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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 882 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年2月6日(水)、現在は朝の8時前ぐらいです。
今朝は雨降りです。予報が外れなくて良かったですね。多少は我が喉も潤って助かります。
今日は平年並みかそれ以上の寒さのようですが、明日はまた気温急上昇で暑そうです。
これだけ乱高下されると株と同じで基本の基が狂って、目先の判断がおかしくなりそうです。
充分気をつけましょう! 昨日は久々に市川駅界隈で銀行に入金の必要があり、ついででは
ないですが、駅構内のシャポー内にある喜多方”坂内”でラーメンをいただきました。この日の
スープはやや薄味で合格点でした。しょっぱいのはダメです。大体ですが、この店では作る人
が男か女かで塩加減が違ってきます。男だと塩味が強く、女だとまあまあになります。この日は
女性の作り手だったので正解の旨さでした。それでも麺は少し残しましたが。以前は喜多方
ラーメンの麺少な目と言って注文したのですが、これだとスープまで少なくなって当方的には
残念な結果となるので現在は普通に頼んで麺をやや残す食べ方に換えました。もうしわけ
ありませんがお許しを・・・というところです!
本日は午前中にヨガ教室を予約しています。初のコースで少しは心配ですがどうでしょうか?
午後は近所の国際医療福祉大学市川病院で市川市で行っている健診の中で胃カメラ検査の
申し込みに行く予定です。当方、70歳になったことによりこの胃カメラ検査がタダとなります。
しかも近在でも胃カメラ検査を市の健診で行っているのは市川だけのようです。胃カメラ以外にも
幾つかの検査項目もありますが、昨年9月に行った会社の人間ドックと同じものは受けません。
胃カメラ検査は昨年の1月に任意でこの国際医療福祉大学市川病院で実行していますが、1年以上
経ちましたし、此のところごく偶にですが胃の上位部分に多少の違和感が発生するからです。胃より
食道部分がやや心配だからです。元々、当方の胃や食道は逆流しているので、所謂逆流性の
食道炎から食道がんを検査したいからです。
残念な件を1件行きます。昨日の報道によると、日大のアメフト部事件であの監督とコーチの極悪人
両名とも日本警察が所謂無罪を申し渡したようです。第三者委員会の結論は一体何だったの!?!
ですね。このように日本土人国家は政府筋とか政財界=検察・警察・警視庁・公安=ヤクザ・右翼筋
・・・とかが超連携というかつるんで物事を判断結論化して一般のわれわれ土人を踏みにじります。
大体、日大とかいう学校は政府とつなっがて存在している学校・大学です。あの田中理事長が
警察に捕まったりなどはあり得ない国です。そして当方ら普通の土人らは大したことをしてなくても
即逮捕・拘留されて、あの籠池夫婦のように不法拘留約1年・・・でも誰も文句言わない国です。
日本土人を操る酋長だとかそのグループだけが良い思いをする土人国家の日本でした。
昨日の続きで五木寛之氏の”白秋期”から本日は大事なお金の件を少し照会します。
この本の2章ではたかがお金、されどお金…と題して―脱仕事主義のすすめ―という副題がついて
いる論考です。
”これからは貯金も年金も当てにならない・・・白秋期の3K→経済(お金)、健康、孤独 の問題は
大きな不安だということです。中流がなくなり、ほんの一握りの上流と大多数の下流が定着しつつ
ある典型国家がこの日本でしょうか。
著者は言います。”白秋期”は収穫期ではない、社会という桎梏(しっこく)から逃れて自由に振る舞い、
自己実現に邁進する季節ではないかということです。ロシアの大地主だったトルストイは、70歳台後半
から農地で働き、82歳の時、すべての財産を捨てて家出し、旅の途中で風邪を引き、或る駅舎の
駅長室で息を引き取ったそうです。日本の当方とは縁が多い荷風山人は、後年の70歳台に独り
市川の借り住まい(本八幡)で、質素に暮らしていました。年金を詰め込んだ鞄を常に持ち歩き、
浅草や銀座を放浪したということですが、79歳の時孤独死をとげました。亡くなる最後の数か月は
市川の本八幡にある”大黒屋”で死ぬその日までカツ丼だけを食べていたようです。
大金の所持者だからこうあるべきという事は無いのですね。お金があろうが無かろうが自分流の
生き方をして死にたいものです。
現在の日本の貯金は毎年3兆円ほど増えているそうです。その主力は65歳以上の当方ら団塊の
世代以上の人たちのようです。一方、30歳台や40歳代の勤労所帯は貯金は減るという異常な
状態となっているようです。おかしな世の中になって来ました。
と、この先も当方の気が向いたら続行します。
それではニーチェと量子物理学です。勉強しましょうね!!!
五 ドイツにおける全高等教育制度には主要なことが失われてしまっている、すなわち、教養であって―、この目的のために必要なのは、教育者であって―ギムナジウムの姜氏や大学の学者ではないということ ― 人はこのことは・・・必要なのは、おのれ自身が教育されている教育者、あらゆる瞬間において証明されている、言葉と沈黙によって証明されている。卓越した、高貴な精神であり、成熟した、甘くなった文化である教育者であって、― ギムナジウムや大學が青年たちに「高等乳母」として今日あてがっている物識りのがさつ者ではない。例外中の例外として、教育者が、教育の第一の先決条件が欠けている。だからこそドイツ文化の衰退ということになる。
量子物理学
では何が存在するのか?
現在である。
しかし「現在」は決して捕えることができない瞬間であり、絶えず過去の中に溶け込んでいく。かくして、厳密にいえば、過去、現在、未来にとって存在していない!
それでも我々は生きており、感情や思考を持っている。そして何かが我々を取り囲んでいる。習慣的な時間への態度はどこかが間違っているに違いない。我々はその欠陥を見出さねばならない。
秋はまだ来ない。そうちにやってくるだろうが、今はまだ来ていない。そして我々は、存在しないものがどうやったら現れることができるのかを決して考えようとはしないのである。
過去と未来は非存在ではあり得ない。というのは、もしそれが存在しないのなら、現在もまた存在しないからである。それらはどこかに共に存在するに違いないが、我々がそれを見ることができないだけである。
過去と未来に対立するものとしての「現在」という概念は、あらゆる非現実的なものの中で最も非現実的である。
我々は過去、現在、未来はいかなる意味でもお互いに異なるものではないことを認めなければならない。存在する唯一のものは―インド哲学の言う永遠の今だけである。
さらに、我々の「時間」の概念は、「過去、現在、未来」という概念から成り立っている。過去と現在という概念は、非常に曖昧ではあるが、共通しているところがある。しかし未来に関しては非常に多様な見方がある。
ここで現代人の持つ「未来」についての理論を検証しなければならない。
これについては二つの主な理論がある。一つは、未来はあらかじめ予定されているという考え方(運命論)、もう一つは、未来は定まっていないという考え方である。