PNC会員へ・・・

会員のみなさま 865                   後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年1月20日(日)、現在は朝の8時半です。

 

 本日はやや曇り気味ですが、おそらく晴れて来るでしょう。この先の1週間も予報では

変化なく晴天のようです。当方、外出が超少ない性か今冬は未だ風邪を引いていません。

乾燥した割には喉は快調ですが、昨日やっと鼻水が出てきました。今後に気を付けます。

 

 当方、正式には本日が退職日となります。この1カ月は”毎日が日曜日”でしたが、

総務課に提出する保険証とか健康保険組合に提出する書類発送とか銀行のローン完済

手続き(これは後、土地の根抵当外しとかで銀行から書類を貰って法務局で手続きをする

必要があり少ししんどいです)でけっこうやることはあるものです。20年ぐらい前に会社を

辞職して新たに有限会社を立ち上げましたが、その時は今と同じに暇人”毎日が日曜日”

だったので東京法令の分厚い資料を購入して自分で書き込み後に法務局へ何度か足を

運び提出して有限会社を創立しました。まあ、その時ほど大変ではないと思いますが、

銀行では司法書士に頼むのでしょう?・・・と言われましたが、いいえ自分でやりますと応え

ておきました。

 

 昨日は5日ぶりにやや多めに飲酒をした結果、途中(真夜中)珍しい二日酔い現象的な

気持ち悪さを経験しました。やはり4日ぐらいの断酒後は軽めに飲むべきでした。

今日も飲みますが少な目にします。今週は金曜日に送別会、土曜日に飲み仲間との

”土曜昼飲み会”がありますので週初めの月・火ぐらいは断酒をする予定です。

 

 昨日は孫の保育園で餅つき大会がありました。当方ら爺婆も参加です。もちろん当方は

餅つきはしません。もっぱら食べるだけです。あんこ・からみ・納豆・お雑煮・・・で食し、

まずまず美味しかったです。餅の後は演芸大会です。フラダンスとか手品、ウクレレとか

を、超ド素人が披露します。当家では娘とそのパパのピアノとギターのデュオで参加、まともな

芸はこれぐらいでした。最後は娘婿のギターで子供達ほぼ全員参加でのダンス・・・

”カーモン・ベービー・アメリカ”で〆でした。久々の餅食いでお腹はいっぱい状態となり

満足ではありました。

 

 懸念された相撲の御嶽海はやはり今場所休場となりました。その方が良いでしょう!

稀勢の里と違い御嶽海はずっと若いので回復も早いと思いますが、きつい仕事ですね。

本当にガチの本割は止めるべきです。3&3の崩壊と一番の優勝候補の休場の結果、

昨日の勝敗は超順当となり、今場所初の上位陣安泰でした。当方、昨日からもう相撲は

見ませんので、はっきりどうでも良いですが。

 

 昨日、再開した競馬ですが、6レースやって超完敗でした。かすりもしない状況で、本日は

もうやりません。今日のメインレースはアメリカJCCですが全く買う気が起きません。

競馬をやり始めてから今年まで年初の金杯アメリカJCC―東京新聞杯あたりで馬券を

とった記憶がありません。この時期はやらないか平場のレースだけにした方が良いようです。

 10000円→7500円という結果です。

 

 あまり書きたくない件ですが、東京都知事の小池インチキババアがやっぱり政府と同列の

クソババアだったことが決定しました。やれ豊洲では駄目だとか築地が良いとか嘘ばっかり

言って、結局、カジノ誘致が本決まりとなりそうです。東京での候補地はやっぱりの

”築地”となりそうです。当方このカジノと東京オリパラは絶対反対です。何とかロシアから

北方4島のうち歯舞・色丹の2島を返還してもらい、そこでオリパラをやったらどうですか?

 

 

 それではニーチェと量子物理学へ行きます。

 

ニーチェ

 

 

 いかにして「真の世界」が最後には寓話となったか

 

    一つの誤謬の歴史

 

 1 賢者、敬神家、有徳者にとっては到達されうる真の世界、―彼はこの世界のうちで

   生きている、彼はこの世界そのものであ

 2 賢者、敬神家、有徳者にとっては(悔い改める罪人にとっては)、今のところ到達

   されえないが、しかし約束されている真の世界。

 3 到達されえず、照明されえず、約束されえないが、しかし思考されたものとしてすで  

   に一つの慰め、一つの責務、一つの命令である真の世界。

 4 真の世界は、到達さえないのか?いずれにしても到達されてはいない。そして到達

   されていないものとして未知のものである。したがってまた、慰め、救い、義務づけ

   ものでもない。どうして何か未知のものが私たちを義務づけることができようか?

 5 「真の世界」―もはや何の役にも立たず、もはやけっして義務づけることのない一つ

   の理念、―無用となった」、余計なものとなった一つの駁された理念。私たちはこ 

   の理念を除去しよう!

 6 真の世界を私たちは除去してしまった。いかなる世界が残ったのか?おそらくは

   仮象の世界か?・・・だが、そうではない!真の世界とともにの私たちは仮象の世界

   をも除去してしまったのである!

 

 

量子物理学

 

 

 

 『純粋理性批判』の中でカントは次のように述べる

 

 空間の中で直観されたものは決して物自体ではなく、空間は物にそれ自体固有の特性として備わった形式ではない。対象自体は我々に全く未知なものであり、我々が外的なものと呼ぶものは我々の感性の単なる表象に過ぎず、その感性の形式が空間なのである。しかし空間という形式の真の相関者である物自体は、この形式によってはまったく知られず、また決して知られ得ない。従って物自体は、経験においてはまったく問題にならないのである。・・・

 我々が直観する物はそれ自体としては、我々が実際に直観しているものと同じものではない。また物相互の関係もそれ自体としては、これらの関係が我々に現れるのと同じようなものではない。もし我々が主観を取り去れば、または一般的な我々の感覚の主観的な性質だけでも取り去れば、時間と空間における対象の一切の性質と関係だけではなく、時間と空間そのものも消え去ってしまうであろう。

 対象が、我々の受容性から引き離された場合に、それ自体としてどのようなものであるかは我々にはまったく知られていない。我々は対象を知覚する方法しか知ることができない。・・・我々が感覚知覚を最高度に明晰にしたとしても、そのことによって物そのものへの知識に一歩でも近づくことにはならない。

 こういうことが言われている。我々の感性は皆、物の乱雑な表象にほかならない。この表象は物そのものは属するものを含んではいるが、種々の標微や部分的表象などの雑然とした堆積下に埋もれている。ただ我々はこの堆積物を我々の意識において明確に区分していないだけである、と。かかる見解は、感性及び現象の概念を不純にするものであり、この不純化は我々の感性論全体を無用なつまらぬものにするおそれがある。

 ・・・・・

 混乱した表象と明確な表象との区別は、まったく論理的なものであり、表象の中身とは関係がない。