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会員のみなさま 860                 後醍院 廣幸
 
おはようございます。本日は2019年1月15日(火)、現在は朝の8時です。
 
 今日の晴れは今だけで後はずっと曇の予報です。それでも降雨は無く、
気象庁の予報では明日以降も雨マークはまったくありません。
 当方、この状態で喉が乾ききって風邪を引くことが心配ですが、何故か喉は
快調です。このままで行ってほしいものです。
 
 当方、ほとんど関心が無くなった大相撲ですが、1月の初場所が始まっていました。
初日の1月13日(日)はまったく見ていなかったのですが、例の稀勢の里が初日
負けたとの報が沢山あったので昨日は思い出したように大関以降の取り組みを
チョイと見てみました。アー、見なければよかった・・・です!?!
何と3大関と3横綱の6人のうち4人が負けです。先陣を切った大関戦最初の取り組みは
高安でした。何と最後は空中戦の様な終わり方で辛うじて大関が勝ちました。
次の栃の心と豪栄道は負けました。そして問題の3横綱戦の先陣を切って稀勢の里
の出番です。相手は逸ノ城ですが、転がされて負けです。その後の鶴竜は力なく負け、
この日の千秋楽の白鵬も勝ちはしましたが、後ろ向きに回されたりまず横綱の勝ち方
ではありませんでした。3横綱大関とは揃った方なのでしょうが、内容は最低最悪ですね。
雁首を揃えればいいというものではないでしょう!当方考、何で相撲がこんな状況になったか?
はもう決まりですね。ハッキリガチ相撲だけになったからです。星の売買などが無くなった
からでしょう!?!もう格闘技・スポーツとしての相撲は止めて奉納相撲だけにしたら
どうでしょうか?昨日あたりでは横綱大関の体たらくを受けてか?相撲の解説陣も無理
人選で何を言っているのかもうしゃべりたくないのか?相撲同様に最低最悪でした。
 昨日は訃報で市原悦子さんと梅原猛先生の件で少しの賜りましたが、今朝は体たらく
相撲では差があり過ぎてやる気喪失です。
 
 相撲は無かったことにして、違う案件で行きましょう!
日刊ゲンダイで自律神経がカギを握る疲労撃退術という題で専門家の医師の意見を
掲載していましたので照会しておきます。
 副題は”寒い冬こそ『日光』と『朝食』で疲労を撃退”です。
1月は疲労が蓄積しやすく免疫力も低下、感染症に罹りやすくなる。最大の原因は『寒さ』に
あるということです。
 人間の深部体温は37℃前後に保たれている。(当方は36℃ちょいぐらいしかないが)
この体温が自律神経を正常に働かせている。動物は5℃以上の気温の変化に対応する力
がなし。現代人は寒い冬に直面する寒暖差に自律神経が追いつかないとのことです。
自律神経が疲労=蓄積すると全身に不調が表れるそうです。頭痛、肩こり、腰痛、冷え、
胃腸障害、食欲不振、イライラといった症状や思考力低下になります。寒暖差の大きい冬
こそ、自律神経をいたわる必要がある・・・ということです。
 その解消に効果的なのはまず窓際で日の光を浴びること。しっかり朝食を食べることが
大切です。目覚めてすぐに早朝散歩やウォーキングに出かけるのは避けましょう・・・とのこと
です。部屋では加湿器を利用して保湿のためにマスクを装着して寝るのも良い。
 冬は寒暖差と乾燥に注意すべし!!!です。
 
 
では、ニーチェと量子物理学です。
 
 
ニーチェ
 
 
 
 
 二 「仮象の」世界が唯一の世界である、「真の世界」は虚言し加えられたものにすぎ   ない・・・
 
  五 「自我」という構想から、派生的なものとして、「存在」という概念がはじめて
   生ずる・・・初めに、意志は結果をひきおこすはたらきをする何ものかであるとの   、―意志は一つの能力であるとの誤謬の大縮業がいかされている・・・今日では
   私たちは、意志とはたんに空語にすぎないということを知っている・・・
 
 
量子物理学
 
 
 しかし、これらの区分は我々の中にしか存在しないということを忘れてはならない。それは我々の知覚の特性であった、物自体の特性ではない。我々は物の真の関連や真の物を知ることはできないのである。我々が知っているのはその影に過ぎず、実際にそれらの間に存在している関係を知ることはできない。同時に明らかなのは、我々が時間と空間に従って行う物の区分は、我々の知覚からは離れた物自体の区分とはいかなる意味でも対応していないということである。そして、もし物自体の間に何らかの区分があるとすれば、それは通常我々が理解するような時間と空間の観点から見た区分とは何の関係もないということも明らかである。なぜなら時間と空間は物自体の特性ではなく、感覚器官による知覚の特性だからである。
 
 我々は時間と空間の外にある物をイメージすることはできないが、時間と空間の外で絶えずそれらについて思考している。
 我々が時間と空間の中で考えるのは「表象」について考えるときだけである。「概念」について考える時、我々はすでに時間と空間の外にあるものについて思考しているのである。