PNC会員へ・・・

会員のみなさま 901                 後醍院 廣幸

 

おはようございます。本日は2019年2月25日(月)、現在は朝の7時半です。

 

 今朝はまだ日差しがありますが、これからお昼頃に架けては雨模様です。

その後も早春らしく雨予報が続きます。2月28日、3月1日、3日、4日と雨

降りを予想しています。もう今週中に3月突入ですので当然でしょうか!

 各路線では相変わらず遅延が頻繁に起こっています。昨夕の18時には

いつもの常磐線が毎日恒例の停止・遅延発生です。昨晩は南千住駅で人身事故

発生で停まっていました。今朝は先ほどまで、中央線快速の御茶ノ水駅で停電発生、

快速と東西線東葉高速線がいっしょに停まっていました。現在は動き始めた

ようですが、ダイヤは乱れるでしょう!

 

 当方、昨日は予定通りには動けなかったので、昨日の分も今日熟すことにします。

本日は先週初診で行った北国分の皮膚科を10時50分に予約していますのでまず

ここに行きます。その後は雨の様子を見ながら墓参り→すし松→GSと予定しています。

 

 昨日は辺野古埋立の賛否を問う沖縄県民投票がありました。結果としては予想通り、

反対が賛成を圧倒しました。反対票は434,273票で71.7%でした。投票率は52.48%

です。玉城知事の昨年9月の投票数も上回りすべてに於いて完勝でした。それでも

政府はこの結果に対して法的拘束力はありませんので完全無視方式でこなすのでしょう。

何の意味があるの・・・と言いたいですが、昨日の天皇両陛下のお言葉や作詞作曲の歌曲

と相まって日本国民の大半が辺野古埋立反対なのは決定的な事です。

 

 政府や政権担当勢力、アカデミズムなどの存在は自分たちに反する、異見な事案や

決定事項が発生すると、完全無視作戦を取ります。人々が忘れた頃に思いついたように

真実(?)を発表したり表面化したりします。今度の沖縄案件もそうなるでしょう。

 昨日の報道で、当方らが住む天の川銀河の中心あたりに質量が太陽の3万倍の中型の

ブラック・ホールが存在することを国立天文台などの研究チームが突き止めたという

ニュースを発表していました。これなど典型的な今回の沖縄同等案件です。

 大体、ブラックホールなんてあるわけがありません。インチキ物理学者であるが数学者の

ホーキング博士あたりの世迷言は金輪際徹底的に凶弾しなければならない案件ですが、

アカデミズム勢力は昨日のブラックホール発見のような一般が忘れた頃に急に報道します。

 何しろこの宇宙というか我々の天の川銀河だけでも太陽のような恒星が2000億個も

あるのです。インチキブラックホールのようなものが沢山あって不思議はありません。

宇宙の神秘の殆んど(99%以上)は解明されていませんので勝手に何を言っても見つけても

許されます(政府系・アカデミズ系以外はダメ)。何しろ報道機関は地球からチョイと外に

出来た宇宙ステーションのあたりでも所謂宇宙と称しています。もう火星あたりまで行ったら

大宇宙ですね!?!お願いだから天の川銀河だけで太陽(恒星)が2000億個!あるという

事実を認めましょう!!!!!

 

 

 では、ニーチェと量子物理学は勉強しましょう!

 

 

 

ニーチェ

 

 

三十九 近代性の批判。― 私たちの制度はもはや何の役にも立たない、この点に関しては一般に意見が一致している。しかしそれは制度の責任ではなく、私たちの責―任である。すでに言ったごとく、結婚の基礎は、「恋愛」にあるのではなく、― その基礎は、性欲に所有欲に(所有物としての妻や子供)、支配欲にあるのであって、この支配欲が家族という最小の支配形態をたえず組織化し、権力。感化、富の達成された量を生理学的にも固辞するために、長い課題を、何百年かのあいだの本能の連帯性を準備するために、子供と後継者とを必要とするのである。社会自身が全体として最も遠い世代の先までおのれを保証することができないなら、結婚は総じて意味をもたない。― 近代的結婚はその意味を喪失した、― 

したがってそれは廃止されるのである。 ― 

 

 

 

量子物理学

 

 

動物が概念を持たないことを示すもう一つの証拠は、動物がてこを使用できないということである。動物はてこの意義と理解できない。動物がてこを使えないのは肉体器官(手、腕)の形態のためだという一般的な見解が理由にならないのは、教えれば動物はてこを使うからである。しかし、このことは動物がてこを使うというのは肉体の形態のためではないことを意味している。肝心なのは、動物が自分自身でてこを使うという考えに辿り着かなかったということである。てこの発明が原始人と動物を分離した。

 我々は動物を生命のある自動人形か愚かな存在とみなしている。

 我々は自分自身の枠の中に閉じ込められてしまっている。他の心性(メンタリティー)が何かを知らず、我々の持つ心性のみが可能な唯一の形態だと考えている。しかしこの幻想が生命への理解を防げているのである。

 

 ある物を見た時、我々はそれを特定の級、類、種に分類し、それを他の概念と互いに結びつけ、心の中で何かの「言葉」と関連づけて、定義したりする。