆んど報道番組が組まれていました。それが今はどうでしょうか。8時からの
TBSの関口宏の”サンデーモーニング”ぐらいですか。これとて途中はどうでも良いスポーツ
報道が幅を利かせて重要事項は隅に追いやられています。
もちろん最大の理由は電通がマスコミを牛耳っているからです。特に今回(来年の東京五輪
は主要新聞社である読売、毎日、朝日、日経が東京オリパラのオフィシャルパートナーに、
産経がオフィシャルサポーターになっていることです。新聞各社(=テレビ局)はそれに加えて
国際オリンピック委員会と協議し一業種一社の原則を破りスポンサー契約、特例で認めて
貰っているのではっきり何にも言えないのです。
 今後、JOC竹田会長事件はどのような展開を見せるか、日仏の政治決着だけは避けて
欲しいと思いますが、無理でしょうか!?!
 
 一般の勤め人は昨日から三連休でゆったりとしていることでしょうが、当方の様な
”毎日が日曜日”人にとっては三連休など何なのという気概しかありません。長期休養は
今日で23日目となりました。昨日、当方より1年前に”毎日が日曜日”になった元同僚と
電話で話したところによると、最初は良かったがすぐ身の置き場が無くなったそうです。
そして、週に3日間ほどのジム通いを始めた結果、ジム中心の生活になり、今ではけっこう
充実した毎日を暮しているとのことでした。当方のヨガもそのようになればいいのですが?
でも当方は何時までも”毎日が日曜日”人ではありません。1月21以降は就活に勤しむ
つもりです。
 
 では、ニーチェと量子物理学にも勤しんでください。
 
 
ニーチェ
 
 
 
 
哲学における「理性」
 
 一 哲学者たちが数千年来扱ってきたすべてのものは、概念のミイラであった。
   存在するものは、生成しない、生成するものは、存在しない・・・
   道徳とは、感官の欺瞞から、生成から、歴史から、虚言から離脱することに他なら   ない、―歴史学は、感官を信ずること、虚言を信ずること以外の何ものでもない。   道徳とは、感官に信仰をよせるすべてのものへと、人類の全残余へと否と断言する   ことに他ならない。それはすべて「民衆」であるからである。
 
 
量子物理学
 
 
 
 
よって、すべてのものを時間と空間の中で感覚を通して知覚するということは、時間と空間そのものが我々の知覚形式、理性のカテゴリーにしか過ぎず、我々が世界を見る「のぞき穴」でしかないということを意味する。換言すれば、時間と空間は世界の特性ではなく、感覚器官による世界知覚の特性でしかない。その結果、世界は我々の知覚から離れては空間の広がりも時間の存在も持たないことになる。我々がそのように感じ、知覚することでその特性を作り出しているのである。
 時間と空間という連想が我々の心に生じるのは感覚器官を通して外的世界と接触した時であり、我々との接触を離れてはそれらは存在しない。
 
 空間における広がりを持たないものは空間の中に場所を占めず、一定の時間以上存在し続けないものは我々にとってまったく存在しないに等しい。
 
事物は何とかして区分されなければならないので、時間と空間のカテゴリーに従って区分されるのである。