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PNC会員へ・・・
会員のみなさま 881 後醍院 廣幸
おはようございます。本日は2019年2月5日、現在は朝の7時半です。
今朝は曇天でうそ寒い夜明けですが、昨日の温かさというか暑さはこの日にち
あたりではまずない最高気温でした。東京近郊でも20℃超の所もあったようです。
今日は平年の温度で明日は雨になりそうです。雨降りは歓迎ですがまだまだ不足
です。風邪を引くまでというか引かないためにも乾燥状態の解除を願います。
昨日から中国の旧正月である春節が始まっています。これは1週間続き2月10日
までの連休となるそうです。結果的に来日する中国人が急増するのは当然です。
それでも数年前のような所謂”爆買い”は影を潜め、行楽先も富士山や京都あたりでは
なく、あまり中国人のいない処を探して行楽に行くようです。当方など、外国に行ったことが
たったの2回だけ、しかも自前で行ったことは一度もありません(会社の出張と顧客からの
接待旅行)。はっきり海外旅行はゼロといってもおかしくない団塊の世代の日本人としては
超珍しい人間でしょうか!?!でも海外旅行などまったく興味が無いのでしかたありません。
外国どころか日本国内でも行きたいところはほとんどありません。まだ一度も行ったこと
がない四国ぐらいでしょうか?沖縄も行ってはいませんが、あまり興味はありません。
という事は旅行そのものに郷愁も何も感じないという事です。
中国人が日本にたくさんやって来ますが、気持ち的には理解できます。貧乏人だった
頃から比べると随分お金持ちになり、いざ旅行でもと思い立っても自国(中国)では行きたい
行楽地がないのです。勢い近在の日本…が選択されるのでしょう!?!
暮れから5冊の新書を購入しましたが、やっと1冊を読了しただけです。やはり電車読みが
主体だった当方、家読みは苦手でページが進みません。それに面白いだろうと思って買った
ものが意外とつまらなく読みが進まないという事もあります。なかなか思いもよらぬ面白く
矯めになる本は少ないものですね。
それらの中から読了したもので易しく書かれた五木寛之の”白秋期”を軽く照会します。
この新書の帯によると『黄金時代は人生後半に始まる』…とあるように当方の年代が
人生の内で一番大切であるということです。人生を、青春、朱夏、白秋、玄冬の四つにの時期
に分けて考えれば、白秋期とは50歳から75歳当たりまでの25年間であるようです。この時期
は晩年ではなく人生の収穫期ではないかと著者は考えます。この時期の主力は当方らの
団塊の世代が中心となります。はっきり、当方らは今までとはまったく違うタイプの老人群です。
当方らの事を著者は”新老人”と定義づけます。それでももう20年が経って後の残りはたった
5年です。この5年は超大事です。生まれて初めて真実にこの5年間を充実させねばならない
とい事でもあります。
下に著者の言うところの『白秋期の道標』を羅列します。よーく噛みしめましょう!!!
① 生活を極力コンパクトにする。
② 浪費の習慣を捨てる。
③ 自動車の運転をやめる。
④ 粗食の習慣を身につける。
⑤ モノを捨てる。
⑥ 少ない収入で暮らしが成り立つようにする。
⑦ 方丈の空間をつくる。
⑧ 喜び、悲しみノートを作る。
⑨ 仕事以外の人生の目的をさがす。
⑩ 自分本位の生き方を見出す。
⑪ ものを学び直す。
⑫ 読書を友とする。
⑬ 新しいことをはじめてみる。
⑭ 養生を趣味にする。
⑮ 孤独の歓びを見つける、等々。
白秋期はここで終わらず、次回に続きの論考である”お金”について書きます。
今日はここまでにしてニーチェと量子物理学は頑張って勉強してください!
四 「文化国家」はたんに一つの近代的理念にすぎない。
一方は他力によって生き、一方は他方を犠牲にして栄える。文化のあらゆる偉大な時代は政治的な衰退期である。すなわち、文化という意味において偉大であるものは、非政治的であり、反政治的ですらあった・・・ゲーテの心はナポレオンという現象のさいに開き、―彼の心は「自由戦争」のさいには閉じた・・・ドイツが強国として抬頭するその同じ瞬間に、フランスは文化国として一変した重要性を獲得する。
量子物理学
「現在」という言葉が意味しているのは、未来が過去に移行する瞬間、すなわち、存在しないあるものからもう一つの存在しないものへ現象が移行する瞬間のことである。我々にとって現象が存在するのはこの短い一瞬の間だけである。この短い瞬間は虚構である。それは捕まえることはできない。何とかして捕えた時にはそれは常に過去でしかないのだから!
そこで考えるのを止めれば、世界は存在しないということを認めざるを得ない。存在するあらゆるものは妄想の生んだ幻影に過ぎず、泡のようにはじけて消滅してしまうものでしかない。
我々は概してこのことを意識せず、我々が抱いている通常の時間の概念はまったくナンセンスであることに気づいていない。
一つの町から他の町へと向かう途中にある間抜けな旅人を想像してほしい。彼は自分が先週立ち去った町は今では存在せず、その記憶だけが残っていると考えている。そして、壁は倒れ、住民は死んだか散り散りになってしまったと考えている。
数日後に到着することになっている町も、今はまだ存在せず、彼の到着に備えて急いで建設されているが、彼が到着する日には用意が整い、人々が住み、秩序ある生活が営まれるようになり、彼が立ち去った次の日には最初の町のように何もかも破壊されてしまうと彼は思っている。
我々もまた時間についてまったく同じように考えている。すべてが過ぎ去り、何も戻ってこない!春は過ぎ、もう存在しない。秋は来ていない。それはまだ存在していない。